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プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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1.  殺人ブルドーザー
ボ、ボクは今からこの映画に9点をつけるゾ。いいんだ誰も止めないでくれ。10点じゃないところが良心との最後の妥協点だ。第一、子供の頃は臆面も無く「好きな映画ベスト3」に挙げてたんだから、大した進歩じゃあないか。登場人物はたったの6人。彼らに無人のブルドーザーが襲いかかる。圧倒的パワーで襲いかかってくる代わり、動きは極めて緩慢なので、一見、恐怖感としてはかなり微妙に思えるかもしれない。大体、作業員に襲いかかって何がしたいのか?何ゆえ最初の方は攻撃が小出しなのか(8時だョ全員集合のコントみたい)。中盤だって島内を意味無くウロウロするだけだったりするし。いやいや!この無意味な感じ、ブルドーザーが何考えてるのか皆目判らないところこそが、この映画のメチャ怖いところだったんだ。音楽や編集のデタラメさも、子供心になんだか不気味だった。ドラム缶こと人間が踏みつぶされるシーン、映像的にはブルドーザーがドラム缶潰してるだけ、それでも怖くて目を被ってしまった。さらにこの映画の魅力は、ブルドーザーが無人で動く理由には深入りせず、「いかにこれを倒すか」が徹底的に描かれるところ。工事現場なので、(映画的には)武器に事欠かないハズ、しかし敵もさるもの、狡猾に先回りし、彼らを恐怖のドン底に突き落とす。ブルドーザー対ショベルカーの死闘!だがしかし! うぉ~やっぱしイイ映画ってのは思い返すだけでも燃えてくるよね。昔はモノ凄い再放送回数を誇り、その度欠かさず観てたけど、最近はご無沙汰。そろそろ放送してチョーダイな。では最後に一つ、捨て台詞を。「別にクダラない映画が好きなんじゃあない。好きになった映画がたまたまクダラなかった、それだけのことさ。」
9点(2003-11-09 13:34:24)(笑:4票) (良:4票)
2.  オクトパス
いいから、タコをもっと出せ!
2点(2003-05-17 12:42:42)(笑:5票) (良:1票)
3.  死霊の盆踊り
深夜の墓地で人知れず繰り広げられる、身の毛もよだつ饗宴、死の舞踏を、故なくして目撃してしまった男女の恐怖の一夜を描いた作品、だと思われる訳ですが。勿論、そうは見えない。裸のオネーチャンが入れ替わり立ち替わり、ひたすら踊る、踊る。せっかくコスプレで現れても、すぐに服を脱ぐ(というか、脱げている)。死霊だか、精霊だか、その類らしいのだけど、裸と言ってもパンツはちゃんと穿いてる(ちゃんと穿いてると言っても、Tバックだったりする)。踊りと言っても、単調で適当な振付、私でも踊れそうな気がしてくるレベル(踊らないけど)。この単調な踊りを見ている最中、数分に一度はふと、この作品の邦題が『死霊の盆踊り』であったことを思い出してしまう。視覚から来るヘナチョコ踊りと、脳裏に浮かぶ「盆踊り」というキーワードとが織りなす絶妙のハーモニーに、笑いがこみ上げてしょうがない。そういや特にネコ女のクネクネ踊りなんて、結構“どじょうすくい”に近いものがありますね。裸踊りをいつまで眺めていてもしょうがないので、その背景に目をやると、墓地の片隅に転がったシャレコウベが、何となくさみしそうな顔をしていて、これまた笑いがこみ上げてくる。とっつかまって縛られた男女が、踊りの前でボケーッと突っ立ってる姿にも、またまた笑いがこみ上げてくる。ついでに言うと、ミイラ男が時々C-3POみたいに見えてきて、さらに笑いがこみ上げてくる。笑いながら見てるうちに、「一体この自由さは何なんだ」と、だんだん感心を(していはいけない感心を)してしまうのが不思議。“意味”というものが削ぎ落された、まさに“意味”からの自由。途中、縛られた男がこっそり縄から手を抜いておく、というサスペンスをわざわざ準備しておきながら、製作サイドが全くこれを重視していない、この自由さ、この余裕(要するにテキトー、意味が無いというより、あったはずの意味が早々に消え去ってしまってる、という感じ……?)。……あ、そうそう、私もヘビ女のダンスは、正直、イイと思いました。思っちゃいました。
[DVD(字幕)] 4点(2012-05-13 08:06:51)(笑:4票) (良:1票)
4.  地獄の女囚コマンド 《ネタバレ》 
何しろ「地獄」で「女囚」で「コマンド」ですからね。これらのどのキーワードで検索しても軽く百万件はヒットするでしょう(それは大袈裟)。まさにテレビ東京仕様と呼ぶに相応しい映画。90年の時点で、よくもまあ、このベタなタイトルが他の映画に使われずに残っていたもんだ、と妙な感心を。さて、見どころは何と言ってもジョージ・ケネディ、彼さえ出ればどんな映画も大作に見えてくるから不思議だ・・・いや、ココに例外があった。残念。某国にて囚われの革命家を救い出さんがために、世界各地から札付きのツワモノ女性戦士(には見えない)をスカウトしてきてコマンド部隊を結成、火花散る特訓を!!ってどこがやねん、ヘナチョコの極み、もう何だかねえ、自分は今、とてつもなく難解でシュールな映画を見てるんじゃないかとすら思えてきます。敵を欺くためになぜか彼女たちはスーパーモデルに成りすます!いいぞ、これは本編中唯一説得力のあるシーンだ。さていよいよ敵の本拠地へ攻め込む彼ら。やっとドンパチが始まる(B級の癖にドンパチ少ないぞ)。そこへ敵のヘリが! でも何だか地上スレスレで無意味に右往左往してるなーと思ったら、あっけなく主人公が飛び乗ってヘリを強奪、このヘリで脱出しておしまい。何とまあ。一応「女囚コマンド」達の中にも、いがみ合う者、途中で命を落とす者、裏切る者などが現れて、本来盛り上がるはずなのですが、誰が誰やらもうどうでもいいので感情移入ゼロ、ちっとも盛り上がらん。そういや、途中喧嘩ばかりしてる彼女達、プールサイドで喧嘩した挙句、プールに転落するシーンがありますが、わざわざ水中カメラでこれを撮影する念の入れよう、これはさすがにアホだと、ちょっと感心。ちなみにポロリはありません。
3点(2003-11-29 01:06:16)(笑:5票)
5.  誰も知らない(2004)
実際の事件に基づいた映画です。でもあくまで、事件の「外面」をキッカケとし、「内面」を創作によって構築していく「フィクション」であります。特にここでは、実際の事件(としてマスコミが報道したもの)に対し重要な変更が為されています、それは「冷酷な人間が一人も登場しない事」。ここに本作の問いかけがあります。「実際の事件と異なり、冷酷な人間さえいなければ、彼らは救われたのですか?」答えは本作を観ての通り。事実通りの映画なら、観客は「義憤」を安心してぶちまけられる。「世の中ヒドイ奴がいるもんだね、信じられないね、許せないね(まあ我々には直接関係ないけどね)。」これじゃまるで「お昼のワイドショー」。本作は当事者を糾弾するのではなく、社会、そして社会に属する我々一人ひとりを問い詰める。「あなたは彼らを救うために具体的に何ができますか?何もしない傍観者ですか?ではあなた(=社会)も事件に『間接的に』荷担した当事者と言えませんか?」。ここに事件の奥に潜む本質を見抜いた本作の凄みがあると言えるのではないでしょうか。・・・などと言いつつ、実は私は全く別の意味で、観てて本当にたまらない気持ちになりました。むしろ彼らの立場、つまり彼らと同じ「現代を漂流する孤独な存在として」観てしまったのでした。確かに僕は定職につき、少ないながら一応給料をもらってる。でも? 金なんか幾ら貯めたってタカが知れてる。そもそも収入自体、明日にでも体壊したら、どうなる? 僕らもまた何の拠り所もないまま現代を彷徨する、名も無き漂流者だ。僕の事なんて、身近な人間を除けば結局「誰も知らない」んじゃないか。この映画の子供達に感じたのは「共感」、いや、そう呼ぶにはあまりに切実なものでした。リアルに描きこまれた、ひとつの小宇宙。やがては上映時間が終わり、彼らと別れねばならぬ、その事が辛くて、観ながら息苦しい思いにさいなまれました。それは「一期一会」という言葉がぴったりの貴重な時間でもありました。そして帰途、当時神経症気味だった私は、激しい吐き気に襲われたのでした。 <附記>しかし、本作のように、モデルとなった事件と我々の距離が、時間的にも感覚的にも近いケースでは、そこにある種の不快感を感ずる人がいるのも尤もな事なのでしょう。事件当事者も恐らくは存命であり、この映画が彼らを傷つけるのではないか。常に考えていかねばならぬ問題でしょう。
10点(2004-11-07 01:00:11)(良:5票)
6.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
登場人物を極端に切り詰め、寓話性が鮮明に出ている作品ですが、寓話という“理屈”に留まることなく、我々を圧倒的体験へと放り込む、映像の力。寓話性というのは、宇宙でのサバイバルという物語を借りて描く、人間の生死そのものであって、不安定極まらぬ生の不安、迎えねばならぬ死の不安。孤独と不安の中で生きる事に意味はあるのか。「大人に成長する前に事故で命を失うこと」だってありうる。だったらそもそも生まれることに意味はあるのか。サンドラ・ブロックが宇宙ステーションという胎内に留まるのか否か、臍の緒のようなチューブ、胎児のように体を丸めた姿勢、それはもう、ジョージ・クルーニーのセリフと一緒になって、暗喩(メタファー)というよりは直喩に近く、生を肯定するラストで、彼女は宇宙服から「生れ出でて」自らの足で大地を踏みしめるのだけど。しかし我々が感動するのは(我々、と言っていいでしょう、今現在、平均点9.5点)、そういう“理屈”に対してでは無くって、この、異常なまでの執念をもって描かれる圧倒的な無重力描写にあるのは確かでしょう。上も下も無い不安、細いロープ以外に頼るものの無い不安。3D映像は、無限の奥行きを強調する。はたまた長い長いワンショット描写は、『トゥモロー・ワールド』以上の執念で、不安な時間感覚を醸しだし、大音響のBGMは、(素朴なカントリーミュージックとともに)むしろ恐ろしい静寂を感じさせます。不安、不安、ひたすら不安(ちなみにウチの小学生の娘は耐えきれなくなり、中盤で一度、「外で一息ついてくる」と席を外しました)。そんな不安の中、自分の死を目前にしたサンドラ・ブロックが、地球との通信を捉える。相手は中国語、全く意味が通じない、最後の会話。いやそれこそ、会話の相手は人間でなくったっていい、犬だっていい、意味は通じなくてもよい、主人公が最後に得た他者とのギリギリの接点なのだから。すべてが極限の世界、驚くべき映像世界、それでいて、寓意性を孕みつつ、サバイバル映画としてのドラマ性にも事欠かぬ(火災→消火器→移動手段)。いやはや、スゴい映画を作ったものです。もう充分かも知れませんが、さらに平均点を上げさせてもらいます(笑)。
[映画館(吹替)] 10点(2013-12-15 09:07:22)(良:5票)
7.  大脱走 《ネタバレ》 
小学生の頃、とある友人と「好きな映画」について話していた時に、彼が挙げていたのがこの映画。ストーリーをアツく語ってくれていたのだが、なにせ小学生の話なのでさっぱり要領を得ず、彼の話で唯一理解できたのは、バイクで逃げた奴が柵にひっかかったことぐらい(笑)。ちなみに私はその時、『カサンドラ・クロス』について語ったような気がするが、彼も殆ど理解できなかっただろうね、いひひ。でまあ、後日、ゴールデン洋画劇場か何かで初めて観たわけですが。うーむ、ヤツに一本とられたぜ、というのがその時に感想。それまでは「先が読めない」「意外な展開」みたいな映画こそが面白いと思っていたのに、ハテ、この『大脱走』の面白さたるや。ひたすらこの“脱走”というただ一点に映画は焦点を絞り、着々とその準備作業が描かれ続ける。そのドキドキ感、ワクワク感もさることながら、その過程で捕虜たちの個性がしっかり描かれ、いざ脱走!となるや、どこまでも物語が広がっていく爽快感につながっていきます。当時としては、友人にオモシロさを教わったってのもシャクなもんで、そのことについてはその後あまり触れないようにしてましたが、結局は順調にワタシのお気に入りの一本になったわけです。何度も観たくなるのは、やっぱりこの映画の明るさ、楽しさのせいでしょうかね。収容所の描写も、何だか、ドイツ軍側が先生で、捕虜が田舎の不良学生みたいな、おおらかな雰囲気。ただ「逃げる」という、ゲーム性。収容所、トンネルの描写ばかりの前半から、後半は、汽車、ボート、飛行機、自転車、バイク、何でもありの大逃走劇。最後は悲劇が待っているとは言え、やっぱり飄々としたマックィーンの姿にニヤリとさせられてしまうと、何ともいえぬ充実感が感じられます。ところでそういえば、あの友人、その後どうしているだろうか。やや現実から“逃避する”傾向があったけどナ。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-01-11 18:40:17)(笑:3票) (良:2票)
8.  ミミズバーガー 《ネタバレ》 
学生時代にバカが数人集まってレンタルビデオ店に向かうと、自然にこういうのを借りて観る破目に陥る訳でして・・・。(観終わって)A「(顔面蒼白になりながら)この映画に出てる人はミミズが食える人なんだ、アメリカにはそういう人がいるんだ(と一人つぶやく奴。映画のために本物のミミズを喰う、という事がショックだったらしい)」 B「でこの映画は何を言いたかったんやろ。怒鳴ってばかりでわけわからん」 C「何やら地上げ屋みたいな奴が出てきてたから、まあそういう一種の社会批判やろ」 B「何でミミズ食ったらミミズ人間になるねん」 C「知らん。しかも最後は花になってしまったで。あれ何となく物悲しかったなあ」 A「(顔面蒼白のまま)うんあれはミミズ食える人が出演してるんだ、そうに違いない(ブツブツ)」  そんな思い出がふとよぎりました。クライマックスでは食べ物に混入したミミズを生きたまま本当に喰っちゃうシーンのオンパレードなんですけど、これミヨガシに口元がドアップに。ミミズ喰ってる事自体気分が悪いのに、口の中のミミズをカメラにしっかり見せようと、ペチャペチャ超下品な食べ方をしてるのがとにかく我慢ならない。ヤメテクレ(←観る方が悪いんだよ)。二度と観たくない映画、すなわち零点です。月並みですがこればかりは如何ともし難く。
0点(2003-12-20 01:12:03)(笑:4票) (良:1票)
9.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 
昨日の夜中、突然目が覚めてしまい、どうにも寝付かれなくなったもんだから、こっそり起き出し、TV放送を録画したモノを物色するうち、「ああ年末年始休暇も終わっちゃうよ、時間戻らないかねえ」という気持ちと一致したのか、目にとまったのが本作。夜中暗がりで一人観ていると、あの人形が動くシーンが結構怖かったりする(笑)。それにしても原田知世。当時は周りにも結構、ファンがいたりしたのよね。本作のワンシーンの弓矢を構える姿を、体育祭の応援タテ看板にしてたクラスもあったっけ。今の視線でみりゃあ、キツイものは当然、ある。未来人とやら、あんたエライよ、はるか未来から来ていながら、このダサさに見事に馴染んでるもんね。それにしてもこのなんともいえない懐かしい雰囲気。広島に一時住んでたときには何度も足を運んだ尾道の風景がよい。尾道といえば何かと『東京物語』が引き合いに出されるが、オノミチ指数の高さはもちろん大林作品の方がはるかに上。そしてまたこの、“80年代前半”という、私が中学生だったころの空気。周囲の(一部)の知世ファンも含め、当時のこと、色々と思い出されちゃったりする。ああ、半端な特撮さえ無ければなあ、と思いつつ、これもまた無ければ無いで寂しいよ、きっと(笑)。さて見終わって寝室に戻り、すさまじい寝相で寝入っている子供をエイヤッと布団に引き戻し、隣に私も寝転がる。ついこの間まで一人気ままにプラプラしていたように思える私にも、気づけばこうして子供がいたりするのだなあ、と。ああ、時の流れよ。
[地上波(邦画)] 7点(2008-01-06 16:39:56)(良:5票)
10.  秋刀魚の味(1962) 《ネタバレ》 
これは面白い! なんちゅう面白さ。評論家達はこんな面白い映画に「名作」というレッテル貼って、近付き難くしちゃうなんて、逆にもったいないではないか。何が面白いって、「燕来軒」の看板の文字! ハハハ、こんな小道具からしてすでに面白い。しかし何と言っても忘れ難きは、笠智衆の溜息「ん~」であります。勿論、「いやあ~」でも「まあ~」でもいいのですが、やっぱり「ん~」がサイコーです。それも、苦悩から発せられる「ん~」よりも、笠智衆の満足感が頂点に達した瞬間に思わず漏れる「ん~」がたまりません(白眉は娘の花嫁姿を観た時の会心の「ん~」である。聞き逃すな!)。さらにこの映画では、動きの無い笠智衆とは対照的に、過剰に動き語るひょうたん先生(演ずるは東野黄門様!神ワザのような演技である)の存在がユニーク。この対比により、笠智衆の動かない演技がさらに光るというものでありましょう。さらには亡き妻に似ているというTORYS BARのママとして、岸田キョンキョンが登場。笠智衆と岸キョンの夫婦では「美女と野獣・逆バージョン」ってな感じだが、幸いにもそんなに亡妻にクリソツな訳ではないらしい(雰囲気が似てるというのは結構いいものである)。さてさて、娘を嫁に出すまでの父の心の動きがこの映画のテーマですが、娘を嫁に出してやれなかったひょうたん先生の存在が、主人公に大きな影響を与えております。友人河合からも「おまえがひょうたんみたいになったら困るからな」なんてプレッシャーかけられたりして。で、なんやかんや紆余曲折あって(途中の展開と人物配置がうまく、観てて心地いい)、結局無事に娘を嫁に出す事に。河合も「おまえひょうたんにならなくてよかったよ」等と言ってくれる。しか~し。友人と別れた主人公は、一人酒を飲み、泥酔して家に帰ってくる。暗がりで「ひとりぼっちか」と呟き、歌を口ずさむ姿。そう、その姿は、まさにひょうたん先生の姿そのものではなかったか? 娘を嫁に出しても出さなくても結局は味わわねばならぬ孤独。そういう無常感のようなものが浮き彫りにされて余韻を残します。ところでタイトルは秋刀魚の味ですが、これは内容に直接関係なく、そのかわり色んな食べ物が出てきます。魚料理で出てくるのはハモですね。ハムではありません(!)
9点(2003-12-28 00:28:44)(笑:1票) (良:3票)
11.  モダン・タイムス
もう文句無し、大好きな映画です。とりあえずこれだけ言わせて下さい。先日、4歳の甥にビデオで見せてみたんですがね。まあ4歳児にはわかりにくい部分もあるので、私が活動弁士の役をつとめたわけですが。何と、画面を正視できないくらい腹抱えて笑い転げてるんですよ。時空を超えた笑いといいますかね、世紀を越え、国境を超え、世代を超えても、チャップリンの笑いは伝わってるんだなあ、と、何とも感動した次第です。
10点(2003-07-20 09:49:56)(良:4票)
12.  男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 《ネタバレ》 
この頃にもなると、渥美清も、寅さん役がキツくなってきてたのか、派手なパフォーマンスが見られなくなってきてますが、その点、本作は、「寅さんが僧侶見習いになっちゃう」という設定が実に秀逸。あんまり動かずに笑いをとる、ということに成功してます。博の父・ウン一郎氏の墓参りに来た寅さん、墓石にシンミリ語りかけ、ホロリとさせる場面ですが、その後がイケナイ。ひょんなことからナマグサ坊主と意気投合、しかも坊主の娘が美人とくれば、もう寺にすっかり居座ってしまい、坊主の代理で大活躍。諏訪家の法事に、坊さんに付いてノコノコやってきちゃう。これが可笑しいのなんの。博が実兄を「兄さん」と呼んだのに寅さんがウッカリ返事しちゃうシーンには、大笑いしてしまいました。これと似た場面がもうひとつ。本物の坊さんと共に諏訪家にやってきた僧侶姿の寅さんに、「おじさんだ!」と満男だけが気付く場面があるが・・・これは本当に寅さんを見て「おじさんだ」とつぶやいたのか?もしかして、ホンモノ僧侶役の松村達雄の方を見て、「あ、2代目竜造おじちゃんだ」と指摘したのではなかろーか?(笑)。ってか、てめーだって2代目満男だろうが、と、つい、つっこんでしまう。←こんなことばっかし言ってると、それこそ竹下景子に「そこまで考えなくても」と突っ込まれそうですが(笑)。ところで、この映画の物語、実に何も解決していないお話であります。諏訪家の遺産騒動に始まり、松村坊さんも息子とギクシャク。息子・中井貴一は勘当されたまま、東京で冴えない暮らしを続け、杉田かおるとの長距離恋愛もこの先どうなることやら(いずれ結婚しても飛び蹴りくらうだけ?)。そんな中で比較的うまくいきそうなのが、寅さんと竹下景子の関係。いやいやそう上手くはいくまい、しかししかし・・・と宙ぶらりんのまま、別れの柴又駅。ここでの2人の関係の微妙な揺れ動きは、まさにサスペンス映画と言えそうな程のドキドキ感、しかしやがて電車が着き、彼女は乗り込み、ドアが閉まり、あっさり電車は去っていく! この無情さ! 哀しい別れに、おもわず「あー」とつぶやいてしまいました。一方、諏訪家の騒動も、亡父の生家を売り払うという現実的な選択に終結しますが、それを補うごとく、「なんと博が、遺産をタコ社長の工場に投資しちゃう」という、現実離れしたファンタジックなオチ。うーむ、博、次期社長の座を狙っているのか?
[CS・衛星(邦画)] 8点(2006-09-25 22:37:10)(笑:4票)
13.  男はつらいよ 寅次郎春の夢 《ネタバレ》 
寅さんvsアメリカ人、という、カルチャーギャップ・ネタなんですけども(「外国人に梅干」なんてのは定番ギャグ)、しかしこのアメリカ人を「米国版寅さん」風に描いたのが秀逸で、外国人が珍しくなくなった現在でも古びることのない笑いと感動があります。このアメリカ人、寅さんほど押しが強くはないのですが、まあ、寅さんも口ばかり達者で、さほど商売上手ではない点では似たようなもの。それに、あの帽子、あのカバン、そして大いなる勘違いモード、まさに寅さんそっくりじゃないですか。「アメリカ大っきらい」と言い、アメリカ人批判を繰り広げてはばからない寅さんとは何かと衝突するんだけども(ついには異種格闘技戦へ発展?)、やはり似た者同士、寅さんが未亡人に失恋すれば、アメリカ人マイケルはさくらに失恋。マイケルへの恨み言をつぶやくさくらに、寅さんが「勘弁してやんなよ」と言うのには、グッときちゃいました。失恋した者の気持ちは失恋した者にしかわからない。人生に不器用な者同士が理解し合う瞬間、ですね。早朝の上野での別れのシーンでは何と、寅さんはトレードマークのひとつである、首にさげたお守りをマイケルにあげちゃう。寅さんの罪滅ぼしであると同時に、山田監督とっておきのサービス、ですよね。それにしても、確かに、さくらは複雑な心境でしょうなあ。みなマイケルに好感を持ち、おばちゃんなんか、「ヘタな日本人よりアメリカ人の方がよっぽどいい」などと持ち上げまくってたのに、フタをあけりゃあ、その「ヘタな日本人」とおんなじ、ただの惚れっぽいオッサン。男と言うヤツはどいつもこいつも・・・とは言え、何だか久しぶりのドキドキ感。そういえば、お兄ちゃんは年がら年中、こんなふうにときめいたり落胆したりしているんだ・・・てなトコでしょうか。寅さんに対する彼女の同情は、いつもと一味違ったハズ! ところで、アメリカに帰ってからのマイケル、相変わらず冴えないセールスマンで、今日も車で外回り、途中ガソリンスタンドに寄るのだけど、そこで彼が持っていたのは、さくらの写真。いつの間に入手を・・・いやいやそんなことはどうでもよくて、おおおおっ、このシチュエーション、『ターミネーター』のラストでパクられてたんじゃないか!?何となく、ですがね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2006-01-08 19:31:10)(良:4票)
14.  猿の惑星 《ネタバレ》 
いやはや、サル年の始めにテレビ放送、しかも納谷ヘストンを始め、昔ながらの吹き替え。実にメデタイ。そもそもこの映画自体が1968年サル年の映画ってのは有名な話。この映画、ラストが確か衝撃的で、テイラーが海岸線で半分埋まった通天閣を発見して、ああ俺は実は大阪に帰ってたんだ~って嘆くのよね、確か(間違ってたらごめん)。よくこのラストシーンの事が話題になるけど、うーん、私が最初に見たときに一番度肝抜かれたのは、このラストでもなければ、猿のメイクアップでもなくて、最初の宇宙船墜落シーンなんですけどねえ。あれは衝撃的、クラクラ~ってしてる間に急降下していく。めっちゃ怖いよ。墜落したその土地、そこに広がる光景も、とても地球上の光景とは思えないほど凄まじい。で、その荒涼とした光景の雰囲気をさらに荒んだものにするのが、ゴールドスミスのスバラシすぎる音楽。ハッキリ言って、気合い入りすぎて映画から少し浮いてます。でもたまらなくカッコいいのでこの際OK(私の好きな映画音楽って、すべて川口浩探検隊で使われていたという重大な共通点があるような気もするが、気にしない)。この後のストーリー展開が、逃げたり捕まったりの繰り返しで、実はそんなに面白い話には思えないんだけど・・・。そうそう、あと好きなのが、洞窟で発見される人形。ふみゃあああ、とかいう声を出す、あの声、妙に切なくて、心に残ります。という訳で、何度でも観ますので何度でも放送してください。
8点(2004-01-10 01:05:35)(笑:4票)
15.  パール・ハーバー
こんな映画が作られるのがアメリカなんだから、きっとあと何十年か経ったら、9・11同時多発テロなんかも一大スペクタクルとして映画化されちゃうんでしょう。しかも3時間の上映時間のうち最初の2時間くらいがテロ、アフガン紛争が20分、何故か最後にイラク戦争が40分描かれフセインが捕まってTHE END。こんなとこでしょ。当然米軍は正義の味方で、いくら空爆しても市民に犠牲者は絶対出ない。娯楽大作なんだから、このくらいのサービスは当然。映画を真に受けてしまった一部のアメリカ人が騒いだりして、悪者にされる側はたまったもんじゃないけど、マアどうせ、アメリカ人は観て一週間も経ちゃ何も憶えて無いだろうから、それが救いか。しょうが無いので、アメリカ人以外の人々は、豪華な戦闘シーンをボケっと観て絵空事として楽しむ。そこでふと思い出す、昔、「パール何とか」という似たような映画があった気もするなあ・・・。
2点(2004-02-07 10:45:04)(笑:3票) (良:1票)
16.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
2歳10ヵ月の娘が、「ポニョ、観たい~」と言うもんで(どこまで本気か不明)。映画館に連れて行くのは『ゲド戦記』以来2年ぶり(って、0歳だもんな)、などと言ってる私自身、映画館に足を運ぶのはそれ以来、という、実にお恥ずかしい次第……と言う訳で、久し振りに味わう劇場の興奮に、モハヤ冷静さの欠片も無く、感動の連続、涙腺緩みっぱなしでした(例えばバケツが風に飛ぶシーン…)。ああどうして、絵がここまで動くのか? 背景はいかにも“手書き”っぽく、言わば「動く絵本」。絵をどこまで本物っぽくリアルに描くか、よりも、線で描かれた「図形」としての絵を、どのようにオモシロく動かすか。音楽でいえば、濃密なオーケストレーションよりも、一見素朴なメロディが、これでもかと絡みあう強烈な対位法の世界(まるでマーラー5番の第五楽章!)。自分の視覚が認識できる以上に、複雑に動きまわる絵、これが人の手でなされているという事に恐ろしさも感じれば、その一方で、まだまだ自分が汲みつくしていない魅力がそこに残り続けているという、安心感もあるわけです。とか何とかゴチャゴチャ言ってる私だけど、一番気になったのは娘が途中で飽きないか、だったりする訳で。で、どうだったかと言うと、ちゃんと最後まで、それこそ身を乗り出して観てましたよ! 意味が判ったかどうかなんて、どうでもいい。何しろ私にだってよくワカランのだし(笑)。で、どういう話だったかと言うと、少年の前後を弁えぬアサハカな“決断”の話でして。ポニョを何がなんでも守る、いや、ポニョは魔法を使えるもんだから、守ってるのやら守られてるのやら。とにかく彼は頑張る。そしてラスト、ポニョは半魚人だけど引き取ってくれるか、との問いに、深く考えもせずOKする。こんなワガママ娘と、この先長い人生、うまくやっていけるワケが無い、不幸の始まり。とは言っても、童話のシンデレラと王子様だって、あんないい加減な馴れ初めで、その後幸せになれたハズもない。結局我々の人生だって、過去の誤った決断のせいで、何と面倒なことになっていることか(笑)。でも、それがもし無かったなら、人生そのものが成立しなくなる! 悩むのは良い、だけど、気にし過ぎるなかれ! 時には宗介クンのように、ストレートに、信じる道に向かってエイヤッと、決断することも、必要なんでしょうなあ(もちろん相変わらず、私は自信が無いのだけど)。
[映画館(邦画)] 9点(2008-07-27 18:15:51)(良:4票)
17.  グリーンマイル
はは、先刻TVでやってたね。新しく移送されてきた死刑囚、ボブ・サップもビックリの雲つく大入道。周りとの身長差、ロードオブザリングも顔負け。しかし何と、普段着のオーバーオール着用のまま収監されちゃった。あんなポケットいっぱいついた服装で、凶器とか隠してたらどうすんの。アレ、他の死刑囚もベルトしてるゾ、普通そういう自殺に使えそうなもんって、持ち込み禁止では? いや単に揚げ足取ろうってんじゃないですよ。この映画で最も重要な舞台、「死刑の現場」を真摯に描く気があるのかどうかが問題なのです。まあ、戦前のアメリカのお話、当時の実態がどうだったのか私も具体的に知ってるわけじゃないのでエラそうな事言えませんけど、すこぶるアヤしい描写。さてストーリーは進むも、あまりにも幼稚な人物描写に辟易。で何やかんやあって、何と大入道が超能力を持つ事が発覚。トム・ハンクスいわく、彼はきっと冤罪だ・・・あのねえ。大塚公子さんのルポ「死刑執行人の苦悩」でも読んでみな、と言いたくなります(大塚さんのアプローチには疑問の点もあるのですが、これは別の機会に)。このルポでは、死刑確定後に宗教や芸術に目覚め、その深い境地まで達しえた死刑囚の姿、そしてその彼らすらも処刑せねばならぬ刑務官の苦悩が、赤裸々に描かれています。しかし一方トム・ハンクスがこだわる点は極めて単純、無実か否か、超能力があるか否か。大入道以外の死刑囚の処刑は完全に仕事と割り切っているようです。実際、この映画では死刑囚の改心なんてろくに描かれず、ただの死刑囚たちと、無実の大入道が、きれいに区別されて描かれますから、上述の安直な「冤罪」という判断に結びつくのでしょう。後半はリンチにつぐリンチ、こんなのでカタルシスを感じようったって無理。独断的で単純で空虚な映画、というのが私の感想です。ゴメン。
2点(2003-11-23 00:55:24)(良:4票)
18.  JAWS/ジョーズ
どうしてこんな映画が存在し得るのか、もう、スバラシイです。コケオドシはリアリティを超える、ということがよく判ります。何もかもが絶妙で、シビれまくり。いくらホメてもホメ足りない! 前半、最初の犠牲者が海岸で発見されるシーン、ロイ・シャイダーの背景にカモメが喧しく鳴き叫び、不気味ですが、このカモメのモチーフはラストシーンに明るい形で再提示され、いかにも大団円、完結した印象を強めます。しかも元はと言えばこのモチーフは『白鯨』からの引用でもありますね。あと、ドレイファスが水中オリを使ってサメと戦うと主張し、三人が口論になるシーンで、喧嘩のシーンがそのままオリ組立て作業へと切れ目なく移行したり。そういう、色んな計算が詰め込まれた、楽しくて仕方ない映画ですが、勿論、最大の魅力は、そういった計算すらほとんど気にとまらない程の、圧倒的なサメの迫力であり、緊迫したストーリー展開であり、ユニークなキャラクター設定であります。
10点(2003-10-19 00:38:18)(良:4票)
19.  捜索者
観終わった瞬間の充実感、格別のものがあります。映画冒頭、暗い家の中から女性が扉を開けると、そこは広大なる荒野、観るものをいきなり別世界へといざないます。すると向こうから馬に乗ってやってくる人影、それこそが、久しぶりに現れたジョン・ウェインなのでありました。で、話は飛んで映画の最後、残念ながら冒頭シーンとは別の家なのですが、今度は人々が家の中に入って来て、カメラも屋内に下がり、ジョン・ウェインだけを外に残して扉が閉められ、THE END。↓おっさん様もご指摘の通り、誠にシビれる大団円であります。さてこの映画、先住民に身内を殺され、誘拐された男達の壮絶なる追跡劇でもあり復讐劇でもあるのですが、陰惨な雰囲気に堕していないのは、絶妙のユーモア感覚のお陰でしょう。今で言うところの、ロード・ムービーみたいな味わいすらあります。途中、エピソードと手紙朗読を交差させる等、演出の面白さにも事欠きません。そして戦闘シーンのダイナミックなこと!俯瞰の構図による立体感、カメラが全速力の馬に併走する躍動感。まさに満腹感を味わえる一本だと思います。
10点(2004-02-01 16:29:10)(良:4票)
20.  マッドマックス2
カーチェイス映画史上に燦然と輝く金字塔、まさに空前絶後のスーパーハイパーウルトラパワフル超絶バイオレンス映画の決定版(いやまだまだ誉め足りないぞ)。こんなスゴイ映画を作っちまうなんで、ホントつくづくバカだな~と思います。私が今こんなにバカなのも、若き多感な時期にこういう映画の爪の垢を煎じて飲んでしまったからに違いない。この映画、これはまさに、“疾走する戦場”そのもの。理屈抜き、一作目も基本的に無視、ひたすら暴れろ、走れ、ぶっ壊せ。これを超える映画は観たこと無い、観たくも無い、ははははは。しかしただ乱暴なだけの映画じゃない。登場人物のユニークさ。何といってもジャイロ・キャプテンのキャラが秀逸、マックスとの間の、これほどまでに歪みきった関係(笑)を、見事に描ききってます。もちろん彼の乗ったオートジャイロの存在が、映画後半の、ひたすら地を駆ける一大バトルに俯瞰の視野を与え、立体感を出していることも見逃せません。さらに彼に引けを取らぬ秀逸キャラが、敵の首領、ヒューマン・ガス様。ま、派手に死ぬ以外にコレと言って何もしないのですが、ファッションセンスが何とも素敵(何しろハダカにホッケーマスクですから)。ギクシャクした手振りの演説も見逃せない。さらにはその参謀格(?)の、安岡力也ソックリのモヒカン男。ホタテを舐めるなよ、とばかりに大暴れ。何から何までこんな感じで、何とも知れぬ(ややブラックな)ユーモア感覚があって、アクションシーンのエゲツ無さの毒消しをしてくれています。そんな妖怪どもに囲まれる中でメル・ギブソンだけが、まるで笑いをこらえているかのようにことさら仏頂面で、マックス役を実にカッチョよく演じていますねえ。エライっ。とまあ、バカさ加減が突き抜けるところまで突き抜けて、ついに彼岸にまで達してしまったような映画ですが、そう見えて実は意外なオチがあったり、ラストは何とも物悲しかったり(毎回、観てて切なくなるのです)、とにかく、サイコーの映画の一本だと思っとるわけです。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-03-14 23:26:33)(良:4票)

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