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まいかさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 213
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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1.  舞妓はレディ 《ネタバレ》 
京都の舞妓文化の再生に一役買おうという主旨で、それなりの取材をしたうえで作ったのはいいと思うけど、残念ながらさほど面白い物語にはなってないし、ミュージカル映画としても中途半端にすぎる。たんに「マイフェアレディ」のダジャレという以上の意図を感じません。実際のところ、長谷川博己の役どころはただのヒギンズ教授のパロディであって、訛り音声の波形分析などは出鱈目なフィクションだろうし、ミュージカルの演出部分もまったくの素人じみた出鱈目にしか見えません。 京都の舞妓の世界をミュージカル仕立てで描くアイディア自体は悪くないと思うし、地元訛りを封じられて言葉を失なう主人公の心の声を歌で表現する手法も有効だとは思うけど、どうせやるならミュージカル映画として成立させるだけの技術的な前提が必要なはずです。それがまったく揃っていないように見える。  音楽の周防義和も、振り付けのパパイヤ鈴木も、ミュージカルの経験はほぼ皆無だったようだし、キャスト陣にもミュージカル俳優は含まれていません(全キャストのなかでミュージカルの基礎を学んでるのは、おそらく新人の上白石萌音だけ)。どんなにベテラン俳優勢を並べたところで、歌や踊りについては素人なのだから、スタッフ側にもミュージカルのプロがいないとなれば、どうしたって「なんちゃってパフォーマンス」にしかなりませんよね。 主演の萌音は「ド素人の田舎娘」という設定だからヘタでもいいと思うけど、脇を固めるキャストやエキストラがそれ以上にヘタじゃ話にならないでしょう。唯一まともなミュージカルとして見れたのは大原櫻子のシーンだけです。それ以外は、音楽にせよ振付にせよ舞台装置にせよ、せいぜいマツケンサンバみたいな歌謡ショーのレベルにしかなっていない。 演出に「ミュージカルらしさ」が欠けているため、たとえば序盤で舞妓さんたちが出迎えるシーンなどは、たんなるパレードの場面なのかと思ってしまうし、竹中直人のシーンなども、たんに悪ふざけで踊りながら歌い出しただけかと思ってしまう。せっかく東宝の制作で東宝の俳優を起用したのなら、スタッフやキャストにも宝塚や東宝ミュージカルのプロの人材を入れて、もっとちゃんとしたミュージカル映画に仕立てるべきだったと思います。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-04-14 06:13:06)(良:1票)
2.  ジェーン・エア(1944) 《ネタバレ》 
養母や教育者からの虐待、友人との死別などの苦難を乗り越えた孤児の少女が、ワケありな金持ちツンデレ男と結ばれるまでのベタベタなシンデレラストーリー。握手どまりのボディタッチが今でいうムズキュン要素にもなっている。 そこに「美女と野獣」みたいなゴシックホラー要素が加えられており(ちなみに原作の主人公は美女ではありません)、その過剰なほどのサスペンスタッチな演出がエンタメ映画としての面白さになっています。音楽もバーナード・ハーマンなので、どこかしらヒッチコックのサイコスリラーっぽく、実際のところ舞台設定も「レベッカ」に似ています(原作のほうは「レベッカ」より「ジェーン・エア」のほうが先ですが、映画は「ジェーン・エア」より「レベッカ」のほうが3年先です。ただし、映画「レベッカ」の音楽はフランツ・ワックスマンだったのでバーナード・ハーマンではありません)。 なお、物語を簡略化するためだと思いますが、原作における「テンプル先生」や「セント・ジョン牧師」の役割が、この映画では「リバース医師」によって兼任されています。それ以外にも原作からの変更はあると思いますが、長い小説を簡潔にまとめてるので、原作の内容を手っ取り早く把握するには最適な映画。 ちなみに、モンゴメリの「赤毛のアン」でもフランス系アカディア人が差別的に描かれてますが、その原型ともいえる「ジェーンエア」でも、ジャマイカ出身の妻が狂人であるがゆえに監禁されているという人権度外視の反コンプライアンスな設定。しかも、その妻が死んだことをこれ幸いにヒロインの愛が成就するという差別的なトンデモ結末です。このあと何度か映画化されてるようだけど、現代的な人権規範に適合させるには原作の内容を大幅に(ポストコロニアリズム的に)改変する必要があるはずです。 また、キリスト教にもとづく児童教育が、産業革命期の英国においてさえ中世の魔女狩りみたいな発想で子供を虐待してることに驚かされますが、原作者が通った実在の学校がモデルだそうです。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-12 13:25:30)
3.  女は二度生まれる 《ネタバレ》 
見終わった直後ですが、恐怖のあまり、いまだ動悸がおさまりません。 序盤は、大映の様式的な映像美のせいもあって、わりと落ち着いたテイストの人情喜劇かと思ってましたが、芸者置屋をやめて以降の流れはかなり目まぐるしく、主人公の心理にも話の展開にもついていくのが難しくなる。そして最終盤の10分間は、気持ちがえぐられるような衝撃の展開。ラストシーンは、(最初のレビュアーの文章にもありましたが)まさしくブラックホールのような終わり方でした…。これほど予想を覆す脚本の映画は観たことがないので大きなショックです。 これはリアリズムのための手法だと思うけど、やはり藤巻潤のキャスティングがえげつない。そこが通常のセオリーを大きくひっくり返しています。 しかし、よくよく考えてみれば、序盤の会話にもあったように、2人は戦争で家族を失った犠牲者なのです。主人公は、それゆえにこそ互いに分かり合える関係を期待したのだろうけど、逆に言えば、戦争の犠牲者だからこそ、他人を利用してでもしたたかに生きるほかなかったのかもしれない。実際、いくら祈ったところで靖国神社は救ってくれなかったのだし、それは主人公自身も同じなのだから、藤巻潤の残酷さを責めることはできないのでしょう。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-04-12 01:51:20)
4.  シェルブールの雨傘 《ネタバレ》 
サントラで聴く音楽が似てたので、きっと「ラ・ラ・ランド」の原型はジャック・ドゥミなんだろうと思ってましたが、ここまでソックリな話だったとは驚きました。つまり「ラ・ラ・ランド」は、ほとんどこの映画のリメイクなのだと言ってもいい。未熟な男女の幼くも甘い恋の夢が、現実と打算に破れて別の相手と結婚してしまい、それぞれが人生の安定を手に入れた後に再会する…という物語の構造はほぼ同じです。ただ、本作の場合は「ラ・ラ・ランド」と違って、男女の幼さだけが原因なのではなく、母や叔母の望んだ相手との妥協の結婚だったという面もありますが。 それにしても、再会を約束したうえに妊娠も分かっていながら、わずか2年の兵役さえ待てずに別の金持ち男と結婚するってのは、一般的な日本人の価値観からはかけ離れてすぎていてドン引きです。さすがは二股三股の恋愛が当然のフランス人恐るべしですが、裏を返せば、連れ子をまったく厭わないフランス人の寛容さなのでしょうか。いちおうアルジェリア戦争を背景にはしていますが、これを「戦争によって引き裂かれた悲恋」とは解釈しにくいし、ここから反戦のメッセージを汲み取るのも難しい。 とはいえ、漫画か御伽話のようなカラフルで可愛らしい世界のなかで、夢見る男女が歌だけで繰り広げる物語には、やはり愛おしさと切なさを感じてしまう。ルグランの音楽も相まって、フランス人のお洒落なセンスが画面に充溢してます。冒頭の雨の降らせ方が初歩的な技術も覚束ないようなヘタウマに見えるのも意図的なんでしょうか?
[インターネット(字幕)] 8点(2024-04-11 02:07:46)(良:1票)
5.  ドライブ・マイ・カー 《ネタバレ》 
さして中身のある映画ではないし、かりに「喪失の苦しみから立ち直る話」だとしても、チェーホフをなぞったキリスト教的な価値観の物語を現代の日本人が本気で作ってるとも思えない(欧米の観客は真に受けてるのかしら?)。とはいえ、それでも面白く観れてしまうのは事実。それは、ひとつにはサスペンス劇としての面白さだと思います。つまり、スリルや謎解きが物語の動機になってるのですね。 結末をネタバレすると、(前作「寝ても覚めても」では震災前と震災後で世界の見え方が変わったのに対し)この映画では岡田将生が「空き巣殺し」の話をした瞬間に世界の見え方が変わり、西島秀俊と岡田将生の立場が逆転して、他人に演じさせていた主人公がみずから演じる立場へと追い込まれ、自分の本心を引きずり出すように強いられるのですね。そして、序盤の「何が真実なのか」という謎に対して「すべてが真実」という予想外の解答が示される。つまり、本当と嘘を区別してたのは自分自身であって、嘘はほかならぬ自分自身の中にあったという話。演じさせる人間のほうに嘘があって、演じる人間には噓などなかったというオチです(これは東出昌大と唐田えりかの隠喩ともいえる)。 この物語にはたして3時間の上映時間が必要なのか分からないけど、不思議と飽きることはありません。それはサスペンス劇としての興味や緊張感のせいでもあるし、役者の演技をドキュメンタリーのように追う濱口竜介の演出手法のせいかもしれない(長回しを多用してるわけではなく、きっちりカットを繋いでるのだけど、それでもドキュメンタリーのように観れてしまいます)。冒頭30分ぐらいのところで、ようやくオープニングクレジットが出てくるのも斬新で「ああここから物語が始まるんだな」と思わせられるけど、そこから先の、かなりの割合を占める車の走行シーンや演劇の稽古シーンも含めて、長いことは苦痛になりません。そこに濱口竜介の稀有な非凡さがあると思う。石橋英子の音楽もカッコよかったです。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-04-09 23:07:59)
6.  マトリックス 《ネタバレ》 
ちょうど四半世紀前の映画ですが、たとえば「21世紀の早い段階でAIが完成する」とか「人間を培養液で栽培しながら仮想世界に住まわせる」といった話は、かなり現実味を帯びてますね。しかしながら「死体を分解して人間の養分にする」ってのは(理論的には可能だろうけど)そうせねばならない理由がいまいち見えないし、核融合の技術があるにもかかわらず「人体が放つ電気エネルギーがマトリックスの動力源として必要」ってのも意味がわからない。そもそもヒューマニズムの葬り去られた時代において、人間に利用価値がなければ生かしておく意味もないのかもしれないけど、人間なしにAIだけが存続しつづける世界に意味があるのかも疑問です。 もしAI側が、人間の反乱分子を抑えたいのなら、もっとマシな仮想現実を見せておけばいいのだし、その場合、個々の体験する仮想現実が他人と共有の世界である必要はなく、それぞれ別々のパラレルワールドを体験させておけばいいのよね。 当時としては先駆的な作品だったと思いますが、千葉県を舞台にしたウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」や士郎正宗の「攻殻機動隊」などを基礎にしてるとあって、今から見ると日本のマンガやゲームを実写化したネットの配信ドラマみたいに見えるし、登場人物のコスチュームや虫みたいな形のロボットも、ただのコケオドシとしか思えず、ちょっとダサくて安っぽい気がします。 日本国内に元ネタとなるコンテンツがあったのなら、こういう実写作品は日本でこそ作れたはずだと悔やむべきかもしれません。たとえば「精神的な鍛錬でヴァーチャルな身体能力を高める」という発想も、おおむね「ニュータイプがモビルスーツの能力を高める」という発想に近いんじゃないかと思います。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-09 02:39:36)(良:1票)
7.  怒りの葡萄 《ネタバレ》 
四世代家族12人が家財道具すべてを載せて1台のボロトラックでオクラホマからカリフォルニアへ横断するなんて、そんな無謀なことが本当に出来たのかと驚いてしまいます。米国の最貧困層の実態を暴いた映画は、日本の「万引き家族」や韓国の「パラサイト」にも劣らぬほどの社会の恥部を曝け出したといえるし、西部劇の名手であるジョン・フォードが、あえて南部の白人社会の負の側面に目を向けたことも重要だと思う。 いわゆる「ダストボウル難民」という呼称は比喩ではなく、本当に難民キャンプで人権の剥奪された生活を強いられたのですね。今でもそうかもしれませんが、黒人やヒスパニックやアジア系に対する差別もさることながら、白人どうしの間にも激烈な格差や差別があったということ。なぜドナルド・トランプが米国南部で支持されるのかを考えたら、これはけっして過去の問題ではないと思います。 殺人罪の服役から仮出所してきた男を出迎えた家族が「さすがだ!脱獄してきたんだろ?」と口々に称えるさまをユーモラスに描いてますが、これはいかにも独立心の強い南部人の価値観や気質を表してるのかもしれません。蓮實重彦は、ショットの分析をとおして「フォードは男性主義者ではない」という主旨のことを言ってますが、そもそも(ボブ・ディランなどにも言えることだけど)南部の立場から表現することには、つねに政治的な両義性がともなうのだと思う。南部の白人たちが、女性や黒人などの「弱者」に対して加害的になるのは、ほかならぬ彼ら自身が経済的に虐げられる立場だからでもあろうし、それはすなわち南北分断という米国社会全体の構造的な問題なのですよね。したがって、切り取られた部分だけを見て「南部の白人が加害者か被害者か」を論じるのは不十分なのだといえる。 とはいえ、やはりジョン・フォードのひとつひとつのショットが明確な意志で切り取られてることには感嘆してしまうし、ショットの的確さこそが映画の美しさになるのだと思い知らされます。なお、説教師のケーシーが登場する場面はどれも神秘的で、とくに序盤の出会いのシーンは、なんとなくロッセリーニの「フランチェスコ」を想起させました。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-09 02:05:33)
8.  双頭の鷲 《ネタバレ》 
三島由紀夫がこの映画を絶賛したのは、革命家の詩人と自分の立場が重なったからでしょう。三島は戦前の天皇制の回復を望んでいたけれど、天皇や皇室はそんなことをいっさい望んでおらず、むしろ民主化を進めようとしていた。この映画の革命家の男も、本来の王政を取り戻そうとしてるけど、当の女王はそんなことをいっさい望んでおらず、むしろ亡き夫の遺志を受け継いで民主化の先頭に立ち、そのせいで皇太后と激しく対立している(ある面では嫁姑問題)。しかし、男と女王は政治的に対立しながらも「片方が死んだら、もう一方も死ぬ」というほど愛し合ってしまうロミジュリ的な設定になってるわけです。 しかし、皇太后をいちども画面に登場させず、セリフ劇だけでそういう背景を表現することが、(戯曲ならともかく)映画的に成功しているかは微妙。正直、かなり分かりにくいと思います。しかも、女王が死んでしまったら、民主化の流れが止まって、皇太后の望む王政へ逆戻りするわけで、それは政治的にいえば王党派の勝利で女王の負けじゃないかと懸念してしまう。 ちなみに三島由紀夫の場合は片思いだったので本人が死んだだけで終わりましたが、本来ならば、市ヶ谷なんぞに乗り込むのではなく皇居に乗り込んで、天皇に向かって「俺と一緒に死んでくれ」と言うべきだったかもしれません。しかし、それこそが貴種幻想のナルシズムだと揶揄される所以だし、おそらく天皇は、三島みたいな人間がもっとも嫌いだったでしょうね。知らんけど。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-08 13:13:56)
9.  魚影の群れ 《ネタバレ》 
青森のマグロの物語かと思いきや、これもやっぱり生死をめぐる北海道の物語じゃないかと思ってしまう。「雪の断章」や「風花」もそうでしたが、相米慎二の描く北海道には不気味な風の音がして、死の匂いが漂い、その死のすぐそばには自暴自棄なセックスがあります。緒形拳は、ちょうど「雪の断章」の世良公則と同じにように、罪を背負って北海道へ死に場所を探しに来たよう見えるし、岸壁から船に飛び移る十朱幸代は、テトラポットへ飛び移る斉藤由貴にそっくりなのです。 はたして佐藤浩市は、青森沖で死んだのか北海道沖で死んだのか分からないけれど、彼が死ぬ前に口ずさんでいた都はるみの歌は、青森から北海道へ向かう連絡船の曲だったし、それは自暴自棄なセックスをする前に夏目雅子が口ずさんでいた曲でもある。 かりに「雪の断章」では罪を背負った人間が死に、「あ、春」では年老いた人間が死んだと考えるのなら、本作で死ぬべきなのは緒形拳であるはずなのだけど、なぜか通常の物語のセオリーとは順序が逆で、ここでは未熟さゆえに佐藤浩市が死ぬ結末になってます。これは残酷なリアリズムともいえるし、たとえば「あ、春」でヒヨコが孵化したり、「風花」でカエルが冬眠から目覚めたように、佐藤浩市の死と引き換えに夏目雅子が出産するともいえるけど、これを「死と再生の物語」と解釈するにはあまりにも無惨すぎる。 ちなみに「風花」の大友良英の音楽も、ちょっとうるさいと思うところがありましたが、この映画の三枝成章の安いサスペンスドラマみたいな音楽も全般的に邪魔でした。それこそ都はるみの音源を使ったほうがマシじゃないのかなと感じます。 なお、瀕死の佐藤浩市を放置してマグロを釣り上げる行為は救護義務を怠った法令違反じゃないかと思うのだけど、刑事役の寺田農が緒形拳を取り調べる場面がカットされたというのは、その後に入る予定のシーンだったのでしょうか。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-04-07 03:23:22)
10.  すずめの戸締まり 《ネタバレ》 
前作「天気の子」のレビューにも書いたのだけど、新海誠の作品はあくまで《自然》が主役であって《人間》は脇役なのよね。そして新海誠というクリエイターも、《自然》を描くことにかけては一級だけれど、《人間》を描くことにかけては三流だと思う。 日本各地に廃墟が増えるほど地震も増えていくという設定には不思議な説得力があり、自然災害にかんする神話的な想像力をビジュアル化する能力はあいかわらず傑出してるし、被災者に希望を与える物語にも力強さは感じます。しかし、その反面、少女の成長物語にかんしては、多くの時間を割いてるわりに、取ってつけたような安っぽさの域を出ません。たかが一晩足らずスナックの手伝いをしただけで少女が人間的に成長したりはしないし、数日一緒に過ごしただけの大学生に命を捧げるほどの恋愛感情が生まれるわけもない。そこらへんは、およそ説得力のない物語というほかありません。 前作「天気の子」のように、自然との闘いを神話的に描く要素が増えるほど、どうしても内容が難解になってしまうので、そのぶん世間的な評価は下がるのでしょうし、逆に「君の名は」や「すずめの戸締り」のように、ヒロインの恋物語や成長物語の要素が増えるほど、話が分かりやすくなるので、そのぶん世間的な評価も高まるのでしょうね。しかしながら、わたし自身の評価は、世間的な評価とは反比例にならざるをえません。たんに前作よりも分かりやすくなっただけで、作品世界が深まったようには見えない。 災害や、被災した自分自身との闘いのストーリーとしてなら9点ぐらいつけたいけれど、少女の成長物語や恋物語としては、せいぜい6点ぐらいの評価にしかならない。残念ながら、前作を上回ったとは思えませんでした。
[地上波(邦画)] 8点(2024-04-06 00:19:02)(良:1票)
11.  ゴーストバスターズ/アフターライフ 《ネタバレ》 
世評が低いので期待してなかったけど、想像をはるかに超える出来のよさに驚いた。最後のゴーザとの対決は、もっと派手に壮絶にすべきだったと思うけれど、そこへ至るまでの展開には何の不満もありません。ゴーストバスターズの続編はこうあるべきという模範的な内容になってる。実際に死去していたハロルド・ライミスを物語に組み込み、第1作の37年後の物語として納得感のある設定と物語になってる。悪くいえば、あまりにも模範的で「続編」の枠組みに縛られすぎともいえるけど、よく練られた脚本には違いないし、主人公の女の子もちゃんとハロルド・ライミスの孫に見えます。 第1作から解釈を進めた点があるとすれば、それは「幽霊」と「ゴースト」を区別したことですね。人間が死んだら幽霊になるけれど、それはオバケではないってこと。今作のCGの最大の見どころも、やはりハロルド・ライミスの幽霊をリアルに出現させたところだと思います。 子供達を活躍させるために広大なオクラホマへ舞台を移したのも良かったし、小さなマシュマロマンも可愛かったし、相変わらず口の減らないビル・マーレーも楽しかった。科学好きの学校の先生は、生徒たちと一緒に戦ってくれるかと思いきや、ほとんど役に立たず、あっさり鍵の神に憑りつかれたのは意外でした。主人公のお母さんは色気のある美人だと思ったら、シガニー・ウィーバーと同じ役どころだったんですね。でも、わりとあっさり黒人の女の子と入れ替わってしまった。そこらへんの顛末も、もうちょっとドラマティックに盛り上げるべきだったかもしれません。2時間超えの映画ではあるけど、終盤の展開にかんしては、あと20分ぐらい伸ばして派手に盛り上げてもよかったかな、とは思う。鍵の神が破壊したゴーストの封じ込め施設もちゃんと修復すべきだったし、アジア系の男の子にももうすこし終盤の活躍の場を与えてほしかったし、その他大勢のクラスメイトやバイト仲間たちにも終盤まで役割を与えるべきではある。 これはすなわち「死後のゴーストバスターズ」であると同時に「隔世遺伝」の物語でもありますが、チェコ系アメリカ人だったアイヴァン・ライトマン以上に、息子のジェイソン・ライトマンのほうが先祖返りして一層チェコっぽい奇想のセンスが強まってるように見えて、それもまた隔世遺伝かなと思いました。
[地上波(字幕)] 8点(2024-03-30 00:27:41)
12.  KUBO/クボ 二本の弦の秘密 《ネタバレ》 
CGアニメは、ディズニーをも上回るのではないかしら? 昔のNHKの人形劇みたいな風合いもあり、とくに折り紙の表現は独創的で素晴らしい。 三味線や雪山の猿が出てくるので江戸時代の東北地方に取材してるのかと思ったけど、大魔神みたいな仏像が建ってたり「三種の武具を探す」とか「鷺が魂を運ぶ」とかはヤマトタケルの東征神話を意識してるようでもある。また、月の帝の娘との婚姻譚は竹取物語のようでもある。その他の細かいモチーフについての話は、長くなるので自分のブログに書きます。 日本的なモチーフをさまざま寄せ集めたところが、日本人にはかえって一貫性なく思えてしまうかな。最後は三味線をギターに置き換えて、ビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」のカバーで締めてるけど、そこまで深い意味があるとも思えない(ジョージ・ハリスンはこの曲を「易経」に触発されて作ったらしい)。 簡単にいえば「長女の結婚を許さなかった男の罪に、その孫が立ち向かい、一族の不幸を終わらせるまでの物語」であり、いってみりゃ「もしもロミジュリに子供がいたら…」みたいな話なので、物語の類型からいえば、あえて日本を舞台にすることもなく、ヨーロッパでもアメリカでも中東でもどこでもいいんじゃないかって感じ。技術的には8点つけてもいいけど、物語にはさほどの深みを感じなかった。
[地上波(吹替)] 7点(2024-03-20 22:00:42)
13.  子供はわかってあげない 《ネタバレ》 
多用される長回しは、相米慎二みたいな「運動する身体」ではなく、むしろ「間」を含めた役者同士の掛け合いを時間ごと写し取る演劇的な表現です。この長回しの掛け合いがことごとく面白かった。何故こんなに面白いのか分からないけれど、微妙なズレが笑いを誘うのかもしれません。 タイトルは、おそらくトリュフォーを逆手に取って、子供のほうを主体にしてるわけですね。すなわち「わかる」かどうかは大人が決めるのではなく、あくまで子供が決めるべきだって話。そして、この場合の子供とは、たんに「生物学的な子」という意味であって、けっして「人格的に幼い」という意味ではない。人格的にはむしろ大人と対等だということ。 一緒に暮らしたことのない実父が新興宗教の教祖というシリアスな状況ながら、「真面目になればなるほど笑ってしまう」という少女の物怖じしない性格のせいで、何もかもがどう転んでも間抜けなコメディになっていく展開はユニークです。同時に、思春期の少女の話でありながら、萌歌の体格の良さと、ボーイッシュな容姿と、屈託なく逞しいキャラクターのせいで、男性監督の願望投影になりがちなロリコン要素をほとんど感じさせないのも清々しい。すくなくとも終盤までは恋愛要素をまったく感じさせないのも今っぽい。その意味で、萌歌の魅力と個性も存分に引き出せてると思う。 ただ、それだけに、終盤になって門司くんが小田和正みたいな音楽とともに走り出してからは、ありきたりな「思春期の少女の恋の物語」に収まってるし、その結果、ありきたりな「女子の成長と通過儀礼の物語」に見えてしまう。そのうえ「物分かりのよい子どもの物語」にもなっていて、たとえそれが原作どおりだとしても、ちょっと結末に意外性がなさすぎます。そもそも映画の中心主題は「父娘の交流」だったのだから、いきなり終盤で「恋愛の成就」になるのは唐突に感じる。途中までは9点つけようかと思いましたが、終盤の予定調和的な展開に1点減点。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-03-02 01:10:45)
14.  時をかける少女(1983) 《ネタバレ》 
なにげにちゃんと見たのは今回がはじめて。正直なところ、期待値は高くなかったのだけど、意外なくらいの名作っぷりにビックリ。よくもわるくも、大林宣彦の作風ってずっと変わらなかったのね(笑)。初期の作風が晩年まで維持されてたのだなァと思う。綺麗なリマスター映像のせいもあり、あまり古さを感じませんでした。断崖絶壁の海岸のイメージなども、晩年の作品まで維持されてますよね。 ノスタルジックな感傷趣味やロリコン趣味はやや気持ち悪いところもあるけど、知世の演技は懸念してたほど悪くなかったし、MV風のエンドクレジットも可愛かったです。尾道の町並みも美しいと思いました。 内容的にも、のちの角川版や細田版にくらべて物語の深みを感じる。とりわけ重要なのは、吾朗ちゃん(尾美としのり)の位置づけです。角川版の吾朗や細田版や津田功介にはほとんど存在意義がありません。しかし、大林版における吾朗の存在はきわめて重要だと思える。 主人公の芳山和子が深町くんに抱いた想いは、じつは吾朗ちゃんへの想いだったわけです。いわば、深町くんというのは「吾朗ちゃんの代理」だった。それはちょうど『さびしんぼう』において、尾美としのりが富田靖子に抱いた想いが、じつは母親(藤田弓子)への想いだった、という構造に似てる。さびしんぼう(富田靖子)は「母親の代理」だったのです。これらは、おそらく「もっとも大事な人がもっとも身近にいることに気づく」という愛の物語ですよね。 他方で、老夫婦(上原謙&入江たか子)にとっての深町くんは、幼くして亡くなった孫の代理でした。死者を代理することで、存在しえなかった人物が現出している。それは、たとえば広島や長崎の歴史において、存在しえなかった誰かを現出させるような不思議なパラレルワールドです。これは、たんなるタイムリープの物語ではなく、作り変えられた記憶を経験するマトリックス的な物語だといえる。 個人的には、ロリコンとノスタルジーの入り混じったセンチメンタリズムが苦手なのだけれど(それをいちばん感じるのは子供が指の傷を舐め合うところ)、この映画の場合、それがSF設定の肝になってるのは否めない。その意味で、これは「アイドル映画」というよりも、日本を代表する「SF映画」として評価すべき作品だと感じました。
[インターネット(邦画)] 8点(2024-02-26 06:45:37)
15.  ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 《ネタバレ》 
第1作よりは、だいぶ面白かった。ゴシックファンタジー的なテイストの映像も雰囲気があってよかったし、バックビークの動きのスペクタクルも見事でした。 とはいえ、さすがにシリウス&ルーピン&ペティグリュー&スネイプの4人の過去の関係については、映画を観ただけではよく理解できず、「なんか敵味方の入り混じる複雑そうな話だな」と思うばかりでした。そもそも学校側が誰の味方なのかも謎だった。ややこしい部分はあえて端折ってるのか、それとも表面だけをなぞる形にしてるんでしょうか? 水辺の対岸に現れたシシ神さまは、どう見ても「もののけ姫」でしたね。それから、空飛ぶホウキや、透明人間マントや、タイムワープ時計などの道具も、どんどん「ドラえもん」的になってる気がする。
[地上波(吹替)] 8点(2024-01-27 02:01:55)
16.  ハリー・ポッターと賢者の石 《ネタバレ》 
なにげにちゃんと観たのは今回が初めて。映像はそれなりに凝ってますが、話の展開が早すぎて雑な印象。ニコラス・フラメルの石の話が出てきたあとは、だいぶ話が繋がってくるけれど、前半部分はつながりのうすい散漫なエピソードの羅列で、原作を読んでない人間には何をやってるのかよく分からない。とくにハグリッドが迎えに来るまでの序盤は、最低でも30分ぐらいかけて丁寧に描いて欲しかった。 原作一巻分を1本の映画に詰め込む前提に無理があるのだろうから、もっとエピソードを絞って脚本化すべきと思うのだけれど、ダイジェスト的にでも全エピソードをつめこんで映像化するのが映画の役割だったのかしら?? イギリス人はこれで満足してるのかなあ。BBCあたりがテレビシリーズにしたら、もうちょっと丁寧で質の高い作品に出来そうな気がします。 ちなみにFilmarksは4/5点。映画comは3.7/5点。意外なことに、みんシネが5.5/10点でいちばん低い。実際、6点前後が平均点として妥当なところだと感じます。
[地上波(字幕)] 7点(2024-01-13 03:00:04)
17.  暗殺の森 《ネタバレ》 
町山智浩の解説付き上映で観てきました。 なぜイタリア人のベルトルッチが、フランスや中国やアフリカやインドを舞台にして映画を撮ったのか、以前から疑問に思っているのですが、この映画ではイタリアとフランスが対比されているので、この後にフランスで「ラスト・タンゴ・イン・パリ」が撮られた理由もそのことに関係するのかもしれません。また、町山智浩の解説によれば、この映画は「ラストエンペラー」の構造によく似ているとのこと。つまり、みずからをファシズムの檻の中に閉じ込めた男の物語なのですね。のみならず、同性愛や舞踏会のモチーフの使い方もよく似ているとのことです。 また、町山は「ベルトルッチが師匠ゴダールのような左翼になりきれなかった」との趣旨の話をしていました。たしかにベルトルッチは(思想的にはファシズムに否定的だったとしても)、なんだかんだでファシズムのグロテスクな美しさを浮かび上がらせている面があるし、複雑ながら結果的にファシズムと同性愛の親和性を認めてしまっているようにも見える。つまり、思想的にはファシズムを否定していながら、美学的には肯定しているように見えるし、政治的倒錯が性的倒錯に重なり合うファシズムの美学的誘惑から逃れていないように思えるのよね。逆にいうと、ゴダールは、その種の「美学」に懐疑的だったのでしょう。 これがベルトルッチの最大の魅力であると同時に危うさでもあり、そういうところは日本の鈴木清順にも近い気がします。ヴィットリオ・ストラーロの映像も、そういう側面から批評的に捉えねばならないのでしょうし、坂本龍一の音楽だって、やはりゴダールの批評よりはベルトルッチの美学に近いんじゃないかと思います。さらにいえば、これはベルトルッチのセクハラ問題とも無関係ではないかもしれない。 でも、作品の素晴らしさは傑出しているし、ジョルジュ・ドルリューの音楽もヤバかったし、やっぱり9点はつけたくなります。
[映画館(字幕)] 9点(2023-11-11 10:06:11)
18.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
この映画の怖さは、スペクタクルとしてのゴジラの怖さもさることながら、それにもまして戦争のさまざまな記憶を蘇らせるところにある。それはたとえば特攻の記憶であり、被爆の記憶であり、孤児や娼婦があふれかえる敗戦後の悲惨や混沌の記憶です。 庵野秀明の「シンゴジラ」は岡本喜八を模範にしたと言われるけど、おそらく今作が模範にしたのは関川秀雄&伊福部昭による「ひろしま」や「わだつみの声」、あるいは今村昌平の「黒い雨」や山崎自身の「永遠の0」、あるいは「火垂るの墓」や「この世界の片隅に」のような諸々の日本の戦争映画だったのではないかしら? ちなみに「わだつみ」とは一義的には海神のことですが、それは同時に戦没学生の比喩でもあります。 これほど陰鬱な作品とは予想していなかったので、よくもわるくも驚きました。浜辺美波がこれほど荒んだ女性の役で登場するとも思わなかった。おそらく今作は、ゴジラを題材にした戦争映画の極北でしょう。つまり《初代ゴジラの精神に戻る》というのは、たんに「人間の味方」から「人間の敵」に戻るという生易しい話ではなく、「怪獣エンタメ」から「社会派作品」に戻ることを意味するわけですね。そのことを思い知らされた。 もし米国で怪獣を題材にした戦争映画を作れば、痛快な勝者の物語になるでしょうが、日本でそれと同じことをすれば、おのずと敗戦の陰惨なトラウマを呼び起こすことになる。今作のように《初代ゴジラの精神》にとことん振り切ってしまうと、おそらく一定の割合の観客は、その戦争の記憶の陰鬱さや心理的負担に耐えきれず、結局は「いつもの怪獣エンタメに戻してほしい」「痛快な怪獣バトルが観れればそれでいい」と言い出すはずです。したがって、日本のゴジラは、たえず「怪獣エンタメ」と「社会派作品」の間を往ったり来たりするしかないでしょう。 なお、浜辺美波がゴジラよりも不死身だったり、クレーンが折れても船が転覆しなかったりするのは、ツッコミどころではありますが、ごく常套的な観客サービスであって、とくに作品の欠点とは感じませんでしたし、神木隆之介をはじめとする演者の芝居も上出来で、演出上の欠点もとくに感じませんでした。  追記:ゴジラとワダツミについての細かい話は自分のブログにでも書きます。 音楽もかなり怖かったです。伊福部の「ダダダン、ダダダン」を裏返したような音型のミニマル。佐藤直紀は何か賞を獲るかもしれませんね。
[映画館(邦画)] 9点(2023-11-10 13:42:24)(良:3票)
19.  風の谷のナウシカ 《ネタバレ》 
実質的なジブリ第1作(正確にはジブリ設立前)…という意味で記念碑的な作品ではあるけれど、やはりこれを映画化するのはちょっと無理があったのかなあ、という気がします。神話的な魅力はありますが、世界観があまりにも壮大すぎて、これを見ただけでは物語の構造が理解できないし、唐突なハッピーエンドにも置いてけぼりを喰らいます。腐海の下に清浄な世界が存在することの意味も分からないし、出てきたとたんに溶け落ちてしまう巨神兵が何だったのかも分からないし、瘴気に汚染された森と谷がどうなったのかも分からないし、戦争が終結したのかどうかも分からない。 数十年ぶりに観ましたが「よく分からない」という印象は同じです。今回はテレビの字幕付きで見たけれど、初見のときは音声だけだったので、なおさら理解するのが困難だったと思う。 やはり、これは原作への入り口なのでしょう。この映画だけで満足できてしまう人は、映画どまりでもいいのだろうけれど、映画に納得しきれない人は、原作を読んで、さらに深く苦悩させられるわけですね(笑)。 ちなみに、あらためて観てみると、作風がかなり「コナン」っぽいなと思いました。終末的な世界観も、風景や町並みも、メカニックも、人物造形も、ヒロインを含めて女性のバストが大きいところなども「コナン」っぽいし、久石譲なのに電子音楽が入ってくるところも「コナン」っぽいです。 それにしても、のちのエヴァvs使徒の物語を考えると、ここで庵野秀明が巨神兵を描いたのは運命的だったのですね。ナウシカの物語とエヴァの物語は隣り合っているように思えてきます。エヴァってのは、ある意味「ナウシカ外伝」もしくは「シン・ナウシカ」なのでしょうね…。
[地上波(邦画)] 8点(2023-07-08 18:52:51)
20.  タイタニック(1997) 《ネタバレ》 
予算的にも技術的にも、よくこれだけの映画が撮れたなあと感心します。脚本も緻密に練られていますが、そのうえで演出や特撮などを完全に制御できなければ、これだけの作品を実現できませんよね。 商業的にみると、レオナルド・ディカプリオのスター性や、セリーヌ・ディオンの歌の素晴らしさや、ラブストーリーの魅力だけでなく、歴史的な悲劇への関心もあるし、巨大なスペクタクルへの興味もあるし、ヒットの条件がいろいろ揃ったオールマイティな作品。さらに実際の映画を見てみると、メカニカルな部分の面白さがあったり、歴史科学ドキュメントとしての面白さがあったり、当時の欧米社会の内実を垣間見せる側面もあったりします。 タイタニック号は上流階級の人々を乗せた豪華客船というイメージがありますが、じつは三等旅客や船内の肉体労働者は貧困層だったわけで、上部と下部に分かれた船の構造がそのまま欧米の社会階層を象徴しており、そこからロミジュリ的な身分違いの恋が生まれ(デッキに立つヒロインを見上げるディカプリオは、バルコニーに立つジュリエットを見上げるディカプリオに同じ)、最後にはあらゆる階層の人々がもろともに沈んでいく物語的ダイナミズムが構成されています。 ヒロインが船首に立ってバックハグされるシーンが有名ですが、じつは物語的にいうと船首よりも船尾のほうが重要で、ヒロインは最初に自殺を試みたときにも最後に船が沈むときにも、同じ場所で貧しい絵描きの男に助けられます。船体が縦になった後、いったん真っ二つに折れて、ふたたび縦に沈んで船尾が没するまでの実際の経緯を、天地がひっくり返るようなスペクタクルや人々が海に落下していく恐怖だけでなく、主人公の男女が生き抜くドラマティックな物語にもうまく活かしている。 前半では、貧しい絵描きの青年が偶然にも船に乗り込んで上流階級の人々に交わっていく恋と冒険とが描かれますが、後半には、斧で手錠を断ち切るホラー展開とか、浸水する船内でのパニック展開とか、縦になった船から人々が転落していく恐怖とか、明るい星空のなかを沈んでいく船体のスペクタクル的な美しさとか、長時間の映画にもかかわらず最後まで見どころが多い。細かい点でいうと、汚い唾を飛ばしたり、コートを盗んだり、ポケットに宝石を入れたり、企業利益を重視する社長が船長に会話したりするシーンまでが、すべて後半への伏線として繋がっていく脚本も上手いです。 主演の男女以外にもたくさんの登場人物がいて(実在の人物がかなり含まれるらしいのですが)、それぞれに最後の選択が違っており、そこからキャラクターの背景も浮かびあがるのですね。とくにヒロインの婚約者の男と従者は、ピストルを振り回したり、幼い子供を利用したりして、それまでにも横暴な方法で成り上がった米国の一族であることが想像されます。
[地上波(字幕)] 10点(2023-07-02 01:04:24)(良:3票)
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