501. シンデレラ(2015)
《ネタバレ》 この時代、もちろん随所にCGが使われておりますが、アナモフィックレンズを使ったフィルム撮りの画調はまるで50年代の映画のようで、とてもクラシカルな雰囲気。 『魔法にかけられて』や『プリンセスと魔法のキス』あたりから顕著になった(ある種、自虐的とも言える)ディズニーの「脱・いつか王子様が」路線ですが、『アナと雪の女王』『マレフィセント』までエスカレートしたところで今回は一気に原点回帰といった風情で。オーソドックスな王道に戻ってみましたという感じ。 ですが、それは決して不快ではありません。 これはシェイクスピア作品に代表されるコスチュームものを得意とするケネス・ブラナー監督、堂々の演出による天下のディズニー王道の世界。 いじめ描写が嫌いな私なので元々『シンデレラ』は苦手な作品でした。この作品での継母(さすがのケイト・ブランシェットの風格)のシンデレラに対するいじめには、さほど多くの時間と描写を割いている訳ではなく、ヌルめとも言えるのですが、それでもシンドく。 でも、だからこそフェアリー・ゴッドマザー登場からの多幸感ときたら。 カボチャの馬車、馬になるネズミ達、煌びやかなドレス、ガラスの靴。『シンデレラ』の定番キーワードがキラキラと眩いばかりに映像化されていて、これぞディズニーの『シンデレラ』!と直球ど真ん中で勝負してきます。 ドラマ的には王子と王との関係描写や、政略結婚の陰謀などを盛り込んで厚みを与えてある事で定番過ぎるほどの定番ゆえの退屈さを回避しておりますが、一方で父母の死や、解雇された使用人達、継母と継姉達のその後などはごくアッサリ描写で、あまり引きずらないあたり、軽い印象。 キラキラ煌めく映像の中でも特に目を惹いたのはドレス。シンデレラのブルーのドレス、継姉達の軽薄さを表すカラフルなドレスが、フェアリー・ゴッドマザーの白と継母の黒・緑との対比の間で咲き乱れて、シネスコ画面いっぱいに溢れる「色」にうっとり。 『ベイマックス』のようにテクノロジーの未来にも目を向けるディズニーですが、一方でこれまで育んだ伝統の色を存分に堪能できる作品も新作として生まれるあたりがディズニーの懐の深さなのでしょうね。 [映画館(吹替)] 7点(2015-04-27 21:19:38)(良:2票) |
502. ドラゴンボールZ 復活の「F」
《ネタバレ》 先週、今週と近場に2か所、立て続けにIMAXアリのシネコンができまして、早速オープン初日にチェック、という感じで。だけど両館ともIMAX上映作品が一緒で、そのうち『ワイルドスピード』は先週見ちゃってるので、仕方なく今週のチェックはこれまでほぼ自分の中に存在が無い『ドラゴンボール』で。記憶はペンギン村に行ったあたりまでで止まってますよ。 いやもう本当につまらなくて、一体何を楽しめばいいのか困ってしまいました。 なんとなくキャラくらいは知っているんですけれど、作品世界の独自ルールがエスカレートし過ぎちゃってて、そのルールにいきなり触れる人間としては呆れるしかないんですよね。 死人が簡単に生き返る世界で、瀕死状態から一発で回復できるアイテムがあって、自分の力だけで星を破壊しちゃえるくらいで、空飛べて、時間を戻して物事を無かった事にできて。強くなる事だけに全ての価値があるように感じられて、お気軽に描かれる「神」が俗物で。もはや血なんか通ってなくたってその知名度のみで存在は確立しちゃえるんですよ、というキャラ達。地球を大事にって言いつつ戦闘で自然環境を破壊しまくるヒーロー達。地球の一大事だけど描かれるのは悟空周辺ほんの数人のみ。 だから、誰が何をどうしようが、全てが絵空事で、どうとでもなるんですよね。どうにでもできちゃう世界ではドラマも成立しません。っていうか、そもそもドラマらしいドラマもなく、ひたすらどつきあいを繰り返すだけな映画ですが。 上映時間が短い上に、ストーリーもごく単純、なのにもったいつけたタメが映画のテンポを悪くしています。悟空がフリーザの前に到達するまでに一体どんだけ引っ張るのよ?みたいな。 作画はテレビアニメレベルで、3Dはなんのためにあるのか判らない程度の効果、もうIMAXである事の必然は皆無。 そう、これはもう誰もが知ってる『ドラゴンボール』の新作アニメ、知らない人間に対する配慮なんか一切してられません、って作品。そもそもこんな国民的アニメを知らないやつがいるのか? いたとしてわざわざ映画見にきたりするのか?って。ええ、ここにいるわけですが。 完全に独立した一本の映画としても面白い、そういう作り方は、まあ、できないんでしょうねぇ。その妥協点があまりに低すぎる感じで、古いアニメおたくとしては、そういうのを認めたくはないのでした。 [映画館(邦画)] 1点(2015-04-22 22:12:37) |
503. バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
《ネタバレ》 入院して顔の包帯がマスク状態になったリーガンはまるでバードマンのようであり、また、隣りの劇場で上演していた『オペラ座の怪人』のようでもあり。 非常に演劇的な流れを非常に映画的なテクニックで描いた快作。シームレスでどんどんと展開してゆく、まるでナマを捉えたような世界は演劇のようですが、一方でそれを描くのはカメラが自在に被写体を捉えてゆく映画ならではの世界。 つまり、ここに登場する人々はことごとく舞台と映画とで線引きをしたがっているのですが、実際には舞台も映画もそんなに差のあるものではなく、一つのフィールド上に置く事だってできるのですよ、と。そう、この映画そのものがそれを立証するかのように。 そして、現実すらもまた、舞台や映画とどこがどれだけ違うのか?と。 演じる事、生きる事、生なのか、加工されたものなのか、それに優劣を付けようとする、価値の差を見出そうとする、それがそんなに大事か?って。 なので私にはこれが「バードマンで何故悪い?」という話に映ったので、大変に気持ちの良い映画でした。商業主義に対して批判的なように見えつつ、むしろ逆にアメコミ万歳!みたいに感じられて。 飛び出す数々のネタや笑いも含めて、難しい事を考えるよりも単純に楽しんでこそ吉な映画だと思いました。 それにしても相変わらずエマ・ストーン、キレイ。 [映画館(字幕)] 8点(2015-04-14 23:58:15)(良:2票) |
504. ソロモンの偽証 後篇・裁判
《ネタバレ》 結局、前後編に分けた意味は(商売上の理由以外には)感じられなかったなぁ、と。分けた事で生じた弊害ばかりが目立つ状態で。 2時間半近くに及ぶ後篇、だけど間延びして密度が無くダラけた印象。表情をアップで捉え「泣くまで待とうホトトギス」とばかりに観客を巻き込んでその時を待つみたいな、そんなショットが何度も何度も。 前作のホラータッチは今回登場しません。つまり、前篇でバケモノのように描いた生徒を今回はドラマティックに描く事で、そのギャップで感動させようという安い手。だけどそれも流れがあって初めて有効になる訳で、前後篇で分断されてしまっていては、雰囲気が違うという印象を与えるばかりで無効です。 柏木が死の当日に受けた電話、ああいうのは前篇から描いておくべきだと思います。一本の作品の流れの中でならば位置として正しいとしても、二本に分けた後篇で唐突に出てきてそれが話の主軸になるというのではミステリーとしてフェアではありません。 中学生、そして親たちそれぞれが抱えた痛みや罪の意識、それを役者さん達は上手く表現していたと思います。でも、他人を批判しながら自らはあくまで傍観者を気取り、常に自分を外側に置く、ネット上に沢山いる中二病の代表のような柏木は、あくまで魂を与えられていないんですよね。そこに罪の意識を抱く他のキャラと明確に線を引く事でテーマを強調している訳ですが、それが結局は人間ではなく化け物となっていた柏木という存在のせいで生まれた悲劇のように見えてしまって。それではいけない筈ですよね?【追記:思ったんですが、最初から柏木を象徴的に描いていればそれは回避できたのかもしれません。柏木のビジュアルは死体のみで、あとは会話だけに登場する形にして】 これだけの尺を費やしながら、各人の心の流れが散漫に感じられたのは、エピソードが整理されていなかったため、そして前後編に分けてイメージが分断されたためではないかと思います。前後編ひとまとめに見せるイベントならともかく、観客が間にどれだけ他のものに触れるのか、その点について考慮されていない印象が強い映画ではありました。 [映画館(邦画)] 5点(2015-04-12 22:12:57)(良:1票) |
505. エイプリルフールズ
《ネタバレ》 決してつまらない訳ではなかった、長所と言えばそれくらいでしょうかねぇ。 ポスターの絵柄にモロに表れているように、『ラブ・アクチュアリー』とか『ニューイヤーズ・イブ』とか『バレンタインデー』の邦画版をやりたかったんでしょうね。幾つものドラマが同時進行で描かれ、それぞれが繋がってゆく、っていう。 だけどこの映画には、構成や繋がり方にそれらの映画ほどの感心させる技巧は感じられません。元々の基本となる各ドラマに無理があるために、繋がりもまた無理を重ねているだけのように思えて。 タイトルを挙げた映画達と違って、この映画は最初に現実的ではないバカ映画ノリ、どちらかと言えば『ハングオーバー!』だとか『メリーに首ったけ』だとかに近い感覚のドタバタ演技、エピソードを重ねてゆきます。そこからシリアスなドラマを生み出そうとしているのがおかしな気がして。登場人物の誰もが「お笑い用に作られたキャラ」に見え、言動に全く説得力が無いので、そこで感情移入して泣いて下さいと言われても、心を重ねてゆける部分がなかなか見当たらないという。 それでも散らばったエピソードをどんどん畳み掛けてサッと〆てみせれば、面白いモノを見たって感覚も生まれたかもしれません。ところがこの映画、大体のエピソードの繋がりが見えてからが長い長い。実質的にはエピローグな部分に延々30分くらい。何度も何度もクドクドと各エピソードの行く末を念押ししまくって、ここで映画の流れが崩壊してしまいます。感動させよう、盛り上げようとタメまくって無駄なカットと時間を重ねて映画の価値を下げるという、日本映画の悪いクセがここで存分に発揮されちゃっててゲンナリ。10分以内で描きましょうよ。 あと、水商売、風俗を差別的に、人間の中でも下位のものとして描いているのが気になりました。そこで働く人々にも心はあるのです。 次々繰り出されるバカな小ネタを楽しむ映画としての価値はあったので、下手に感動ノリに走らない方が良かったんじゃないかと思います。大体、ここで描かれる感動ネタそのものはどれも古典的過ぎちゃってて。 大勢のスターが演じるバカキャラ、この映画の価値はそこにだけあったんじゃないかと。つーか、この映画、みんなそんなに嘘ついてなくない? [映画館(邦画)] 5点(2015-04-07 22:53:14) |
506. 君が生きた証
《ネタバレ》 息子を亡くしてなかなか立ち直れなかった父が、息子の遺した歌を通して人と触れあい、人間性を取り戻してゆく、そんな感動的なお話しだと思っていたら。 途中でこれ見よがしではなく、さりげなく入ってくる1カットで、それまでの思い込みが根底からひっくり返されます。それまでに心の中にイメージした、死んだ息子や遺された父母のそこに至る経緯、背景、心境に大幅な修正が必要になる、頭の中にそれまで刻んだこの映画の姿を1から書き換えてゆかなければならなくなる、上下動の激しいジェットコースター人間ドラマ。 その構造はその事実に触れた登場人物達の心境にもシンクロします。 人生を狂わされるとはどういうものなのか、そして自分の人生を生きるとはどういうものなのか。他者の影響と自我と。 真実に翻弄される登場人物同様、見ている側も人の生について向き合う事になる、そんな仕掛けを持った作品。 ウィリアム・H・メイシーはこの素材を時にユーモラスに、時にシリアスに、でも決して大仰に盛り上げるような事はせずに誠実に描いていて、ゆえに後半からラストはじわじわと切なく染みてきます。 感動しました、であっさりと終わらせる事のできない、後に様々な思いを残す、一筋縄ではいかない映画でした。 [映画館(字幕)] 7点(2015-04-06 22:56:57) |
507. シェフ 三ツ星フードトラック始めました
《ネタバレ》 フードトラックに至るまでが長くて、フードトラックのところからは最早クライマックスと言えるので、タイトルでネタバレしてるじゃん、って状態ではあります。 大体、フードトラックを始めるまでには紆余曲折ありますが、始めて以降は快適ロードムービー、それ以前に比べるとそんなに残されたドラマは多くありません。 物語自体、どん底に落ちるのも、そこから這い上がるのも、そんなには重く深刻には描かれず、生々しい人間ドラマが、なんてものではありません。別れた元妻は大変に物わかりが良く、息子は良く出来た子、元同僚は根っからのいいヤツでとても協力的、恋人とも決してドロドロしない。そんな環境では失業もまた夢物語。 でも、そこは元々あまり重要ではなくて、いっぱい出てくる有名スターと美味しそうな料理を眺めているだけで十分、って映画。 料理をしっかりと美味しそうに捉える、そこがキーとも言える感じで(どう見ても脂っこいしつこい味だろうなぁ、っていうものもありましたが)。 Twitterによって窮地に追い込まれる主人公がTwitterによって救済される、その象徴である青い鳥が飛び立つシーンはTwitterで多くの人と結び付いている私には感動的でした。 ただ1つ気になったのは、フランス料理のシェフがタバコ(クサ、葉巻含む)を吸いまくってて勤まるのか?という事。『美味しんぼ』にも描かれていましたが、喫煙は味覚と嗅覚に影響大ですし、生ものには指から匂い移りします(手を洗ってもちょっとやそっとではタバコの匂いって取れません)。私自身、元喫煙者で現在禁煙7年という状態で今は料理人でもあって、その影響を実感しまくっています。大衆料理はともかく、それなりに高級そうなフランス料理だと無理なんじゃないかなぁ。 [映画館(字幕)] 7点(2015-04-06 22:18:57)(良:1票) |
508. 繕い裁つ人
《ネタバレ》 坂を上がってヒロインの店に行く描写が繰り返され、それはまるで天上の、別の次元へと至る道のようで。ヒロイン自身が店と自分を別世界のものとして気取っていたりもしますし。 だけどその対比は殆ど無効。何故なら映画そのものが現実から遠く離れたぬるい、温室の中の世界としてしか成立していませんから、そこに描かれる現実っぽい問題も、ありそうな苦悩も嘘くさい絵空事にしか見えてきません。絵空事であるならば、絵空事として閉じてしまった方がまだマシなんじゃないか?と。 ヒロインの店に足繁く通い、一日の大半をのんびりとそこで過ごす大丸百貨店のバイヤー・・・大丸百貨店って随分ラクな仕事ができちゃうんですねぇ、と。わざわざ固有名詞まで出して描く事なのでしょうか? 年に一度の夜会に集う排他的とも言える人々、自分のスタイルを貫く事の苦悩、影響されて「改心」してゆく女学生達・・・それぞれに自己完結しまくる登場人物達。 そして最大の問題はその自己完結から生じた価値観を他者にまで押し付ける、その姿勢。その人、この映画だけ、この世界だけで完結すればそれでいいのでは? ステキなドレスに囲まれた温室ワールド、そこに酔えればそれでいいのでは? 何故押し付けてしまうのでしょう? 私にはそれが無自覚な優しい暴力のようにすら思えてしまい、気持ちの悪い映画という印象でした。私にとってこれはある意味ホラー映画。 [映画館(邦画)] 3点(2015-04-06 21:49:25)(良:1票) |
509. ジュピター
《ネタバレ》 中学生が考えたような世界の稚気丸出しっぷりは嫌いじゃないです。でも、既視感ある色々なモノを寄せ集めて作り上げました、って、そこから先が見えてきません。 ベースは『マトリックス』と同じで「今の自分は本当の自分じゃない」がスタート地点。そこに『フィフス・エレメント』『砂の惑星』『ジョン・カーター』『銀河鉄道999』『さよなら銀河鉄道999』『不思議の国のアリス』『美女と野獣』『LUCY』『エイリアン2』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を混ぜ合わせた、そんな映画。ほぼそれで語れてしまうレベル。その先の、この作品ならではの個性が感じられないのが残念です。 ウォシャウスキー姉弟ならば、もっとスタイリッシュに、もっと独特な映像世界を創造する事ができるんじゃ?と。でも、どっかで見たような映像ばかり。3Dを駆使したアトラクション的映像は良かったのですが、でも、そんなのも既にいっぱいあって。 前半のシカゴ上空でのドッグファイトシーンなど、乗っ取った戦闘機と敵側の戦闘機との区別が上手く映像で伝えられていなくて(左右で対峙するそれぞれの戦闘機の操縦者の向きが同一方向っていうのは明らかなミスとして)、つまり撃墜されない方が主人公機、っていう見分け方になるのは雑です。 そんな、全体的に雑に作られた映画で、ご贔屓ペ・ドゥナ嬢なんかいつどこへ行っちゃったのか判らない状態で消えちゃうし(ちゃんと見てたつもりですが見逃しました?)。 何か1つ、作品の個性となる突き抜けたアクセントがあれば、それだけでもっと面白くなったと思うんですよね。それはキャラの性格でもいいですし、映像の見せ方でもいいですし。今のCG大洪水時代にはどっかで尖らないと。 以前に比べてフェティズムが希薄になっちゃったウォシャウスキー姉弟、なんだかリュック・ベッソン化してる気が。妙にベッソン臭漂う映画ではありました。 [映画館(字幕)] 6点(2015-03-29 22:30:46) |
510. プリデスティネーション
《ネタバレ》 twitterで軒並み高評価だったので見に行きましたが「なるほどねぇ」とは思ったものの、私には「面白い」とか「感動した」とかっていうのが無くて。 タイムトラベルものにつきまとう「起源の喪失」、これはそれそのものを主題にした映画だと言えます(卵と鶏のどちらが先かの話に象徴されるように)が、その完全に閉じた、たった一人だけの永遠の孤独の世界に酔うよりも、どうしてもその理屈と葛藤する事になってしまって。真相に迫るタイプの映画ゆえに心よりも頭で見る形になって、見終わってスッキリとしないものばかりが残った感じです。 無からは決して生じる事のない筈なのにそこに生じたそれは一体どういう理屈が通るというのでしょう?ってそこでひっかかっちゃってるのですから、全てのシーンを反芻してみたところでそこに見出すのはドラマではなくてこの作品なりのパラドックスの定義、仕掛けばかり。そこに切なさ、淋しさを感じ取れればいいのですが私にはそれは響いてきませんでした。 会話中心で繰り広げられるこの映画、その会話の咀嚼がキモになり過ぎている気がするんですよね。全体的に沈んだ色調の地味な画で作られているわけですが、ここいちばんの印象的なビジュアルで引っ張る、みたいな仕掛けをしてくれればもう少し脳よりも心が働く時間もできたと思います。 映画自体の持つ秘密ゆえにあまり大それた事をしちゃうと破綻しちゃうわけですが、そういう構造的な「縛り」が息苦しさを生んでたなぁ、と思うのでした。 [映画館(字幕)] 6点(2015-03-17 22:53:50) |
511. 花とアリス殺人事件
《ネタバレ》 アリスと花がそこにいる、そこに生きてます。 走って、笑って、踊って、泣いて。 彼女達の時間は無駄だらけ。目的はあっても遠回り、脇道に逸れて、後戻りして、結局は自分達の力でなんとかなった訳でもなくて。それでも、大切でかけがえのないその時間。 その「無駄」を拾ってゆくのがロトスコープによるアニメーション。仕草、動作に生まれる「無駄な動き」は記号化、様式化を拒絶してキャラクターに命を与えます。 もちろん、蒼井優、鈴木杏の「声の存在感」も重要で。これもまたアニメ的記号化、様式化された声優的表現とは全く別の在り方。 アニメーションになる事で『花とアリス』のガチャガチャした印象に比べるとかなりすっきり純化されています。大勢のカメオ出演によってお祭り映画と化していた前作の賑やかさは消え、花とアリスの物語としての純度がぐっと向上して。そして岩井俊二的味わいも幾分スポイルされている気もしますが、私としてはそれは肯定的に捉えてます。 一方で人や場所、エピソードなど『花とアリス』と繋がっている部分はちゃんと存在していて楽しめます。ちょっとアリスも花もキャラが違う感じもしますけど。 真っ白な無から全ての世界を創造してゆくアニメーションは本来、自由なものです。こういう自由なアニメ映画がもっともっと作られていいと思うんです。そして海外の色々なアニメ作品ももっともっと公開されていいと。今の日本のアニメ事情はどうも狭苦しく息苦しくて。 [映画館(邦画)] 10点(2015-03-15 23:39:25) |
512. ストロボ・エッジ
《ネタバレ》 移動の映画。 歩く、走る、そしてよくコケる。仁菜子は常に移動しています。それを受け止めたり一緒に歩いたり走ったりする蓮と拓海。頻出する電車も含めて、その移動は揺れ動きながら進んでゆく登場人物の姿を象徴しています。 海辺の蓮と麻由香は「道」の無い行きどまり、その先の別れを暗示して。 そんな移動と静止、そしてマルチ画面、クレーンを使った長回しや画面全体が白く飛ぶレベルのオーバーな露出等、技巧に走りまくった画作りをしている映画なのですが、あまり上手くいっていません。 同じ原作者の『アオハライド』同様、青臭くて恥ずかしい物語。それぞれがそれぞれの事を思う事ですれ違ってゆく物語、それは『アオハライド』と一緒なのですが、でも『アオハライド』と違って、それを映画へと昇華しきれていない感じなんですよね。テクニックで飾り立てれば誤魔化せる、みたいな印象。そうでなくて、そのキャラクターの「心」をちゃんと画で表さないとダメなんじゃないかなぁ、と。 そういう意味では麻由香役の佐藤ありさ以外みんなミスキャスト気味な気がしてしまって。福士蒼汰くんは相変わらず薄べったい演技をしてる感じですし、有村架純嬢は表情に乏しく、山田、黒島の両氏はビジュアル的にあまりこの作品に相応しい感じがせず、まあ、こういうのって結局は最初に俳優ありき、プロダクションの力ありきで企画されてゆくモノなので、そういう仕方ない、残念な感じになってゆくのだなぁ、と。 役者さん達がもっとバーン!と魅力を放っていたならば、多少のアラなんか(多少ではない気もしますが)なんとかなっちゃってたと思うのですが。 少女マンガ原作の映画は一定数の需要があるがゆえにこうしてコンスタントに作られてゆくのでしょうけれど、その精神は小手先のテクニックで表現できるものではないと思います。原作をきちんと咀嚼できているかどうか、そのあたりが鍵になるんじゃないかなぁ。 [映画館(邦画)] 5点(2015-03-15 23:12:41)(良:1票) |
513. イントゥ・ザ・ウッズ
《ネタバレ》 どこかに「楽しい」「面白い」「素敵な」「明るい」要素を入れておいてくれないと。全編鬱々とした状態で(シンデレラの逃走の繰り返しがシニカルな笑いになってはいますが)、教訓めいた暗い話、画面も彩度低めで暗く、これがディズニーのファンタジー?と残念な気持ち。 まず、主旋律を奏でるのがパン屋の夫婦で、シンデレラ、ジャック、赤ずきんはサブ、ラプンツェルに至っては脇キャラみたいなもので、基本は森の中をひたすらウロウロするだけの物語。 多くのエピソードが「皆様もうご存知でしょうから」とばかりに省略されてゆきますが(舞踏会や天空の巨人の国や)、それは元となった舞台という表現の性質からくるのであって、映画にそのまま持ってくる必要はないんじゃないかと。ほぼ森から離れない世界は単調で、しかも位置関係も明確にはならないために登場人物全員がただ右往左往しているだけに見えます。 しかも各キャラクターが最初からそれぞれにエゴを持った人間として描かれ、魅力的な面を全く見せる事がないために誰にも心が動かず、そんな人々が混乱し続ける話はひたすら苦痛。 弱い人間、悪い人間であっても魅力的な面が描かれるのがディズニー作品であると思うのですが、ここにはそれがないのですよね。 ミュージカルナンバーは聴かせる曲もありますが、一方で物語の流れからはみ出している曲も多く、映画を間延びさせる要因になっている感じで。 子供が見て楽しい映画ではなくて、でも大人が見ても楽しいのかどうかは疑問で。それぞれのエゴが生むそれぞれの悲劇とその反省は空々しく、最後に再構築される「家族」の姿には驚くほどに感動が無いのでした。 [映画館(字幕)] 4点(2015-03-15 22:32:28)(良:1票) |
514. 幕が上がる
《ネタバレ》 ※おっさん、もう誰がももクロやらAKBやらHKTやら判らんって状態ですが、お嬢様方、大変良かったと思います。真っ直ぐな青春映画をキラキラと輝かせて。 「演技の中で演技をする演技」という難題を見事にこなしていて。 問題はやっぱり本広演出ですねぇ。 まずカメラワーク。ドリーで横移動、回り込みを繰り返しますが、その効果がちゃんと出てないです。そのゆっくりとしたカメラの移動に込められた意味、みんなの中の時が流れてゆく感覚を表現しているのかな?とは思うのですが、移動の意味を次のフィックスで打消しちゃうような、移動と静止との関連性が希薄。 そしてなんと言っても内輪ネタ。本広作品なのだから、内輪ネタは必須とばかりに無理矢理入れ込んで、それが明らかに雑音になっています。っていうか、どこかでカエル急便や『スタートレック』のコスプレ男が出てくるんじゃないかと最後までドキドキしてました。監督、観客のそういう不安をわざわざこの映画に持ち込ませたかったの? あと、ヒロインのモノローグは彼女の視点を表現するためにあって良いものだと思いましたが、先生が演技をするシーンは映像で十分に語れた筈です。あそこは彼女のモノローグがジャマをしてしまっていた、演技って何よ?っていう※ と、以上がレビュー用にメモってた文章。ツイッター見るとラジオで宇多丸さん、大体そんなような事をお話しされたみたいですね。んー。後出しになっちゃうし。 足りてない部分を書いておきますと、黒木華さんが見事でした。弱々しい印象のあるこの人の「強い役」というのがなかなか。 横移動はHFRで撮って映写すれば良かったかもしれませんね。フレーム数が多くなれば被写体が安定して煩わしさは軽減するでしょ? 繋ぎの悪さはいかんともしがたいですが。 監督は、ただ素材を活かすための演出に徹するべきだと思いました。二人だけの駅のシーンでの幻想的な雰囲気なんか良かったのですが、犬のオシッコみたいに作品内に自分のマーキングをせねば気が済まないっていうのは、もうやめた方がいいんじゃないかと。 そんな感じです。 [映画館(邦画)] 7点(2015-03-08 00:35:01) |
515. 味園ユニバース
《ネタバレ》 なんかハッキリしない映画。いや、判りやすいマンガ的、記号的なセンを避けているんでしょうけれど。 作品世界も登場人物も曖昧で、脇キャラに至るまでボンヤリした描写で、全てが「そういうリアリズム」を逆に意識しまくったような作りに思えてしまって。 赤犬の面々にしてもこの映画の中では「最初からそういう存在」という描かれ方をしているだけで、何の魅力も語ってはいませんから、そこにこの映画ならではの価値を見出す事ができないんですよね。 そしてそれは主役であるポチ男も。渋谷すばるはその危なさを見事に表現しています。でも、その危なさは結局のところ最初から最後まで変化する事なく、そのキャラはそもそも彼が元から持ってるものなんじゃないの?って気がしないでもなく。 「クズがただクズです」 内容はそれだけなんですよね。記憶喪失から過去の自分を思い出して、じゃあそこからクズなりのオトシマエを付けるかっていうと、この映画はそこも目指さない。 大きな変化がありそうなクライマックスでの超展開なんて、あれ、こちらは脳内で行間を埋められませんし。あそこ以降は実は夢です幻覚ですくらいに認識した方がいいのか?って感じですが、それにしては描写があくまで三人称状態ですしねぇ。 「味園ユニバース」である事の意味も感じられず、つまり地域性に対するこだわりなんかも意図的に回避しているように思えて、じゃあ、この映画は結局何がしたいんだ?っていう。 状況の、意識の、ほんのちょっとした微妙な変化を感じ取ってくださいね~、って感じ? 個人的にはこの素材で、もう全く違った表現法で見たかった気がします。意識して挫く、はぐらかす、寸止め、みたいなのが繰り返され続けるの、タマ子にならいいのですが、ポチ男にはキツいわ。 [映画館(邦画)] 5点(2015-02-27 23:50:25) |
516. ソロモンの偽証 前篇・事件
《ネタバレ》 んー、これ、一本にできませんでしたか~? 前篇って、本当に前側部分だけ。起承転結の起承部分だけ。なので何も解決せず、とっ散らかったまんま終了。一本の映画として語れるモノになってません。とにかく後篇を見ないと話にならない状態で、このサイトの禁止事項「途中で寝た」ってのとあんまり変わんないレベル。コレだけにフルプライス払うのはどうなんだろう?と。まあ、試写でタダ見しておいてアレですが。 まず、なかなか気持ちが乗ってゆかないんですよね。中学生達にしろ大人達にしろ存在が自然とは程遠くて作られたキャラという印象で。正直、かなりヘンなキャラいっぱい。森田芳光監督の『模倣犯』も同じような印象を抱きましたが、宮部みゆき作品って大体こんな? それに、演出にホラーっぽい箇所が結構あって、中学生をバケモノみたいに描いていたりして、そういう描き方は違うんじゃない?と思うのですが、それは後篇のための何らかの意味ある表現だって事なんでしょうかねぇ。これ一作でそれを判断できるレベルにないって時点で一本の映画として満足のいく状態に到達できていないわけですが。 役者さん達はいいです。特に生徒役のコ達は個性的で。ただ前記の通り、ヘンな味付けがされている役が多いために、勿体ないなぁ、って感じがして。妙なテンションやホラー演技が過剰に加味される事でこことは違うどこかの人々を見ているような感覚になります。 学校や警察、マスコミに不信感を抱き、傷ついた中学生達が自分を納得させるために裁判で真実を追求しようとするあたりから映画はやっと面白味を見せ始めますが、そう、『後篇・裁判』とあるようにここからが本題というところで終わりますね。 どうも狙いどころがハッキリとしない、思わせぶりなばかりの2時間、後篇が前提となり過ぎていて、単純にシナリオを真ん中で切っただけなんじゃ?みたいな印象を持ちました。続編で「なるほど!」と膝を打つ事になればいいのですが。 [試写会(邦画)] 5点(2015-02-24 00:23:09)(良:1票) |
517. アメリカン・スナイパー
《ネタバレ》 イーストウッドの映画はいつも簡潔。ただそこにあった戦争を描く、それだけ。 そこには政治や国家や思想の姿も見えず、見えるのは人間だけ。正解なんて無くて、人間同士が殺し合いをしているという現実があるだけ。 子供が人殺しをしようとする現実、その子供を殺す現実。 160人を殺し英雄となった現実、その英雄を殺したのは、イラク人ではなくアメリカ人だった、それも現実。 果てる事のない戦いの中にはためく星条旗、その積み重ねられた歴史の背後にあるのは英雄達の築いた栄誉なのか、それとも戦争の名の元に失われていったものの悲劇なのか。 そこに答えを求めたところで、答えなんて元からありゃしません。 エンドロールの無音部分に、どんな音が聴こえたか。この映画にもし正解や答えがあるとするならば、その音の中にあるのかもしれませんね。この映画を見た人、個々人の中の答え。 [映画館(字幕)] 9点(2015-02-22 00:24:43)(良:5票) |
518. くちびるに歌を
《ネタバレ》 脚本はちょっと音痴な気もします。 原作由来なのかもしれませんが、色々とドラマを盛り込み過ぎ。特に先生がピアノを弾けなくなる原因となった過去のエピソードは定番過ぎちゃってて。この監督の過去作品にも同じネタが登場してますし。 女子生徒のモノローグで始まりながら先生のモノローグで終わるという構成もツッコミどころ。 だけど、今の日本の風景の美しさを切り取り、ドラマの中に生かしてみせる三木監督の手腕がここでも存分に発揮されています。青い海、五島列島の美しい島影、人々の暮らす家並み、そこで生きる中学生達の生が、その風景の中に溶け込んで。 海、船、汽笛、風といったキーワードとなる要素が元となった『手紙~拝啓 十五の君へ~』という歌の持つイメージを大切にしていて。 そしてもちろん、十五歳なりの苦悩、切ないドラマがあって。 キャラ的には、ずっとご機嫌ななめ状態のガッキーも良かったのですが、何と言ってもソプラノの少年、彼が全部持っていっちゃったような感じで。彼のあどけなさと彼が抱えたものの重さとのギャップに胸が痛く、ずっと彼を中心に映画を見ていました。 これまで何度か「今の日本の風景を捉えた青春映画」が大切、ってレビューに書いてきましたが、三木監督は今、最もその理想を表現している監督だと思います。 「今」から「明日」へと向かって進む道を示したこの映画、監督の真骨頂が発揮された作品でした。 [試写会(邦画)] 9点(2015-02-19 23:04:44)(良:1票) |
519. ドラフト・デイ
《ネタバレ》 ライトマンってここまで魅せる人だったっけ? なんかバカっぽい大味なコメディばっかり撮ってる人って印象が強かったんですけど。 日本でNFLがブームになったのって今から40年ほど昔の事で、その頃に私も多少ブームに乗っかりはしたものの、当時とはチームもかなり変わっているようですし、ドラフトのルールなんてモノまでは知る由もなく、でも、そこが判らなければこの映画の魅力は半減どころの騒ぎじゃない訳で、映画が始まる前の解説はとても重要でした。 ドラフトの日のGMの混乱劇を追った映画で、銃撃戦も死人も殴り合いもありませんが、スリリングなサスペンスに溢れた娯楽映画となっております。 GMに襲い掛かる数々の難題は、ちょっと盛り込み過ぎな感もありますが(ドラフトの駆け引き、自分の意志と周囲との摩擦に加えて、恋人の妊娠や母との確執や初勤務の使えない見習いや・・・大切な日だって事は判ってると口では言いながら判ってないとしか思えない人達ばっかり!)、それら大問題を全て抱え込んだ上でのクライマックスの盛り上がりっぷり、そして逆転の爽快さときたら。 駆け引きのシーンで頻出する分割画面は会話をスピーディに切り取ると共に、その意外に複雑な画面の構造によって(被写体が画面からハミ出し、重なり、横切り、さて、その多層構造は今どういう構えになってるかな?)そこから状況を読む面白さが加味されています。 結果的にそれはトクだった、んだよね? オーナーはそれで満足、なんだよね? みたいな事をちと考えないとならないくらいにはややこしかったりもするのですが(最終的にトレード条件チャラ+αにした時点で十分トクなんですけどさ)、それまで翻弄されてきた人々がそれぞれ納得のゆくところへピタッと収まってゆく、そのまとめっぷりの気持ち良さに面白いものを見たと満足。 結局、獲得した選手達がどんな成績を上げたのか?というのが気になりますが、それはまた別の話。 [映画館(字幕)] 8点(2015-02-19 22:36:10)(良:1票) |
520. チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密
《ネタバレ》 新宿ピカデリーで見たらビスタサイズのスクリーンに上下黒帯入った状態の映写でした。家でブルーレイ見てるわけじゃないっての。 さて、これは、ジョニデ、グウィネス、ユアンと「毎度仕事選ばな過ぎ俳優」が顔をそろえた、本当にもう少し仕事選びましょうよ映画。まるで『志村けんのバカ殿様』を映画館で見ているようなレベルの緩い笑い(っていうか笑えない)が延々と続いてゆくっていう。 ジョニデはバカキャラ、下ネタばかり、物語は申し訳程度にある状態と、大人の鑑賞に耐えるレベルのものではありません。いや、子供だってキツいですが。大体、キャラ作りがあまり上手くいっていないようで、延々滑りまくり。 それでも、眠くなりながらも、なんとなく最後まで見られてしまったのは昔の『ピンクパンサー』のノリを思い出したりしてたから。アレも大して笑えないネタと申し訳程度の物語を延々と繰り広げていた映画で。ジョニデがクルーゾー、ベタニーがケイトーだと思うと、その雰囲気が懐かしくもあり。そのセンを狙ったのかな?みたいな。ヨーロッパを舞台としたのんびりとした雰囲気は嫌いじゃないです。 大スター達のお笑い演技が見られるのはいいんでないかと。まあ、面白くはないですが。 あと、お願いだからゲロネタやめて。モルデカイと同じで貰う体質だから。 [映画館(字幕)] 4点(2015-02-18 23:27:36) |