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鉄腕麗人さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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461.  名探偵ポワロ 第三の女<TVM>
「第三の女」と聞くと、いかにも謎に満ちあふれた女の存在をイメージしてしまうが、実際に描かれる設定は、ルームシェアをする若い女性たちの中の”3番目”の女に、同じアパートに住む老婆の殺人疑惑が生じるというもの。  ミステリーのとっかかりはとてもミニマムだ。しかし、名探偵エルキュール・ポワロが事件に絡み合う人間模様を追求していくにつれ、過去のトラウマ、莫大な遺産相続と人間の隠された思惑が拡大していき、「真相」が謎の中に入り込んでいく。  このところ3作品連続して英国のテレビ映画シリーズ版“ポワロ”を観ているが、やっぱりとにもかくにも、デヴィッド・スーシェのポワロぶりが抜群だ。  デヴィッド・スーシェが演じるポワロの存在感が凄いのは、事件を解き明かしていく様、事件を解き明かした後の様に、何とも言えない愁いを携えているところだと思う。 物語においてメインに描かれるのはもちろん「事件」だが、決してそれに映画全体が支配されるわけではなく、要所を主人公である名探偵がしっかりと押さえている。それを成しているのが、デヴィッド・スーシェの存在感だと思う。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-09-16 12:21:16)(良:1票)
462.  M:i:III 《ネタバレ》 
映画を始めとする作劇上の用語に「マクガフィン」という言葉がある。 何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる仕掛けの一つ。登場人物たちにとっては重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能で重要なものではないものの総称である。(Wikipedia他調べ)  この人気スパイ映画シリーズ第三弾は、この手の映画の常套手段である“マクガフィン”を、敢えてただの“マクガフィン”としてのみ存在させることで、スパイ映画の王道を踏んでいる。 初見時はその企みに対して、ただ単にベタなだけに見えてしまい、マクガフィンの正体が説明されないことに対しても納得がいかず、不満足に繋がってしまっていた。 だが、改めて見返してみると、敢えてストーリーに膨らみを持たせず、むしろ薄っぺらなものにした製作陣の意図が明らかになった。  この映画はストーリーの妙を楽しむものではなく、スパイ映画らしい豊富なガジェットや作戦の裏側をつぶさに見せることによる娯楽性を楽しむべき映画なのだ。  そういう意味では、往年の映画を愛するJ・J・エイブラムスらしい映画愛に溢れた作品だとも思える。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2010-09-06 15:43:57)(良:1票)
463.  ミスター・ガラス 《ネタバレ》 
「スプリット」のポストクレジットで突如示された怪作「アンブレイカブル」のその後。 まるで想像していなかった奇跡的な連なりと、「特異」そのものの3人のキャラクターたちの再登場に際し、両作推しのシャマラン映画ファンとしては、鑑賞前から高揚感は膨れ上がっていた。 無論、映画館で鑑賞したかったのだが、公開規模が大作映画としては小さく、地方では劇場公開されず落胆。どうやら、そもそも「アンブレイカブル」と「スプリット」とでは製作会社が異なっており、両作の続編である本作は異例の二社共同製作となっていたことが、日本国内でのは配給制限に影響したのではないかと想像する。  色々な意味で「異質」な映画であることは間違いなく、それがシャマラン映画として初めての“シリーズもの”となったわけだから、普通の映画に仕上がっているはずもない。 そして、「アンブレイカブル」から19年の長き月日を経て展開されたこの続編は、過去の二作両方に対しての見事なそして特異なアンサーとして成立していると思う。  この映画の特異な終着点は、「ミスター・ガラス(Glass)」というタイトルが掲げられた時点で、ある意味明確だったのかもしれない。 「アンブレイカブル」がそうであったように、このシャマラン流“アベンジャーズ”は、画一的な“ヒーロー”の活躍を描き出したいわけではない。 あまりに不遇な自らの人生を呪い、心からコミックに登場するスーパーヒーローに憧れ、その存在を渇望するあまりに、自分自身が最凶最悪なヴィランになるという狂気にたどり着き、それを成し得てみせたイライジャ・プライスというキャラクターの信念こそが、3作通じたこのシリーズの主題だったと言えよう。  「アンブレイカブル」のラストシーンにおいて、イライジャ・プライスは「ヴィランには皆あだ名がある。私はミスター・ガラス」と悲しく言い放ち、ようやく見つけ出したスーパーヒーロー(デヴィッド・ダン)を見送る。 彼はその直後逮捕され、ずっと収容施設に閉じ込められていたわけだが、その“ヴィラン”としての立ち位置と、信念が揺らぐことは微塵もなかったのだろう。 表現として矛盾するが、彼はひたすらにヴィラン即ち「悪」としての“純真”を保ち続け、只々機会を待ち続けた。 そしてついに、不遇を極めた自らの人生の「意味」を勝ち取ったのだ。最期の彼の瞳に宿っていたものは、正義と悪の混濁だった。  極めて「変」な映画シリーズである。ただし、このシリーズが伝える「価値観」は一貫している。 「正義」と「悪」を等しく対なものとして捉え続け、両者に共通する「異質」さを、“普通”とされるこの世界に問うている。 それは即ち、「正義」とか「悪」とか関係なく、普通と異なるものを、この世界は受け入れられるのかということ。  この映画の終着点の論理は極めて“屈折”していて、多くの普通の人間には理解し難いものかもしれない。 それでも、本作の主人公は、ひび割れたガラスの屈折した光を通して、ヒーローにも、ヴィランにも姿を変えて、その難問を問い続ける。
[インターネット(字幕)] 8点(2019-08-17 23:32:58)(良:1票)
464.  シングルマン 《ネタバレ》 
この映画は、一人の男が、「死」に向かう“一日”という道中を描いた“ロード・ムービー”だと思う。  孤独に苛まれた男が、何処か遠くに行くわけではない。普段と変わらない一日をある「決意」を込めて生きるだけの話である。 だけれど、そこには起伏に富んだ出来事と出会いが繰り返される。  “孤独感”に埋め尽くされて色彩の無かった世界が、ふとしたことで色味を帯びていく。 それは、世界中のすべての人間の何気ない日常の中に、「生きる」ということの意味と価値が溢れているということを物語っている。  それと同時に、世界が色を帯びていく過程には、「死」を決意した男自身が、「生きたい」という本能に気付いていく様を感じた。それは、「明快」という言葉を隠れ蓑にして現実から目を伏せてきた男が、自分が在る世界を直視したということだったと思う。  結果的に、一日の最後に主人公の男が得た結末は、目覚めたときに決意したままのものだったかもしれない。 しかし、そこには明確な違いがある。  “死ぬために生きる”のか“死ぬまで生きる”のか。  同じように聞こえる言葉の価値の違いを強く感じる映画だった。   世界的デザイナーのトム・フォードという人が初監督をした映画だけに、作品全体に強い「美意識」が溢れている。 そういうタイプの映画は多いけれど、この映画の美意識は決してビジュアルの表面的な部分だけではなく、人間のインサイドに至るまで徹底的に反映されている。  素晴らしい才能だと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2011-04-05 14:17:29)(良:1票)
465.  タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密
“ちゃんと面白い映画”だった。 この映画の感想としては、それ以上もそれ以下もなく、その表現に尽きる思う。  フルCGアニメーションでのキャラクター造型に対して尻込みしてしまい、劇場鑑賞は二の足を踏んでしまったが、この怒濤の映像世界はやはり大スクリーンで観るべきだったと思った。 スピルバーグ流の「娯楽」が、上映時間いっぱいに並べ立てられた映画であり、そういう映画が面白くないわけが無いということは、そもそも明らかだったと思う。  フルCGアニメの映画ではあるが、そのまま「アニメ映画」という区別が正しいかどうかは疑問だ。 常に新しい“映画世界”に挑戦し続ける大巨匠が、“フルCG”“3D”という新しい手法を用いてまた新たな世界観を追求した、ある意味での「実験映画」としての印象が強い。 彼の頭に渦巻く、現時点で実写では困難なイマジネーションを、アニメという表現を使って実現したということだと思う。  綴られるストーリーは極めて単純だ。シンプルというよりも面白味に欠けるストーリーに対して不満が出ることは理解出来る。 「インディ・ジョーンズ」的な冒険活劇が大好きな人ならば、文句なしに楽しめる映画だろうが、そうでない人にとっては“乗り切れない”ということは否めない。  ただし、今作においてスピルバーグ監督は、敢えてそういうストーリーの緻密さは「無視」したのではないかと思う。 ストーリーは原作漫画に即したシンプルに徹し、映像世界の緻密さのみで勝負しようとしたのだと思う。 例えば、台詞の音声なしで鑑賞したとしても、この映画の面白さは変わらないようにすら思う。 それくらい、この映画における映像世界の試みは圧倒的で凄い。  圧倒的な映像世界に対してストーリーの面白味が伴わないことで、映画自体の面白さが激減してしまっていることは確かだ。 しかし、それでも良いと開き直って、新たな試みに挑んだ大巨匠の“エゴイズム”こそ、この作品における最大の見所かもしれない。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2012-10-03 23:50:15)(良:1票)
466.  ゴーストバスターズ(2016)
1984年の「ゴーストバスターズ」は、世代的に、少年時代にハリウッド映画に触れ始めたタイミングの作品でもあり、非常に馴染み深い。 個人的には、アメリカの娯楽映画とはこういうものと無意識レベルで植え付けられた映画とも言え、ある意味娯楽映画の“基準”となった作品だった。 「もの凄く素晴らしい映画!」ということでは決してないけれど、特に僕らの世代以上の映画ファンにとっては、“愛着”のある映画であったことは間違いないだろう。  そういう意味では、オリジナルキャスト達のカメオ出演や、あの愛すべきアイコン、そしてテーマ曲等の踏襲は、往年のファンとして少なからず“アガる”ポイントであったことは言わずもがななところ。 時代と、主人公たちのキャラ設定は変わっているけれど、NYを舞台にして、お決まりのテーマ曲、お決まりのロゴマーク、お決まりのコスチュームで、“ゴーストバスターズ”の面々が出揃った瞬間、「帰ってきた!」と高揚した。  しかし、だからこそ殊更に残念なことだが、今作には、そういった高揚感を映画作品として保ち続けるための魅力が備わっていない。 言うなれば、“リメイク”として、オリジナル作品にあった魅力を再現できておらず、無論それ以上の付加価値を見出だせていないということだ。  バスターズの面々の性別を変えて、現代版として焼き直すからには、何かしらの新しい価値観や、テーマ性を示してほしかった。 今作の監督+主演コンビで、結婚式にまつわる女性の親友同士の「本音」をドぎついコメディと下ネタで繰り広げてみせた「ブライズメイズ」は最高のコメディ映画だっただけに、その部分が期待はずれだったことはとても残念だ。 オリジナル版のビル・マーレイやダン・エイクロイドは、勿論コメディ俳優という領域を超えた「名優」だが、今作のクリステン・ウィグやメリッサ・マッカーシーも、今後同等以上の存在感を放つ可能性を持った女優だけに、彼女たちが弾けきれていないことが殊更に口惜しい。  “ソー”こと、クリス・ヘムズワース演じる“逆・紅一点”の秘書ケビンの常軌を逸した“脳筋”ぶりは可笑しかったけれど。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2018-04-30 00:54:58)(良:1票)
467.  死刑台のエレベーター(1958)
古き名作サスペンスには満足することがほとんどない。今作も例にもれず、何の衝撃も受けずに終始してしまった。題材的には興味を引く部分はあるのだけれど、描き方に中途半端な印象を受ける。現代映画の目まぐるしい編集に慣れきってしまっている部分もあるのかもしれないけど、やはりサスペンス映画はある程度映像で引き付けることは重要だと思う。そういうことを考えると、やはりヒッチコック映画は革新的であったのだと感じる。
4点(2003-11-18 15:30:29)(良:1票)
468.  エイリアン
この映画をまともに観るのは何年ぶりだろうか。 いや、実際は、かつて淀川長治氏の日曜洋画劇場で放映された吹替え版を何度が観た程度で、字幕版をしっかりと観るのはこれが初めてだったのかもしれない。(しかも今回はBlu-ray特典のディレクターズカット版)  もちろん、エイリアンがどういう場面でどういう登場を見せるかということは把握しており、ストーリーの顛末も当然知っているのだが、それでも次の瞬間にもエイリアンが襲いくるというシーンでは、恐怖の余り目を背けがちになってしまった。 リドリー・スコットが生み出したこのSFモンスター映画の醍醐味は、何を置いてもやはりその「恐怖」だと思う。  宇宙船という完全に閉鎖された空間に突如として付加された恐怖。 それは、モンスターそのものに対する恐怖というよりは、それから逃げられないという恐怖の真髄だ。 そこにある思惑により隠された真意による不信感が巧みに混じり合い、映画史上かつてない恐怖感を生み出したのだと思う。  今回どうしてもこの映画を再見したかった最大の理由は、今作の前日譚として公開されたばかりの「プロメテウス」を観るため。 改めて今作を見返してみると、エイリアンそのものの出生をはじめ、その発端となるシーンのあらゆる「謎」が気になる。よくもまあリドリー・スコットは、このあからさまな「伏線」を30年も放っておいたなと思う。  そして、30年前の映画にも関わらず、映し出される映像世界のスタイリッシュさに舌を巻く。本編開始前の“20世紀フォックス”のタイトルロゴの古めかしさに「そんなに昔の映画なのか?」と違和感を感じるほどに。  P.S.あたり前だが、シガニー・ウィーバーが若い!終盤の“半ケツ”が、その瑞々しさを極めて分かりやすく表現している。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2003-10-21 00:45:25)(笑:1票)
469.  西の魔女が死んだ
大切な人の死に面した時、「ああしておけばよかった」「あんなことしなければよかった」と後悔しないことなんてないと思う。 その後悔は、時に自己嫌悪に陥るほどに大きくなり、自身を苦しめる。 でも、もし「西の魔女」からのようなメッセージが届いたなら、どれほど救われることだろう。 ラスト、そのあたたかさに涙が溢れた。  映画作品としては、決して完成度が高い作品とは言い難い。 原作は未読だけれど、おそらく、文体で表現された世界観を充分に表現出来ているとは言えないだろうと思う。 それはこの物語が、あまりに繊細で理屈ではない人間同士の心の交じり合いを描いたものだからだ。 映画を観ていて、そのテーマ性自体は伝わってきたけれど、映像表現や演技がそれを伝え切れているかというと、疑問は残った。  “おばあちゃん”を演じたサチ・パーカーが、女優シャーリー・マクレーンの娘だということを、今作の観賞後に知った。 先日、「アパートの鍵貸します」を初めて観て、若かりし日のシャーリー・マクレーンの魅力に触れたところだった。親日家の彼女が、娘の名前に「サチコ」とつけたということを思い出した。  面白い偶然に何だか感動し、この奇遇は、母と娘と孫娘の関係を描いたこの映画にふさわしいようにも思えた。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2010-08-27 12:17:34)(良:1票)
470.  ネバーランド
ふと考えると、映画を観ること自体が、“空想をする”“イメージをする”ということだと思う。映画の素晴らしさというのはそういうことで、まさにその真髄を描いたこの作品の感動の深さはシンプルだが、非常に深い。美しい現実と空想の狭間で繰り広げられる、美しい愛の物語。感動作としてなんともこれ見よがしな物語であるが、涙が溢れるのだから批判の余地も無く素晴らしいと言うしか無い。空想の名における永遠の少年ピーター・パンが、深い喪失を抱えた少年から生まれたということに、想像性に対する感慨深さを覚えた。
[映画館(字幕)] 8点(2005-01-15 17:43:22)(良:1票)
471.  7つの贈り物 《ネタバレ》 
主人公のベンは、見ず知らずの他人7人に対し、“ある計画”の上で各人の運命を変える“贈り物”を与えていく。 主人公を演じるウィル・スミスの瞳の中に在る決して消えることのない“愁い”が、とても印象的な映画だった。  主人公の「行為」が本質的な意味で正しいかどうか、それを判断することはとても難しい。 別の方法を選択すべきだったとも思うし、本人にとってはそれ以外無かったという決断も理解できる。  自らの中で膨張する思いに耐えきれず、断固たる意志のもとに下した"決意”は、その正当性を度外視して、心が揺さぶられる。 そして、その一連の行動の中で、残酷にも恋に落ち、愛の元で最後のプロセスを実行する様に、涙が溢れた。  この映画は、観客それぞれの価値観において、大いに是非が分かれると思う。 ただ僕は、一人の男がひたすらに苦悩し、不器用で愚かな決断をする姿に、人間の人間らしい部分を感じずにはいられなかった。 物語の美徳的な部分ではなく、そういう人間の不完全さを目の前にし、感動した。
[映画館(字幕)] 7点(2009-02-21 20:19:02)(良:1票)
472.  鉄人28号
作品登録要望を出して1年、やっとのことで観ることができ個人的にはある種の感慨深さがあった。のだが、正直「もう少しなあ~」という部分が多すぎる出来栄えだった。物語自体の軽薄さも目に付くところではあるが、そこはあえて“王道的”と片付けておいておこう。やはり問題はビジュアルに尽きると思う。名作漫画「鉄人28号」を今、映像化する意味をもっと考えてほしかった。一辺倒で工夫の無い構図の羅列、原作が持つ秀逸な昭和的色合いをまったく見せない造形、映画全体の中途半端な時代の雰囲気……。製作費をかけるという以前に、手間をかける部分、工夫をすることが可能な部分が随所で露呈し、残念という他ない。エンディングで流れる原作漫画の一コマ一コマの方がよっぽどスリリングだ。それでも何とか見せるのは、鉄人28号というキャラクター自体が持つ揺るぎないパワーのおかげだろうか。
[映画館(字幕)] 3点(2005-03-25 19:07:48)(良:1票)
473.  バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 《ネタバレ》 
もう全編通して「しょうがないねえ」と嘲笑しながら観ることしか許されない“チープ”な映画であることは間違いない。 概ね“酷い”映画であるけれど、同時に、嫌いにもなれない映画だと思う。  あまりまともに改善点を言っても仕方がないけれど、配役をもう少し考えれば、それだけでもクオリティーの差は出たように思う。 出演者の演技や適性に問題があるわけではなく、単純に”実年齢”の問題だと感じた。  “タイムマシンもの”の必然として、メインで描かれる舞台は、当然時間移動をした先、つまりは「過去」か「未来」となり、今作の場合は“バブル全盛”の「過去」がメイン舞台である。 そして、現代と過去の両方に出てくるキャラクターが存在する場合、その配役はメイン舞台である過去の世界で、違和感の無いキャスティングをしなければ、完成度に無理が出てくる。  詰まるところ何が言いたいかというと、阿部寛や薬師丸ひろ子はこの映画の性質にあった俳優だとは思うが、バブル全盛時代を生きる20代を演じさせるのは、流石に無理があるということだ。 “老齢”を表現するメイクはいくらでも可能なわけだから、今20代の若い俳優に主人公の両親役をさせるべきだったと思う。 それと同じ理由で、カメオ出演するラモスや飯島直子らが、ほとんど現在と同じような風貌で登場することも、狙いは分かるがクオリティーを下げるだけの要素になってしまっている。  さらに加えて、主人公が広末涼子というのも、何とも中途半端だ。 22~23歳の設定なんだろうが、どうせなら主人公はバブル当時、生まれるか生まれてないかぐらいの年齢設定にして、もっと若い女優を起用した方が明確な“ギャップ”が生まれただろう。 広末涼子がバブル時代のカルチャーギャップを感じる様を演じても、「それは知ってんだろう?」と思ってしまい、正直なところ説得力が無い。  まあそんなにくどくどと粗を探すような映画ではないとは思う。物凄く暇な時にたまたま放映されていれば、充分に暇つぶしにはなるだろう。 ラストの少々行き過ぎで有り得ない感じは、バブルがあのままはじけなかったらと考えると、逆に有り得そうで良かったと思う。
[地上波(邦画)] 5点(2010-11-09 16:42:43)(良:1票)
474.  アウトブレイク
新型インフルエンザが流行し、新しい言葉に弱い日本人は「パンデミック」という言葉に踊らされ、少々過剰な反応を連日していると思う。 「パンデミック」の真の恐怖とはこういうことだということを、再確認するべく、何年ぶりかに「アウトブレイク」を観た。  ドイツが生んだエンターテイメント映画監督の名匠ウォルフガング・ペーターゼンによる今作は、“死のウィルス”の感染拡大によるパニックを恐怖と娯楽性たっぷりに描き出した優れた映画だ。 1995年の映画だが、そのストーリー展開は決して当時の一過性のテーマではなく、今まさに現実に起こり得る「恐怖」を巧みに描き出していると思う。  現実的な恐怖を浮き彫りにするストーリー性もさることながら、あくまでエンターテイメント映画としての要素をそつなく盛り込んでいることに、この監督の作家性を感じる。 主演のダスティン・ホフマンがまだまだ元気で、彼の演じる軍の医官の有り余る行動力がヒーロー的過ぎたり、解決の顛末があまりにご都合主義だともとれるかもしれない。 がしかし、そういうものこそが、娯楽映画の「王道」であり、決して否定すべきことではない。  主人公がワクチンを作成し、ウィルスに感染した元妻(レネ・ルッソ)を死の直前で救うことでラストを迎える。快復した元妻に復縁を望む主人公に対し、元妻は笑顔でこう応える。  「免疫もできたしね」  上手い。  名優ダスティン・ホフマンを筆頭に、モーガン・フリーマン、ケビン・スペイシー、ドナルド・サザーランド、キューバ・グッティング・Jr.らが脇を固め、とても深い面白味がある映画だと思う。
[映画館(字幕)] 10点(2003-09-28 17:54:12)(良:1票)
475.  舟を編む
10年以上かけて延々と辞書をつくる。ただひたすらに言葉を集め、編纂する。 おびただしい言葉の海に放り込まれ、漂い、もがき、“向こう側”に辿り着こうとする映画。 極めて地味な映画である。でも、なんとも愛らしい映画だった。  「言葉」そのものを敬い、愛する日本人ならではの物語だと思う。 また、「仕事」に一生をかけることへの憧れと羨望の描き出し方も、日本人ならではの特性をくすぐるものだった。 そういう意味では、とても日本人らしい映画だと思うし、この国の人々の普遍的な一側面を世界に対して理解してもらうにも有意義な映画だとも思う。  映画としては非常にオーソドックスで面白味が薄いようにも見えるけれど、一つ一つの画づくりはとても丁寧だった。 たとえば、編集室の書類の積み重なり方や、主人公の下宿の佇まいに至るまで、登場人物たちが息づく空間の空気感がちゃんと伝わってくる。  作り込まれた映画の世界観は、時に秀逸なアニメーションに通じる雰囲気を覚えた。 特に主人公とヒロインが出会うシーンなどは、ありふれた描写ではあるけれど、とてもキュートでファンタジックだった。  主演の松田龍平は地味な物語の地味な主人公を、彼の愛妻が言うように「面白く」魅力的に演じていた。 宮﨑あおい、オダギリジョー、小林薫ら脇を固める俳優たちの存在感もそれぞれ素晴らしく、味わい深い人間模様を見せてくれた。  映画的工夫の軽微な欠如は感じ、物語の核となる「言葉」や「料理」などにもう少し効果的にフォーカスを合わせてみても良かったように思える。 そうすれば更に芳醇な映画になったかもしれないけれど、そのいきすぎない「真面目さ」がこの映画のあり方だろうし、それはひいてはこの国が見つめ直すべきあり方に繋がるものなのだろうと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2014-03-16 10:15:57)(良:1票)
476.  お葬式
お葬式なんて誰もが経験するものだけれど、にもかかわらず非日常的であることは確かで、それを映画にしてしまう伊丹監督の着眼点と観察力には感服する。今作を見ると、非常に不謹慎ではあるが、お葬式というものに本質的な興味がわく。
7点(2003-12-18 17:23:31)(良:1票)
477.  スーサイド・スクワッド
トレーラーの段階では、今年随一の期待値を生んだ映画だったけれど………。結論から言うと、“マーゴット・ロビーがサイコーなだけの映画”だった。 マーゴット・ロビーが扮する“ハーレイ・クイン”の存在が無かったとしたら、年間ワースト級の駄作とこき下ろしていたところだろう。 逆に言うと、“ハーレイ・クイン”という新たなポップアイコンを誕生させたことだけで、今作の存在価値は充分にあると思える。 “ジョーカー”を愛し、崇拝する絶対的な狂気性の中で、笑い、怒り、泣き、激情のまま縦横無尽に暴れまわる彼女の存在感そのものに「虜」になってしまうことは請け合いで、陳腐な映画の本筋に反して、彼女の存在感のみが常にエンターテイメント性に溢れていた。 トレーラーの段階で、この映画に対する最大の目的は「彼女」だったので、想定通りの満足感は得られたと言っていい。  だからこそ、この映画、もっと愛すべき映画になり得た可能性は充分にあったと思う。 まあ何と言っても、ストーリーがチープでメタメタ過ぎる。気鋭のデヴィッド・エアーが監督・脚本を務めながら、どうしてこれほどまで薄っぺらい映画に仕上がってしまったのか、正直理解に苦しむ。 悪党集団を主人公にした過去の成功作はいくらでもあろうし、デヴィッド・エアー自身の過去作においても正義と悪の境界をテーマにした秀作が幾つもあるのだから、今作においてももっと巧い描き方が出来たはずだ。  今作に登場する“悪党”たちは、基本的にはただの“いいヤツ”として描かれ、悪党集団であることの意味や面白みがまったく描かれていなかった。 そもそもアメコミ世界のヴィランズを主人公に据えた作品なのだから、もっと漫画的に、彼らに相応しい“悪ノリ”を繰り広げて然るべきだったと思う。 ハーレイ・クインはもとより、ジャレッド・レトが精力的に演じたジョーカーも、「ダークナイト」のヒース・レジャー版とはまた異なった“ピエロ像”を魅力的に醸し出すことが出来ていただけに、チープなストーリーテリングの中で“極悪カップル”が浮いているように見え、大変勿体なかった。 ウィル・スミスが演じたデッドショットは、この映画においてはまったく存在価値がなく、どう転んでも“いいヤツ”にしか見えないこのスター俳優の役づくりとキャスティングにも問題があったと思う。  と、駄作点はツッコみだすと枚挙にいとまがない作品である。 “あの大富豪”もメインキャストにクレジットされていないわりに、序盤からちょこちょこ出過ぎである。 どうしても比較の対象になるが、“トニー・スターク”ならば、もっと“狡猾”にもったいぶってエンドクレジット後のシークエンスのみにドヤ顔で登場したことだろう。 そのあたり、相変わらず“マーベル”に比べて“DC”の愚鈍さと稚拙さが目についた。“ジャスティス・リーグ”への展望はまだまだ薄暗い……。   とはいえ、何度も言うが、マーゴット・ロビーの“ハーレイ・クイン”はサイコーである。 彼女を観るためだけに、僕はこの映画をまた観るだろう。続編やスピンオフ作品があるなら期待したい。  “ノーマル生活”の描写の方がよっぽど「悪女」に見えたマーゴット・ロビーの今後の活躍にも大いに期待したい。
[映画館(字幕)] 5点(2016-09-22 00:58:10)(良:1票)
478.  サイダーのように言葉が湧き上がる
ヘッドホンは屋内外問わず必携だし、マスクも現在の感染症対策に関係なく実は一年中していたい。 特に明確なコンプレックスがあるわけではないけれど、世の中に対してささやかな“ガード”をすることで、心を落ち着かせることができる。 そのことが他人とのコミュニケーション不足に至ってしまっていることも否めないけれど、この社会の中で折り合いをつけるためにはもはや不可欠な「対策」だとも思う。 そうそれは、僕自身の性質だ。  そういうわけで、本作の主人公二人が抱えるコンプレックスとその心情に対しては、最初から共感せずにはいられなかった。  思春期特有のナイーブさも重なり、すべてをさらけ出せない二人は、それでも自分自身の存在証明のために、俳句を詠み、ライブ配信をしている。 アニメ作品としては特に劇的なドラマが繰り広げられるわけでもなく、ファンタジックな事象が巻き起こるわけでもない。とある地方都市の大型ショッピングモールを舞台にしたミニマムなボーイ・ミーツ・ガールだった。  劇的ではないストーリー展開が、むしろ逆に主人公たちをはじめとする登場人物たちの何気ない心情を浮き彫りにし、愛らしい人間模様を表現していたのだと思える。 大型ショッピングモールがデンと構える風景も、もはや日本中のあちこちで見られるありふれた光景だろうけれど、ヴィヴィットでポップな背景のグラフィックデザインが、彼らにとって特別な「今この瞬間」を切り取っていたと思う。  キャラクター造形は総じてステレオタイプだとも言えるし、ストーリーテリングにも安直さやご都合主義が見え隠れすることは否めない。 それでも、“ガード”をすることしかできなかった少年少女が、自分自身の大切な思いを、行動と言葉で、相手に伝える様にはエモーショナルを感じずにはいられない。  そして、“アテ書き”としか思えない杉咲花のキャスティングが間違いなかった。  青臭く つたない言葉 ぼくはすき
[インターネット(邦画)] 8点(2022-05-21 00:39:12)(良:1票)
479.  RETURNER リターナー
こういう映画を観ると、日本はエンターテイメント映画においてまだまだ後進国だということを実感せずにはいられない。では何がハリウッド等とくらべておちるのか、もちろん映像的な迫力やクオリティもさることながら、もっとも劣っているものはノリきれないテンポの悪さだと思う。陳腐なりにも金かけてますと言わんばかりの、日本独特の大作的な展開のノロさが退屈でならない。まずストーリーに徹底した爽快感とスピード感がなければエンターテイメント映画とは言えない。
3点(2004-01-30 15:43:25)(良:1票)
480.  竜馬暗殺
古めかしいモノクロームの映像世界に幕末の英雄、坂本竜馬の最期の生き様が鮮烈に映し出される。何よりも、飄々と男臭い独特の坂本竜馬像を体現した原田芳雄の存在感が光る。独特ではあるが、このキャラクターこそ坂本竜馬本人の人物像にもっとも近いのではと思わせる説得力とインパクトに溢れていた。石橋蓮司、松田優作、桃井かおりと脇を固める俳優陣も揃って曲者揃いで、印象的な映画世界に見事に息づいている。その先見性も含めて動乱の時代をあまりに早く走りすぎた英雄の喜怒哀楽に溢れた最期の3日間を描いた傑作。
10点(2004-02-29 03:46:42)(良:1票)

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