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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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641.  仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判 《ネタバレ》 
シーズン1(2016)、シーズン2(2017)に続く総まとめの劇場版で、それぞれの再編集版の劇場公開(2018/5/5、5/12)に続き5/19に公開されている。 今回は畜産計画なるものに関わるエピソードだが、最初に出た食料事情の説明が荒唐無稽な上に、そもそも食料としての優位性がどこにあるのかわからないので現実味は薄い。山中の養護施設のようなものも浮世離れしてスケールが小さいが、ダークファンタジーというか寓話的な物語とはいえる。無垢な少女の肢体を欲する好色ハゲオヤジというのも古色蒼然たる図式だった(芸能界では普通なのか)。  内容的にはこれまで同様激しいアクションで暴力沙汰が多く、こんなに血が出てよく生きているものだと思った。 一方で、以前からのトーキョーグール路線にはここで一定の結末をつけたように見える。人間を食わなくても生きられる、という点は非常に大事なことで、これで例えば現実世界のクマのようなものかと思えるようになった。赤の方はクマとみれば全部殺す執念の男だが、緑の方は人に害をなさない限り生かすべきという立場とすればわかりやすく、それで最後に赤が敗退したのは自然ともいえる。ただしいつ豹変して人を食うかわからないのでは、本来は人を食わないクマより危険だろうが、話が通じる点ではクマよりましであり、ここはクマとの決定的な違いである。 また、食う食われるの関係を善悪の話で終わらせなかったのもまともな態度である。結果としては気色悪いジジイが言っていたように、生態系が常に変化する中で、生きるために生きる生物が生き残る、という普通の見解で終わったようで、あとは人間の立場として人間が生き残れるよう、やるべきことはやらせてもらうということになる。ただ何をどうするにしても冷徹な判断だけでなく、気持ちとか思いとか心も重要だということを言っていたような気はした。 自分としては特に面白いシリーズではなかったが、あまり観客が関心を持たなそうな面でもいろいろ考えながら作っているようではあった。  ほかキャストとしては、武田玲奈さんが最後まで良心的な役柄で、優しいお姉さんの顔を見せていたのはよかったが、ただ劇中事情に即していえば、この人物はそのうち不良少年に食い殺されて終わりと思われる。また東亜優さんはクラゲでもなく慈母のような存在で、こんなところで膝枕もいいかも知れないとは思った。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:48)
642.  劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season2 輪廻 《ネタバレ》 
シーズン1に続くその2である。前回と同じく2017年4~6月の13話からなるシーズン2を1/5弱に短縮した再編集版で、シーズン1の公開(2018/5/5)一週間後の5/12に劇場公開されている。 単純な続きではなくいきなり5年後になっており、冒頭に少しだけつなぎの部分があるが超ダイジェストのため、かろうじて子ができたことがわかっただけである。その後も何をやっているのか不明な場面が多く、さすがに総集編だけで見るのは厳しい気がした。例えば赤いのが人間を守る方針だった理由は、つなぎの部分でも説明があったようだが、結局Wikipediaの記事を読むまでわからなかった。  物語的には前回に続いて「東京喰種 トーキョーグール」路線に見えるが、登場人物の間で劇中世界への対応姿勢に違いがあることは明瞭になっている。対立する立場のうち、赤いのが「人間は守る」と言っていたのは人類にとっての共通認識であるから、視聴者の立場としてもモグラに死んでもらう必要があったのは間違いない。一方の緑は当事者として自分なりの判断基準を持っていたようで(よくわからなかったが)、目的に応じて赤とも人とも共闘する姿勢だったらしい。 今回少し注目したのは「楽をした分誰かにつけが回る」で終わる一連の会話だった。前回の駆除班がなぜかいつまでも5円玉の御縁にこだわるのは呆れたが、そういう情に流されてどっちつかずの態度を取るのでなく、まずは自分の立場をはっきりさせる(旗色を鮮明にする)ことが大事ということかと思った。劇中でいう「ちゃんと向き合う」というのも、その上でのことだったようである。  キャストについて、武田玲奈さんはやっと前面に出るようになったが、今回はどうもヒロイン役を別人に取られてしまった印象もある。そもそも可愛く見せようという気がないのではと思ったが、しかし劇中人物としては自分の方針をしっかり持っていたのがいい役柄に見えた。また東亜優さんはいきなりお母さんになったあげくにクラゲというのも困った展開だが、上半身裸になって(!) 胸は見せない場面もあったりした(特にエロくはない)。子が父母のそれぞれに似ているというのは泣かせどころだったかも知れない。 そのほか、この手の番組でウニが出て来たのは初めて見たと思ったが、実は昔の仮面ライダーシリーズでも結構出ていたらしい。今回は殻の中身まで見せたようなデザインが秀逸だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:45)
643.  劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season1 覚醒 《ネタバレ》 
仮面ライダーシリーズの劇場版である。今どき「アマゾン」である理由に関して、劇中でも開き直ったような説明は一応あったが、それよりこれ自体がAmazonプライム・ビデオで公開されたオリジナルコンテンツだそうなので、そのこととの関連で捉えた方が素直に納得できる。 この映画は、2016年4~6月の13話からなるシーズン1を1/5以下に短縮した再編集版とのことで、総まとめとなる劇場版の公開(2018/5/19)に先立ち5/5に劇場公開されている。総集編のため細かいところは飛ばしているのだろうが、大まかな話としてはわからなくはない。ちなみにもとの13話も追加料金なしで見られるがそこまでの熱意はない。  まずアクション部分はかなりハードな印象があり、力任せの生体破断など残酷というより豪快で、自己の存続をかけた容赦ない闘争の表現に見える。ただし自称が「ボク」の男が2人もいるのは気色悪く、そんなことで同情を買おうとするなと言いたくなったが、そういう甘ったれも最初のうちだけだったらしい。 一応は子どもを含む広い世代が見る想定のようだが、ただし製作側が意図したように「30~40代の男」にとって「見応えのあるもの」かどうかは何ともいえない。特に、ちょっと恥ずかしいほど「東京喰種 トーキョーグール」と似たようなことを言っている(2017年の映画しか見ていないが)のでまたこの話かと思わされるが、しかし最後になると赤いのがあくまで「人間を守る」と宣言する一方、駆除班までが反対側に味方したりして、それほど単純な図式でもなかったらしい。これを見た限り緑の立場は微妙なようで、そのうちどこかで無理が出るのではという気はしたが、とりあえず今後の動向を見るしかない。  キャストに関しては、個人的に最大の見どころになるはずだった武田玲奈さんが、この再編集版ではほとんど出番がないので落胆させられる。こんなことならかえって変に危ない場所に出て来ないで別のところで可愛く女子高生でもやっていればいいのではと思ったが、キャスト配列順を見るとヒロイン役(緑の方)の位置付けのようで、次回以降は活躍の場があるのかも知れない。また東亜優さんも素性不明の役だが、同じく大人のヒロイン役(赤の方)ということになるので、そういうことも含めて期待感を高めておくことにする。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:41)
644.  指恋 ~君に贈るメッセージ~〈web〉 《ネタバレ》 
エイベックスとソフトバンクが運営していたスマートフォン向け配信サービスのUULA(2013~2017)が製作したwebドラマである。本来は1話10分で全12話あり、全部つなぐと映画1本分の長さになる。 宣伝上は「恋に踏み出せない女の子」を応援するドラマということで、中高生向けのケータイ小説とかが原作かと思ったらオリジナルの脚本らしい。最初のうちは中高生というより中学生向けかとも思っていたが、後の方では少し対象年齢が上がったように見えるので、あまり侮ってかからないで虚心に見た方がいい。  物語としては、日本人男女になぜか外国人の男を加えた三角関係ということになっているが、実際はさらに2人を加えたW形にして一定の複雑性のある話を作っている。終盤の「おれに聞くなよ」以降、次第に明らかにされていく真実はありきたりともいえるが、それまで納得いかなかったことも最終的に全て解消され、結果としてけっこう悪くない話ができていた。 また題名に関して、映画紹介ではスマホのメールで思いを語ることだと説明されており、いかにもケータイ小説じみた軽薄なネーミングと思っていたが、実際見ればちゃんとまともな意味があることがわかって少し感動的だった(こんなドラマで感動したなどと言いたくないが)。また副題にいうメッセージは、字で書くと「웃어줘」だと思われる(これで正しいかどうか)。  キャストに関しては、主演の瀧本美織という人はよく知らないが、劇中で「普通の子」と言われていた通りの地味な容貌に見える。ただしそもそもが美形のため、これで「“非モテ”女子」といわれても現実味はない。 一方でライバル役の山谷花純さん(エイベックス所属)は、この頃まだ16歳くらいだろうが主人公と同じ女子大生役で、単純な可愛さではなく大人っぽさと個性を前面に出し、主人公が劣等感を覚えるだけの存在感を見せている。こんなwebドラマの場ではあるが、なかなかの大役を務めている印象はあった。ほか主人公の叔母役は、発声のせいで台詞が聞き取りにくかった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-12-14 08:58:11)
645.  ロスト・メモリーズ 《ネタバレ》 
日本がらみの歴史改変物語である。2009とは伊藤博文暗殺から100年後の意味らしい。 合作というだけあってそれほど激しい怒りを感じるところはないが、それは見る側の慣れもあるのと(最悪なのは他にある)、日本人との友情や日本人の家族愛も描写されるので悪印象が緩和されている面はある。  突っ込みどころはいろいろあるが最も困るのは、制作側がいったい何をもって“正しい歴史”と考えたのか理解できないことである。 まず映画の開始時点では、[A]伊藤博文が暗殺されなかったため?日本が第二次大戦の戦勝国となり、半島も満州も領土として維持したまま2009年に至った世界である。これを耐えがたいものとして主人公らが改変したあとの歴史は、[B]伊藤博文が暗殺されたため?日本が第二次大戦で敗れ、以降も現実世界と同様に推移したが、2008年に南北が統一され(どうやって?)、強大な経済力と軍事力によって「アジアの手本」となり、さらに高句麗の領土回復運動を起こした世界である(中国から見れば侵略的発想)。 このうち[B]は、2008年以降は向こうの立場として正しいのかも知れないが、しかし[A]であっても劇中の京城府は東京なみに繁栄しており、別に日本が植民地的に収奪してきた世界とも思えない。朝鮮戦争もなく、南北も分断されずに半島全土が豊かになっていたのだろうから、その状態から独立運動でも起こして[B]の2008年以降に繋げば一番都合がいいのではないか? それでも[B]が正しいと制作側が思ったとすれば、やはり日本に原爆が落ちて惨めに敗れた(自分らは戦勝国になった?)ことが不可欠であって、そのためには朝鮮戦争の惨禍も南北対立の歴史もあえて受け入れる覚悟と思うしかない。要はプライドの問題ということだろうが、他国の支配を嫌うのであれば、19世紀後半まで遡って自らその身を正すのが筋だろうと個人的には思った。日本にできたことができなかったはずはない。 ちなみに現代の感覚だと、過去に遡って歴史を改変した場合、単にそこから別の歴史が分岐するだけで、元の歴史はそのまま別世界として残ると考えるのが普通ではないか。唯一絶対の正しい歴史などはないと思わなければならない。  以下雑談として、 ○上記[A]はなぜかポカリスエットが蔓延する世界だった。 ○日本語の発音が不得意な人物はみな現地出身者という意味か。局長の金田という男は内地出身かも知れない。 ○花火の場面では、日本人の子役が日本風に可愛らしいので、他はどうでもこの子だけは無事でいてもらいたいと思った…こんな場所にいては制作側に殺されかねないので早く内地へ引き揚げろ。
[DVD(字幕)] 5点(2019-12-14 08:58:08)
646.  ディール・ブレイク 《ネタバレ》 
アイスランドの映画である(寒々としている)。シリーズ2作目とのことだが、単純な続きではなく独立的なサイドストーリーのようなものらしい。 内容としてはアクションのあまりないクライムサスペンスである。最後の部分を除いて説明的なところは全くなく、専ら状況に語らせる展開なのでわかりにくい。また日本人にとっては顔の見分けがつきにくいのも問題で、せめて人名はまめに出してもらいたいものだと思った。  物語としては麻薬の密売に関わる犯罪組織が、警察内部に協力者を確保しながら街の支配権を争う話になっている。この2作目では警察官が主人公だが、その警察でも内部統制が緩く、情実人事とか汚職を見て見ぬふりの風潮があったらしい。また血讐blóðhefndの風習を残しているかのような場面もあり、それでは何のために警察があるのかもわからなくなる。刑務所の看守が受刑者と癒着していたのも問題で、そういう現代の先進国らしからぬ現状を批判する意図があると取れなくはない。 しかし人口35万の小国であることから、警察一般への批判というより特定機関を名指しで悪事を暴くような印象が出ており、これを単なるフィクションとして見るのは結構難しい。何か確証があって告発しているのか、または存在しないことをでっち上げてまで社会批判したいのか、あるいは実態と関係なしに自国を舞台にした犯罪映画を作りたかっただけなのかがわからないので非常に困惑する。 ただエンドクレジットを見るとアイスランド産業・革新省?が制作に関わっており、またレイキャヴィーク首都圏警察その他国家機関も協力していたらしいので、少なくとも国と一線を画した立場で権力批判していたのではないようでもある。そもそも2013年に初めて武装警察の発砲で人が死んだことが話題にされるお国柄で、こういう犯罪映画が成り立つのかと思うわけだが、しかし外務省(日本)の海外安全ホームページによると、この国にも「麻薬の常習者や売人」がいること自体は間違いないらしいので、こういうことも絶対なくはないという程度に思っておけばいいのか。どういう見方をすればいいかわからないのでかなり混乱させられる映画だった。  なお劇中の外国人について、パレスチナ自治政府の旗のあるレストランは難民の経営だろうが、セルビア人の密売人も90年代のユーゴスラビア紛争の難民だったらしい。そのセルビア人は、憎むべき悪人でいながら当人もかなり厳しい状況に置かれており、これから生まれる娘をネタに脅迫されていたのはお気の毒というしかない。悪の根源は内にも外にもあるが、本当に恐ろしいことは外の世界にあるということか。 ほか何気に日本車を貶める台詞が出ていたのは気に食わない。「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」(2009)に続き、個人的にはこの映画でまた対アイスランド感情が若干悪化した。
[インターネット(字幕)] 5点(2019-11-16 16:28:46)
647.  K-19 《ネタバレ》 
最初に見たのはTV放送で、とにかく放射線障害が悲惨だったことだけ憶えていた。医学的にどうかはわからないがわずか10分でこの状態になり、それでも次々に人員が投入されていくのが恐ろしい。日本でいえば1999年に東海村臨界事故があったので、何かと雑なソビエト連邦の出来事だからとも言い切れなかった。  今回は無料公開の終了間際ということで見たが、上記以外の部分はそれほど感心しなかった。一応は実際にあった事件をもとにしているので、先の見えない展開のようでも自由度は狭まっており、例えば総員退艦して自沈する選択はありえなかったことになる。事故の話だけでは不足と思ったのか、前半では艦長が無理してスリリングな見せ場を作っていたが、その理由の説明には納得できなかったので落胆させられた。終盤で再度300mをやったのは、前にもやったので気分的には怖くないという意味だろうが、物理的には1回が限度で2回は無理ということもあり得たのではないか。 人間ドラマとしても、前艦長が一番いい人かと思っていたら艦長も感化されていい人になって、最後は仲間が一番大事で終わるのは極めて普通というしかない。少し意外な点として、艦長の父親も息子に似て野心家だったが「ツキの落ちる日」が来て収容所に行ったのかと思っていたところ、終盤でその想定をひっくり返す展開になっていたらしいが、それもそれほど印象的なものにはなっていなかった。 最後の集合写真で大感動もできなかったが、もうアメリカでもかつての敵への偏見などはなく、ロシア人の乗員に素直に心を寄せる余裕があったのだなという感慨はあった。ロシア風の背景音楽も耳に残る。  以下些細なことだが、字幕で近くの島の名前が「ヤン・マヤン」だったのは何語か見当がつかず南洋の島かと思ったが、これはノルウェー語でJan Mayen、ロシア語でもЯн-Майенで、カタカナでは「ヤン・マイエン」と書くのが妥当と思われる。こういうところにも気を使ってもらわないと北極海の雰囲気が損なわれるわけだが、そもそもその前の段階でバレンツ海を「ベーリング海域」と訳すようではどこの話かわからなくなる。劇中の地図を見ればいいにしても杜撰な翻訳だ。
[インターネット(字幕)] 5点(2019-10-27 19:28:28)
648.  ユリョン 《ネタバレ》 
潜水艦大活躍の映画である。まずは序盤のよくわからない情勢判断により敵は日本と決めておき、最初に通りがかりの日本潜水艦1隻をいきなり撃沈、反撃に出た2隻も無慈悲に撃沈し、特に3隻目を恥辱まみれで残酷に葬ったのが最大の見所だったと思われる。ただ、ロシア製の潜水艦が音を立てて通っても日本側が気付かないという想定は世間を甘く見ているところがある。  ストーリーとしては、基本的に交わらない二人の立場を並行的に語っていたように見える。一人はミサイル発射を阻止しようとした男(431)で、普通に人命を尊重し争いを避けようとする立場である。この男が「準備ができていない」と言ったのは、いつか日本を滅ぼす日が来るというよりも、自国が力をつければ本当の主権を得て堂々と国益を主張できる、あるいは滅ぼすまでもなく圧伏させられるというような意味だったと想像され(いわゆる「克日」か)、それを含めていわば国民の理性を体現する存在だったと取れる。 もう一人はミサイルを発射しようとした男(202)で、まずは自国の存在を周囲に認めさせるため最も過激な方法でアピールしようとする立場である。北のやることに似ているが脅しで済まないのはさらに過激で、最初は「沖縄県民」だけが殺されるのかと思ったら、結局は主要都市(熊本?・広島?・大阪・名古屋・横浜・東京・新潟・仙台・札幌)を核攻撃して、1億皆殺しとはいかないまでも千万単位で殺す予定だったらしい。この202は「教祖様」「幼稚なロマンチスト」と431に評されており、また自軍の兵を生体解剖するなど残虐性も見せていたので、この映画としても表向き肯定していたわけではないようでもあるが、しかし終盤の熱弁など聞くと431とほとんど同格の扱いになっている。字幕によれば国民の「ハン」(恨)を代弁する存在だったらしい。 こういう題材だとどうしても両論併記的になるようで、物語上は431を優先していわば啓蒙的な映画にしたのかも知れないが、その割にエンドクレジットで431より202が上なのが現地の本音かと思ったりする。ちなみにいうと、終盤で出た202の「強くなること…生きるしかない」という台詞には日本人も学んだ方がいい。いいこともちゃんと言っている。  なおDVDの最初の表示を見ると、こんな映画の公開になんと駐日大使館が協力していたようで、こういうのも外交の一環ということらしい。点数はアンチ202でなく431の立場に寄せた形で付けておく。
[DVD(字幕)] 5点(2019-10-27 19:28:26)
649.  おクジラさま ふたつの正義の物語 《ネタバレ》 
題名(副題の方)にクレームを付ける目的で見た。 かつて“正義の味方”という言葉があったが、そこでの“正義”とは社会の構成員が安全・安心に暮らすために必要な共通認識を規範として守り、あるいは守らせるよう努めることだったと考えられる。要は“人を殺してはならない”といった類の極めて基本的なもので、だからこそ“正義の味方”の登場は子ども向け創作物に限られていたわけだが、だからといって子どもの世界にしか正義が存在しないわけではない。わざわざ口に出して言わないにしても、大人を含めた社会の全員が“正義の味方”でなければならないことになる(程度の問題はあるとして)。 そのような前提でいえば、副題のように正義が複数などということはありえない。現実には、何が正しいかについて社会の共通認識が得られにくい問題が多いにしても、逆にいえばそのような問題に対して“正義”という言葉を使うのは誤りだということになる。確かに個別の個人的見解や信念を揶揄するためにこの言葉が濫用されているのも事実だが、それが日本語の“正義”の意味を変質させ、さらには社会の構成員が守るべき規範が存在するという意識までも希薄にしていくことはないのかと危惧される。 この映画の副題は、そのような風潮を助長するとまではいわないにしても(そこまで影響力はないだろうが)社会の安全・安心を損なうことを平気で表現しているのは間違いない。解説文にある「正義の反対は悪ではなく別の正義」という言葉を使うなら、“人を殺してはならない”という正義の反対は“人を殺してもよい”という別の正義であって悪ではない、ということになるが、そういうことをこの映画は意識していたのかどうか。 さらにいえば、捕鯨問題のように人類全体の共通認識が得られにくい題材をわざわざ選んで“正義”を相対化して骨抜きにし、アメリカ発という高級そうな見かけを装って、日本人の多くが正しいと思うことをポピュリズムとして否定し侮蔑して貶めようとしているのではないかと疑っていた。全て副題の印象が悪かったためである。  そういう最悪の先入観のもとで見たが、実際は自分がこの問題に関して感覚的に思っていたことに沿った内容で、日本側へのメッセージも含めてそれほど反発を感じるところはない。外部情報によれば、完成前からアメリカで激しく批判されていたのをものともせずに発表したとのことで、少なくともアメリカに迎合しようとするものではなく、かえって作中で言われていた日本人のPR下手を助けるものになっている。結果として先入観の方が間違っていたことになるが、点数は本来の数字から副題分を減じてつけておく。「正義の反対は…」の英語原文の訳し方に対する反感である。 ほか余談として、登場人物の中立的(親日的)アメリカ人の話の中で「海兵隊を内陸(アイダホ)に投入してるようなもの」という表現はユニークで笑った。これ自体は反捕鯨団体の行動力に一定の敬意を示した上での発言だったが、ここで自分としては“活動的な馬鹿より恐ろしいものはない”という言葉を思い出した。もう一つ、少し可笑しいところとして、小学校で「ろうかはあるこう」と書いてあるのに平気で走る子どもらを映していたのは“元気な子どもたち”(または“大らかな学校”)の表現かと思われる。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-19 17:23:35)
650.  樺太1945年夏 氷雪の門 《ネタバレ》 
DVDの冒頭で「表現の自由」を訴えるキャプションが出るが、これは1974年の公開時に、傲慢な軍事大国からのクレームがもとで上映が妨害されたことへの抗議の意思表示らしい。2019年に注目された「表現の不自由」と同様の問題ということになる。 内容は1945年にソ連軍が樺太に侵攻した際、真岡町の電話交換手が最後まで職場を守って自決した物語である。登場人物は若い女性が多いので、「お前をソ連の兵隊にくれてやるために今日まで育てて来たんじゃない」という台詞には観客誰しも共感して心配させられることになる(いいから早く逃げろ!)。ちなみに主人公の母親役の赤木春恵という役者は、実際に終戦後のハルビンでソ連兵からの難を逃れた経験があるらしい。 戦闘場面に関しては、戦車の撮影で自衛隊の協力を得たほか、敵海軍の砲撃で真岡の街並みが炎上するといった映像をミニチュア特撮で作っている(少し貧弱)。いわゆる反戦映画的な性格はそれほど強くない。  ところで最後のキャプションによると、劇中の電話交換手は「生きたかった」と思っていただろうとのことだったが、それをいうなら最初から迷わず職場放棄すればよかったではないか、ということになる。専門職の使命感が勝るのは立派ではあるが、若い女性が率先して生命を捨てる必要などは全くない。これを見た現代のわれわれが思うべきことは、何はどうでも自らの保全を最優先する判断が必要だということである。 また「いくさなき世界平和の確立を」というのがまた薄っぺらいメッセージであって、ここでの本当の教訓は、日本の国土に外国軍の侵攻を許してはならないということである。同盟国のはずのアメリカ軍でさえ、いれば住民に害をなすのであるから、その他の軍隊など寄せ付けない実力が絶対に必要だと思わなければならない。 この事件を後世に伝えたいとの思いには共感できるが、どうも素直に受け取れる物語にはなっていないと正直思った。時代の制約というのもあっただろうが。  なお真に憎むべきは当然ながら悪の帝国ソビエト連邦であって、冷酷で野蛮なソ連兵に民間人が無為に殺されていくのは耐えがたい。劇中の台詞にも出ていたが、樺太からの引揚船を撃沈し、生存者を銃撃して笑っていたという「三船殉難事件」に関わったソ連潜水艦2隻のうち、1隻(L-19)を沈めてやったのはせめてもの救いである。もう1隻(L-12)も沈めてやれればよかったが、そうならなかったのが忌々しい。 また腹立ちついでに書くと「勲八等」という言葉には反感を覚える。この人々が八等というなら一等はどれほどの上級国民がもらえるのか。人に格付けしようとする態度が気に食わない(※今は数字がつかなくなったらしい)。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-12 10:25:43)
651.  ひとりね 《ネタバレ》 
かつて清純派として活躍した榊原るみという女優が裸身をさらすことを売りにした(多分)映画である。個人的にはそれほど馴染みのない人だが、特撮番組「帰ってきたウルトラマン」(1971-72)のヒロイン役(ただし2クールで降板)の記憶はある。ちなみにこの人と監督は夫婦の関係らしい。 白黒映画というのは裸体を生々しく見せないためかと思ったが、同時に年代感や閉塞感の表現にもなっている。全般的に映像が暗く陰鬱で気が滅入る映画であり、また特に序盤は殊更に古臭く見せている。公開規模が小さかったらしく、ネット上の評判を探った限り、ほとんど誰も見なかったのではという印象がある。  【ここから解釈】 キャッチコピーにいう「もう一人の私」とは、本人の持つ理性を体現する存在ということらしい。44歳になった主人公が、いわば人生の中間点を迎えるに当たって適切にリードするため出現したように見える。 中間点の前段階では、同居のエロジジイが不倫常習者だったことから、主に男女関係にまつわる人間の醜さが描写されている。主人公は家に従属する古風で貞淑な妻に見えたが、実は性的な面で本質的に他の連中と変わらず、またエロジジイと同居していたのも打算があったからで、そういう自分をしっかり認識することが中間点を越える準備になったらしい。 もう一つ必要だったのは、中間点を過ぎて下り坂になり、やがて老境を迎える心構えである。エロジジイを看取って否応なくそのことに向き合わされたようで、20年という年齢差を「わずか」と言っていたのは、自分もほどなくそこに至ると自覚したのだと思われる。性的な快楽に溺れたのもいわば最後の花火で、中間点を越えればもう独りということを実感させられた終幕なのかと思った。 ちなみに白蛇の表すものは、夢占いだと幸運(金運)到来ということらしく、また一般的には性欲のイメージかも知れないが、劇中にはキリスト教会の場面もあったので、知恵の樹の実を勧めた者の意味があったのかも知れない。 【ここまで解釈】 以上に関して上り坂の人々には意味不明だろうし、すでに下り坂の人間は暗澹とさせられるだけで誰が得するのかわからない。いい映画だったとは言いたくない映画だった。  なお主演女優のほか、エロジジイ役をはじめ名のある役者が出ているが、意外な出演者として、主人公の少女時代の子役は飯田里穂という人ではないか。よく知らないがとにかく見覚えのある個性的な顔だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-09-28 08:27:54)
652.  I am 日本人 《ネタバレ》 
企画・製作・原案・脚本・出演・主題歌の森田健作氏が、2005年に千葉県知事選挙に落選してから2009年に当選するまでの間に制作された映画で、劇中商店街は千葉県市川市にあることになっている。ただし実際の撮影地は東京都葛飾区の京成押上線四ツ木駅周辺らしい。 森田健作演じる八百屋の見合い相手が酒井法子とはどういう年齢設定かと思うが、同じ葛飾区の寅さん・さくらからの連想でいえば本人が40代、妹が30前後といった感じか。妹役の小野真弓という人(個人的に好きだ)は当時20代前半だったろうが、この設定のせいで今回は極めて地味系女子になっている。また登場人物の言葉として、商店街が「日本の宝」とまで言っていたのも寅さんの世界が念頭にあってのことかも知れない。ちなみに市川ということでは「野菊の墓」の雰囲気もあるかとは思った。  テーマに関していえば、製作者の言いたいのは八百屋が言った「日本が大好きだ」「日本人に生まれて本当によかった」だと想像される。また題名の意味についてはアメリカ人が言ったように、国籍はともかく「日本が好き」なら日本人ということで(若干意味不明だが)日本が好き、というのが両者の共通点になっている。 うちアメリカ人が日本を好きになった理由は「和」の心を知ったことだったようで、この映画としても「和」を最大の長所と捉えていると思われる。ただし日本人の立場としては、「和」とか「大和魂」があるから日本が好きなどという理屈を言う必要はないはずで、要は生まれ育った土地(市や町や村・国・地球)や人々への素朴な愛着があれば十分である(愛に理由は必要ない)。この映画としてはそれをまず地元商店街への愛という形で語り、その拡大版としてワールドカップを引き合いに出したと思えばいいか。 ほかにも話題が盛りだくさんのようで、見る側として物申したくなるところがかなり多いが、それが文字通り“考えさせる映画”を意図しているとすれば、なかなか巧妙に作ってあるということかも知れない。  以上で終わりにするかと思ったが書かずにいられない気がしたので一つ書くと、政治に対する不満を国全体の否定に結びつける人物がいたが(劇中では国旗を嫌悪、近年では「日本死ね」)、しかし政府=日本ではないのであって、一人ひとりの日本人が日本という国の一部だという意識がない限り、日本を侮辱されて怒るという感覚もわからないことになる。そういうことをあえてわかろうとしない国民がいる日本を、自分としては丸ごと好きだとは全くいえない。
[DVD(邦画)] 5点(2019-09-21 23:50:20)
653.  韓半島 -HANBANDO- 《ネタバレ》 
題名は原題を漢字表記して発音をアルファベットで示しているが、日本語訳すると朝鮮半島である(字幕では「朝鮮半島」「日本海」と書いている)。 内容としては架空の政治劇で、映像に出ていた歴代大統領の肖像の最後が盧武鉉大統領だったことからすれば、公開時点より数年先の近未来ということになる。登場人物はほとんど男ばかりで若手女優は出ないので、彩りはないが重厚とはいえる。また100年前の宮廷を舞台にした時代劇的な部分があり、昔と現代の出来事をリンクさせて並行的に見せる場面も作ってある。軍事面では日本の海上自衛隊というのが出る(自衛艦旗が翻っている)が戦闘はない。時間が長いのが若干の難点である。  物語としては、戦前に敷設された京義線という鉄道路線(ソウル(旧称・京城)~新義州(現・北朝鮮))が朝鮮戦争後に分断されていたのを、南北融和政策のもとで再び連結しようとしていたところ、日本がいちゃもんをつけて邪魔したために、大統領が主導して障害を排除しようとする話である。ただし鉄道だけが問題なのではなく、明治時代の条約に使われた印章が偽物だったという発見をもとに、日本に統治された歴史自体を無効化しようという壮大な歴史改変ドラマになっている。どうも現実の経過は度外視で根底から全部覆そうとする国民であるらしい。 日本が嫌がらせのために大昔の条約を持ち出すとか、果ては武力に訴えるなど極めて荒唐無稽だが、DVDのスタッフインタビューを見ると、そんなことはありえないとわかっているがそこは映画なので、と開き直っていたのは笑った。どこの国でも娯楽映画に求められるものはあるということだ。  見てまず驚くのは劇中の日本の行動をアメリカが支持し、中国とロシアは不干渉(中国はかなり冷淡)のため、半島があからさまに孤立状態になっていたことである。日本はともかくアメリカまでが敵に回っているのを劇中大統領は大して気にしていなかったようだが、南北統一というのがこの映画の大きなテーマだったようであり、北と協力すれば怖いものはないという考え方だったのかも知れない。 また外敵である日本とは別に、真の敵は内部にいるという考え方も重要な要素になっている。劇中では、現実問題として日本とアメリカがいなければ生きていけないという認識のもとで、日本との対決を回避しようとする勢力が大統領の邪魔をしていたが、映画ではこれを歴史上の売国奴とされる「乙巳五賊」になぞらえており、その排除こそがこの映画の意図するところだったようでもある。 以上によれば、単なる反日娯楽映画にとどまらず、南北を統一して周辺大国の影響力を抑え、北東アジアに自主独立の地位を占めたいという夢を語る映画に思われた。  しかし最後のエピソードでは、大統領とその対立勢力である国務総理の意外な対決場面があり、このために最終的な映画の印象ががらりと変わったほか、正直ここでの国務総理の発言は感動的に思った。スタッフによれば、この映画には当時の「現実の政治が投影」されており、国内の政治的見解(いわゆる進歩派と保守派か)を公平に扱うため、あえてこの結末にしたとのことである。それまで荒唐無稽な歴史ファンタジーに見えていたのが、最終的には変に現実味のある話で終わったのは映画としてのまとまりが悪い気はするが、ここに至る底流は初めからあったともいえる。 公開当時の大統領の側近が2019年の現在では大統領になっており、この映画で描かれたことは今の状況にも重なっているように思われる。今後の半島情勢がどう展開するかは向こうの国民次第だが、とりあえずは日本国の民に幸あらんことを祈りたい。
[DVD(字幕)] 5点(2019-09-21 23:50:17)
654.  人間失格 太宰治と3人の女たち 《ネタバレ》 
初日に行ったが年齢層は若干高めだった。 実話をもとにしたフィクションとのことで、主人公のほか登場人物は実在の人物らしい。冒頭の入水事件を除き、ほとんどの部分は1946年に主人公が東京に移転してから1948年に死去するまでの足かけ3年の話である。 日頃この作家の著作に親しんでいるわけでもない男(走れメロスしか知らない)として共感できるものは特にないが、文豪の創作の背景を描いたものとして見ごたえのある映画と思われる(ただし少し眠くなる)。物語のほかにも映像面や役者の演技で見どころは多いだろうが、自分としてはカニを買った場面が好きだ(台詞と顔)。また題名の小説を書く前に主人公が死んでしまうのではないかと思っていたが、最後に執筆経過を手際よくまとめていたのはよかった。  事実がどうかは別としてこの映画で見た限り、主人公が創作のために何人もの女性を身勝手に翻弄したのは非道ともいえるが、しかしできた作品が傑作だから許されるなどと言い訳するまでもなく、この男はこのようにしか生きられなかったというだけに見える。主人公は最後までバカなままで死んだようだが、そのことで「3人の女たち」はそれぞれ最後に得たものがあったらしく、これで基本的にはハッピーエンドと取れる。また最後に傑作が残されたからには読者も得をしたわけで、他のみんなが喜ぶ一方で主人公だけがブチ壊れて滅んだという結末らしいが、そういう理解でこの作家のファンが納得するのかはわからない。 登場人物に関しては、何といっても「3人の女たち」が見どころだろうがそれほど極端にエロい場面はない。個人的な関心事として、山谷花純という若手女優がどこに出ているかと思っていたら最後まで気づかないまま終わってしまったが、本人によれば「田部シメ子役」とのことで、冒頭で入水した人物(実在)がそうだったらしい。出番は短いが「3人の女たち」に加えたもう1人の女としての位置付けになる。 なお主人公の長女役は名の知れた子役のようだったが、長男役の子役はどこから連れて来たのか気になった。  以上のようなことで、自分としては特に大絶賛ということにはならないが、鑑賞者側の限界のために評価しきれていないところが多いと思われる。そういう場合の通例としてとりあえず点数は5点にしておく。
[映画館(邦画)] 5点(2019-09-14 19:44:20)(良:1票)
655.  火垂るの墓(2008) 《ネタバレ》 
2008年は戦後63年のため周年記念にはなっていないが、夏の公開であるから戦争回顧月間の催しという扱いかとは思う。撮影場所は海が淡路島、陸地も主に兵庫県内(どちらかというと播磨の方)のようである。 この物語に関して、要は戦争が全部悪いのだ、という単純な感想が得られにくいのは原作もアニメも同じだが、この映画ではわりと簡単に西宮の未亡人が悪いといって終わりにしたくなる。いきなり最初から人格低劣で厚顔無恥なところを見せつけるが、その後の行動を通じて印象が好転するわけでもなく、最後まで単に賤しい人物にしか思えない。この映画ほどあからさまに出て行けと言われてしまっては出て行かない方が変であり、アニメ版に関してよく言われるように、清太がもう少し我慢すべきだったとは言わせない作りになっている。  この映画の特徴点の一つは原作にない人物を出していることで、うち2階の男に関しては、厭戦気分の背徳的な人間が排除されて虐殺される姿を見せたかったらしい。また校長一家はいわゆる天皇制の犠牲者ということだろうが、あるいは物語的に、兄妹がこの一家を頼っていれば助かったかも知れないと思わせておいて、結局その道も閉ざされていたという失望感を出す意図があったようでもある。全体的にあまり戦争が前面に出ていないので、こういったエピソードで反戦色を増すことを考えたのかも知れないが、特に未亡人を含めて、国家というより民衆主体の排除と弾圧で犠牲になった人々を描こうとしたと思われる。 またこの映画で最大の特徴点は、題名の「火垂るの墓」について、失われた多くの生命の名を刻むものという意味づけをしたことと思われる。兄妹がやった連日のホタル祭りのせいでホタルの墓が大量にできていたが、わざわざ全部に名前を付けていたのは、その一つひとつがかけがえのない生命だったことの示唆になっている。特攻機の灯火をホタルに喩えたのは乗員が虫けらのように死んだことを思わせ、また空襲で死んだ少年の名札を読んでいたのはその生命を尊んで記憶しようとしたように見える。最後に節子の名前が墓標に記されたところで実質的にこの物語は終わり、そのため清太のその後は捨象されたのだと解される。当然ながら誠実に作られた映画であり、エンディングの音楽も心に残った。  キャストに関しては、子役は別として名の知れた役者も出ているが、当時実質的に目を引いていたのは松田聖子だったようで、舞台挨拶でこの人が登壇すると歓声が上がっていたのはさすがである。また校長一家の長女役の谷内里早という人は俳優の国広富之の娘ということで、顔はよく見えないが歌声は印象的だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-08-10 09:55:41)
656.  火垂るの墓(2005)<TVM> 《ネタバレ》 
この物語に関して、要は戦争が全部悪いのだ、という単純な感想が得られにくいのは原作もアニメも同じだが、最も戦争との関連付けをはっきりさせているのがこのドラマと思われる。ただし前面に出ているのは西宮の未亡人である。 自己の保全が優先で他人は見えても見えないふりというのは当時も今も普通にあるだろうが、このドラマでは自分の子を守るため、準身内のはずの親戚の子どもと義弟をあえて切り捨てたことで非情さが際立つ結果になっている。その行動を否定することはできないが、しかし子ども相手にあからさまに追い出すでもなく嫌がらせをして出て行くように仕向けておいて「私が追い出したわけじゃありません」とうそぶく神経は自分にはなく、さすが鬼は違うと思わせるものがある。終戦直後に兄妹を探し回っていたのは、戦争が終わったとたんに人の心を取り戻したという甘っちょろい演出かと思ったが、その後は泣き言も言わず最後まで筋を通したらしいのは立派である。結果としては戦地で男が敵を殺し、内地で女が子どもを殺したのが戦争だったという主張らしい。 嫌がらせの動機に関しては、夫の戦死で軍隊への反感を抑える気がなくなり、それで軍人の子である兄妹を切り捨てる決心をした形になっている。軍人の子には人権がないかのような理不尽さを感じるが(出身成分による差別?)、しかし少年の方も社会活動には積極的に参加しておいた方が無難だったとはいえる。父親も妹だけ見ていればいいとは言わなかったはずで、ここは少年の思い込みが過ぎたということだろうが、そもそもこのドラマでは父親をなぜか原作より格上にしており(海軍大佐、戦艦「長門」艦長?)、それだけ少年の思いも強かったのかも知れない。なお火事場泥棒のような行動は戦災でも震災でも憎まれて当然である。  そのようなことで、しっかり作られたドラマだとは思うが、しっかりし過ぎて見る側の精神的ストレスが大きくなりすぎて皮肉ばかり言いたくなる。未亡人役の女優は前から別に好きではなかったが、今回はっきり嫌いになった。母親たるもの地獄に堕ちても本望だという顔を好演している(褒めてはいない、単純に顔が嫌いだ)。ちなみに長女の60年後は変にニヤついた顔が前から嫌いだ。 なお皮肉ついでに失言と思われることを指摘しておくと、親戚の子どもと義弟だけでなく、長女も切り捨てれば残った者は楽になる、と言っていたのは言い過ぎだ。次女も三女もいなくなればもっと楽になり、要は長男だけ残ればいいということか、と言いたくなる。
[DVD(邦画)] 5点(2019-08-10 09:55:39)
657.  文福茶釜 《ネタバレ》 
「古美術ミステリー」の短編集を原作とした映画で、表題作の「文福茶釜」からマンガという要素を除き、代わりに「山居静観」の水墨画を加えて映画一本にしている。映画の舞台は大阪を中心とした関西である(敦賀は出ない)。 内容的には、騙し騙されというほど逆転続きの意外性はないが原作の雰囲気は表現されている。美術品に内在する普遍的価値どころか愛好者の主観的価値も問題にされず、専ら表面上の取引価格しか存在しないかのような世界観だが(「芸術」という言葉が一回だけ出る)、業界人同士の化かし合いは当然としながらも、素人は騙さないという点で一定の倫理水準を保っているのは原作由来のことである。  映画独自の趣向として、原作では登場人物が男(中高年)ばかりで極めて地味なのに対し、映画では女性の新人社員を加えることで華を添えている。かつこの新人を観客に近い存在として劇中世界との接点にしたらしく、顔だけで人を信用してはならないという初歩的な教訓を込めたオチを最後に付けている。ほか原作にはない主人公の生い立ちの話を加えて人情味も出しており、エンドロール後の場面は特に共感できるわけでもなかったが、その場面自体はあとに余韻を残すので悪くない。 少し困ったと思うのは、主人公の勤務先が美術雑誌の出版社という説明はあったが本業の場面がほとんどなく(冒頭の神戸は広告取り)、何で美大出の新卒がこんな会社に就職したのかよくわからなくなることである。この新人はとりあえず修羅場で真贋を見極める力を磨いてから、もっとまともな職場に移った方がいい。  演者については吉本興業の製作らしく関西芸人を揃えたようだが、それはいいとして根本的なところで問題なのは、大阪出身の小芝風花さん(むくれた顔がかわいい)を出しておいて東京言葉をしゃべらせるのはどういう了見なのかということである。自分としてはこの人が大阪弁で本領発揮というのを期待していたので多少の落胆はあったわけだが、それにしても素直で騙されやすい人物をわざわざ東京出身の設定にするのはいわば地域差別(逆差別?)のようなものではないか。真面目で正直な女性は大阪にもいるだろうが(多分いなくはない)。 そういうことで特に好みでもないが基本的には堅実な映画であり、原作ファンと小芝風花さんを見たい人々には見る価値があると思われる。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-07-27 12:59:22)
658.  カミングアウト 《ネタバレ》 
“LGBT”のうちのGayの青年が周囲の人々にカミングアウトしようとする話で、特に過激に思われる場面もなく穏やかな雰囲気で推移する。見たところ一般向け啓発ビデオのような印象があり、宣伝文では「きっと、あなたの価値観変わります」と書いているが、見ても特に変わった気がしないのは5年も前の映画だからかも知れない。 映画の作りとしてはどうも素人っぽいというか手際が悪く見えるところがあり、特に大学のサークルの場面は間が悪いようで笑える台詞も笑えなくなっているが、これはキャストというよりスタッフの問題ではないかという気がする。後半になるとそれほど違和感もなく、夜の静かな場面での虫の声などは効果的に思った。  物語としては、まず前半で主人公が人間関係に悩みながら覚悟を固めていき、後半でごく近しい人々に対し順次カミングアウトを敢行することになる。なおいわゆるアウティングに関する問題は捨象されているらしい。 相手の反応のうち、特に母親の嘆き(孫の関係)は単に無知とか偏見では済まされないことなので心が痛むものがあるが、これは他の劇中人物が言っていたように「人生にはままならないことがある」と思え、ということか。どうしようもないのはお互い様だということもあり、またLGBTだけが原因になるわけではないということもある。 今回は親しい人間に限定して実行していたわけだが、主人公としては今後も対象を拡大していくつもりだったらしい。一体どこまでやらなければならないのかと部外者としては正直思うが、ここはこの映画の持つ啓発ビデオの役割を主人公に負わせていたということか。社会の受容度が高くなれば当事者があえてハードルを越えようとすること自体が不要になるのは間違いない。 ちなみに親友に対しては告白が2段階になっており、2つ目はあえて言わなくてもと思わなくはなかったが、この映画として淡い恋物語の結末が必要だったということかも知れない。  なお監督・脚本は犬童一利という人物だが、著名な犬童一心監督との関係はわからない(年齢は約26歳差)。知っている役者はあまり出ていないが、高山侑子という人が主人公の後輩で普通に可愛い女子大生をやっている。ほか「協賛」としてNPO法人の名前と「Alfa Romeo」「TENGA」という企業名が出ていたが、後の2つは実際にLGBTに関わる社会活動をしている会社のようで、劇中でもそれぞれの製品を見せていた。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-06-07 19:56:18)
659.  女の子ものがたり 《ネタバレ》 
どういう背景設定で何をやっているのかわからないままとりあえず見ていたが、壁画の前で喧嘩をしたあたりからやっとこの映画としての方向性が見えて来た。喧嘩相手の友人が、自分らはともかく主人公には道があるはずだと信じて押し出してくれたことが、得がたい友人だったという後日の感慨につながったということらしく、これまで女の子だった経験のない人間にとってもそれなりに泣かされる話ができている。 それにしても生まれ育ちに縛られて荒んだ暮らしを事実上強いられるなど、実際ないともいえないが、いつの時代のどこの話なのかと一応は思う(同級生男子に理不尽な迫害を受けても無抵抗?)。時代としては1970~80~90年代頃だろうが、場所については撮影が愛媛県であるのに言葉は関西弁のようで、いいとこのお嬢ちゃんは東京言葉というのは大阪出身の監督の感覚なのか。あえて場所は特定していないのだろうが、少なくとも友人の娘が顔を見せていた時代には、母親の代のような状況はなくなっていたものと思いたい。 結果的には「女の子の数だけ、シアワセの道がある」というキャッチコピーが劇中世界を表現したものには思えなかったが、しかし友人の娘を含むこれからの世代には、この言葉がそのまま通用する世の中であってもらいたいという願いを込めたとすればわからなくはない。  なお監督の方針としては子役や若手女優をかわいく見せる方に重点を置いたということなのか、登場人物の様子からは底辺の生活ということが全く窺われず、これが映画のわかりにくさにつながっている。特に小学校時代の子役のうち、ひときわ長身で美形に見える三吉彩花という人が、風呂に入らず汚い児童の役というのはかなり意外感がある。 また①森迫永依-②大後寿々花-③深津絵里(-④西原理恵子)という主人公の系列のうち、①②はいいとして(④はともかくとして)どうも③にはかなり違和感があり、この人物よりも個人的には②の人がこの映画の主役だったと思いたい。若手女優の皆さんはそれぞれ好印象だったが、特に泥にまみれた波瑠の表情が印象的だった。
[DVD(邦画)] 5点(2019-06-07 19:56:16)
660.  ココダケノハナシ ~短篇.jpルーキーズ第3弾~ 《ネタバレ》 
一応説明しておくと(第1、2弾のところでも書いたが)、「短篇.jp」という動画コンテンツの配信サイト(現在は停止中)が運営されていた時期に、新人監督育成の目的で製作されたのが「短篇.jpルーキーズ」である。第1弾からこの第3弾までが製作されており、それぞれDVD化もされている。 内容としては監督の違う全6話のオムニバスになっている。以下それぞれにコメント。  【ポイズンラジオ】 現実味も意外感もなく面白味もない。高山侑子という人は、この少し前の「空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-」(2008)では23歳の3等空尉役だったが、今回は険悪な顔つきの女子高生をやっている。まだ若いのだから(当時16歳くらい)もっと普通に可愛い役をやればいいだろうと思ったがもう10年も前の話だ。 【春のシオンで】 オチが一瞬わからなかったので何十秒か考えたが、要は夢見る女子の話だったらしい。高山侑子さんは夢の中で遊ぶ天使。 【架空の恋人】 初期設定がよくわからなかったが、最終的にオチも破局感もなく混乱状態で打ち切りになったのは悪くない。主人公(演・山田キヌヲ)の哀れっぽい顔は可愛らしい。また男の彼女(黒沢美香という人らしいが舞踊家とは別人)は、顔も見えるが脚の方が印象に残る。 【美味しいコーヒー】 最後の人物がよくわからなかったが本当の住人か同類が来ただけか。勝手に話を作る男は面白かったが、このテーマを語る上での必然性があったのかはわからない。 【キッスがしたい】 高校生がバカっぽいので呆れていたら最後は切ない青春物語。というかいきなり青春期の終わり(浦島太郎か)。役者の高校生演技は良好。元女子高生はお姉さんすぎるが、これはそもそも役者の段階で年齢差がある。 【ゴメンナサイが言えなくて】 男女の考え方/感じ方の違いということだろうがあまり深みはない。こんなのに執着する男の方が感情を理性で制御できていない。  以上、よくわからないところが多いが全体的にはそれほど悪くない。がそれほど感動的でもない。一番心を動かされたのはバカ高校生の話だった。また夢見る女子にはしあわせになってもらいたい。
[DVD(邦画)] 5点(2019-05-25 11:27:12)
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