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ボビーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1016
性別 男性
ホームページ http://blog.livedoor.jp/gepper26/
年齢 37歳
自己紹介 いつまでもこどもでいたいから映画は感情で観る。その一方で、もうこどもではいられないから観終わったら映画を考える。その二分化された人間らしさがちゃんと伝わってくる映画が好き。

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  アポカリプト 《ネタバレ》 
タイトルからもわかるように、この作品の主にしてあるのものは宗教的な観念であることは疑いようがありません。メル・ギブソン監督の前作「パッション」同様、宗教の概念があってこその作品でありつつ、それを持たぬ人にもそれの齎す力と恐ろしさが一挙に押し寄せてきます。宗教の善し悪しについては文化的宗教観のないぼくに語るべき言葉もないのですが、頼らざる者の強さと縋り付く者の弱さははっきりと脳裏に焼き付きました。という作品を覆う観念と平行に進み描かれるのは、人類とその人類の歩んで来た歴史の表裏です。冒頭の穏やかな分明なき日常の幸福感、満足感を一気に理解するものの不吉な予感は映画全体が放つただならぬ緊張感によって常に感じていました。そしてそれが滝から急降下し落ちて行くかのごとく、怒濤のように恐怖が押し寄せます。そこまでの一連の平穏な日常の崩壊と共に押し寄せてくるのは、もはや人類の歴史の早送りです。侵略による虐殺と人身売買、そして奴隷化(戦争のメタファー?)。奴隷と同様に肌の色を変える事での人種差別の比喩。その全てが歩んで来たのは人類の不毛の歴史です。それらを怒濤の如く体感し、あげくの果てには生贄の石台に乗せられ心臓を抉り出されそうになりますが、そこで偶然が起こり、一度姿を隠した太陽がまた地を照らします。歴史的に干ばつによる飢餓が進んだ頃にそういった生け贄の儀式がアステカ文明の頃にあったという説もあるようですが、そんな儀式に唐突に出会った人類が何を思うかと言えば、映画鑑賞者と同等に人間とはなんて愚かな生き物なんだろうという意識のただ一点。神に縋り付く意思とその存在への不信感。つまり人間が作り出した虚像の恐ろしさです。つまり人類とは己の都合の良いように情報を操作し、民を操り、また情報を共有できぬ者を排除し、殺戮してきたのです。そんな人類が歩んで来た人類そのもののリテラシーを一気に考えさせられるのです。それらが含んだメタファーだけでも凄いのに、そこにエンターテイメントの醍醐味まで入っているこの作品の構造!追われるストーリーから一転して追うストーリーへ(恐怖が一変して高揚感へ)。主人公の生きたい気持ち、生きなければならない責任感と緊張感。つまりスリル。それらを通過して最後にもまた問題提起をするこの仕組み。娯楽性、社会性の完璧なまでの融合を果たしているように思います!傑作です!
[DVD(吹替)] 10点(2012-03-23 18:19:20)(良:1票)
2.  グラン・トリノ
血を流さず、悪を罰する。永遠に繋がる復讐心の連鎖を、皺らだけの手のひらだけで、その心をその場に置き去りにする。ぼくにはその手のひらの温もりが心に強く残った。グラン・トリノのハンドルを通して、彼にも必ず伝わっている。
[映画館(字幕)] 10点(2011-06-24 01:30:30)(良:1票)
3.  かぞくのひけつ 《ネタバレ》 
この作品は本当に大好きです。あまりの好きさに、珍しく、三度も映画館へ足を運んでしました。まず何が良いって、それは言わなくても観ればおわかりになると思うのですが、この作品の登場人物たち全員が本当に素敵。魅力的という言葉がこれ以上にないってほどシックリきます。主人公を演じるのは、作風がかなり似ていますが(監督もとても気にしておられた)、富樫森監督作品『ごめん』の久野雅弘君。このお世辞にもカッコいいとはいえない風貌と存在感が素晴らしい。ダサい、情けない、頼りないの三拍子が彼からは発せられていますが、その魅力と言ったらジャニーさんでは理解できないでしょう。この映画俳優としてだけ成立する良さが、この作品では爆発しています。そのダサさ、情けなさ、頼りなさに興味と共感の針がバンバン当たっては震えます。そして、この作品の基本的な物語のベースにあるのは笑いです。それもビリー・ワイルダー作品のような華やかさと巧さが光る笑いです。それは尾を引く、気持ちのいい爽やかな物で、最近流行の瞬発性のものとは雲泥の差です。描かれているのはごく平凡な感情ではありますが、そこに映画ならではの笑いのスパイスが含まれており、その面白さはバスター・キートンやチャップリンの作品に共通する哀愁と楽しさが含まれています。それこそ映画の醍醐味!大衆娯楽作品のど真ん中を貫いた作品です。様々な映画が溢れる今の時代、ここまで映画が誕生した本来の目的に立ち返って作品を撮った小林監督に、拍手を送りたいです。そして尊敬します。社会性のある作品も当然必要です。しかし、この作品のような映画も消えてはなりません!ぼくはそう思います。映画を観終わった後、何分後も、あるいは何時間後も、いや、何ヶ月後もこの作品の楽しさが心に残っています。登場人物たちはあれからうまく行っているかな?元気にやっているかな?そうやって登場人物たちを身近に感じ、愛しく思い、そしてまるで自分の一部のようにその存在に感じれます。映画の良さの一つは、映画のエンドロールが流れ終わり、劇場が明るくなった瞬間からその映画の登場人物たちが頭の中で、心の中で生き続けてることだと思います。「映画の終わりは始まり」と小津安二郎監督がおっしゅいましたが、まさにこの映画はそれに当てはまると思います。映画、万々歳!
[映画館(邦画)] 10点(2007-12-28 21:45:20)
4.  ハッシュ!
こんな映画滅多に出会えない。それなのに僕は出会ってしまった。例えていうなら『抽選で100名様にプレゼント』が当たったような感じ。本当に滅多に出会えない。本当に。なのに僕は出会ってしまった。こんなに大きな衝撃と溢れんばかりの感動と涙が出るくらい爽やかな爽快感を受け、たった100名様しか貰えないのに、それを一人で二個も三個も当ててしまったようなラッキーな出会いだ。あぁ、なぜ今なんだ?今出会うべき作品なのか?今の僕には勿体無いほど面白い。二人分の二つのスポイト、井戸に落とした青いインクと唾。二人の男と一人の女。友情、愛情、幸せ、不幸。産まれる事と死ぬ事。多くのテーマと限りないメッセージ。今の僕が受け止めれるのはほんのちょっとで勿体無い。だけど、今出会えてよかった。この映画は最高だ。大好きだ。10点だ。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-11-04 23:30:41)(良:1票)
5.  スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 《ネタバレ》 
旧4,5,6の三部作で息子ルークを語り、新1,2,3の三部作では父アナキンを語り、そしてこの最終作で新三部作と旧三部作がパズルのピースのようにしっかりと重なり合うのをこの目で見届けました。アナキンのパドメに対する純粋な愛の強さ、これが暗黒面に落ちてしまった一番の要因でしょう。アナキンは元々歳の行き過ぎた状態でジェダイになった為、暗黒面に繋がる悲しみや不安を多く知り過ぎていた。さらにアナキンは生命体の源であるミディ=クロリアンの集合によって生まれた事によってジェダイの中でもずば抜けた素質をかね揃えていた。その為、2では自身過剰で傲慢な青年になり師であるオビ=ワンを酷く困らせていた。そして今作では自分の力を認めようとしないジェダイ表議会に強い不満を抱き、さらに愛する母シミを失った時の苦しみを二度と味わいたくないというアナキンのパドメに対する想いと、パドメに対する深い愛情がアナキンを一瞬にしてダース・ベイダーへと変えてしまったのでしょう。こんなにも丁寧にアナキンを描き、そして旧三部作へ少し無理矢理っぱさも感じたものの、最終的にしっかりと合致させたあの終わり方にはとても満足しています。今思えば、僕にとってスター・ウォーズを始めて目にしたのは今から丁度6年前、父に連れられて二人で映画館へ行ったのを今でも憶えています。父は旧三部作をリアルタイムで映画館へ行った世代だったので、1を見に行く時にスター・ウォーズを楽しそうに熱く語った父の表情は今も忘れられません。さらに三年が経ち、2を観に行く時もやはり父が楽しそうな表情だったのは言うまでもありません。そしてこのEP3観賞後、六年前ならば興奮気味に僕と感想を言い合っていた父は、今回何も喋ろうとはしませんでした。新スター・ウォーズ世代の僕にとってはたったの6年ですが、旧スター・ウォーズ世代の父にとっては28年が終ってしまったのです。僕も落ち込んではいますが、父の落ち込み様から察するとそれはもう波半端なものではないようです。しかし、このスターウォーズという作品に出会った事で僕と父は共通の楽しさを共感し、それは旧新世代を結び付け、そしてこのスター・ウォーズによって僕と父との間に“友情”が生まれたような気がします。そんなスター・ウォーズに僕は心から感謝しています。そして今、スター・ウォーズが父と子の物語りである事を深く理解しました。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-26 01:28:41)(良:7票)
6.  ミリオンダラー・ベイビー
マギーは最後の最後まで涙を流さなかった。フランキーにトレーナーになってもらえた時、本当は嬉しくて泣きたかっただろう。始めてフランキーと一緒に勝ち取った勝利の瞬間、この時も本当は泣きたかっただろう。鼻の骨が折れて無理矢理止血された時も本当は泣きたいほど痛かっただろう。そして愛する母への贈った家を母に喜んでもらえず、逆に馬鹿にされた時、本当は悔しくて、辛くて悲しくて声に出して泣きたかっただろう。それでもマギーは一滴の涙も流さなかった。どんなに嬉しい時もどんなに痛い時も、そしてどんなに辛くて悲しい時も決してマギーは涙を流す事はなかった。しかしフランキーと「絶対に泣かない」と約束したとは言え、彼女はやっぱり女性なのだ。タフで心と身体が強くてどんなに逞しくてもやっぱり彼女は美しい女性なのだ。それでもそんなマギーが泣かなかったのは、彼女の傍らにはいつもフランキーがいたから。励まし、共に喜び共に苦しみ、笑い、そして抱き締め合った二人は、いつしか硬い信頼と深い愛情で結ばれていた。マギーは試合を重ね勝つに連れて輝きを増して行った。しかし、彼女が本当に輝いて行った理由は、フランキーと過ごす時間が長くなり、彼に信頼され深く愛される事によってマギーは眩しいくらい輝いていったのだ。家族の愛を受けずに育ったマギーが、人生の最後にフランキーから受けた深い愛情は彼女の人生に“幸せ”という言葉を残した。それは彼女が最後に流した一粒の涙が物語っている。そしてフランキーは今も、マギーとの思い出の店でレモンパイを食べながらマギーの為に本を読んでいる事だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2005-05-30 00:51:45)(良:10票)
7.  いま、会いにゆきます 《ネタバレ》 
胸を締め付けるこの切なさ。それとは反対に、自分でも信じられないほどスッキリとした喜び。この二つの正反対な感情が同時に存在し、それら二つが心の中でグルグルと回り続けています。こういう感情を余韻に浸ると言うのだろう、と今始めて知った気分です。そんな、相反する二つの感情を僕に抱かせた理由はいろいろとありますが、殆どはラストに込められていました。まず切なさの理由は、澪が約束通り雨の季節に現れ、そして約束通り去るまでの微笑ましいくも切ない秋穂家の生活をスクリーンを通して観てしまった僕は、澪のいない秋穂家の生活を想像するだけでとても辛くて、息が詰まるほど悲しかった。さらに澪という女性が抱く、数年後に訪れる死と別れを知りながらも、巧と佑司と一緒に居たいと強く願い、想う、その信じられないほどにたくましい信念と強い心があまりにも感動的で、言葉には表せないほど胸に突き刺さり、急激に訪れた切なさが大粒の涙として僕の目から零れ落ちました。男であるはずの僕が、女性である登場人物にこれほどまでに感情移入し涙を流したのは、僕の映画観賞人生で始めての経験です。そして、秋穂家に12年という長い年月が流れ、12年という年月は、佑司の身長を倍近く高くし、潰れる予定のなかったケーキ屋を潰れさせていった。そんな澪の居なくなった秋穂家に訪れる12回目の雨の季節。きっと秋穂家では毎年この季節が待ち遠しくて仕方なかったはず。アーカイブ星から届く澪からのバースデーケーキ…我が子を宝物のように大切に想う母の愛情が詰まったバースデーケーキ。これを観た瞬間、また涙が溢れてきました(こうやって思い出しながらキーボードを叩くとまた涙が溢れてくる)。そして、立派に成長した佑司の姿を観て、きっと巧は澪の分まで佑司にたくさんの愛情をそそぎ込み、そして片時も離れず平凡だけど一日一日を幸せに過ごしてきた事を窺い知る事が出来た。あのラストは、どんなに歯を食いしばって我慢しようとしても、僕は涙を止める事ができませんでした。これだけ書いても、まだ書きたらない想いが胸の中にまだまだ残っています。この映画は素晴らしさがはみ出してしまうほど本当に素晴らしい映画なのです。もう一度言います、『いま、会いにゆきます』は本当に素晴らしい映画なんです。ぼくは、この素晴らしい作品がたくさんの人の目に止まり、たくさんの人に感動してもらえる事を強く願っています。
10点(2004-11-01 22:14:46)(良:2票)
8.  花とアリス〈劇場版〉
この映画を観終わって十日以上の日にちが経ちました。それなのに、この映画の事が頭の中から一向に離れません。こんな事、映画観賞人生で始めてです。ここ数日、レンタルショップに行って『花とアリス』が置いてある棚の前を通る度、パッケージに必ず目が行き、そして無償にもう一度観たくなります。そして毎回、容器を手に取りパッケージを眺め、悩み、天井を見上げ、そして元に戻すのです。日を重ねるに連れて、愛しさに似た想いが日に日に増しています。こんなに同じ映画に対して十日以上も想いを寄せたのは、本当に人生初です。まるで、靴の底にへばり付いたガムのように、しつこくへばり付いてちっとも剥がれず、そして頭の中から離れません。画面の中に映る、綺麗な映像や爽やかなストーリー、そして温もりのある雰囲気がどうしても頭に残って、ちっとも薄れません。目を瞑れば、綺麗で、繊細で、光で満ち溢れているいくつもの素晴らしいシーンが、鮮明に瞼の内側に映し出されます。でもやっぱりそれは偽者でしかなく、目を開けてしまえば一瞬にして消えてしまいます。この映画は間違い無く、観た人の心と記憶に美しく、そして鮮明に残り続けると思う。はぁ~・・・今の時代にこんな日本映画に出会えて良かった、と心から想い、そして、10点の上でマウスの左側を最上級の“愛”を込めてダブルクリックします。はぁ~・・・切なくも無いのにため息が止まりません。自分、この映画、「ウォー・アイ・ニー」ッス。
10点(2004-10-09 17:07:49)(良:2票)
9.  はつ恋(2000) 《ネタバレ》 
人は必ず死ぬ。でもそれを真正面から受け止める事は本当に辛い。この映画の主人公、田中麗奈演じる会田聡夏は母の思い出と初恋の手紙を見つけ、その相手を探し始めた。それはまるで母がこの世を去る事を悟っているかのようなに儚く切ない行動だった。あの行動の数々は多少、彼女の自己満足もあるだろうが、でもその自己満足的な行動が鍵となって“家族”という掛け替えの無い物の大切さに気付く事となった。主人公、会田聡夏の純粋な心や直向な優しさには終始感動しっぱなしで、ラストからエンドロールにかけての間は、もう、涙が止まりませんでした。僕はこの映画、ホント大好きです。なぜなら脚本だけでなく、出演者の演技やカメラワーク、さらにいくつもの美しい桜の様子が本当に繊細で、その桜の映し方や見せ方が本当に綺麗で感動的だった。そしてやっぱり久石嬢さんの最高の音楽。本当にこの映画の全てが僕にとっては完璧としか言えないです。はぁ~・・・なんて切ない映画なんだ・・・だけど、この切なさがたまらなく好き。切ないからいつまでも心に余韻を残し続け、いつまでもこの映画を思い続けられる。それはまるで初恋の記憶のように淡く切なく心に残り続ける。あぁ、なんて素晴らしいだ。僕には10点以外をつける事はできません。
10点(2004-04-11 18:45:17)
10.  デス・プルーフ in グラインドハウス
くっっっっっっっっっっっそ、おもろいやないかーーーーー!!!!!ケツ、吹き飛ぶてっかてかのエロい足、女子パンチ、女子後ろ回し蹴りに、女子美脚踵落とし!序盤のガールズトークの不毛さゆえにラッセルに肩入れしてしまったが、2幕でも繰り返されるガールズトークでは女子たちのステキさに肩入れし、「またしても…嫌だ」って思わせてからのハイパーカタルシス!こんな馬鹿でエロクてグロい映画は法律で規制されるべき麻薬映画だ。観賞後、即座に二度目を観たのは言うまでもないわ。
[DVD(吹替)] 9点(2012-12-17 23:44:05)
11.  愛より強く 《ネタバレ》 
最後のベッドシーンが脳裏に焼き付いてはなれない。平穏な暮らしの中で、真に清く美しなった彼女を抱く男。彼女がここまで美しくなれたのは男がいたからにほかならないが、その反面で、確信的に感じるのが彼の傍にいたら彼女はきっとここまで美しくなってはいないということ。何かを捨て、何かを得る。何かを捨てないで、何かがこぼれる。その人にとって最も重要な決断が、ジェットコースターの登り坂の如く、上に上がれば上がるほどに急降下のカタルシスに「ウギャー!」ってなれる。この映画の上げては、落とす。上げては、落とされるの心地良さがたまらなく好きだ。そしてあの最後のベッドシーンでぼくの期待値、興奮度はマックスに達し、その瞬間ぼくの脳裏にあの画面が強く刻まれた気がする。
[DVD(字幕)] 9点(2012-03-16 10:22:23)
12.  ローラーガールズ・ダイアリー 《ネタバレ》 
まず言いたいのは、映画におけるタイトルって映画の一部だよ、マジで!シーンを変えるのと変わんないよ?わかってるのかー!バカタレー!作者の意図を尊重しないやつは□ね!ということです。なんでそうも熱くなるかというとこの作品がムチャ面白かったからです。「JUNO」「アメリカン・クライム」で旋律なインパクトを世間に与え、最近では「スーパー!」に「インセプション」と見事なキャリアメイクにすでに成功しているエレン・ペイジちゃんの、唯一のスポコンものです。もはやぼくは彼女が画面の中で躍動しているのを見れるだけで若干満足してしまう節があるのですが、そんな彼女の長いと言い切れないちょい太めな足や、背が低くて豊とは言えない胸など、“色気”の類いのパーツは弱いとは思うけれど、気が強そうで不器用そうな存在感にぼくは愛おしさを感じずにはいられません。それはまさにちょいブサかわいいドリュー様の後継者としてその姿が重なってきます。ドリュー様がティーンの時に演じたかった姿なんだと感じずにいられません。つまりこの作品における母子の構図とダブるわけです。また、エレンちゃんが己で見つけた、己の最も輝ける場所に立ち続けることを決めるわけですが、そこには多くの他者がいます。そこで学ぶのは、何歳になろうと青春は訪れるし、いつだって遅くはない、そして誰だってやっていいのがスポーツの素晴らしさであることを教えてくれます。さらにはローラーゲームの魅力もあますことなく表現し、ルールを知らない観客でさえゲームの成り行きに唾を飲み、興奮できるように鮮やかに描き、エレンちゃんのみならずドリュー様自身も身を以て画面の中で躍動してみせてくれます。構成としては使い古さているといえばそうですが、その中に散りばめられている要素は心震わす物ばかりです。特に好きなのは、プール!澄んだ水、必至に相手の元へ向う様、衣類が一人で脱げない姿。全てが初恋のメタファー!そしてタイトル「Whip it」仲間の力を借りて加速するスーパープレイであると同時に、この作品自体を比喩しています。家族、友人、仲間、初恋、失恋が人生におけるwhip it。ダイアリーとか、過去にしてんじゃねぇ!今この瞬間もwhip itじゃ!
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-10 21:13:23)(良:1票)
13.  es[エス](2001)
人間の可能性というのは上下左右どこにでも 無限大なのだと改めて痛感させられる 実験内容でした。まさに、 惨たらしい実験をまじまじと見せつけられ、 うずうずする思いを ひたすら鑑賞中抱かされました。 プラスでポジティブシンキングな 可能性、変化、成長というのは、 王道パターンであり、 むしろそれこそ映画の流れではありますが、 やはり本当の人間の姿を描くとなると マイナスなネガティブな印象を受ける 可能性、豹変、狂気と化していく様の方が、 人間を観た気にとってもなるもんです。 実験を実験として、その中しか見せないところもまた、 その臨場感、現実味を強く抱かされた要因の一つに あったように思います。 とにかく、グッと引き込まれるその引力は、 豹変の見事さ、残酷さ、えげつなさが、 あまりにも自然体で説得力に溢れ、 新鮮で納得せずにいられなかったからだと思いました。 人間とは、美しい生き物だ!なんて綺麗事を 軽はずみに言えなくなり、価値観さえも 変えてしまう驚異的な傑作だと思います。   
[DVD(字幕)] 9点(2011-06-03 23:59:30)
14.  ミスター・ノーバディ
なぜこんな支離滅裂な、終始転結のないストーリーテリングに感動してしまうのか!己に解いた。わからん!でも、「トト・ザ・ヒーロー」と同じで、ニモにとっては空想、妄想かもしれないそれは、確実にぼくの目の前には存在していて、確実にぼくの心を激しく揺さぶった。ニモと同じように愛おしく思い、嘆き、喜んだ。「トト・ザ・ヒーロー」の監督の新作がやってのか・・・ま、見に行ってみますか・・・軽い!ぼく、軽い!そんなフワッと足を運んだ映画館で、グサッとやられましたわ!なんてことはない、ただただやっぱり監督の描く少年少女の無垢で純粋で熱い想いは、孫悟空のにょいぼうの如く、真っすぐに伸びて伸びて、ぼくには抵抗のしようがないほど爽やかに突き刺さる。その気持ち良さたるは、ピュアな恋心の始まりの瞬間のよう!アンナ好き!嗚呼、気持ちいい。
[映画館(字幕)] 9点(2011-05-24 02:42:17)(良:1票)
15.  レスラー 《ネタバレ》 
バカだなラム。愚かだ。でも、そうするしかないんだよな、きっと。 リングの上で人生の最高潮を迎え、リングの外を蔑ろにしてきたラム。 彼が生きたのはリングの上でしかない。リングから降りたら何もない。 家族も、名誉も、地位も、金もない。リングの上にいることが生きること。 だから引退なんてできない。引退したら彼には何もない。 彼にとってリングにいることは呼吸することと同じ。 彼にとってリングに立つことはトイレに行くことと同じ。 彼にとってのリングの上で戦うことはベッドで眠ることと同じ。 彼はリングの上でその全てを終わらせたのだとおもう。 バカで愚かだけど、最高にカッコいい。   
[DVD(字幕)] 9点(2010-05-23 21:22:46)(良:1票)
16.  ウォーリー 《ネタバレ》 
やっと戻ってきたような気がします、本来のピクサー作品。人の世界の脇役を主役に持ってくるピクサー本来の作品作りの本領が存分に生かされている素晴らしい作品だと思います。時代設定をこれまでにない、遠い未来に持ってきたことで初めて成立するストーリーテリングで、全てに置いて“巧い”という感想を抱きました。人もロボットもみな同じ、生きる目的がないと生きていけないものです。ウォーリーがひたすらゴミを集め続けたのは、本来の“掃除”ではなく、“宝物探し”が目的なのではないかと思いました。彼は宝物の何かを700年間探し続けた末に、イヴと出会うことができました。ウォーリーとイヴの喜怒哀楽や恋など、あるはずのない彼らの感情に入り込むことができる物語作りに感動しました。人間という存在は脇役に、主軸はどこまでいってもこの作品ではロボットです。プログラムされた目的よりも大切なことに気づいていく、その姿に涙涙。ロボットだからこそ持つ感情。葛藤。そこにはすごく当たり前だけど、見落しがちな大切な思いがたくさん詰め込まれていました。人間の醜い姿にリアルを感じ、ロボットたちもいつの間にかリアルへ。ラストの地球へ向かわせ方と、終わらせ方が見事です。
[映画館(字幕)] 9点(2008-12-31 09:51:43)(良:1票)
17.  ライフ・イズ・ミラクル 《ネタバレ》 
絶望的な状況と希望に溢れた関係が同じ空間内に存在しており、その相反する状況がとてもコミカルで口元がニヤニヤしてしまった。ルカの切迫した感情が、アバーハによって次第に解きほぐされ、癒され、そして家族がどうでも良くなっていく様が素敵だった。また、二人が愛し合う姿は生きることそのもののように見え、それは戦火が激しくなればなるほど二人の想いも燃えていき、活き活きと輝いていくように見えた。“死”と“生”は常に表裏一体で、その状態がまさに画面の中にしっかりと描かれていた。エミール・クストリッツァ監督の作品を観ていると、そのことを常に意識して作品を描いているように思えてくる。生きることが恋をすることで、恋をすることは生きること?なのかな?まぁ、それはさて置いても、ロバとルナが失恋で死にたいと思うのは、つまり生きる希望を見失ったからだと思った。アバーハの魅力には、脳天打ち抜かれたように頭がクラクラした。笑顔も顔をクシャクシャにして泣きながらルナの名を呼ぶ姿も、ルナの服を口に銜えて走る姿も、上目使いも、全部可愛い。それを観ただけで満たされ、癒される。動物たちのように、無邪気で無知で愛くるしく、純粋無垢で自由奔放で抱きしめたくなる。クストリッツァ監督の女性の趣味があまりにも素晴らしい!
[DVD(字幕)] 9点(2008-08-30 22:43:56)
18.  西瓜 《ネタバレ》 
水不足の台湾。パリから帰国したばかりなのに、水を集めまくる不可思議な魅力を持つ女、シャンチーと、そんな彼女を抱きたいと強く思っているAV男優のシャオカン。同じマンションで、シャンチーに自分がAV男優であることを気付かれないために必死になるシャオカンの姿が、なんとも素朴で健気で、嫌われたくないと思うその繊細な感情が素敵だった。シャンチーもシャンチーで妙にピュアで、どっかちょっとネジが外れているみたいで可愛らしく、とにかくもう無茶苦茶魅力的だった。シャンチーもシャオカンも純粋で、近づきそうなのに中々近づけない姿に胸がキュンキュンした。そんな二人がラストシーンで繋がる。心も身体も一瞬にして。互いに求めていて、それでも純粋すぎて近づけなかった二人が、AVの撮影という状況の中で、本能的に近付いていく。爆睡しているAV女優に挿入したまま、小窓から顔を覗かせているシャンチーを見つめるシャオカン。シャンチーの喘ぐ声とその表情を見て、シャオカンは燃える。まるで二人が繋がっているように見える。そこにいるのは二人だけのように思えてくる。どうとも取れるラスト。ブワッと広がった想像の可能性の渦に僕は酔い痴れました。素晴らしい。
[DVD(字幕)] 9点(2008-08-23 13:59:16)
19.  ぐるりのこと。 《ネタバレ》 
映画は救いだと、ある監督が言いました。この作品はまさに救いであり、希望だと思います。何事にも真面目に取り組む頑張り屋の翔子とだらしなく見える法廷画家のカナオ。皆そうなんだろうけど、頑張りすぎるとネジが外れて、崩れてしまいます。苦しいときに苦しいと言えず、悲しいときに悲しいと言えない、そのあまりにも急過ぎる時間の流れの中で、翔子はまるで溺れないようにもがいているように見えました。そんな疲労や苦痛が積もりに積もってしまった翔子は、崩れてしまったのだと思いました。だけど、そんな中でも、翔子のそばにいたカナオはどんな時も目を逸らさず、逃げず、抱きしめ、受け入れようとしているように見えました。現代社会には、人それぞれ異なった人生を歩み、それぞれの事情を背負っているのが当たり前なのに、その抱えているものも見ようともせずに頭ごなしに否定する人々や結果だけ見て、全てを判断してしまう人々、そして生きることは答え合わせではないはずなのに、間違いを恐れ、思い込みに捕らわれ、頭でっかちで凝り固まった考えしかできない人々など、それはもうたくさんの人がいます。それらの常識と呼ばれる凝り固まった考えに橋口監督は「二十才の微熱」の頃から疑問符を投げかけ続けているように思います。その橋口監督の考え方は、簡単に言えば他者への感心や尊重だと思います。ラストのカナオの台詞にも「人、人、人」とありますが、社会は人の集まりなのでそこから逃れることも目を逸らすこともできないのですが、それでも社会は他者への興味、関心、尊重が薄く感じられます。そんな世界で、橋口監督が描いたカナオという人物の、まわりの人間に関心と尊重をしっかり持つ姿勢にはすごく感動しました。法廷であろうと、妻に対してであろうと、ご近所さんであろうと、道を歩くあかの他人にであろうと、彼は関心を持ち、他人を尊重していたように思います。それは理想でしかないのかもしれませんが、僕はあのカナオの姿を目指したいと思えました。
[映画館(邦画)] 9点(2008-08-13 19:12:47)(良:3票)
20.  長い散歩 《ネタバレ》 
近代、社会問題として浮上し、世間一般にその存在が知れ渡り始めた児童虐待ですが、日本での児童虐待への解釈が「子どもは親が育てるもの」という意識と、子どもが親の「所有物」という二つの意識が社会通念として根強いため、この作品のような児童虐待が家庭の問題として、安易に処理される傾向が今現在もあるようです。この作品に描かれている児童虐待は、「児童虐待の防止等に関する法律」における定義の身体的虐待・ネグレクト・心理的虐待・性的虐待に挙げられている例、全てに該当する虐待が描かれていました。それらを描くことがどれだけ辛く苦しい作業だったか想像するだけで、気がどんよりと重くなります。ですが、監督がそれらを描くことでしか表現できないと信じたその想いもしっかり伝わりました。また、作品に登場する主要な人物たちにはそれぞれ事情があり、虐待されている少女の悲惨な状況と少女を虐待し続ける母親の虐待に至った動機、そしてその家庭の隣に越してきた主人公が背中に抱え続けているトラウマ的な家族への後悔とそれから逃げようとしている現状。全ての登場人物たちが逃れようにも逃れられない現実と向かい合っているのがしっかり描かれていました。そんな、個々の事情を描き、一方的かつ断定的な否定をしないところに、監督の人間に対する愛情の深さと、他者への尊重と想像を忘れない姿勢を感じることが出来ました。虐待をしている事実があるのにも拘らず、親権を盾にされてしまえば正しき行いをしている主人公が誘拐犯という犯罪者にされてしまうその描写に、現代社会が抱える問題を考えさせられました。それが作中でも描かれており、ラストシーンで主人公に救いがないのは、現代社会がそういう仕組みになっているという現実を描いていたのだと思い、それを描いた監督の社会への憤りを感じ取ることができました。PTSDになってしまった悲しき少女と、家族への償いの意識を抱え続けている主人公は目的地に向かって逃亡します。その過程で存在する我慢と愛情の姿勢に、児童虐待の解決策、あるいは子育てに最も必要な意識を垣間見たような気がします。この問題に関しての知識と考えるきっかけを与えてくださった監督に心から感謝したいと思います。
[DVD(邦画)] 9点(2008-06-02 01:56:31)
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