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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  事故物件 恐い間取り 《ネタバレ》 
原作を読んでいないので比較できないが、実話とされているものをベースに映像化した感じは出ていて、全体的な印象としては悪くない。芸人の業界らしいドラマもあり、ホラーにしては特色ある劇中世界ができている。  映画的な趣向としては、物件を渡り歩くうちに悪しきものがついて来て、4軒目に至ってヤバさが頂点に達する形になる。クライマックスの対決は盛り上げ過ぎのようだったが、もとの怪談本をそのまま再現したのでなくホラー映画として作ったわけなので仕方ない。最後は一応ハッピーエンドかと思わせておいて、ホラーらしく後味の悪さを加味した終幕になっている。 好んで事故物件に住むなどろくなことにならない気はするわけだが、原作者本人は特に支障なく今に至っているようなので、必ず何かヤバいことになるわけでもない。この映画でもラストの展開からすると、仮に周囲で何かヤバいことが起きたとしても、結果的にこの二人は何とかなるのではと思ったりした。ついて来ていた銀河帝国皇帝のようなのは二人の生命を縮めるものかも知れないが、場合によっては守護する側に回ることもあるかも知れず(「恐怖新聞」の配達人のように)、また笑いで二人の生命が延びれば相殺して余りが出る可能性もある。  その他現実問題として、外国人は事故物件でも気にしないことがあるそうなので、住む人の心持ち次第という面は確かにある。映画では一般の不動産屋に担当者がいたようだが、現実世界では事故物件を専門的に取り扱う事業者もいるようで(高齢者と外国人向けなど)、そのような動きを通じて物件の適正な流通が促されるのはよいことだ。実在の事故物件公示サイトの運営者もそのようなことを言っていた。 ほか出演者では江口のりこさんが魅力的な登場人物になっている。メイクアシスタント役の奈緒という人もいい感じを出していた。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-04-13 15:44:59)
2.  シアター・プノンペン 《ネタバレ》 
カンボジアのポル・ポト政権時代(1975-79)を振り返った上で未来に向かおうとする映画である。制作時点から40年近く前のことなので、当時を知る人々と若い世代が認識を共有できるように作ったかも知れない。また映画を扱った映画として、かつてカンボジアに豊かな映画文化が存在していたことも伝えている。ラストに「追悼」として、悲惨な時代に生命を落とした映画関係者などが紹介されていた。 映画紹介を見ると単純にわかりやすい話かと思えばそうでもなく、けっこう複雑に展開して意外な結末を迎えることになる。物語上の難点として、映画館の親爺の企みとか何度も都合よく撮影ができたこと、また最後の映画公開に現実味がなく、特にこんな結末で観客が満足できたのか(:娯楽映画の延長として受け取るのは難しい)といったことはあるが、最後の主人公の言葉に真実があったのでよかったことにする。  映画の主目的は革命勢力の非道を告発することではなく、当時の再現映像はあるが残酷な場面は限定的である。それより主に現在との関係を扱っているが、注意すべきなのは一般民衆全部が必ずしも一方的に被害者ではなかったことである。この映画でも、当初は革命勢力を歓迎した者や実際に革命勢力の一員として民衆弾圧に加わった者、さらには私怨が動機で密告により人を死なせてしまった者もいて、これは現在の社会の実情を反映していると思われる。 一方で若い世代の主人公は、いまだに女性を縛る社会への反発が映画撮影の原動力になったようだが、始めてみれば当初の想定とは事情が違い、また人も社会も単純に割り切れるものではないことがわかってきて、広がった視野のもとで新たなメッセージを込めた映画を完成させたようだった。主人公の主体性と行動力が自分と彼氏の未来を開拓し、また過去の記憶に縛られた人々も解放して和解させた形になっていて、若い世代が持つ力への期待が表現されている。極めて誠実で良心的な映画だった。  その他、主人公の彼氏は銃器に頼って虚勢を張るくだらない男だったが、他の人格を演じることを通じて視野が広がったのが更生を促したと思えばいいか? 演技を学ぶことは人格向上にも役立つという考え方が背景にあったかも知れない。 また、かつて人を死なせた男が悪事を悔いて、覚悟を決めて行った先がどこかと思ったら、なるほどと思わせる結末になっていて感心した。この近辺の国々ならではの決着のようだが日本でもできなくはないか。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-03-16 10:00:43)
3.  島にて 《ネタバレ》 
山形県の離島・飛島で2018~19年の1年間に撮影されたドキュメンタリーである。季節ごとの自然景観や家々の様子が映されていて、特に海の向こうに鳥海山が見える映像が多く、海を隔てて鳥海と相対する島との印象を出している。また細かいところでは魚を模した盆飾りを映したのが目を引いた。 登場する人々はみな温和な感じに撮られていて和まされる。島の現状としてはいろいろ大変だが、その上で今後は何をどう考えて何に期待するのかを問う映画になっていて、最後は少ししんみりさせられた。 なお共同監督の田中圭氏は対談動画など見るとなかなか感じのいい人のようで、映画の中では80歳の漁師の人物に「圭ちゃん」と呼ばれていた。  島の現状としては当然ながら厳しいものがあり、今までのように漁に出て、あるいは裏山で畑を作るといったことが高齢のため続かなくなってきている。最後の中学生も、その中学生に漁師になれと言ったのも実は外来者の一家だった。親の生業を継ぐなと言われるのは農山村でも同じようなもので、また都市部に家があるのも山村住民などではあることだろうが、離島であればなおさらだという気にさせられる。漁業するにも島に住む必然性はなく、酒田に住んで漁に出ていることが多いらしい。 新しい動きとしては「合同会社とびしま」というものがあり、バーベキューイベントはこの年限りで終わったようだが、地元報道によれば簡易水道の管理やIT技術を使ったプロジェクトにも取り組んでいるらしい。最近は東京都の離島・青ヶ島出身の人も所属しているようだった(2023.9.1山形新聞記事)。  今後のことに関しては、そもそもこんな場所に人が住む必要などあるのかという極論も出そうだが、しかし山に人が住まなくなればクマが降りて来るように、島に人が住まなくなれば外敵が入り込む恐れもある(日本海側は昔から危ない)。また観念論になるが、学校の場面で出ていた憲法第22条第1項の居住・移転の自由の広がりを維持するためにも、従来の居住地を捨てないようにしたいという考え方はありうる。 この映画としては、要は昔からの地域社会を維持しようとするよりも、合同会社のように外から来た人々を含めたコミュニティを作っていけばいいということか。実際住むとすればここに生まれたか、その他何らかの理由でここを特別な場所と感じる人々ということになるが、一度外に出た人々が戻るのもいいとして、合同会社のメンバーには地元の大学卒の人もいたようで、地方の大学の存在がこういう場所に目を向けるきっかけになることはあるかも知れない。 何にせよ若い人々の「やってみたい」(前掲記事)に期待しようということだ。悪いことばかりとは限らない。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-01-06 10:14:45)(良:1票)
4.  シン・仮面ライダー 《ネタバレ》 
今回はオープニングで東映のロゴが出る。仮面ライダーは対象年齢が自分より少し低かったので、リアルタイムではあまり熱心に見ておらず思い入れもそれほどない。 アクション場面では、序盤で崖の上から飛び降りるとか唐突な場面転換などは元の雰囲気が出ているが、その後は映像効果を多用した独自のダイナミックな映像を作っている。最後は単なる取っ組み合いの喧嘩になっていたが意図があってのことと思われる。  敵組織の目的が「人類の幸福探し」であるからには、「幸せって何?」を問う映画かと思ったら「最大幸福」は放棄したとのことだった。昔あった「最小不幸社会」の再現かと思ったが、しかしそれより進んだ現代的感覚として、不幸な人々の救済のためにはその他大勢にどれだけ負担や犠牲を強いても構わないという価値観のようでもある。その上さらにこの映画では、絶望した個人を敵組織が適当に選抜して強大な力を与え、当該個人の趣味嗜好で勝手に幸福を追求させることにより、その他大勢どころか社会全体に破滅的被害が及ぶ恐れが生じていたらしい。いわば不幸最強社会ということで、善なる意図を標榜しながらも、まるで社会の破壊自体が目的になっているかのようなのは嘆かわしい。 出て来た連中はほとんどテロリストだが、うち0号の男だけは本当に人類の幸福を目指していたらしい。しかし政府の男が言ったように「絶望の乗り越え方」は個人により違うのであって、全部まとめて処置すれば問題解決というのは間違っていることになる。最後の戦いで本郷は、社会の破滅を阻止すると同時に個人の救済にも手を貸していて、それが常に可能とも限らないがそういうことを彼は目指したのだと思われる。幸も不幸も人によって処方箋は違うはずだということだが、ちなみに「幸せって何?」に関してはルリルリの話がけっこう本質をついていた。追伸が泣かせる。 もう一つ、この世界で信じられるものがあるとすれば組織でも主義主張でもなく個人の単位でしかないのであって、そのためには誰をどこまで信じるかの見極めが大事と言っていたようでもある。ルリルリと一文字は本郷を信じ、また政府の男らをも個人としては信じようとしていたらしかった。ほか本郷が「自分の心を信じる」と言ったのは、自分がもともと持っていた良心の根底部分をどういう状況下でも失わないと決意したのかと思った。信ずべきもののわからない人類社会で、個人の心の持ち方を提言しようとした映画と取れる。 最終的には本郷の誠実さと一文字の反骨精神をもって戦うヒーロー像が実現し、とりあえず当分このまま戦いが続くらしいが、仮にこれが1年間のTVシリーズだったとすれば、最終回で人工知能が何をするかが問題になるのではないか。ロボット刑事がずっと見ていて人間の行動に関心を持ったりしていたので、その観察結果をもとに人工知能が本郷と同じく自分を変える結末だったらハッピーエンドになるかも知れない。それまでは見るのもつらい戦いになりそうだが、一文字が陽性で打たれ強そうな男なのは救われる。  以下その他雑記: ・全体的にシリアスで笑わせる場面は基本的にないが、大阪でいうとされる「知らんけど」のような台詞を浜辺美波さんが言っていたのは、制作側と若い世代の断絶を自虐的に表現したようで微妙に面白い。古い世代の常識?とされた赤いマフラーはけっこう感動的な使い方をされていた。 ・SHOCKERのSがSUSTAINABLEなのは今っぽいので笑った(偽善的)。浜辺美波さんもここは憶えにくかったのではないか。 ・キカイダーとロボット刑事は、日本語文中の英語を機械的に英語の発音に置き換えればいいと思っていたようで、各国事情に配慮する気のないグローバルな雰囲気を出している。 ・個々の改造人間についてはコウモリ→ウイルス→科学者、パリピ+薬物?といった現代的事象もあるがハチ→女王様はわかりやすい。それぞれの絶望の理由は必ずしも明瞭でなかったが見る側で察してやれということか。三種混合は単なるバカ(哀れな奴)。 ・一文字はかつて仲間を失う経験をして絶望し、自分は孤独が向いていると思い込もうとしていたが、今回の件でまた仲間を求める方向に転換したようで、この男の救済にも本郷が手を貸したことになる。政府の男らは機器類のメンテナンスその他に欠かせない連携先であり(なんと米軍まで動かしていた)、どこまで信じて協力できるか見極める力を一文字は持っている。 ・「シン・ゴジラ」「シン・ウルトラマン」に続いて体臭の話題が出ていたが今回は男だった。ニオイフェチとかは関係なく彼が人間であることの証拠と思われる。
[インターネット(字幕)] 9点(2023-11-11 15:10:57)(良:1票)
5.  シン・感染恐竜 《ネタバレ》 
本編の前後両方に長々とクレジットが出るので人名を見せるための映画なのかと思う。また主要キャストの名前がスタッフの名前にも出ていたりして同好会レベルを思わせる。 監督は毎年こういうクズ映画を量産しているようで、映画間でキャラクターが共通していることもあるらしい。台詞にあった「5Gゾンビ」や「殺人スズメバチ」、また本編の前・中・後に出た魔女風の案内役も同監督の別映画に出ていたものらしいが、今回特に説明もなかったのは観客も常連化しているからと思われる。この映画からは「Ebola Rex Versus Murder Hornets」(2021)に続いたと思われるが、そういうのにどこまでもついていく連中がいるということか。 実感として見れば見るほど損失が累積する映画だったので、こういうのは0点でいいのではと思った。アメリカ映画の最底辺を見た気がする。
[インターネット(字幕)] 0点(2023-11-11 15:10:55)
6.  呪餐 悪魔の奴隷 《ネタバレ》 
「悪魔の奴隷」(2017)の正統な続編である。「夜霧のジョギジョギ」(1987)はともかく前作を見ていないと厳しいかも知れない。 大まかにいうと主人公の家族は悪魔に狙われていて、前回は戸建ての自宅で恐ろしい事件が起きたが、そこから逃げて住んだ高層アパートが実は悪魔教団の拠点のような場所だったということらしい。この家族を助けようとした男は前回も出ていたが、実はこれがオカルト雑誌「MAYA」の創刊者であって、都市伝説の形で世間に悪魔の脅威を警告していたことになっていた。またラストで出ていた男女は、前回は悪魔側のエージェントのようなものかと思ったが今回も正体不明のままで終わった。  劇中年代としては冒頭で1955年の場面を見せた後、本体部分は前回の事件から3年後の1984年ということにしている。映像が茶色いので前回よりかえって古く見えるが最初だけである。 前回はけっこう考えさせられるミステリー調の展開だったが、今回は趣向を変えて単純に面白がらせる映画にしたようで、主人公の家族や周辺住民をさまざまな手で怖がらせたり悲惨な目に遭わせたりするお化け屋敷ホラーになっている。舞台の高層アパートは、外観はシンプルだが内部は結構複雑な構造でお化け屋敷にふさわしい変化を出している。 登場人物中に中学生くらいのガキ連中がいるので「学校の怪談」のようでもあるが女子にも容赦ないので安心できない。かなり悲惨な場面もあるがグロくは見せず、叫んで騒いで笑わせる場面もあってドタバタコメディのようでもある。 ストーリーとしては、何か破滅的な大事件が起きそうでいて結局何だかわからないまま終わってしまったが、これはオカルトライターやラストの男女の言葉からすると要は次回作を待てということらしい。そのほかバンドン会議(1955)との関係や、その他前作を見ていても意味不明な点は多々あるが、次もあるなら考えなくてもまあいいかと思わせる雰囲気もあり、制作側の意図のとおり(多分)単純に面白がらされる映画だった。  出演者も前回と全員同じで、主人公(姉)には次第に愛着がわいて来たので次回作での登場を待ちたい。弟らは少し年齢が上がって(+5程度)クソガキ的な雰囲気が濃くなって来ている。またラストで正体不明の女性がちゃんと顔見せしていたのは嬉しくなったが、今回は最後に観客の方を見てくれなかったのが残念だった。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-08-19 09:54:22)
7.  心霊写真部 リブート〈web〉 《ネタバレ》 
2010年代にニコニコ動画で人気の出ていたホラーシリーズの最終作に当たる。前回の「劇場版」で「続編があれば見てもいい」と書いておきながら見ていなかったので気になっていた。今回は主人公役と屋上の少女役がまた交代したが他の人物役は共通で、ほかに新キャラクターとして映画研究部の2人を入れたのはPOVの雰囲気を出すためか。二話構成のためオムニバスとしては貧弱だが「劇場版」と同じではある。  【第一話 廃墟】 「心霊写真部 壱限目」の第1話「廃墟できもだめし」のリメイクらしいが、上っ面をなぞっただけのようで一見客には意味不明ではないか。前回より時間は長いようだが中身は薄まって気の抜けた感じにできている。 【第二話 消えない顔】 新作だが話として面白くない。高校生の素人映画を見せられている部長の表情をちゃんと笑えるように見せてもらいたかった。 なお撮影場所が茨城県水戸市の中心街というのは珍しい。心霊写真部のある高校は本来「都立緑が丘高校」だったはずだが、今回は映画研究部の撮影場所も水戸市内の千波湖だったりして、実は最初から水戸の高校がモデルにされていたかのような意外感を出している。3階の窓から水戸駅北口周辺の街が見えている建物で、すぐ外に車や人が通行しているだろうと思われるのに、閉じ込められた人々が危機に陥るというシチュエーションは単純に面白かった。この前見た「シークレット・マツシタ」(2014)と似たようなものかも知れないが開放感が違っている。  全体的には前回の「劇場版」よりさらにレベルダウンした印象がある。今回もまた主人公の入部段階から繰り返しているが、その他シリーズ共通の各種設定がまともな説明もなく形だけ出ているようで実質的にファン限定映画になっている。これで「リブート」とは意味不明だが、とりあえず題名で何となく今後の期待を残しながら、実はそれとなくフェイドアウトしていくようなつもりだったと思うしかない。 ほか出演者として、今回主演の松永有紗という人は他のところでも見たことがあったようだが、レギュラー?の上野優華さんも安定的に可愛いので和まされた(もう7年も前の顔だが)。屋上の少女役の小宮有紗さんは文句なしの美少女で感動した。
[インターネット(邦画)] 3点(2023-07-29 08:18:10)
8.  シークレット・マツシタ/怨霊屋敷 《ネタバレ》 
「戦慄の日系ペルー・ホラー」などと書かれると見ないわけにはいかなくなる。「おぞましき日本の呪い」(笑)にもそそられる。配給は一部で有名なオカルトメディアTOCANAとのことで、松下さんは鑑賞無料にしたという適当なノリも悪くない。内容としてはペルーの著名な心霊スポットを扱っていて、ホラー映画というより怪談話や都市伝説の愛好者に受けそうな映画になっている。 所在地は、首都リマの歴史地区から少し外れているが都心部の目立つ場所にあり、Googleマップでみると「Casa Matusita/お化け屋敷/24時間営業」と表示されてクチコミが書き込まれている。当時の外観は映像に出ていた通りとして、内部の撮影はどこでしたのかわからないが、2階の窓から旧アメリカ大使館を映した場面は、実際に現地からならこう見えるだろうという映像になっていた。 外部情報によれば、この場所にあった日系人の会社は1950年代から2005年まで1階を借りていただけらしく、2016年には老朽化のため2階を取り壊した上で全体の改修工事をしたとのことである。現地報道によれば、本当の所有者としてはこの映画などの公開のせいで、根拠のない噂話がますます勢いづくことに嫌気がさしていたようだった。 ちなみに序盤で出ていた精神病院は都心部から南西5kmくらいの海際にある国立病院で、松下邸とは直接関係ない。ここに関わる有名な都市伝説というのはラルコ・エレーラの幽霊の女性(La mujer fantasma del Larco Herrera)というものと思われる。  物語に関して、予告編では「これは実話です。」とされているが、劇中の具体的な出来事に関してはウソに決まっている。ただし導入部のインタビューでは実際の都市伝説を結構まともに解説していて、細部はともかくこういう都市伝説が存在することは事実である。ここに出ていた人々のうち、Percy Taira(ジャーナリスト・ライター・詩人、YouTubeチャンネルあり)とFernando Vivas(ジャーナリスト・政治アナリスト)は実在のペルー人だというのが現実感を出している。 劇中人物が撮っていたのは卒業制作とのことだが、性質としては日本にもあった心霊番組の特集で、霊能者とともに現地取材して適当に騒いで帰るようなものを想定したと思われる。ホラーとして見れば取ってつけたような和風要素はあるにしても、基本は洋モノ風の物理的なドタバタが多く独創性もあまり感じない。しかし全体的な企画としての面白味は感じられたので、結果的にそれほど悪くは思わなかった。正直嫌いでない。  [参考]エンディングの曲が気になったので本気になって調べると、和楽器の音楽ユニット「びかむ(ビカム)」が2004年に出した「今は昔、~竹取物語~」というアルバムの曲であり、「果てしなき我が問いは…」は「月白み」、「屋根に千人、築地に千人…」は「その日、月輝き」から採っている。かぐや姫と帝の恋を中心に描いた作品とのことで、こんな迷惑系突撃ホラーにはもったいないまともな音楽なので紹介しておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-24 11:22:59)
9.  白く濁る家 《ネタバレ》 
登場人物が3人の低予算映画である。前年公開の米ホラー映画に似ているという噂のようで、確かに屋根裏部屋とか窓に何かがぶつかるとか唐突な顔写真といった個別の要素が共通するところはある(ゲゲゲハウスは出ない)。それより題名が「黒く濁る村」(2010韓)の真似だとすれば、それと同様の雰囲気で小スケールという意味になる(見たことがないので不明)。 ホラーとしては発想の独自性があまり感じられない。怖がらせの仕掛けとしては主に背景音楽での脅しだったように思われる。  話の本筋について無理に考えると、男は母親に一生懸命歩み寄ろうとしていたが結局裏切られ、またその婚約者が「完璧な家庭」を優先して、理不尽な結末を受け入れたことでも裏切られた形になり、踏んだり蹴ったりで存在を抹消されて悲劇に終わったということか。ほかに兄弟は腹違いではなかったのかとか、父親が死んだ時の経過についてなど、想像が広がる可能性もあるだろうが特に立ち入る気にはならなかった。 いろいろ考えがあるようで緩いようでもあり、中途半端な感覚で終わる映画だったが、構想段階ではもっと長かったのを短縮したというような事情でもあったのか。とりあえず最後の覚悟の表情が大事だと思っておけばいいだろうとは思った。  出演者に関して、藤本泉という人は「通学シリーズ 通学電車」「同 通学途中」(2015)の高校生役(ユカちゃん)しか見たことがなかったが(「鬼談百景」にも出ていたが映像が暗い)、今回見ると目に迫力があって華もあり、この人の存在が映画全体の価値を高めていた気がする。その相手役も「人狼ゲーム」シリーズで見た時の印象は残っていた。今後一層の活躍を期待する。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-10 10:00:09)
10.  親愛なる同志たちへ 《ネタバレ》 
ソビエト連邦時代の1962年に、工場労働者と市民の抗議活動が弾圧されて死者が出た「ノヴォチェルカッスク虐殺」を扱った映画である。劇中の出来事がどこまで厳密に事実なのかは不明だが、KGBが写真を撮っていた件など現在までに知られたことをもとにして、おおむねこんな感じだったかと思わせる話を作ってある。ただ本当の悪はKGBであって、軍は悪くなかったというのはこの映画独自の考え方なのか、そういう説が本当にあるのかは確認できなかった。 キャストとしては、主演の人が実際にこの場所の出身、その娘の役も近隣の別の町(北約100km)の出身だったらしい。  もともと主人公は、作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」で描写されたような、第二次世界大戦時に自ら望んで戦地に出向いた従軍女性だったらしい。戦後もその延長で共産党員としての地位を築いてきたのだろうが、しかし若い頃とは時代が変わり、自分の信じたものが否定されつつあることに苛立ちを感じていたと思われる。さらに今回の事件は主人公に破壊的な作用をもたらしたようで、これまで形成してきた党員としての人格がはぎ取られ、いわば剥き身の人間像が露出していたようだった。 主人公にとって社会が自分の望んだ姿でなかったとしても、生きるためには社会に合わせた外向けの人格を作り、その内部で本当に大事なものを守ろうとする意思を固める必要がある。ギャップの大きい多層構造の人格形成を迫られるのは不幸な社会だが、それでも心の奥底で大事なものを共有できる、いわば志を同じくする者と信じあう関係を作れるかどうかが重要だ、と言いたい映画なのかと思った。仮にKGBの男が信用できる人物だったとすれば、車を止めた軍隊の男も隠れた同志だったということかも知れない。 結果としては全体主義社会に生きる人間の苦難と、それでも失われない(失ってはならない)希望を描写した映画なのかと思った。また人間ドラマとしては主人公が脱皮を迫られた物語ということで、最後には労働者が酔っぱらう理由もわかったと思われる。ほか劇中では父親と主人公、その娘の三世代がそれぞれ違う世界観のもとにいたようだが、今回は主人公が父親の体験を別の形で再現したようで、いわば世代の順送りのようなことも表現された映画だったらしい。当然だろうが世代間ギャップはソビエト連邦にもあったのだと認識させられた。また個人的には「じきに死ぬ俺は幸せだ」という台詞は同感だと思った(まだ死なないが)。  音楽に関しては、美容院に流れ弾が飛んできた時に、背景に流れていた陽気でモダンな曲との対比が印象的だった。 また主人公が覚えていたTovarishch, tovarishch! という歌は、KGBの男が言っていたように映画の劇中曲(「恋は魔術師」1947年ソ連、原題「春」Весна / Spring、コメディ・ミュージカル・ロマンス)であって、現地では今も「春の行進曲」(Весенний марш)の名前で演奏されることがあるらしい。この明るい曲がエンディングに流れたのがまた皮肉のようでもあるが、これは戦争が終わって主人公が実際に感じた解放感の表現であって、これからの世界にも持ち続けていかなければならない希望の象徴だったと自分としては思っておく。 [2023/5/20追記] KGBの男が信用できるかどうかは、墓地での出来事をどう解釈するかで左右される気がする。自分の考えが間違っていないという前提で点数を1点上げておく。
[DVD(字幕)] 8点(2023-04-29 13:50:32)
11.  シン・ウルトラマン 《ネタバレ》 
ゴメスで始まりゼットンで終わる。映像面が旧作と段違いなのは当然として、そもそも荒唐無稽な怪獣モノに各種突っ込みを入れておいて「理に適ってる」とか言いながら言い訳していたのが微妙に可笑しい。巨大生物が繁殖もせず単体で生息しているかに見えるのは、もともと生物兵器だからということらしい。 また宇宙人(外星人)が組織的な動きでなく、単独行動で侵略しに来たようで小スケールに見えるのは、宇宙では個体で活動するのが普通だからということのようで、それで××星人という名前でないのかと思った。ちなみに個体で活動する宇宙人から見た地球人は、例えていえば人間から見たアリの群れのようなものかと思った(旧作のメフィラス星人がアリと言っていた)。  この映画では人類の特性として「群れ」を作ることを挙げていたが、別にそれが悪いのではなく弱いからこその事情であって、その群れの内部で支え合い、時には他人のために自分を犠牲にすることもある、ということだと思われる。また人間はウルトラマンに頼っていればいいのかという問いは旧作でも出ていたが、さらにこの映画では無力感が依存/服従につながることへの懸念を示し、求められるのが自律/自立であることを明瞭にしていた。 最終的に人類の未来は人類自ら担うことになったようで大変結構だが、それにしても劇中政治家が心許ないのはまことに困ったことで、ザラブというのが日本に来たのも世界で最もちょろい国だからでないのかと思った。どうもこの映画では最初から「国」という群れの単位を当てにしておらず、代わりに地球という「星」の人々に期待をかけていたようで、これは元の子ども番組に由来する考え方かも知れない。「シン・ゴジラ」が「この国はまだまだやれる」なら、今回は地球が”やればできる子”くらいの扱いではあった。 結末はよくわからなかったが最低限、ウルトラマンが仲間や相棒を大事に思ったというのは共感ポイントかも知れない。あまり楽観的に語ってしまうと現実味が薄れるが、あえていえば地球の人間と他星の人間が、史上初めて同じ群れの仲間になった物語ということか。あるいは遠い未来において、「光の星」にとっての地球という星が、挑戦者でも脅威でもなく対等な「バディ」になる日を夢見る映画だったとも取れる。 そのようなことで、古きよき怪獣特撮のリメイクということだけでなく、旧作のメッセージを踏まえて現下の内外情勢も反映し、現代なりの希望を語る映画に見えなくはない。またけっこう可笑しい場面が多いので娯楽性も高い。特に期待していなかったが悪くなかった。  以下その他雑記: ・劇中日本の対米関係は笑えない。/「鼓腹撃壌」という言葉に特定のニュアンスを込めていた可能性がある(不明)。/zero-sumが領土切取りのイメージとすれば、それとは違うwin-winの関係を目指すべきという考え方でもあったのか(不明、断片的)。 ・職場に趣味関係の雑多なものを持ち込んでいる奴がいて、サンダーバード・スタートレック・マイティジャックとSRIのトータス号は見えたがウルトラシリーズは存在しない世界になっていた。 ・山中に怪獣が出現する風景はウルトラマンらしい。「虫が多くてやだ」という台詞があったが、都市部にもいるハエ程度を嫌がるようでは甘い。山間の農地が破壊されていたのは痛々しいが、上手の水田は既に耕作放棄地だったようでもある。 ・子どもを保護すると言い出して山道を走る後姿は、何でお前が行くのかという突っ込みを誘うが、これはこれでお約束というか開き直りのおとぼけと見える。 ・特にザラブ編では、もとの番組の場面や展開がまともに生かされている。 ・「河岸を変えよう」というのが古風で粋だ。ここだけは「ウルトラセブン」第8話を思わせる場面で、オチも含めて圧巻の印象だった。これほど複雑に表情を作る宇宙人など怪獣モノにかつてあったか。 ・ウルトラマンの超能力として、1キロ先(だったか?)の針が落ちたのを聞き取るとは言われていたが嗅覚も犬並み?犬以上?だったのか。意識の高い宇宙人に悪態のネタを提供してしまっていた。 ・公安調査官役の人が好きになって来た。生物学者役の人もいい感じを出している。
[インターネット(邦画)] 7点(2022-12-31 10:12:24)(良:3票)
12.  死体語り 《ネタバレ》 
ブラジル映画である。場所はサッカーチームの名前や警察(サンパウロ文民警察)からして同国第一の大都会サンパウロである。Vila Gustavoという地名は主に中流層の住宅地だそうで、犯罪集団のボスがこの名前を聞いて怪訝な顔をしたのは、対立勢力の居場所として不自然だからと思われる。  最初は面白い設定で始まったと思ったが、結局最後は普通一般の心霊ホラーに移行してしまった感がある。死体と話せることの背景設定として、いわゆる霊魂というものが死後に身体を離れるのでなく、キリスト教でいう「最後の審判」までは遺体にとどまったまま墓にいる、という考え方ならユニークだと思ったが、劇中妻が家にまで押しかけて来たからにはそうでもないということか。あるいは墓にいられず神の世界にも行けない連中が、終幕時に外を歩いていたという意味か。 また「マーク」したのが誰かの説明はなかったが、少なくとも家族殺しを許さないのが神だというからには、キリスト教の神様がこの映画での行動主体として存在していたはずである。一方で序盤から神と悪魔について語る声が聞こえたり、TVの悪魔祓いを映したりして悪魔の存在を匂わせた上で、神がいるなら悪魔もいる、とまで言わせたからには悪魔も存在しなければ変なはずだが、悪魔の関与を明瞭にする場面は最後までなかったように見えた。例えば劇中の出来事を神と悪魔が分担していて、神が家族殺しの罪で主人公を見放してしまい、そこに悪魔が付け込んで破滅させようとしたのなら、劇中妻だけが極悪人であるかのように思わなくていいかと思ったが、そのように確信できる証拠もない。本来はそれなりに子のことを思っていたはずの母親(自分の無惨な姿を見せるなと言っていた)も死後に変わってしまったのなら残念だ。 なお題名に関して、原題は意外にも「死体は語らない」という意味である(nãoはnot)。これも例えば死体が話すように見せておいて、実は悪魔や神が話していたというなら間違っていないわけだが、実際はそうとも言えない場面が多かった。ただ少なくとも、全部が主人公の妄想だったというのはこの映画としてありえない。  そのようなことで、どのように筋を通そうとしているのかわからない映画だったが雰囲気は悪くない。最後に子どもらと一緒に助かった人物は最初から清楚系に見えたが、実際に信仰心の篤い真面目な人だったらしい。それにしても神だの悪魔だのと無関係にやたらに人が死ぬお国柄のようだったので、渡航時には十分注意してください。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-11-19 10:15:45)
13.  死の実況中継 劇場版 《ネタバレ》 
乃木坂46のメンバーが主演するホラー映画シリーズ3作の1つ目で、主演は能條愛未という人である。「劇場版」とあるが、ほかにOV版とかTV版とか小説版があるわけでもないらしいのは、同シリーズの「デスブログ 劇場版」「杉沢村都市伝説 劇場版」と同じである。 劇中の都市伝説は架空のもののようで、映画の冒頭から主人公(が演じる劇中ホラーの登場人物)が殺されるまでの一連の部分がそうだとすると、①まず人が死ぬ映像を見たことで呪われ、②その後に来たメールのアドレスを開くと「メリーさんの電話」風の展開になる、という順序になる。うち②で本人が普段使う道を何かが走って来る動画付きなのは悪くない。また“あなたの後にいるの”的な演出は少し怖かった。 ただ①②がスムーズに融合しておらず、題名の「死の実況中継」と、別の“赤い服の女”とでもいうべき話を無理に接合したように見える。またラストでこれが別の形で再現され、観客のところにも“赤い服の女”が来るという感じにしたかったようでもあるが、途中のメール受信が省かれていたのが半端な印象だった。動画チャンネルに貼られたリンクをそのままクリックする形ならよかったか。  当方としては気楽に見られる安手のアイドルホラーを期待していたわけだが、ストーリーは意外に面倒くさく作られている。理屈がよくわからないので適当にまとめると、主人公は進学後の新しい友人と先輩のおかげで高校時代の記憶の呪縛から逃れられるかと思ったが、旧友のせいで先輩と友人を失ってしまい(多分)、改めて自分の意志で立ち向かおうとしたにもかかわらず、結局は旧友との「共依存」関係に引き戻されて終わったように見える。呪縛はかえって強まってしまい、主人公が憎んでいた「理不尽」が続いたまま今生も来世も生き続けなければならなくなった、ということか。かなり真面目に作ったようで、同監督の「デスブログ 劇場版」よりはいいかと思ったが、褒めるには微妙な印象の映画だった。 キャストとしては、主人公役のアイドルは悪くない。序盤で錯乱する場面などはいきなり経験不足にも見えたが、登場人物の息を荒くして変な印象になるのはこの監督の特徴のようでもある(前記「デスブログ 劇場版」と「黒蝶の秘密」(2018))。なお劇中の映像サークルの人物像を結構作り込んでいたようだが、申し訳ないが見る側にとっては関心ない(全員まとめてバカ)。
[インターネット(邦画)] 4点(2022-09-24 09:44:46)
14.  シェラ・デ・コブレの幽霊 《ネタバレ》 
邦画「女優霊」(1996)との関係で名前だけが語られて来た幻の映画である。 大人が見れば最恐ホラーともいえないが、泣き声+背景音や幽霊の映像効果などはけっこう恐ろしげであり、また凄味のあるショッキングな場面が印象的だった。「女優霊」脚本の高橋洋氏のように、幼少時に見ればトラウマ級のホラーだったかも知れないとは思った。  ストーリーとしては意外にもミステリー風の作りになっている。怖そうな雰囲気を出す一方、訳あり風の家政婦とか電話線や小瓶といった小道具が単純な心霊ホラーに終わらない予兆を示している。 本来はTVドラマの試作版とのことだが、見ると登場人物のキャラクターが探偵ドラマらしく出来上がっていて、これは確かに連続ドラマの第1話にふさわしいと思わせる。主人公である探偵のところにオカルトじみた相談事が持ち込まれると、オカルトの対極にいるリアリストの探偵助手が仕掛けを疑って判断材料を提供し、それを受けた探偵が、現世的な因果も含めた全体像を解明して決着がつく、というのがシリーズを通じた基本パターンになりそうに見える。 主人公は超自然現象の存在を否定しておらず、むしろ心霊を侮る罪びとを破滅から救おうとしていたらしい。探偵助手も現実主義だからこそということなのか、実際起きたことは起きたものとして受け入れるスタンスだったのは好印象だった。“一番怖いのは人間”とはよく言われるが、それはそうとしても、だからといって心霊の存在が否定されるわけではないというようでもある。 最後はひっくり返った車をそのままにして終わりなどいい加減な締め方で、そもそも事の真相もよくわからなかったが(母親を死なせたのは娘だった?)、まあ次回もあるなら見たいという気にさせる内容ではあった。  登場人物では、今回のヒロイン役である奥様が美形で目を引かれた(脚もきれいに見せている)。また探偵助手の家政婦の人物像が見どころで、最後のやり取りはこのドラマの雰囲気を端的に表現していた。ほか渚の美女は正体不明だったが、これからシリーズの進行とともに主人公との距離が縮まってハッピーエンドに至るのか、あるいは主人公に重大な危機をもたらす存在になるのか(白は心霊のイメージ?)。何にせよドラマ化が実現しなかったのでわからない。 ちなみに冒頭で、墓標に見立てたビルの建つ平べったい都市景観は当時のロサンゼルスの風景だったかも知れない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-25 10:27:50)
15.  新・幽幻道士 立体奇兵 《ネタバレ》 
本来は3D映画として制作されたそうで、原題の「立體奇兵」とは終盤に出た赤青の連中がそうだったらしい。確かに、3Dの効果を出すためかカメラに向けた前後の動きが目立つようだった。 今回は設定が初期化されたようで、金爺爺がもともといた「義荘」(第3話冒頭場面のナレーションで説明があった)に最初から少年2人と美少女がいる形になっている。親方と孤児連中の旅という設定はないものの、町内でキョンシーによる殺人事件が起こって疑いをかけられるなど、このシリーズとしてはオーソドックスな印象がある。  内容としてはちゃんと子どもら主体の物語ができており、前回とか前々回のように大人が悪ノリしている印象はなく、コメディ要素にも抵抗なく笑える映画になっている。ベビーキョンシーが敷居につまずいたのに笑わされ(子役は痛くなかったか)、また痒みの素?とか八卦ボックスのようなアイデアも面白かった。最後は残念ながら悲劇に終わっていたが、まずは笑って泣いてという普通の娯楽ドラマの範疇と思われる。 また決戦時の人形の館がファンタジックな作りなのも楽しい。伝統色ある異形の兵団が次々襲って来るのはイマジネーション豊かで、小さい子ならこういうのを喜ぶのではないかと思った。獅子舞が出現したのは変だったが、幇間のようなキャラの坊主頭が青いのがまた可笑しい(気色悪い)。奇兵が消える時のワオンという効果音も面白かった。 このシリーズは初回が好評で第二作を作ったあたりが頂点で、三作目からは低落するばかりというパターンかと思ったが、この新作は子ども向けという基本姿勢を守ったことで、かえって大人も安心して見られる(笑える)佳作になっている。大人の立場としても、子をもって初めて人の道の何たるかを知る、という程度のドラマはできていたかも知れない。  登場人物としては、前回の孤児役5人が少し役どころを変えてまた出ており、前回はグループ中の一人だった美少女が今回はテンテンの地位に昇格したのは順当に見える。もとのテンテンより少しきつい顔に見えるが基本的にかわいいので問題ない。また前回の監督の娘も再登場しており、かなり特別扱いの役をやっている。前回と違って大人の女性の面での見どころはなかったが、子役が微笑ましいので結構だ。ベビーキョンシーも相変わらず愛嬌のある顔を見せている。
[インターネット(吹替)] 6点(2021-11-27 11:27:46)
16.  屍憶 SHIOKU 《ネタバレ》 
台湾と日本の合作ということになっている。台北市の警察が出ていたので場所は普通に台北らしい。 ホラー要素としては、台湾で有名な(多分)「冥婚」という風習を使っている。これは日本にもあると書いてあったが、しかし山形県内陸地方にある「むかさり絵馬」は亡くなった人物に架空の相手を結び合わせる形なので、この映画のように生きた人間を犠牲にするものではない。劇中で過去に事件のあった1930年は日本統治時代であり(映画「セデック・バレ」の霧社事件と同年、映画「KANO」の前年)、また何か日本がからむのかと思ったら何も関係なかった。関係なくて結構だ。  物語としては中心人物の男と女子高校生の話が別々に進んでいき、最後に一本にまとまって終結する。途中の展開が緩くて長いと思ったが、終盤に至ってまとめにかかり、それまでの断片が次々つながっていく展開は意外感があった。 また日本が参加しているだけあって邦画ホラーっぽい雰囲気もある。しかし貞子でも伽椰子でもないゾンビ風の亡霊が、霊能者の前でしおらしくかしこまってうなだれる姿は珍しい。またその霊能者が「他に方法がない」と新人らしく自信なさげに言っていた様子も好感が持たれる。 ほか女子高校生を水泳部の設定にして水着姿を水中撮影するなどは、日本でも以前に盛んだった(今も?)ロリコン趣味丸出し映画のようだった。ただし出演者は20代だろうから未成年者はいないと思われる。  出演者としては日本人も二人出ており、うち田中千絵という人(「王依涵」役)は他の台湾映画にも出ている有名人である。もう一人の池端レイナという人も日台両方で活躍中とのことで、今回出番は多くなかったが、かわいいまま終わる役でよかったとはいえる。 ほかの登場人物として、中心人物の女子高校生は16歳(昨日まで15歳)の設定で、見た目は素朴で幼い感じの普通に可愛い少女だったが、演者のVera Yen/嚴正嵐という人は実は1989年生まれだそうで、この映画の頃には26歳くらいだったことになる。10歳ごまかしても通用するのは元がよほど童顔で可愛い人だということらしく、この人にもちょっと意外感があった。特に病室で見せた情けない顔は極端に可愛い(かわいそうだ泣くな)。 また中心人物の男に「イーハン」と呼ばれていた女性役(Nikki Hsieh/謝欣穎)も忘れがたい魅力的な風貌だった。出演者の面でも見どころがあるのはいい映画というしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2021-10-30 13:27:37)
17.  真・鮫島事件 《ネタバレ》 
今どき鮫島事件かとは思ったが、永江監督の映画では「2ちゃんねるの呪い 劇場版」(2011)でも同じ題材を扱っていたので本人的には馴染みがあるものらしい。 今回は新型コロナウイルス感染症流行の時節柄ということでリモート飲み会の場を設定し、また呪いの拡散が「被害者が加害者に」なる点でウイルスと同様だという理屈を語っている。しかしそれをいえば吸血鬼とかゾンビも同じであって、実際に感染症映画兼ゾンビ映画というのもある(「デッド・シティ」(2019)など)ので独創的な発想ともいえないが、まあ今の世相を反映した映画ではある。 鮫島事件の話自体は昔からある「牛の首」のようなもので、この映画も“そんな怖い話は誰も聞いたことがない”系のオチかと思ったが、さすがにそれでは映画にならないということか、実体のある話を作っていたのは前作と同様である。空虚な言説が恐怖を拡散するというなら「コンテイジョン」(2011)のようになるかと思ったが、それよりはホラー映画としての娯楽性を優先した形かも知れない。  ホラーとしては、この監督らしく低予算ながら一定水準を確保した映画ができている。終始webカメラだったかのようなこだわりはなく、普通に変化のある映像を作っているが、邦画ホラー恒例の現場突撃を別人にやらせておいて、主人公はリモートで見ているという形で特徴は出していた。最初に違うところから入っても、結局同じところに行きついたというのは絶望感の表現になっている。 ちなみに「誰か来たようだ」は笑った(ギャグか)。またどうでもいいことだが現場の窓に「傲慢」と書かれていたのは、よくそんな字が手で書けるものだと感心した。よほど漢字の得意な奴だったか、あるいは片手にスマホを持って見ながら書いたと思われる。  出演者に関しては、リモートという設定もあって女優(女性俳優)の顔をでっかく映す映画である。今回主演の武田玲奈さんは、序盤は大映しすぎて粗が見えるようだったが、後半の怖い場面ではちゃんと可愛い顔を見せている(全身像も当然ある)。ちなみに妹の言うなりに使われるお兄ちゃんはひたすら気の毒だった。妹が可愛いと兄も優しいらしい。 ほか「カメラを止めるな!」(2017)で知られた しゅはまはるみという人も出ていたが、ラストの場面でこの人の肌を舐めるように映していたのはどういう趣味か。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-07-17 09:10:10)(良:1票)
18.  樹海村 《ネタバレ》 
樹海とコトリバコを題材にした映画だそうだが、後者に関しては前作もそうかと思っていたら今回が本番だったらしい。ちなみに他の映画としては「fuji_jukai.mov」(2016)や「ことりばこ」<OV>(2011)を見たことがある。 樹海とコトリバコの相性がいいとは思えないが、そこはいろいろ小理屈をつけて無理やりつないでいる。その上で、昔から今まで社会に排除されてきた人々の怨みと、「神の森」の怒りが一体になって復讐する話にしたようでもあるが、変に込み入ってしまってわかりにくい。 またコトリバコは本来、特定の家系を断つため女性と子どもに害を及ぼすものとされているが、この映画では何で主人公宅の物置に置かれていたのか不明なのは困る。しかし最終的には依然として危険ながらも、呪うのではなく女性と子どもを守護するため女系に伝えられる形にしたとすれば、一応のハッピーエンドと取れなくはない。なお琴音~鳴・響~音々という、音にちなんだ名前自体に意味があるかはわからなかった。  ホラーとしては特に怖くないがそれほどふざけた場面もなく、主に前半はいわばスタンダードな邦画ホラーを真面目に作ったようで悪くない。主人公姉が喪服のまま茶の間で寝てしまった場面は往年の「呪怨2」(2003)を思わせる。そのうちに、どこかで見たような場面(「自殺サークル」(2002)など)が出て来るとか、終盤は諸星大二郎風の異世界ファンタジーのようになったりして統一感がない気もしたが、現地に多数ある苔玉のようなものを死者に見立てたらしいのや、保護室の場面などは印象に残った。 また面白かったのは、現代ではいわゆる霊感を精神病と決めつけたがる風潮があるのを、要は自分が怖いと思うものを否定したいだけではないのか、と皮肉ったように見える場面だった。また修学旅行を嫌がるという話も、数日前にネット上で見たばかりだったので今風に感じた。  出演者としては山田杏奈さんが主演と思ったら、姉役の山口まゆという人もW主演として同等以上の存在感を出している。また大谷凜香という人が前作と同じ役名で出ており、これは時空間に遍在する突撃ユーチューバーなのかと思ったが、次回作もあるのなら活躍を期待したい。山田杏奈さんとは「ミスミソウ」(2017)以来の夢の共演かと思ったが一緒に映る場面はないのだった。 ほか黒沢あすかという人はホラー映画でも時々見るので、正直またこの人かとも思ったが、すりガラスの向こうの顔はこの役者向きの趣向だった。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2021-07-03 09:46:41)(良:1票)
19.  人狼ゲーム デスゲームの運営人 《ネタバレ》 
今回は運営組織が代わったらしい。撮影場所も、以前は小山町フィルムコミッションの関連施設(静岡県小山町)だったが今回は自動車労組のセミナーハウス(静岡県御殿場市)を借りている。 背景設定としては、運営側の主人公がやっていた個人事業が買収されて本式の殺人ゲームをするようになったとのことで、出資者も顧客も外国の富裕層ではないのかと思った。運営の粗雑さが低コスト化や社会の劣化を思わせるものもあり、荒唐無稽なはずの殺人ゲームが妙に現実感を増してきているようなのは気分が悪い。  今作では運営側を前面に出して、ゲーム自体というより全体的なサスペンス展開で見せている。それほど悲惨な場面はなく、緊迫感に欠けるところもあるが意外な結末ではあった。しかしいくら観客側が配役を知っているからとはいえ、人狼があまりに饒舌なのは怪しすぎる。こんなのの言辞に惑わされず直感的に投票していれば、可哀想な予言者が死ぬこともなかったはずだ。 初めのうちは殺人ゲームの運営/参加を平然とやる連中ばかりのようで暗澹とさせられるが、それだけではないところも見せている。人間にとって、実は他人の人命などそれほど重大事でもないのが本音であり、“いのちは何より大切!”的な主張などは偽善に思えることもあるだろうが、しかし何としても守りたい特定個人がいるというのも人間である。誰しも本当に大事に思う人間がいて、そこに共感する他者もいて、そのような関係が広がれば人命尊重という共通認識の基盤もできていくはずと解されなくもない話だった。 なお今回はかなり特例的なエピソードのため、このままシリーズがまた続いていくような気は全くしない。次はどうするつもりなのか。  登場人物に関しては、「可愛い子」が多い理由を運営側が一応説明していたが、実際に今回はそういう印象が強い。参加者側の主人公役は「ビブリア古書堂の事件手帖」(2018)で栞子さんの妹役だった桃果という人で、今回は賢明で芯の強いちゃんとした人物らしい顔を見せている(守りたくなる)。今後の活躍を期待したい。 また人狼役の朝倉ふゆなという人は「くちびるに歌を」(2014)にも出ていたようで、今回はイヤ~な人物像を芸達者な感じで演じている。ほか個人的には運営側チーフのお気に入り(演・山之内すず)もわからなくはないが、何より可哀想な予言者(演・森山晃帆)が早々に退場してしまったのが残念だった。
[DVD(邦画)] 5点(2021-05-15 09:13:04)(良:1票)
20.  人狼 JIN-ROH 《ネタバレ》 
最初に延々と解説が入るのは面倒くさい。登場人物の台詞も説明口調で聞きづらいところがある。 映像的には昭和30年代頃の雰囲気を出していたようで、見た目としてはとにかく茶色っぽい印象のアニメだった。今の感覚ではイケメンともいえない男が主人公なのも昔くさい。ほかの登場人物もみな基本的に昭和日本人風だが、赤ずきんちゃんだけはなぜかスカートが短めなのが昔らしくない。過激派は紳士的ではないだろうから、扇情的に見えると簡単に暴行されてしまうのではないか。  内容的には、とにかく共感できない人物ばかりで困る。まず過激派連中は何のために戦っているのか全くわからない。これは人間が無意味に戦いたがるという普遍的真理の表われか、あるいは劇中の戦いが無意味なこと自体を表現しているのか。また主人公が狼扱いされるのも意味不明だと思ったが、これは逆に本来何もない男であって、自分が狼とも思っていないのを周囲に言われていただけかも知れない。 最後の決断も、明らかに迷っていながら結局腰砕けに終わってしまうので落胆させられる。その辺の連中を皆殺しにして逃げようとするなら自分が「猟師」になれたわけで、それで結果的に殺されたとしても人として死ねたはずだ。しかし、そもそも主体的に生きようとする意志のない奴だったため、ここで死んでいいのかどうかも自分で決められなかったのではないか。結局は狼のように、群れの掟に従うしかない悲しい生き物だったということらしい。君には失望した。 どうも無理やり人か狼か選ばせるシチュエーションを作ったようで素直に納得しかねるところもあるが、要は題名の「人狼」とは、ファシズムとかコミュニズムその他の全体主義なり集団主義に適合した人間のことなのかという気はした。流されたり乗せられたり取り込まれたりせず、まずはしっかり個を確立しろというメッセージだとすれば、現代にも通じるところのある映画かも知れない…何か大昔の映画でも見せられたような気分でいたが、必ずしもそうでもなかったか。  ちなみにこの映画を見て、狼というのは孤高の英雄には向かない生物だと改めて認識させられた。それよりは、獅子にせよ虎にせよネコ科動物の方が雄々しいキャラクターに向いている(何気にネコ派アピール)。
[DVD(邦画)] 5点(2021-05-15 09:13:01)
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