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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  勝手にふるえてろ
「絶滅すべきでしょうか?」と歌い上げた後、主人公はアパートの小さな玄関で、独りうずくまり、嗚咽する。 胸が締め付けられてたまらなかった。性別は違うけれど、彼女は20代の頃の私だと思った。 「絶滅」という言葉は使わなかったけれど、当時の私も、彼女と同じように、孤独感と自己憐憫の狭間で藻掻き苦しみ、突っ伏して声にならない声を上げていた。今でこそ、「暗黒期」と自嘲的に振り返ることができるけれど、私の中では本当に絶望的な時期だった。  この映画の主人公ヨシカは、愛くるしく、痛々しく、トリッキーに見えるけれど、実のところ、この年頃の女性の普遍的なありのままの姿を表していると思えた。 誰だって、いつまでたっても「召喚」し続ける過剰に美化された思い出を持ち続けているだろうし、不遇な自分自身を憐れみ、達観していると思い込むことで、慰め、人生に折り合いをつけようとしているんじゃないか。 そのさまは、客観視すれば、愚かで滑稽に見えるかもしれないけれど、人間が社会の中で必死に生き続けるための“術”であり、本当は誰も嘲笑うことなんてできない。  この映画は、そういう今この社会に生きる、性別も年齢も関係ないすべての人が、実は孕んでいる“脆さ”とそれと同時に存在する“強かさ”を、あまりにもユニークな映画的表現と、あまりにも奇跡的な“松岡茉優”によって、描きつけている。  思わず逃げ出したくなるブサイクな“キス顔”のように、「無様」な映画である。 結局、主人公はダークなインサイドのドツボにハマったままで、具体的には何も解決はしてない。 人生は笑っちゃうくらいに面倒で、複雑なので、答えがいつも「1+1=2」になるとは限らない。「1+1=1」になることはままあるし、すべてが無くなって「0」になってしまうことだってあるだろう。  だけれども、怯えてばかりの自分自身に、「勝手にふるえてろ」と言い放ったヨシカは、きっと「1(イチ)」以上の何かを見つけるための一歩を踏み出せたのだと思う。  嗚呼、なんてパンクで、愛おしいのだろう。最高すぎて勝手にふるえるわ。
[インターネット(邦画)] 10点(2019-07-14 00:18:45)(良:1票)
2.  ガーディアンズ 《ネタバレ》 
ロシア版「アベンジャーズ」というよりは、「ファンタスティック・フォー」に近いだろうか。 所変われば、ヒーロー像も変わる。映画としての善し悪しはまず置いておいて、興味深い映画であったことは認める。 はっきりとチープな部分も多々あるが、ビジュアル的に美しい描写もあり、映画としてのルックは思っていたよりもちゃんとしていたという印象。  だがしかし、そういったフォローポイントを圧倒的に凌駕する稚拙なストーリー展開が、ストーリーが進むにつれ加速するように酷い。 まず、人体改造されたヒーローたちの出自と現在の立ち位置、宿敵との関係性が絶望的に分かりづらい。 そこから描き出されるストーリーも、思わず「下手くそか!」と声を上げたくなるくらいに話運びがぐだぐだで、合うべき焦点がまったくもって合っていない。 最初のうちは、お国柄ゆえの“ハズし”なのかと好意的に見ていたが、段々とすべての登場人物たちが「バカ」にしか見えなくなってくる。  ヒーローたちのキャラクター性自体がMARVELやDCをはじめとする数多の有名ヒーローたちのパクリであることは別にいい。 ただロシアで生まれたヒーローである以上、かの国だからこそ生じる葛藤や苦悩をキャラクターたちに反映して欲しかった。  MCUを表面的になぞって、ユニバースの拡大を狙ったラストのシークエンスをドヤ顔で見せられても、食指はピクリとも動かない。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2019-05-20 00:09:06)(良:1票)
3.  カメラを止めるな!
昔、映画学校の学生時分、脚本家志望だった僕は、「サバ缶」というシナリオを書いた。 またカリキュラムの中で、短編作品の撮影もどこかしらの民家を一泊借りて行った。 もう随分と遠い昔の思い出となってしまったけれど、その時の記憶がありありと思い出される。 そして、月日は経って、地元に帰り、結婚をして、娘が生まれ、父親になった。  何が言いたいかというと、そんな僕が、この「映画」を愛さないわけがないということだ。 いや、参った。これは、日本映画史上待望の「ゾンビ映画」の傑作だ。  巷で話題沸騰となっていたことは知っていたけれど、あまり精力的な情報収集をせぬまま、地元の級友たちとの飲み会前の空き時間にフラリと観に行った。「情報」を最小限に留めたまま鑑賞に至れたことが、極めてラッキーだったと思う。 古今東西「ゾンビ映画」というものは、生み出された実社会の閉塞感や鬱積を、血と狂気の混沌の中で描き出してきた。 したがって、そのジャンルは、もちろん「恐怖映画(ホラー)」ではあるのだが、同時に「風刺映画(コメディ)」でもあると思う。 今作は、そのホラーとコメディというアンビバレントな要素を絶妙なバランスで混ぜ合わせ、驚くべきアイデアで纏め上げて見せている。  ただし、一言で「風刺」と言っても、この映画で描き出されるテーマ性は極めてミニマムだ。 核家族における父性のあり方、あらゆるしがらみにがんじがらめの働き方、そして、一個人レベルに至るまで蔓延する虚構と実像の葛藤。 この映画は、現代のこの国の社会の中で、あまりにも普遍的なそれらの鬱積を根底に敷き詰め、呆れて笑うしかない「暴走」と共に、爆発させ、解放させている。  一つ一つの描写はとてもくだらなくて、チープだけれど、それをあまりのもチャレンジングな試みの中で、「本気」になって叩きつけているからこそ、今作はとてつもない“面白味”と“感動”を生み出しているのだと思う。  映画館で、あんなにも臆面もなく手を叩いて笑った記憶はない。 観客のその反応を誘い出し、エンターテイメントとして成立させたアイデアとチャレンジに脱帽する。 散々笑わせといて、最後の最後でホロリとさせるなんて、ズルい。
[映画館(邦画)] 10点(2018-08-13 08:06:53)(良:6票)
4.  怪盗グルーの月泥棒
何だか知らぬ間に、ミッキーマウスやハローキティ並の大人気キャラクターになっちゃってる“ミニオンズ”。今更感は強いが、ミニオンズが初登場する今作を子どもたちと鑑賞。  なるほど、ミニオンズの造形や動きはユニークで、ポップアイコンとしての魅力は抜群だ。子どもや女性に人気があるのはよく分かる。 「その他」と言っちゃあなんだが、主人公グルーのビジュアルやキャラクター性も、アニメらしく過剰な娯楽性も含めて良いと思う。 少なくとも、共に鑑賞していた6歳と3歳の子どもたちは画面に釘付けだったので、アニメ映画として及第点だろう。  ただ、ピクサー映画やディズニー映画のように、老若男女が楽しめる映画かというと、その点は少々疑問だ。 キャラクターの造形が魅力的な反面、キャラクター性に説得力がない。 特に主人公グルーは、端々の描写から察するに、もっと心の奥底に「孤独」を抱えたキャラクターであるべきだったと思うが、今ひとつ真に迫ったものが伝わってこない。 彼がなぜ「月」に執着したのか?「母親」との関係性に鬱積があるのか?そういう主人公造形の核になるべき部分の描き込みが極めて軽薄で中途半端なので、あって然るべきののドラマ性が生まれていないと思う。  とはいえ、前述の通り“子供向け”だということを割り切れば問題はなかろうし、本来アニメとはそういうものだろう。 そして、“ミニオンズ”という人気キャラクターを生み出したことによる商業的成功も、賞賛すべきことなのだろう。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2018-05-05 20:21:58)(良:1票)
5.  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
絆、きずな、キズナと安直に謳う映画は多いけれど、果たしてその内のどれくらいの作品がその実態を描けているだろうか。甚だ懐疑的である。 そんな数多くの“エセ絆映画”に対して、持ち前のハイテンションとノリの良さを全面に打ち出しながらも、「絆」というものの本質をストレートにぶちかましてくる。 世間の期待値を遥かに上回る世界的大ヒットとなった前作も勿論存分に楽しんだけれど、個人的には前作を遥かに越える満足度の高さに対して、エンドロールを観ながら恍惚としてしまった。  前作では、全編通して繰り広げられる70年代ヒットチャートが世代的に今ひとつ突き刺さらなかったことと、個々のキャラクターが魅力的だからこそ生じた描き込みの物足りなさに、ノリ切れなかったことも事実だった。 しかし、今作では、オープニングクレジットと共に繰り広げられるスペクタクルシーン+ベビー・グルートのキュート過ぎるダンスシーンに、一気に心が鷲掴みにされた。 そして、続編故にガーディアンズの面々の“チーム感”と個々のキャラクター性は、序盤から細やかに描き込まれており、彼らが織りなす大エンターテイメントにすんなりと呑み込まれることができた。  ガーディアンズの面々は前作以上に魅力的に描かれている。 しかし、何と言っても今作のMVPは、前作に引き続きマイケル・ルーカーが演じた“ヨンドゥ・ウドンダ”以外にあり得ないだろう。 個人的には前作においても、ハイライトと思えたシーンは、敵の大群に囲まれ絶体絶命に見えたヨンドゥが唯一無二の武器「ヤカ」で大群を蹴散らすシーンだった。 今作でも、失意のどん底に突き落とされたヨンドゥが、見紛うことなき“リーゼント”を模した赤いフィンを頭頂部に差し込み、起死回生の美しすぎる大逆転シーンを見せつける。  またしてもハイライトをかっさらったこの青い肌の宇宙盗賊の首領は、今作の主題の核心的なキャラクターとして存在感を終始発揮し、世界中の映画ファンに永遠に愛し続けられるであろうキャラクターへと昇華する。 「クリフハンガー(1993)」以来のマイケル・ルーカーファンとしては、彼が演じたこのキャラクターの昇華は堪らない。因みに雪が降り積もる場面でのシルヴェスター・スタローンとの対峙シーンは、完全に「クリフハンガー」オマージュだろう。  これでもかと繰り広げられるスペクタクルを心ゆくまで楽しむべき大エンターテイメント映画であることは間違いないが、主軸となるストーリーラインには、人と人とが繋がること、または離れることで生じる避けがたい辛苦や残酷性も孕まれている。そのあたりには、ジェームズ・ガン監督ならではのシビアさも多分に反映されていると思えた。   これは紛れもない「家族」にまつわる映画である。 理屈ではない。心で動かすのだ。青い無頼漢が操る縦横無尽の赤い矢が心に突き刺さる。 文句なしにノックアウト!号泣メーン!
[映画館(字幕)] 9点(2017-05-17 09:44:48)(良:1票)
6.  駆込み女と駆出し男
時代に虐げられる女の苦悩と、それでも生き抜く女の強さ。みな逞しく、美しい。その様に涙が溢れる。  冒頭、各人物によるある種様式的なしゃべり言葉のせいもあり、何を言っているのかが理解し難い。 ただし、台詞の言い回しや、それに伴う人物の動きには、細心の役づくりと演出が施されていることが明らかで、この様式的な馴染み難さが、時代劇として明確に意図しているものだと分かる。 そして、正確には理解できずとも、物語の時代背景や人物の意思はきちんと伝わってきて、観る者を映画世界に没入させることに成功していると思う。  江戸時代末期、幕府公認の“縁切寺”とされた東慶寺を舞台に、女と男の悲喜劇が芳醇な人間描写によって繰り広げられる。 “縁切寺”などと言うと、いかにも時代劇的な特異な題材のようにも聞こえるけれど、いつの時代も男女間のトラブルによる苦しみと悲しみは尽きぬものであり、当然ながらそれは今この時代にもダイレクトに通じる普遍的なドラマ性を孕んでいた。  緻密な時代考証による完璧な時代劇というわけでは決してないけれど、各登場人物の心象に焦点を当てた演出とストーリーテリングは、各人物をとても活き活きと描き出し、映画全体の熱量に繋がっていたと思う。 時に舞台的なダイナミズムをも感じさせる人間描写の豊かさが見事だった。  題材が題材だけに、女優陣がみな素晴らしい。 満島ひかりの存在感はもはや言わずもがな。彼女がこの物語の中心で“生き抜いた”からこそ、映画の豊かさがぐんと上がったと思う。 またヒロイン役の戸田恵梨香の好演が、個人的に最大の嬉しい驚きだった。あまり印象強い女優ではなかったけれど、今作の彼女は非常に魅力的で、今作に相応しい“華”になっていた。 脇を固める樹木希林、キムラ緑子の安定感は流石である。 そして、彼女たちの間を飄々と立ち回り、主人公として映画を締めた大泉洋がやはり素晴らしい。彼が俳優としての地位を固めて久しいが、その勢いはまだまだ留まることを知らないようだ。どこかの映画評では、「現代のフランキー堺だ」という言葉もあったが、まさしくその通りだと思える。   いつの時代も、泣いてきたのは女。いつまでたっても無くならない女性差別や女性蔑視も含め、この物語が孕んでいる現代的な問題意識は無視できない。 しかし、だからと言ってこの映画が画一的なフェミニズムばかりを展開しているのかというと、そうではない。 そういった問題意識を内包しつつ、その上で営まれる女と男の人間関係の愛おしさを描き出していると思う。  女も男も、何かに寄り添って生きていて、何に寄り添うかは自由だ。 女が女に寄り添ったっていいし、その逆もしかり、仏様に寄り添っても、キリスト様に寄り添ったっていい。 大切なのは、誰しも一人では生きていけないということを、他の誰でもない自分自身が認めてあげることだ。 この映画の顛末が伝えることはそういうことだと思う。  だからこそこの映画は、決して完璧ではないけれど、とても「素敵」なのだと思う。
[インターネット(字幕)] 8点(2017-01-15 22:34:40)(良:1票)
7.  監視者たち
韓国映画の共通した“巧さ”は、オープニング(アバンタイトル)に表れることが多い。 警察の“監視犯”の面々を主人公にした今作も、冒頭のシーンが実に巧かったと思う。 映し出される人物たちが一体何者かの説明もないまま、“或る尾行”と“或る犯罪”が平行して描かれ、観客はそのスリリングな展開に引き込まれる。 そして、その冒頭シーンが収束すると、それぞれのキャラクターの位置関係が明確になっている。思わず「巧い」と呟いてしまう。  今作は香港映画「天使の眼、野獣の街」(未見)という映画のリメイクなのだが、犯罪者の“行動監視”を専門とする部署の警察官たちの活劇というのはやはり新しく、興味をそそられた。 「情報化」が極まる現代社会において、犯罪捜査における彼らの役割の重要性が高まっていることは明らかで、彼らの活躍が事件解決に直結するという様にも説得力があったと思う。 一方で、やはり“地味”な部署であることは間違いないので、映像化においては、演出、撮影、演技の各要素に手練が必要だったろう。 しかし、そこについては流石は韓国映画である。冒頭シーンでも顕著なように、魅力的なキャラクターを配置しつつ、監視する者と監視される者との関係性だけで、サスペンスフルな映像世界を構築できていた。  追う者と追われる者。緊張と緊迫を繰り広げながら、両者の形勢が二転三転していく中盤までの展開は、非常に面白かったと言える。  ただし、だ。残念ながら、クライマックスからエンディングまでの顛末がいささかお粗末だった。  中盤までは、周到な計画で犯行を繰り返す犯罪者たちを、地道な捜査活動で徐々に徐々に追い詰めていく監視班の面々のチーム力が、サスペンスと豊かな娯楽性を備えながら描き出されていたのだが、クライマックスになりその優れた緊張感が破綻してしまう。 ラスト、犯罪チームのボスを追い詰めるくだりは、結局のところ主人公の超人的才能と強引な追跡劇で着地してしまい、それまでの影に潜んでプロ意識に徹した努力の日々は何だったんだと思えてしまう。 最期まで「地味」を貫き通して、監視班としてのルールを厳守した解決に結んで欲しかったと思う。  とはいえ、娯楽映画として観る価値は充分にある作品であることは否定しないし、オリジナルの香港映画も是非観てみたいと思えた。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2016-07-24 22:18:10)(良:1票)
8.  紙の月 《ネタバレ》 
鑑賞を終えて、映画館施設内のATMで一万円を下ろした。 その一万円札をしげしげと見ながら、“彼女”の罪と罰について思いを巡らせた。  この映画の主人公が、犯した罪とは何か。そしてその代償として与えられた罰とはなんだったか。 巨額の「横領」という明確な罪が描かれていながら、果たして本当に彼女が犯した罪はそれだったのかと確信が持てなくなる。 言い換えれば、「横領」という罪に伴う「嘘」と「偽り」そのものが、彼女にとっての「罰」だったのではなかったか。  彼女の「罪」は、たった一枚の一万円札から始まる。ただしそれは、ただの目に見える“きっかけ”に過ぎない。 他人の一万円に手をつけてしまうずうっと前から、彼女は、この世界の“虚構”に対するジレンマを孕み続け、一線を越えてしまう必然性を秘めていた。 彼女にとっては、この世界にまかり通っている虚構を受け入れ、普通に生きていくこと自体が、「罰」だったのかもしれない。  その「罰」に相応しい「罪」を後追いしてしまったと捉えることは、確固たる犯罪者である彼女を庇護しすぎなのかもしれない。 けれど、欲望を追い求めるというよりも、むしろ盲目的に一線を越えていく彼女の姿には、表面的な快楽と悦楽に包まれた業苦が露わになっていた。   主人公は、越えてはならない“ボーダーライン”を次々に越えていく。時にその描写は少々唐突に見えるかもしれない。 けれど、実際、“一線を越えてしまう”という事象において、明確な意思なんて存在しないのだと思う。 唐突な流れの変化と、衝動、そしてただ残る結果。“一線を越える”というのはただそれだけのことだ。だからそこには明確な理由なんて実は無い。   「あなたはここまで」と、言い切られ、彼女はまたひとつ“一線を越える”。 まさか、この映画の結末が、こんな爽快感に包まれるなんて、ちょっと信じられなかった。   「罪」と「罰」を同時に経たからこそ、彼女に「贖罪」は必要なかったと僕は思う……いや、違うな。 やはり彼女にとっては、どこに居ようと、この世界で生き続けることこそが、贖罪なのかもしれない。
[映画館(字幕)] 9点(2014-11-23 10:19:40)(良:1票)
9.  崖っぷちの男
「え?え?何するの?何するのーッ!?」てな感じの主人公のクライマックスでの“アクション”で、この映画のリアリティーラインは確定される。 そのライン設定は想定外ではあったが、それならそれで楽しい映画だったと言えよう。  同時期に公開された「ザ・レッジ -12時の死刑台-」という映画があり、その映画も一人の男がビルの縁に立つということから端を発するサスペンスだった。 着想は極めて類似しているが、描き出されたテイストは大いに異なっており、比較してみると結構ユニークだ。  「ザ・レッジ」は、色香に溢れた人妻役のリブ・タイラーを巡る色情濃サスペンスで、これはこれで想定外な映画世界に見応えがあった。 そして今作はというと、これまた想定外の“ケイパーもの”。繰広げられる強奪計画はフレッシュで充分な娯楽性を備えていたと思う。  勿論、手放しには褒められない粗はある。 ルパン三世ばりの綿密な強奪計画を、一介の刑事だった男が考えたというのはちょっと無理がある。  ただそこで冒頭に記したリアリティーラインが効いてくる。 こういうリアリティの映画であれば、少々無理目な強奪計画もまかり通るというもの。 強奪計画の実行犯を請け負う主人公の弟とその彼女のキャラクターも良く、それぞれが受け持つコメディ要素とセクシー要素は、この映画の娯楽性において意外な程に重要なものになり得ている。  底の浅い悪役にキャスティングされているエド・ハリスは勿体なかったが、全体的にはバランスの良いお手軽なエンターテイメントだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-09-21 23:57:50)(良:1票)
10.  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
主人公が古臭いウォークマンを取り出し70年代のヒット曲を目一杯流しつつ、荒廃した惑星を探検する。このオープニングシーンが先ずアガる。 ただ一方で、自分自身がもっと70年代のヒットチャートに造詣が深い趣向や世代であれば、もっと幸福な「体感」としてこの映画は記憶されるだろうなと、少し残念にも思えた。 娯楽映画として全く申し分はないのだけれど、生じた高揚感がスペシャルなものにならなかったのは、そういう世代差的な要因は大いにあるように思える。  「アベンジャーズ」と世界観を共有するマーベルコミックの新シリーズだが、主要キャラクターにおいて、スター俳優の「出演」はほぼ無い。 ただ登場するキャラクターは総じて魅力的で、決して番外編的なストーリーラインではないと感じた。 キレッキレのブラッドリー・クーパーのアライグマぶりに燃え、セリフが”2パターン”しかないヴィン・ディーゼルの大木野郎ぶりに泣けた。  “腰フリ作戦”で宇宙を救うという「愛嬌」は、この新ヒーローたちに相応しい愛すべき英雄像であり、ふざけてはいるけれど素直に胸熱だった。  ただし、善玉も悪玉もキャラクターが総じて魅力的な分、彼らのバックグランドや互いの関係性の描写が少々物足りなかったことは否めない。 実際、意識的に描き残しているキャラクター描写もあったと思うので、今回の物足りなさについては次作に期待したい。  そして、彼らが今後「アベンジャーズ」にどう絡んでくるのかも、期待大だ。
[映画館(字幕)] 7点(2014-09-14 09:14:17)(良:1票)
11.  渇き。(2014) 《ネタバレ》 
終幕。茫然自失。とりあえず、ペットボトルの水を喉に流し込んだ。 “潤い”を感じるのに一寸の時間を要した。 渇き切ったのは、喉か、心か。  善し悪しを判別する前に、”とんでもない”映画であることは確かだと思えた。 「劇薬エンターテイメント」というキャッチが示す通り、この映画は「猛毒」以外の何ものでもない。 映し出されたものは、絶望、絶望、そして絶望。 はっきり言ってそれ以外の要素は見出せず、クラクラする。  誰がどう拒否感を示し酷評しようとも、それを論破する論理は見当たらない。 「吐き気がする」と言われれば、「まったくその通りだね」と言う他ない。  しかし、だ。  己の理性が拒否し、目を背けたくなる描写が羅列される程に、自分の中で染み出すように生じている「高揚感」を感じ、身動きが取れなくなった。 体のあちらこちらの血圧が高まり、紛れもない「興奮」を覚えている自分自身を呪いたくなった。  その理由は明確だ。映画の中の誰でもなく、僕自身が“加奈子”という【悪魔】に魅了されてしまっていたのだ。  こつ然と消えた己の娘・加奈子を探し求める主人公。 演じる役所広司の脂ぎった表情が、娘の悪魔性が明らかになるにつれ油分どころか水分さえも消え失せ、渇いていく。 父親は娘の生存を終始望むが、その「理由」と「目的」は絶望と共に変わっていく。  この映画を拒否する人を否定するための論理が見出せないのは、この映画そのものに論理など存在しないからだ。 即ち、悪魔が悪魔であることに理由など無い。 言い換えれば、悪魔が悪魔であることに罪悪など生じる筈も無い。 “それ”が、娘であろうと、恋人であろうと、友人であろうと、教え子であろうと、出会ってしまった以上、憎むべきものは魅了された己自身と人生そのものだ。  この映画は、そういった嫌悪感も、おぞましさも、吐き気すらも“エンターテイメント”として悦楽に浸るべき作品なのだろうと思う。   拒否に対して決して擁護は出来ないし、心から薦めることも出来やしない。 ただし、コレがとんでもないものであることは間違いないし、ならば唯一無二の映画であることも否定しようがない。  この正真正銘クソッタレな映画に狂わずにはいられない。
[映画館(邦画)] 10点(2014-07-03 23:58:08)(良:2票)
12.  かぐや姫の物語
今まで観たことがないアニメーション表現、そして、それに伴う今まで感じ得たことのないエモーションを感じられる、日本の、いや世界のアニメーション映画史に残る作品であることは、間違いない。 線と色、そして空白からなるアニメーションの「真髄」を導き出し、そのまま象ったかのように構築された類い稀な映画であろう。  何の迷いも無く、「賞賛」に値する。 しかし、「じゃあ、面白かったか?」と問われると、素直に首を縦に振ることは出来なかった。 映画とは、奥深く、難しいものだと、つくづく思う。  もちろん、他のジブリ映画の例に漏れず、この映画もこの先何度も繰り返し観ることだろう。 そして、他の多くの作品と同じように、観返す度に新しい発見をし、評価が深まるに違いない。 しかしながら、映画鑑賞という行為の価値は、初見時に集約され、殆どの作品はそれに決するということもまた事実。 であるならば、この“初見”で真っ先に頂いた感情を誤摩化すわけにもいかず、「物足りない」と言わざるを得ない。  期待し、想像を膨らませていたイメージよりも、ずっと普通の「竹取物語」だった。 「かぐや姫の物語」と堂々と銘打っているわけだから、描かれるものが「竹取物語」で悪いはずもなく、製作者の真っ当な意向に難癖を付けることは、甚だお門違いだとは思う。 ただ、個人的な期待感は、これまで見たことが無い“かぐや姫”の物語、そして知り得なかった「竹取物語」の真相のようなものに対して突っ走ってしまっていたのだと思う。  だから、あまりに真っ当な「竹取物語」を目の当たりにして、落胆に近い感情を持ってしまったのだと思う。   言うまでもないことだが、高畑勲という日本のアニメーション界の大巨星が渾身のエネルギーで生み出した世界観は、もちろん素晴らし過ぎる。 描写の一つ一つに息を呑み、感動したことは確かなことだ。老若男女問わず日本中の人が観て、愛されてほしい作品だとも思う。  ただし、一個人の勝手に違った方向に膨らみ過ぎた期待にほんの少し沿わなかったという、ただそれだけのことだ。 
[映画館(邦画)] 7点(2013-11-28 17:10:37)
13.  紙ひこうき
ディズニー映画「シュガー・ラッシュ」の同時上映短編アニメーション。 たった7分という時間の中で、無限のドラマ性と、エモーションを生むのは、アニメーションならではの「チカラ」だと思う。  「街中で紙ゴミを撒き散らかし過ぎだろ!」とか、「そんな嫌々仕事したらそりゃ上司から嫌な顔もされるよ!」とか、もちろんそんな無粋なことを言うべきではなく、ファンタジックな小さなロマンスを堪能すべき。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2013-07-31 15:20:08)
14.  風立ちぬ(2013)
「狂おしい」  ストーリーそのものは、とても古風でオーソドックスに見えるけれど、過去の宮崎駿作品のどれよりも、もっとも“狂おしい”までの感情に埋め尽くされた映画だと思った。   映画世界に対峙し、己の理屈においては明確な拒否感を感じている筈なのに、涙が溢れて止まらない。こんな映画は初めてかもしれない。  その“拒否感”の大部分は、「主人公」に向けられたものだったと思う。 この映画の主人公は、善人で、優秀な好青年である。 ただし、同時に「変人」であることも揺るがない事実だ。 堀越二郎と堀辰雄、実在した二人の人間に「敬意を込めて」と謳っているが、この映画で描かれる主人公の姿は、明らかに宮崎駿自身の投影であり、その「変人」ぶりにそのすべてが表れていると思う。 そういう意味では、この映画が過去作のどれよりも宮崎駿にとってパーソナルな作品であることも確かであり、それ故の“狂おしさ”なのだとも思える。  主人公の言動を理解し難い面は多く、主人公は世の中のすべての人から非難されてもおかしくはない。 しかし、主人公自身が自分を呪ったとしても、彼が愛したヒロインだけはどこまでも彼を守り愛し抜くだろう。 ならばそれがすべてだ。  余命幾ばくも無い病床の妻を囲い仕事に没頭する主人公も、養生を放棄し命を縮めても夫のもとで過ごしたヒロインも、その姿には、少し狂気じみたものを感じる。  彼らは二人の間に確実にあるはずの“障壁”なんて何もないように、繰り返しキスをして、そして愛を営む。 この「幸福」は二人だけのもの、そしてこの「悲哀」も二人だけのもの。 そこには、“観客”も含めて、周囲の他人が入り込む余地は全くなかった。 その二人の姿は、あまりに独善的で、歯がゆいけれど、何よりも美しく、涙が溢れた。  そう、この映画の主人公、そして宮崎駿自身が追い求めたのは、“美しさ”以外の何ものでもない。 誰に理解されなくとも、自分自身にとっての「美」を最後の最後まで追い求める。 この映画は、そういう“彼ら”の生き方における「覚悟」を描いた作品だと思った。   「ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれどしあわせ」  あまりにもはまり過ぎている荒井由美の「ひこうき雲」が延々と頭の中をめぐる。   映画館を出た。真夏の太陽が眩しかった。 空の青は、少し、“狂気的”に見えた。
[映画館(邦画)] 10点(2013-07-20 19:33:13)(良:7票)
15.  華麗なるギャツビー(2013)
野望、欲望、羨望……言い方は様々だけれど、人間は誰しも大なり小なりの「望み」を抱えて生きている。  この映画は、世界中の誰よりも、自分が抱いた「望み」を追い求め、そのすべてを実現しかけ、つい果てた男の物語だ。 絢爛豪華に見える人生の中にひた隠されたこの男の本質は、あまりに哀れで、哀しく、だけれどもほんの少し羨ましくも思う。  虚栄と退廃に塗れた“クソ”のような世界において、ギャツビーという男の生き様にこそ唯一無二の「価値」があった。 その生き様は、時に笑ってしまうくらいに無様だけれど、そこにはたった一つの「目的」のために生きた人間の、人間らしい純粋さが満ちていた。 だから、世の中のすべてに馬鹿にされようとも、最後の最後まで「望み」を信じ続けた彼に羨ましさを感じるのだと思う。  ただその一方で、彼以外の、クソのような世界で生きるクソのような人間たちのことを無下に否定することもできない。 ギャツビーにとって最大にして唯一の「望み」であり「夢」であった“麗しの君”も、結局は卑怯で醜い人間の一人であったわけだけれど、誰が彼女の“選択”を否定出来ようかと僕は思う。  自らの娘の将来を案じて「女の子は美しくて馬鹿なほうがいい」と、彼女は言う。 それは彼女自身が、虚栄の極みの中で生き、それに頼らざるを得ない人間であるということを自覚していることに他ならない。 ある意味では、彼女もまた己の「望み」を貫き通した人間の一人だったのだと思う。  結局、彼女は孤独に果てたギャツビーに一瞥もくれずに去っていく。 非常に冷淡で愚かしく見えるけれど、あの時代、あの環境において、そのスタンスこそが彼女にとっての生き抜く術だったのだとも思える。   愚かな程に美しいこの映画のすべてのシーンがオーバーラップしてくる。 「夢」に対してすべての手筈を整えたギャツビーの満面の笑み、ニックが抱いた尊敬と羨望の眼差し、愛する人のキスを待つデイジーの麗しさ……。  誰もがただただ「望み」に対して懸命に生き、結果として大きな大きな“悲哀”が残ったということ。その人間ならではの、儚くも果てしない無情さに感極まった。  最高の演技、最高の音楽、最高の映画世界。もう他に何も要らない。
[映画館(字幕)] 9点(2013-06-27 12:33:02)
16.  鍵泥棒のメソッド
「メッソド(method)」の意味は、方法・やり方、順序・筋道、規則正しさ・几帳面。 そして、役に没頭しその人格になりきる演技プランのことをメソッド演技という。  それらすべての意味合いを織り交ぜたストーリーテリングが、やはり面白かったと思う。 「運命じゃない人」「アフタースクール」と、傑出した娯楽作品を立て続けに生み出してきている内田けんじ監督ならではの世界観で、そのエンターテイメント性は安定している。 また、“そういうお話”を描くにあたり、堺雅人化×香川照之という今や日本の映画界を席巻するこの二人のキャスティングは、あまりにも間違いがなく、そりゃあ面白く仕上がらないわけがないという感じだった。  特に昨今の香川照之の相変わらずの好調ぶりは、凄まじいとすら思える。 記憶を無くした完璧主義の殺し屋が、突如自称役者の駄目男の人生に放り込まれ、持ち前の几帳面さで役者道を邁進しつつ、ラブコメに突入する様を映画の世界観にフィットした存在感で見事に演じてみせている。 今はや彼のスケジュールに沿って国内作品の製作スケジュールは確定しているという噂も、納得せざるを得ない。  堺雅人演じる主人公の言動が多少コント的過ぎる部分もあったが、一方で広末涼子演じるヒロインには新たな魅力が引き出せており、トータル的に見て、正しい娯楽だったことは間違いない。 今の日本にはそういう真っ当な娯楽を描き出せる人は想像以上に少ないと思う。 オーバーアクトが基本路線の映画に仕上がっているので、この主要キャストでそのまま舞台作品に置き換えても、素晴らしい作品となるだろうとも思えた。  ただし一方で、もう少し毒っ気があっても良かったかなとも思う。 コメディなので、この顛末自体はまったく問題はないのだけれど、ライトさが全面に出ているので、クライマックスの顛末における緊迫感は欠けていたように思える。 クライマックスのやり取りは、実際のところ生死を左右するものの筈なので、もう少し緩急を付けて締めるところは締めてくれると、より作品のライトさが良い意味で際立ったと思う。  ともかく、この監督は次回作も充分に期待出来る。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-05-27 23:51:17)
17.  仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ
「仮面ライダー」なんてまともに観たのはもう何年ぶりだろうか。 人によれば、ある程度大人になっても好んで見続けている人も多いようだが、個人的にはそれほどこの“ヒーローもの”にハマったという記憶はないので、映画版なんて観たのはもうほんとうに幼少期以来だろうと思う。  まず感じたのは、最近の仮面ライダーはこれでもかという程“派手”だということ。しかも、この「W」というシリーズはコンセプトがピザ屋で言うところの“ハーフ&ハーフ”なので、そのビジュアルの派手かましさはこの上ない。 「BLACK」だとか「RX」の比較的シンプルなデザインの仮面ライダー世代の者としては、どうしても「これ、カッコいいのか?」と疑問符を投げかけてしまうが、これが今の世代の子供たちにウケているのであれば、それが正解なのだろう。  近年の特撮ヒーローものの中では、「アクションシーンが抜群に良い」という評判をあちこちで聞いたので鑑賞に至った。 なるほど、確かに各アクションの切れ味は良く迫力があった。前日にドニー・イェンの映画を観た直後でも充分に鑑賞に堪えたことを踏まえても、そのクオリティーの高さは間違いないだろう。  ただ、仮面ライダーに限らず、昨今の特撮ヒーローもののワンシーンを時々観て常々感じることだが、「変身」のために必要なメカやツールがあまりにゴチャゴチャとし過ぎじゃないかと思ってしまう。 この仮面ライダーシリーズに至っても、タイトルにもある“ガイアメモリ”という大きめのUSBメモリーみたいなツールが変身のための要となるわけだが、それが敵味方両方で入り乱れるように行き交い、次第にこれは一体何の戦いなんだと思ってしまった。 こういうのは、明らかに玩具メーカーの策略で、関連グッズを子供たちにバンバン買ってもらおうという魂胆が見え見えなので、ついつい訝しく見えてしまう。  まあそういうつまらない“大人目線”をしてしまう時点で、もうこういう特撮ヒーローものを観る「資格」はないのかもしれない。
[DVD(邦画)] 5点(2012-11-05 17:38:33)
18.  外事警察 その男に騙されるな
仕事として「嘘」をつくプロフェッショナルがいるのならば、それは「真実」を生み出すことが出来る人間のことなのだろう、とこの映画を観て思った。  「公安の魔物」と称される渡部篤郎演じる主人公の生業は、まさに「嘘」を操り「真実」を作り出すことである。それはもちろん「捏造」と言えるが、それが本当の意味でまかり通ったなら、その時点で「嘘」は「真実」に転じる。 このポリティカルサスペンスのエンターテイメントの醍醐味は、「嘘」と「真実」が表裏一体に存在する社会の真相そのものだと思う。  まずテレビドラマシリーズの評になるが、「公安」しかも国際案件を担う「外事警察」という存在を、これほどメインに描いたドラマはこれまでなかったので、その題材自体が新鮮であったことは言うまでもない。 実際に描かれるドラマの世界観において、どこまでのリアリティがあるのかは一般人には判別が付けきれないが、安直な娯楽性に走らず、たとえ“地味さ”が先行しても「現実感」を優先したドラマづくりはNHKならではで、クオリティーの高さを保っていたと思う。  そして満を持しての映画化。キャラクター設定や基本的展開の説明省略等、テレビシリーズを礎にして成立している映画作品であることは否めない部分があるにはあるが、そういう部分をさっ引いても、充分な質の高さと、これまでの国内のサスペンス映画にはない新しい緊張感を備えた作品に仕上がっていると思えた。  今作はキャスティングが素晴らしい。 渡部篤郎をはじめとするメインキャストはもちろん、今回の映画作品においても田中泯や真木よう子の起用とその配役は抜群だったと思う。両者とも大河ドラマ「龍馬伝」の主要キャストであり、NHKの息のかかったキャスティングであることは明らかではあるが、そう言う部分の“間違いなさ”も流石だと思う。  ストーリーとしてはやや様々な要素を詰め込み過ぎている印象もあり、そのせいで主要キャラクター同士のドラマ性が希薄に映ってしまう感もあるにはあるが、ポリティカルサスペンスの娯楽性という部分では充分なクオリティーを示していると思う。  ラスト、立て続けに映し出される「真実」と「嘘」の関係性などは、テレビシリーズを観ている者として薄々感づいてしまう部分ではあるけれど、それでもニヤリとしてしまうし、陰に隠れて見えない主人公の表情で締めるラストカットは思わず唸ってしまった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-06-17 17:07:13)
19.  カウボーイ&エイリアン 《ネタバレ》 
「カウボーイ&エイリアン」なんてふざけたタイトルを掲げ、ダニエル・クレイグ&ハリソン・フォードという新旧のワイルド・ガイを競演させたこの映画が、エンターテイメント大作としてどうやってまとまっているのだろう?という疑問が、この映画に対する最大の興味だった。 その答えは、端から大作として綺麗にまとめる気なんて更々ない“とんでも映画”だということだった。 つまりは、“カウボーイ”と“エイリアン”を共存させたこの映画が、良い意味でも悪い意味でも、真っ当な映画である筈がないのだ。  当然ながら、“酷評”しようと思えばいくらでも出来る映画だろう。しかし、この映画の場合、もはや酷評することすらナンセンスに思える。 序盤から怒濤の突っ込みどころが散りばめらるが、ミステリアスなヒロインが炎の中から蘇るシーンを境にして、心の中で突っ込みを入れ続けている自分自身が馬鹿らしく思えてくる。 むしろ、このハチャメチャな世界観を馬鹿になって楽しむべきだろうと、心のシフトチェンジが起きる。  そこからは、オーソドックスな西部劇としてシンプルに楽しむことが出来た。 記憶を無くしたヒーロー、秘密を知るヒロイン、心に傷を負った老戦士、土着民族と盗賊らが、共同戦線を張り共通の「外敵」に挑む。この映画のプロットはそういう非常にありふれたものなのだ。 その敵が、今回はたまたま“エイリアン”だったということに過ぎない。  SF的な視点で見てしまうととてもじゃないが目も当てられない。 でも、大いに強引ではあるけれど、新しい要素を取り入れた西部劇として見れば、最終的には何だか悪くない映画に思えた。  決して褒められた映画ではないが、娯楽映画だからこそ許されるこの馬鹿馬鹿しさは、嫌いじゃない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-03-27 16:23:40)(良:1票)
20.  カンフー・パンダ2
この“パンダカンフー映画”シリーズを立て続けに観て思ったことは、最新アニメーション映画において「声優」のキャスティングはこれまでとは少し違った意味で重要になるなということだった。 一昔前までは、客寄せのために著名な俳優を声優としてキャスティングするよりは、本職の声優を起用した方が良いと思っていた。  しかし、アニメーション技術の更なる進化により、造形されるアニメキャラクターの言葉遣いや仕草までもが、声優を担当する人間そのもののキャラクター性に合わせられるようになった。 詰まる所、映画の中で動き回っているのはデブのパンダだけれど、それを演じているのは明らかにジャック・ブラックだと思わずにはいられなくなった。 もし、何らかの事情で、このデブパンダの声をジャック・ブラック以外の人間がやることになってしまったら、その映画はもの凄くチグハグで違和感たっぷりの映画に成り下がってしまうだろうことは容易に想像ができる。  もはやこの映画はアニメーションだけれど、ジャック・ブラック主演でアンジェリーナ・ジョリーやダスティン・ホフマンらが脇を固める映画シリーズだと言わざるを得ない。 アニメーション映画のクオリティーはそういうレベルにまで達しているのだということを改めて感じる質の高い映画であることは間違いない。  ただし、そういったアニメーションの高い技術や、ハリウッドの一流俳優たちが演じるキャラクターの安定感に対して、ストーリーそのものにあまりに意外性がないことも事実。 「王道的」と言えばそうかもしれないが、だからと言って面白味が薄いのであれば、それはやはり問題だろう。 前作に対して、主人公には劇的な成長は無いし、敵役やその他キャラクターとの対立構造も薄い。  更なる続編も企画しているのかもしれないが、ストーリーにひねりや毒っ気がもう少し無ければ、尻つぼみになってしまうことは避けられないだろう。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-01-29 11:23:24)(良:1票)
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