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81.  勝利への脱出 《ネタバレ》 
◆全体的に緊迫感が足りない。冒頭場面では脱出者が銃で撃たれた。これは厳しい収容所だなと思っていたが、あとはゆるゆる。ハッチ(スタローン)が脱出する場面はうまくいきすぎ。何度か気づかれそうになるが何とか切り抜けるという演出を何故しない。それからハッチは一度収容所に戻るように説得される。ここの葛藤も描かれていない。同じく腕を骨折させられる選手の人間性がどれだけ描かれていたか?上辺をなぞっているだけだ。そして最大のクエスチョンは、ハーフタイムで脱出するのを選手たちが拒否する場面。それまで選手たちのサッカーに対する思い入れが語られてはいない。だから彼らの思いが伝わってこないのだ。このあたりの演出の不首尾が映画全体としてのドラマ性の希薄につながっている。演出上のタメがなく、なにもかもあっさりと進みすぎる。 ◆恋愛部分にしてもしかり。子持ちの未亡人じゃヒロインにはなれない。せめて彼女の悲惨なバックグランドが語られていたら反戦映画になれたのに。女性レジスタントという魅力的なキャラがもったいない。 ◆捕虜にハングリーさが感じられないのも残念。顔や眼にぎらぎらするものがほしい。彼らはただ安穏と生活しているように見える。 ◆サッカーの試合が決まったとき、コルビーコーチは各収容所から有名選手を集める。これは明らかに間違い。あの収容所のメンバーで試合することが大切なのだ。素人が一丸となって我武者羅に練習し、チームワークにより、奇跡的に勝利するという筋書きが一番感動できる。寄せ集めチームじゃ感情移入できない。 ◆サッカー場面はそこそこ見れたが、不満要素も多い。もっと華麗なプレーが見たかったし、スローやアングルにも工夫が欲しい。実際のサッカー選手を使っているのだからもっと魅せることはできたはず。ハッチのキーパーは全くの素人で見どころがない。最後ももっとぎりぎりのところでセーブすべきだろう。ところで同点の場合は延長戦があるはずだが、アメリカ人は知らないのだろうか。 ◆最後のどんでん返しは賞賛できる。なだれこんだ観衆と共に脱出というアイデアにはしびれた。脱帽です。ドイツ軍将校が紳士的なのにも好感。同点で終わらせたのも気遣い?サッカーファン、脱出ものファンなら楽しめる作品には仕上がっています。
[DVD(字幕)] 6点(2010-07-07 03:40:49)(良:1票)
82.  第9地区 《ネタバレ》 
異星人についての考察。宇宙船が動かないのは燃料不足だろう。栄養不良に陥っていたことも考慮すれば、何らかの事故が発生したと考えるのが妥当だ。地球まで1年半の旅程。地球に来たのは偶然で、漂着した可能性がある。蟻などの社会性昆虫に似た生態で、知的で命令を下す管理層と命令通りに動く労働層に分かれている。管理層の生き残りはクリストファー(C)のみ。彼は司令船を土中に隠し、密かに液体燃料を集め、帰還の日を待望している。労働層は知能が低く、暴力的で、社会生活に順応しない。しかし、武器に関する知識は豊富で、様々な武器を作りだす。武器は使用せず、専ら猫缶と交換する。異星人は、戦争や暴力を日常的に行っている交戦的な文明と思われる。命令がないので人間に攻撃しないのだろう。搭乗人員が非常に多いことから移住が目的か、あるいは文明を持つ惑星を支配下におきに来た可能性もある。繁殖力は高く、180万人もいる。難民認定され一応保護されているが、居住地はスラム化し、人間のギャングに搾取されている。 不注意によって液体燃料を浴びたヴィカス(V)は徐々に異星人に変態していく。液体は、遺伝子に作用を及ぼしているので、明らかに生物由来のものだ。異星人の本来の姿は別で、液体燃料で変態しているのかもしれない。CがVを宇宙船に戻れば元の姿に戻せると言うのだから、その可能性はある。 Cは人間に似た感情を持っていて、実験にされた仲間を見て「仲間を実験材料にしない。惑星に帰り助けを呼ぶ」と決断している。3年後には全員を助け出すのだろう。 Vは、温顔で物腰柔らかだが、役人気質に凝り固まっており、利己的な人間だ。異星人の卵を大量に焼却して笑っている。自分が助かるためには人間相手でも武器を乱射する。Cから3年待てと言われると、Cを殴打して、自分だけ司令船に乗り込む。それでもCが拷問を受けて殺されそうになると見捨てることができずに救助の手をさし伸べた。悪い人間ではないのだ。CとVが心を通じあえたことで、Vが再来した時には、両文明間で友好関係が持てることが期待される。造花の薔薇は未来への期待だ。Vという小市民を主人公にすることで、人類の愚かさを浮き彫りにしている。いくら上辺で善人を装っても本音は違うのだ。不満点。異星人の姿と生態が気持ち悪すぎる。Vは人を殺しすぎ。人類が宇宙船を調査しないのは不自然。
[DVD(字幕)] 8点(2015-02-05 23:52:28)(良:1票)
83.  ヒックとドラゴン 《ネタバレ》 
内容は完全に子供向けですが、沢山の要素が詰まっていて、大人の鑑賞に耐える珠玉の物語です。 ①ヒックという異端児が自らの個性、得意分野を生かし、最初のドラゴン使いになる。 ②ヒックという弱者が、巨大ドラゴン退治をして、父親越えをする。 ③ヒックという虚弱児は偉大な父親からはひどく疎まれていたが、最終的にお互いに理解者となり、仲直りする。 ④ヒックという心優しい若者は傷ついたドラゴンを殺すことができず、助けてあげることによりドラゴンと心の交流が始まる。 ⑤ヒックという兵器発明家はドラゴンの片尾翼を奪うが、ヒックも最終的に方足を失い、互いに補いあう関係になる。 ⑥ヒックとうバイキングはドラゴンを敵と思っていたが、ドラゴンと交流を深めることによりそうではないことを知り、遂には村人の意識も変える。 ⑦ヒックという鍛冶手伝いは自分の仕事がいやだったが、ドラゴンのためのものづくりをする中で、自分の職業が好きになる。 ⑧ヒックという少年は好きな少女からは軽蔑されていたが、ドラゴン操縦能力を見せることにより相思相愛になる。 ⑨ヒックという村の笑われ者が、一夜にして英雄となるワン・ナイト・サクセス・ストーリー。 ベタになりがちな王道ストーリーですが、キャラや世界観を巧く演出することによって破綻の無い感動物語に仕立てています。 ◆もっとも感動したのはアニメの技術の向上です。ドラゴンの造詣や背景描写も素晴らしですが、何より飛翔時の浮遊感や疾走感がよく表現されています。本当に目がくらむような爽快な感覚を味わいました。目線が次々変わり、画面がリズミカルに変化するので見ていて楽しいです。ジブリアニメが古くなりましたね。監督はジブリファンなので勉強したのでしょう。 ◆問題なのは巨大ドラゴンへの対応。巨大すぎて飼いならすことは不可能だったのでしょうか?いきなり襲ってきて、船を焼却しましたからね。ミツバチの女王と喩えられていましたが、ドラゴン達にとっては悪の独裁者ですね。ドラゴン以外の造詣にすれば問題をスルーできたのですが。 ◆原作ではドラゴンを飼いならすことができて一人前で、ヒックは初めてドラゴン語を話せすようになりますが、本作ではヒックだけが飼いならすことに成功するように変更。これが効いてますね。ヒックの成し遂げたことがより際立ちます。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-16 01:39:47)(良:1票)
84.  サウスバウンド 《ネタバレ》 
◆「日本は法治国家だから無条件にそれに従う義務がある」という常識に捕らわれない一風変わった家族の物語。 ◆父親は80年代に活躍した過激派の活動家でアナーキスト。税金や年金を払わない。日本に住んだまま国籍を離脱するなどと言い出す。執筆業。豪胆で頑固だが、さばさばしている一面もある。笑顔が多い。 ◆母親は夫の信奉者。学生時代に活動を行い、ジャンヌダルクとも呼ばれた。裏切った仲間をナイフで刺して、刑務所暮らしも経験。お金持ちの実家と絶縁状態、実母と20年会っていない。原作では長女と夫とは血縁関係がない。近所で喫茶店経営。 ◆小6の長男が暴力事件を起こす。不良からカツアゲされ、いいカモにされている友達をかばったため。学校、教育委員会、被害者の家族などから責められ、父親のふるさとの西表島へ移住を決意。 ◆先祖から受け継ぐ土地に住み込んだが、そこは他人の土地だった。リゾート開発目的で東京の会社が地元の建設会社を介して二束三文で購入していた。立退きを頑固拒否。強制退去執行。抵抗して捕まる。脱出して南の島へ向かう。題名(船が南へ向かうの意)もここから来ている。アナーキストにとっては日本は住みにくい? ◆多くは子供目線で語られる。このような両親をもつことは子供にとって大変なストレス。それでもくじけないたくましさを持っている。校長先生がいい人で本当に良かった。 ◆「汚い大人になるな」「違うと思ったら闘え。負けるとわかっていても闘え」「人と違ってもいい。孤独を恐れるな」「理解者は必ずいる」これらがメッセージ。内容はともかくも、心は純粋。修学旅行の学校と業者の癒着の件など正しかったこともある。 ◆子供を残して逃避行しても何の解決にもならないが、いい経験にはなるだろう。気の済むまで突っ走らないと気が済まない夫婦だ。子供のたくましさを信じているから置き去りにしたのだろう。親子間に信頼関係があり、お互い認め合っている。 ◆日本脱出のラストシーンで観客がカタルシスを得られるかどうかで作品の成否が決まる。感情移入した人は拍手喝采するだろう。そういう人は少数と思う。夫に従順すぎる母親の人物像が描けていないし、子供が不憫に思えるから。自由奔放な生き方は羨ましいが、何をやりたいのかがよくわからないし、幸福になれそうもないのだ。いい年をして、自分探しの旅に出たのだろうか。
[DVD(邦画)] 5点(2010-06-20 03:57:57)(良:1票)
85.  ダンス・ウィズ・ウルブズ 《ネタバレ》 
北軍の中尉だった男がたった一人で辺境の砦の警備の任にあたりながら、ネイティブアメリカン(NA)のスー族と交流を深めていく物語。交流の様子は繊細かつ丁寧に描かれていて大変よく分るのだが、肝心の中尉の人物像が不鮮明のまま。彼の成育歴や家族の事が一切描かれない。彼はどうして戦闘中に自殺行為の行動をしたのか、どうして辺境を見たいと思ったのか?情報がないのでこの人物を理解しようが無い。 ◆スー族の風習が描かれていて興味深い。狩の場面など出色だ。しかし食生活やスウェット・ロッジ、ビジョン・クエストなどの描写はなく、「大いなる神秘」などのスピリチュアルな思想も描かれていない。何を食べているのか、肉の保存はどうしているのか、定住して農作物を作らないのはなぜか等、基本的な部分が省かれている。この映画の目的の一つがNAの紹介であるのは間違いないのに、不思議なことである。中尉と彼らの交流は馬を盗まれることから始まるが、彼らにとって馬は貨幣のようなものであり、馬盗みはスポーツのようなものであることも紹介されない。彼らの価値観が紹介されないので、彼らの行動もなかなか理解できない。監督はチェロキー族の血を引いているので本作品を撮ったのだろうが、原作に頼り切って自ら調査していないのだろう。 ◆ポーニー族は好戦的に描かれるが、実際は白人の軍に協力をして斥候などで活躍している。友好的な一面もあるのだ。スー族にとっては白人もポーニー族も異民族。つねに小競り合いがあり、辺境は暮らしにくいところだ。 ◆「中尉の結婚相手が白人」に対するという批判がある。しかしこれは、人種差別露骨な過去の西部劇において白人がNAを娶る事がよくあり、それを打破するための回避策だ。 ◆終盤になると展開がおかしくなってくる。騎兵隊が中尉をNAと勘違いして撃ったりする。声を張り上げて名乗ればわかる話ではないか。捕虜になった中尉は反逆者とされ、処刑宣告される。これもありえない話だ。何をもって反逆というのか?兵隊の一人が勤務日誌をかってに持ち出すのもあり得ない。 ◆エンディングも温い。中尉は自分がいては白人に襲来の口実を与えるとして部落を去る。しかし本来中尉は白人とスー族の間に入って、争いをなくす努力をすべきである。最初からそうすべきだったのだ。彼以外の適任者はいない。白人の言語を話す人物がいなくなったスー族の未来は明るくない。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-19 23:18:48)(良:1票)
86.  シャッター アイランド 《ネタバレ》 
精神疾患を扱った映画なので、精神状態をいかに映像で表現するかが肝要となる。 懊悩する心の内面、消えぬ幻影、拭えぬ悔恨、くり返される悪夢などを彩度を高めたゴジック調の重厚な映像やCG効果で表現しており見応えがあった。灰色の海、激しい雷雨、打ち重なる死体に舞う雪、舞い散る黒い灰と部屋を舐める炎、砂の様に崩れ散る妻の体、撒き散らかした書類、死ねないナチスの将校、切り立つ断崖、海上に浮かぶ灯台、どれも異様な雰囲気を醸し出すことに成功している。オチが分ってみると、精神病患者の妄想にしてはあまりにも複雑すぎるのが気になる。「4の法則と67番目は誰?」のメモを床のタイルの下に隠し、仮名は実在人物のアナグラムを使い、“本物の”レイチェルは専門知識に富んでいると、度が過ぎる。整理する。アンドリューは軍人としてダッハウ強制収容所解放に参加するが、独兵を銃殺した、いわゆる「ダッハウの虐殺」には参加していない。戦後、連邦保安官となり、結婚して子供三人をもうけるが、仕事に忙殺され、家族と過ごす時間がとれなかった。妻のドロレスは精神を病み、アパートに放火する。一家は湖畔の家に引っ越したが、アンドリューはやはり多忙で、酒に溺れる。妻の精神は破綻し、遂に我が子三人を殺害する。帰宅してそれを知った夫は妻を憐れみ射殺する。 アンドリューは精神病院に入院するが、あまりに悲惨な記憶のため脳の防御機能が働き、記憶のすり替えが起る。自分を保安官テディと思い込み、妻殺しの記憶はダッハウの虐殺に、妻の死因は他人の放火のせいに、娘を助けられなかった後悔は収容所で見た少女にすり替わる。医師らによる大掛かりなロールプレイ療法の結果、彼は正常な記憶を取り戻すが、「モンスターとして生きるか、善人として死ぬか」を自問し、善人としての死、すなわちロボトミー手術を受けることを選ぶ。その決断は、彼が人間性を取り戻した証しであり感動的だが、感動は薄い。何故なら子殺しという凄惨な事件に至るまでの彼と妻との状況が少ししか描かれてないからだ。妻がどうして精神崩壊にまで追い詰められたのかを解明しないかぎり、事件を真に理解したことにならない。さもなければ単なる猟奇事件となり、共感できず、共感なければ感動もないからだ。オチや謎解きでは感動は生まない。子供の死体を何度も見せられるのには辟易した。
[DVD(字幕)] 7点(2014-04-22 21:53:39)(良:1票)
87.  ウエスタン 《ネタバレ》 
「もしルキノ・ヴィスコンティが西部劇を作るとすれば」をコンセプトに作られたらしい。道理で、カルディナーレを起用したり、歴史劇要素を盛り込んでいるわけだ。観客の期待を良い意味で裏切る。冒頭、永々と三人の無頼者の”顔芸”をクローズアップで魅せたあと、満を持して主人公ハーモニカが登場。言葉の言いがかりによる撃ち合いで、あっという間に全員倒れ、しばらくして、ハーモニカが起き上がる。次にアイルランド移民のブレッド一家が登場。が、三人は突如射殺される。殺し屋が登場すると、その顔は”アメリカの正義”ヘンリー・ホンダ!残った子供が登場して、そこで初めて音楽が流れる。それまでは生活音のみ。音楽も素晴らしいが、このじらしにも似たタメが見事な効果を上げる。ここまでは芸術品。子供をも殺す残虐性を見せつけ、映画の方向性が決定する。ブレッドの妻が登場して中だるみするものの、馬車が休憩所に入ってから再沸騰する。外でけたたましい馬のいななきと拳銃音が響いたあと、のそっと入ってくる一人の男。酒を飲む手がアップとなり、囚人と知れる。何と不気味なことか。そしてハーモニカとの息づまる初対面。ケレン味に満ちた演出で、十分に時間を使った序章は完璧。監督は才能を出し切っている。この緊張の糸が最後まで持続しなかったのは悔しい。一見して主題は「復讐」にみえるが、実は「夢」ではないか。ブレッドの夢は、自分の土地に鉄道が引かれ、町が建つこと。それを夢見て、十数年も待ち続けた。妻の夢は、娼婦をやめ、田舎で暮らし、普通の家庭を持つこと。鉄道王モートンの夢は、鉄道を海の見える太平洋にまで引くこと。病気で余命の少ないことが、彼を犯罪にかりたてる引き金となった。悲劇である。ハーモニカの夢は兄の仇討ち。複数の夢は交差し、死ぬ者は死に、去る者は去り、残るものは残った。そして新たな町に新たな歴史が刻まれる。わかりづらい部分がある。冒頭、ハーモニカがフラスコの部下三人を殺すが何故?事故なのか?フラスコがハーモニカを雇ったはずだが。もう一つ、山賊のシャイアン一味がモートンを襲う場面が省略されている事。シャイアンがモートンに撃たれたにしては、戻ってきた姿が元気すぎる。ここと、ハーモニカが死にゆくフラスコにハーモニカを銜えさせるところがリアリティに欠く。尚ブレッドの娘がダニーボーイを口ずさむが、この歌詞は1910年のもので時代が合わない。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-13 06:22:03)(良:1票)
88.  雨に唄えば 《ネタバレ》 
エンターテインメントに徹しきった映画。「傑作」と言われるのも納得。ダンス・シーンは圧巻。とくに舞台のバイオリンシーンと「笑わせろ」は、ダンサーの魂がこもってます。胸が熱くなりました。一方で、有名な「雨に歌えば」のシーンは作りすぎのように思えました。安っぽいセットと作り物の豪雨(光るようにミルクをまぜてある)。製作の発端は、アーサー・フリードとナシオ・ハーブ・ブラウンが作曲した20年代から30年代の歌を使ったミュージカル映画を作ろうというもの。脚本に添って音楽が作られているわけではなく、その逆。それを考慮すれば、脚本は頑張っている方でしょう。劇中映画で、リナの声と歌をキャシーが吹き替えているが、実際は会話はリナ本人で、歌は別人(ベティ・ノイズ)。キャシーはかわいいけど、ダンスもうまくなく、スタイルもよくないのは残念なことです。恋愛パートでは、ドンがキャシーを好きになる部分があまり描かれておらず、感情移入できません。逆に馬鹿と思われていたリナが、社長を契約書を盾に言い負かす場面で、おおっと思いましたよ。最後、「ブロードウェイ・バレエ」が延々以上続きますが、大した見所になっていません。それまでタップ中心の踊りだったのが鳴りを潜めているのと、コメディ要素が失われているからです。全体に見て統一性に欠けます。これは撮影が延びて、コズモ役のオコナーの契約が切れてしまい、予定されていた二人のダンス・アンサンブルが撮影できなくなったから。感動のラブシーンも軽くて不発ぎみ。「後半失速」の印象があります。もしダンス・アンサンブルが撮影できていれば、完璧に近いミュージカル映画になっていたと思います。ラストシーン、看板にキャシーの名前がありますが、これは映画を撮り直したという解釈でよろしいでしょうか。オープニングで、2倍速で歌われる「雨に歌えば」。ハイライトのネタバラし。監督の自信の表れと受け取りました。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-02 12:42:18)(良:1票)
89.  猿の惑星 《ネタバレ》 
SF映画史上燦然と輝く屈指の名作。衝撃の最終場面がつとに有名だ。 戦争を繰りかえす人類をこれほど痛烈に、辛辣に、壮大な規模で批評した作品は他に知らない。冒頭の独白は、最後を見てから振り返ると、胸締めつけられる。「宇宙では、人間のエゴが空しい、寂しくなる。宇宙の奇跡である人類、偉大な生物人類、相変わらず互いに戦い、子供を飢えさせているか?」悲しいことだが、現代にも通じる箴言だ。 テイラーを科学者肌の温厚な性格にせず、やや粗暴で闘争心旺盛な性格にしたのは、人間の愚かさを強調する演出だろう。彼が戦争で滅亡した先文明人の象徴となっている。 作品が面白いのは“驚き”が連続するからだ。宇宙船の墜落事故。女性飛行士の死。人間による服を奪われる。馬に乗った猿による人間狩り。喉が傷つき話せない。もう一人の宇宙飛行士の脳外科手術。銃、カメラ、宗教など人間に類似する猿の文明。ザイアス博士は頑迷蒙昧なのではなく、すべてを知っていた。高度文明の危険さを理解していたからである。そして、衝撃の最終場面。畳み掛ける展開で飽きさせない。時代背景も重要だ。当時世界は冷戦の緊張下にり、核戦争の恐怖が蔓延していた。そこにこの映画は、戦争の愚かさと文明滅亡の恐怖を示し、人類に警鐘を鳴らした。その意義は大きい。核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかもしれない。そうなら、世界文明遺産に指定する価値がある。 不備な点もある。二千年にしては猿の進化が早すぎる。人間が話せない理由が不明。調査で土壌は何も育たないというが、植物はある。調査で放射能汚染は無いというが、核戦争はなかったのか?猿が英語を話すなら、地球とすぐ分る。これが最大の疑問点だが、これは原作を改変した功罪だ。原作との違いを挙げる。不時着した星は地球ではない。ロケットは湖に沈まない。猿は猿語を話し、姿は地球の猿と違う。自由の女神は出て来ないが、別の衝撃の最終場面がある。 最後に、「『猿の惑星』は原作者ピエール·ブールが日本の捕虜になった経験を基にして書かれた」は、都市伝説である。仏語版ウィキペディアに、彼は、仏領インドシナで、親ナチス・ヴィシー政権への抵抗運動に参加したが、1942年に仏軍に捕まり、重労働を課せられ、2年後に脱走したとある。「戦場にかける橋」が実状とはかけはなれた内容であることもこれで説明がつく。捕虜の経験は無いのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-12 16:49:51)(良:1票)
90.  知りすぎていた男 《ネタバレ》 
半世紀前の映画の演出法は現在とは随分違っていたんですね。いろいろと勉強になりました。オーケストラのシンバルと共に暗殺が行われる。旅でマッケナ夫婦に近づいてきた怪しい男が殺される。秘密を知った夫婦の息子が誘拐される。夫婦は自分たちだけで息子を探し出そうとする。歌で息子の居場所が判明。息子を探して戻ってきましたのオチ。極上の設定ですね。北アフリカの異国情緒とオーケストラも堪能でき飽きません。サスペンスなのにユーモアが随所に見られるのが特徴。またホテルに知人が大勢押しかけてきたり、剥製屋でドタバタを演じて見せたり、「息抜き」の部分があります。また敵のエージェント夫婦が高齢で善人だったり、拳銃で撃たれても血は見せない。これらは観客に安心してみてもらうためでしょう。当時の観客にとって息子が救助されてハッピーエンドになるのは当たり前だったでしょう。展開に手に汗握り、画面に釘付けになるような昨今のリアリティを追求した演出は望んでなかった。そういう要望に応えた演出でしょう。あざとい演出とは無縁で、品のよさを感じました。現代映画を見慣れていると、テンポがのろく、ゆるく感じられます。製作時代を考慮し、頭を切り替えて観る必要がありそうですね。気になったところ:①ジョーが暗殺現場を知ったのは警部に助けを求めにアルバートホールに行ったためで全くの偶然。たまたま警部が首相を警護していた。脚本でここが一番弱い。②サイレンサーを使えばいつでも撃てた。③大使館の敵ボスが捕まっていない。④子供があんな指笛を吹けるの?⑤スナイパーの顔はインパクトあった。音楽に合わせて乱闘、転落するシーンは絶品。⑥マッケイは大使館に子供がいるとどうしてわかった?ある意味「知りすぎていた男」だ。
[DVD(吹替)] 7点(2009-09-22 21:37:45)(良:1票)
91.  パットン大戦車軍団 《ネタバレ》 
鉄血将軍パットンの伝記映画だが、奥底には「人間は何故戦争するのか」という命題を含んでいると思う。新兵への演説で、 「米国民は常に戦いを求めている。お前たちが子供の頃あこがれたのはビー玉や徒競走の優勝者、野球の名選手、タフなボクサーだ。米国民は勝者が好きだ」と断言する。「死ぬほど戦場が好きだ。外に生き甲斐が無い」と言い切る男、「永遠に戦いに生きる男」とも 偉大なる時代遅れ」とも称される男、このような人間がどうして生まれたのか。それは時代が必要としたからだろう。平時ではものの役に立たない人物が、乱世や争乱になると人間ばなれした活躍を見せ、英雄になる場合がある。日本では、幕末の高杉晋作がよい例だ。戦争がいつから始まったか不明だが、紀元前25世紀の頃には記録がある。それ以前の戦争がない時代であも、動物を狩るということに快楽を覚えることがあっただろう。農業が始まると、富の蓄積が起こり、略奪行為が発生する。すると今度は防衛のための備えが重要になる。隣の村や部族同士で軍事力が増し、緊張が高まると、偶発的な事故や突発的な争いで戦争が勃発するようになる。生き残るためには常に戦争に備え、戦争に勝たなければならない。このような事情から、人類には闘争というDNAが沁み込んでいったのだろう。別言すれば、闘争というDNAを持たない人種、部族は滅亡する運命を辿ったのかもしれない。さて怪物的な闘争本能の持ち主であるパットンは良い時宜を得て、良い戦争に巡り合った。味方の兵にさえ人権を認めない彼は敵に対して容赦などしない。敵、味方関係なく、次々と屍の山を築いていく。勝つためには勇気と犠牲が必要だが、「愚将は敵より恐い」という諺があるようにその匙加減が難しい。彼は運よく勝利し、英雄となる。しかし勝利しても、「次はナチスと組んでソ連を叩く」と嘯く。戦うことが総てである彼にとっては当然の所見だ。ローマの英雄が現代に出現したかのような生き様を見せる彼は時代を映す鏡だ。国民を鼓舞し激励する指導者であり、戦争の英雄であり、血に飢えた愚将であり、弱い人間の見本のようにも映る。戦争と人間について考えさせられた映画だ。批判や英雄視を廃し、パットンを客観的に見据え続ける視座がよい。アフリカでの戦闘場面は迫力があった。  
[DVD(字幕)] 8点(2012-12-17 22:25:23)(良:1票)
92.  252 生存者あり 《ネタバレ》 
巨大ひょうと大津波と地震と巨大台風に襲われた東京という設定。 フ、フジテレビがすごいことに…。 しかし話はこじんまりしてます。終始元レスキュー隊員を含めた五人組を救出するストーリーで、スペクタクル感、大作感はないです。 他の場所の被害状況や救助状況はどうなってるんだと、気になってしかたがありませんでしたが、それに対するフォローはなしです。 あれだけの遺体を収容しないのも不思議です。放置したままですね。ちょっと考えられないです。東京消防庁が信用できなくなりました。 登場人物はみなトラウマを持っています。これを乗り越えるストーリーでもあります。 それはいいのですが、子供が聾唖というのはあざとい気がしました。 なぜ聾唖にしたかというと、子供だけ埋まったときに、252信号を使わせるためでしょう。 しかしラストで子供が父親が死んだと思い、大声で叫ぶ場面があることでわかるように、声は出せるのです。したがって助けを求めるには声を出せばいいわけです。まどろっこしいことはやめましょう。 子供が身に着けていた笛が岩に押しつぶされているのに、子供はベッドの中で無事だったというのにも無理やり感があります。それにちょうどその日が子供の誕生日だなんて。笑っちゃいますね。 医者の研修生は演技が少々オーバーすぎました。「いったい救助がいつくるんだよ」って被救難者につっかかってもわかるはずないじゃありませんか。 妻はもっとオーバーアクションですね。 あのおっさん子供多すぎ。9+3=12人。家族計画も借金も計画的にお願いします。 ラストシーンで主人公がレスキュー隊をかついで出てきますが、これは無理でしょう。 地下まで穴を開けて引っ張り挙げないと救助できない状況で、地盤変動が起きて穴がふさがってしまいます。どこをどうやって歩いてきたのか?歩ける場所などないのですが。 ついでに言ってしまうと、濡れたはずの服や髪がすぐに乾きすぎです。 また兄は顔に泥がつきすぎです。  
[映画館(邦画)] 5点(2008-12-28 18:58:28)(笑:1票)
93.  禁じられた遊び(1952) 《ネタバレ》 
両親を亡くして戦争孤児となった幼女が拾われた家の少年と動物の墓を作る物語。1940年6月、パリ陥落時の南仏の田舎の農家はこんなにも暢気だったのかと驚く。戦争などどこ吹く風だ。その暮しの貧しさにも驚く。服も食事も粗末で、家の中を蝿と蛾が飛び回る。都会っ子の少女との格差が大きい。この格差と貧困が戦争の遠因となっている。暢気そうに見えるが、戦争の影は確実に忍び寄ってくる。長男は馬に蹴られて亡くなるが、その馬は疎開途中のはぐれ馬だった。間接的に戦争の犠牲者だ。隣家には逃亡兵が帰還する。両家は昔からいがみあい、憎しみ合っている。隣人同士でも仲良くできない愚かさは、戦争する人間の縮図といえる。農家の長女と帰還兵は愛し合っているが、家の事情で結婚できないという悲劇がある。戦争孤児となった幼女が川に捨てられた犬の亡骸を追って迷子になり、この家の少年と出会い、共に暮らすようになる。幼女は犬の穴を掘るが、死や埋葬や神の概念は知らない。少年は十字架を立てて犬の墓を作ってやるが、幼女が「一人ぼっちゃじゃかわいそう」というので友達の墓を作ることにした。これが過激化し、教会や墓の十字架を盗む事件に進展していく。子供達の十字架窃盗が原因で、両家の関係は悪化するが、主人同士が墓穴に落ちても喧嘩を止めないのは、人類の愚かさの象徴だ。そうしている間にも戦争で大量の墓が必要になっているという皮肉がある。少年は盗みがばれて折檻を受けても墓の場所は言わない。が、幼女が警察に連れて行かれそうになると、幼女を家に置くことを条件に教えるが、父親は幼女を警察に渡してしまう。自暴自棄になった少年は十字架を川に投げ捨てて鬱憤を晴らす。駅に連れてこられて一人ぼっちになった幼女は、たまらなくなって雑踏の中を少年を探しに駈けだし、ママの名を呼ぶ。幼いながらも死と離別についての概念を悟ったのだ。知らなくてもよい歳なのに強制的に大人にされていく。「禁じられた遊び」の墓は、子供達の魂の墓だ。楽しい筈の子供時代を戦争によって奪われたのだ。親という後ろ盾を失くした子供達の運命は過酷だ。ましてや戦争中だ。雑踏に消える幼女の姿は彼女の将来を暗示する。戦争の犠牲は最も弱い人間に重くのしかかる。禁じられるべきは「遊び」ではなく「戦争」なのだ。哀しくも美しいギターは、虐殺された子供達の魂を鎮めるかのように響き渡る。愚かな戦争を繰り返す人類に憐みを!
[DVD(字幕)] 8点(2015-01-31 15:53:57)(良:1票)
94.  ダイ・ハード4.0 《ネタバレ》 
アクション映画としては合格点。 あまり言及する人はいないが、マクラーレンは知恵者です。 知恵とアイデアでつねに敵の裏をかき、勝利し、生き残ってきました。 この作品では、それが失われているのが残念です。 頭を使う場面は、相棒が活躍してしまっているんですね。 もうひとつ、ダイハードシリーズでは肉体の痛みを見せることにより 感情移入させることに成功していました。 しかし、この作品では、マクラーレンも敵もスーパーアクションをこなしてており 普通の人間ではない、まるでアンドロイド同士の戦いのようです。 これではリアリティに欠け、興ざめです。 またF-35との戦闘は、味方から攻撃されるており、マイナスポイント。 頭をからっぽに鑑賞できないわけですね。 悪役も中途半端。 極悪非道の人物に見えないので、怖さがでません。 最後があっけない、あっけない。 もっと粘らないとだめですね。 お金を奪うのが目的なら、なにもあんな派手なことはする必要はなく、 銀行からハッキングでもすればよかったのです。 あんな大人数は必要ないでしょう。 それに最初に協力したハッカーを殺す必要はないし、ましてや殺害に5人も差し向けるなんて不自然。 武器やヘリコプターをもっているので、相当のお金持ちのはずですが。 たまには貧乏人、一人ぼっちで、知恵で勝負するタイプの悪役をみたいものです。 マクラーレン同士が対決するような。 あ、そうそう、マクラーレンがヘリコプター運転しちゃだめでしょう。 地道にバイクなどで疾走しなくては。
[DVD(吹替)] 7点(2008-02-08 16:26:25)(良:1票)
95.  300 <スリーハンドレッド> 《ネタバレ》 
2500年ほど前のスパルタを中心とするギリシア軍とペルシアの遠征軍の間で行われた「テルモピュライの戦い」とそれに続く「プラタイアの戦い」を題材にしている。真面目に史実を描いているのだなと思っていたら、途中でクリーチャーのような巨大戦士が出てきて方向転換。うーん、そういう映画だったのか。「北斗の拳」の実写版と思えばいいのです。化け物のような処刑者はインパクトありましたね。1シーンだけでは惜しいです。ゾウとサイ、弱すぎです。えっ、火薬もあったことになってる。スクリームのような仮面部隊出すなら、いっそジェーソンも出してほしかった。所詮は原作がアメコミでした。とにかく凄まじい戦闘シーンのオンパレード。ここぞというときに必ずスローになり、悲壮感のある音楽とあいまって美しい舞踏のように描かれています。(本来重兵装部隊なのですが、上半身裸でがんばってます。筋肉のCG疑惑あり)でもすぐに飽きました。そればっかりなんで。300人(史実ではテスピアイ 、テバイ軍も一緒ですが、省略です)対数万の戦いなら、孔明、義経、高杉晋作などのように知力で勝負すればいいものを肉弾戦という無謀さ。「自由」「祖国」などと叫んでも、感情移入できず。ペルシャ軍に対するリスペクトがなく、子孫のイラク人が激怒したのもわかります。新たな紛争の火種にならなければいいのですが。ただペルシャ軍の使者はそこそこかっこよかったし、軍隊のデザインなども中々のものでしたよ。美的センスは認めますが、スローの多用はくどいです。ヴァイオレンスはもっと控えめに。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-06 15:04:57)(良:1票)
96.  タイタンの逆襲(2012) 《ネタバレ》 
ギリシア神話の登場人物を総動員させて、神や半神やクリーチャーの迫力ある戦闘場面を魅せるファンタジー映画。神々の戦いが主軸となる。タイタン(巨神)族のクロノスは父により冥界に閉じ込められるが、反抗して王位を奪う。姉と結ばれ、ハデス、ポセイドン、ゼウスらの子種を得るが、「子供に王位を奪われる」という予言を恐れ、子供を飲み込む。ゼウスは母の計らいで生き延び、ハデス、ポセイドンらはクロノスの兄弟ガイアの策略で腹から吐き出される。兄弟は連合して父とに戦い、勝利して父を冥界に幽閉する。戦後ゼウスとハデスは仲違いし、ハデスは冥界に下る。以上が前段階。時は移る。人間の神への祈りが減り、神の力は衰え、冥界の壁が崩れ始める。壁が崩壊すれば、クロノスが地上を跋扈し。この世は闇に閉ざされる。危機感を募らせたゼウスは神々と半神の力を結集して、冥界の壁を建て直そうとする。だが、ゼウスを憎むハデスとゼウスの子アレスが裏切り、ゼウスは冥府に監禁され、その力をクロノスに吸われる。かろうじて難を逃れたポセイドンだったが、ゼウスの子ペルセウスに事実を告げるとやがて命が尽きた。ペルセウスとポセイドンの子アゲノール、それと何故か女王戦士になっているアンドロメダがゼウス救出に向かう。色々と展開があり、ハデスは改心し、アレスはペルセウスに刺殺され、クロノスは地上に放たれる。神々と人間の連合軍対クロノスの戦いが最終決戦。いわば神々の骨肉の争いに人間が巻き込まれる形だ。親子の情愛を絡ませることで物語に深みを与えようとしているが、成功しているとはいえない。ときに物語の進行を妨げている。アレスがどうして、あれほど父を憎むのが伝わらない。ペルセウスも当初は父に対して冷淡すぎる。ペルセウスの子はただ突っ立っているだけの存在。クロノスの心情は計りしれない。ただ「親、子、愛」という言葉が空回りしている。見所である戦闘場面だが、神々が弱すぎるのが問題。矮小化されて人間と区別がつかない。キメラ、サイクロプスの方が数段迫力があった。神々の戦いなのだがら、巨大化し、空を舞い、雷雲を呼び、雷鳴を響かせ、海を逆巻かせ、山を動かしての一大スペクタクルにすべきではなかったか。巨大なだけで溶岩を投げるだけのクロノスと、美女でないアンドロメダにも失望した。CG,VFXは一流だけに甚だ残念である。B級怪獣映画と割り切れば楽しめる。
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-22 15:41:05)(良:1票)
97.  チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 
アラスカのゴールドラッシュとシエラ・ネバダ入植団の悲劇(カニバリズム)が元となっている。欲のために命を落とし、或いは生きるためには同胞をも食べる。チャップリン(C)の創作アイデアの元は常に悲劇や不幸である。「街の灯」「モダンタイムス」「独裁者」「殺人狂時代」「ライムライト」全て悲劇・不幸を扱っている。彼が「悲劇を笑い飛ばそう」という強い精神力の持ち主であり、それはCの不遇で過ごした少年時代に由来する。彼自身の言葉「しばしば悲劇が笑いの精神を刺激してくれる。笑いとは反骨の精神だ。たとえば大自然の威力の前では、自分の無力ぶりを笑うしかない。笑わなければ気が狂ってしまうだろう」狂気と天才は紙一重である。 ◆空腹のあまり靴を食べたり、相手が鶏に見えて殺そうとしたり、小屋が崖から落ちそうになると、相手を踏みつけて床を登ったり、ブラックユーモア炸裂である。悲劇の切迫度が高ければ高いほど笑いの密度が増す。Cは、幼少時代のひもじかった日々、それでも母親が笑わせてくれたことなどを思い出しながら撮影していただろう。靴は甘草で作られていたが、食べ過ぎたために副作用の下痢に悩まされたそうだ。プロ根性というものだろう。大勢のエキストラや特撮を使ったりと、気合が入っている。 ◆冒頭、Cの後をつける熊が登場する。一歩間違えばCは食われてしまっていただろう。だが偶然Cは助かる。Cはそのことを知らない。後に熊は小屋に現れ、射殺され、C達に食われてしまう。これが運命の皮肉だ。運命はCの預かり知らぬところで決定され、所詮人は運命を受け入れ、笑い飛ばすしかないのだ。 ◆もう一つの主題は恋。Cは単純に金持ちを夢見て金鉱探しに参加。しかし失敗して町に降りてくる。そこで酒場娘に一目惚れ、今度は娘と約束したディナーの資金を稼ぐために仕事に励む。だが約束の日に娘は現れずに失恋、失意のどん底へ。一方娘は約束を忘れていたことに気づき、小屋を訪ねるがCが不在。ディナーの準備の様子でCの恋心と失意を知る。そなんときCは山の相棒と出会い、二人で金鉱を見つける。期せずして夢は叶った。凱旋の船上で二人は再会する。皮肉にも立場は逆転していた。Cは金持ち、娘は落ちぶれて二等席。Cは昔の服装をしていたが、娘はそれでも好意を示した。身分を証し、キスしてハッピーエンド(サイレント版)。純愛は黄金に勝る。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-13 16:07:30)(良:1票)
98.  さらば箱舟 《ネタバレ》 
前近代的、土俗的因習の残る「村」が舞台。村全体が本家・分家の疑似家族で、本家により価値観と時間が一元支配される。支配の象徴が柱時計で村崩壊と共に時計は止る。冥界に通じる「穴」は「村の死」の表徴で、村の瓦解と共に巨大化。死は否定的ではなく、生も死もおおらか。村崩壊の原因は隣町(近代社会の象徴)から流入する物や人。鋳掛屋、写真屋、時計売り、電柱・電話、偽家族、旅芸人等。◆近親相姦の禁忌に触れたため、いとこの捨吉と結婚したスエは髪(女性性の象徴)を切られ、貞操帯を着けられる。大作と捨吉は対極の関係。大作は本家の嫡男で、女を自由に抱ける。捨吉は分家で、妻さえも抱けない。不満の爆発した捨吉が大作を刺殺。本家の世嗣を失い村の崩壊は加速する。捨吉は逃走するが元の家に還る。彼自身が村の掟という呪縛(価値観)の囚人で、無意識に「ものを忘れる」ことで自らを罰する。大作の亡霊が見えるのは罪意識の所為。「俺」の札を首にかけた捨吉は自己喪失の象徴で、消えゆく村の予兆。捨吉と村は一如。彼が柱時計を持つと掟破りの罪で村人に殺される。彼が死んでスエの貞操帯は外れる。長髪を付け(女性性の回復)、ダイ(本家の偽跡取り)と性交するが、終ると古い家は消えた。全員村を去るが、捨吉を棄てられないスエは留まり、隣町の存在を否定。百年経たないと強い絆で結びついた村(箱舟)の本当の価値はわからないと予言し、花嫁姿で「穴」に身投げする。百年後。村人の子孫は都市に住むが、集合写真を撮る程度の絆は残る。写真は百年前の姿に一変。人間の本質は何も変わらない。生き代わり、死に代わりして、命脈を繋げる人間の逞しさ、いとおしさ。監督の死生観の表明。美と醜、原色と白黒、猥雑と神秘、エロスとタナトス、現実と虚構の交錯する独自の映像詩に瞠目。◆木等に縛った布は村の戒めの象徴。随所挿入の老婆は時の流れを客観的に見守る神(監督)。浮遊石は神への信仰心の象徴で徐々に地に落ち、めり込む。チグサは神秘の象徴。人と神が未分化の状態で、エロスと死の女神。神の戒めを解く力があるが不用意に近づけば死ぬ。黄の花弁はあの世とこの世の境界の象徴。ダイが「穴」に落ちて成長したのは、「穴」が成長を促したから。よそ者ダイの成長は村の死を早めることになる。村人の火の踊りは絆の象徴で、村として最後の光芒。竃の火は家の象徴。金貨は村の財産の象徴だが、村が消滅していては活かされない。
[DVD(邦画)] 9点(2012-08-12 19:34:32)(良:1票)
99.  野良犬(1949) 《ネタバレ》 
暑苦しい映像はそのまま社会の暑苦しさ、生きにくさを象徴している。だからあれだけ永いシーケンスが必要だったのだ。悪い環境ゆえに罪を犯すという考えがあり、実際戦後の混乱期には犯罪が多発した。犯人遊佐のような生活環境であれば、もしかしたら自分も悪事を働くかもしれない、そう視聴者に思わせられなければ失敗だ。映画はそのことに全力をあげている。ぎらぎら光る目、ぎらつく太陽、疲れてふてくされた顔、水溜りに映る後姿、夕立、一々構図が決まり、カタルシスを覚える。一転、屋上での涼しそうな夕雲。空を大きくとった構図が素晴らしい。「ひと雨きそうだな」の言葉通り、雨がやってくる。その直前の雷。並木ハルコが遊佐からもらったドレスを着てくるくる回る。ドレスはあこがれの象徴だ。どしゃぶりとなり雷鳴と同時に刑事が撃たれる。ドレスも雨に打たれる。泥が犯人逮捕のヒントとなる。犯人を逮捕するシーンは、走って、止まり、撃って、静かにピアノが流れ、血が滴り、花が美しく映える。逮捕されたあとの子供達の歌声、そして犯人の咆哮。音と映像の静と動のコンビネーションは芸術。全てにおいて考えつくされており、無駄がない。遊佐と村上刑事は双子のように表裏一体に描かれる。ほんのちょっとしたきっかけで立場は逆になっていただろう。村上も遊佐同様、復員時に荷物を盗まれているし、辞表が受理されていれば自暴自棄な人生に陥ったかもしれない。人間の危うさ、運命の非情さ。遊佐の家と佐藤刑事の家も上手に対比させている。人間らしさが全く伺えない遊佐の茅屋。佐藤の家では子供達がすやすやと眠る姿。その眠る姿から静かに殺人現場へ移る。ここでも花とピアノが印象的に使われている。妻を殺された夫が狂ったようになってつぶしたトマトのアップ。死体を見せずに事件の残虐性を余すところなく伝える。善悪に徹しきれず、犯人に同情してしまう村上。犯人のことなんて忘れるんだなとアドバイスする佐藤。若さと老練、情と冷徹。遊佐から慕われる並木は社会を憎む危うい若人の一人として描かれる。女スリの見せた刑事への同情、遊佐に強く同情する姉、女たらしのリーゼント男、従業員と浮気する旅館の経営者。人生の機微を多様に描き、この悲劇は誰にでも起こる可能性があることを示唆する。天才のなせる業としかいいようがない傑作。文句なしの10点。
[DVD(邦画)] 10点(2009-07-08 07:25:59)(良:1票)
100.  映画ドラえもん のび太の恐竜2006 《ネタバレ》 
トラブルの原因を自分が作っていることに気付かないのだろか?恐竜の卵の化石を発見して、それをタイム風呂敷で1億年前に戻してしまう。それこそドラえもんが恐竜ハンターに説教していた「歴史改変」そのものではないか。すぐに戻せば良いものを10mまで育てて、マスコミにばれそうになり、あわてて1億年前に戻す。そんな昔に戻す必要ななく、化石が地中にあった少し前でよかったのだ。あの恐竜は生まれることのなかった恐竜なので、生きて戻すことは「歴史改変」になる。無事現代に戻って仰天。誤って恐竜をアメリカに置いてきたことに気付く。再びタイムトラベルするが、途中恐竜ハンターに攻撃され、1億年前についたもののタイムマシンは故障してしまう。しかたなく恐竜を連れて途中まで竹コプター、その後は徒歩で日本まで歩くことに。そこになら戻れる時空のドアが開いている。桃太郎印の黍団子があるのだから、翼竜の背に乗って移動すればよいことに気づかない。途中で恐竜ハンターに捕まるが、時空警察により救助される。敵役は恐竜ハンターと恐竜コレクター。人間はどうしてこうわがままなのか。最初は恐竜の全身化石が欲しかっただけ。それが本物の恐竜となり、育ててみたくなり、育ちすぎるとあわてて過去に戻すが、今度は別れが辛くなる。死者が蘇ったのはフランケンシュタインの怪物。悲惨な最期を遂げるが、あの化石から甦った恐竜はどうなるのか。神のみぞ知る。
[DVD(邦画)] 4点(2011-09-17 23:20:00)(良:1票)

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