1. マッド・ハイジ
《ネタバレ》 “Mad Heidi”『怒ったハイジ』。 昨年『アルプスの少女ハイジ』のDVD全巻を手に入れ、3か月掛けて全話視聴しました。更に昨年はアニメ版の生誕50周年記念とのことで、大丸デパートで開催されたハイジ展も観にも行きました。そんなワケで、私の中でプチ・ハイジブームのさなか、本作の存在を知りました。 敵のボス・マイリ大統領がスターシップトゥルーパーズのジョニーリコだった!政府の宣伝番組で『 I am doing my part!』ネタが出てきて、あぁ、そっち系の笑いも入れてくるのねって感心したわ。 予告編でかなり期待が膨らんでしまう作品だったけど、アニメにしか出てこないヨーゼフ出てきたり、ハイジとペーターが子供の頃と違って恋人同士になってたり、ペーターが密造に手を染める展開や、予告で観た処刑までのスピード感があって良かったです。クララ(ちょっとイメージと違うが…)やロッテンマイヤー(字幕ではロットワイラーだった)さんもポンポン出てきて、序盤はハイジの世界観を壊す、意外性が楽しめるバイオレンス作品として楽しめました。 だけども、中盤からほとんどハイジ(原作)が関係なくなり、単なるバイオレンス作品になってしまいます。しかもベースとなるものが、なぜかキルビルのパロディで『バイオレンスと言ったらタランティーノだよね』って聞こえてきそうな、何の工夫もない作品にトーンダウンしていきます。 終盤はグラディエーター&バイオハザード系ホラーになってて、もっとハイジハイジしたネタを期待していたので、中盤以降の普通のバイオレンス・コメディは、ちょっと消化不良に感じました。もしかしたら『ハイジ アルプスの物語(2015年)』を観ていたら、もう少し楽しめたかもしれないですね。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2025-01-09 21:47:31) |
2. さかなのこ
《ネタバレ》 さかなクン(男)を、のん(女)が演じる。…なんで?どんな理由があるの?って、ここに食い付いた人も多かったと思う。 始まってすぐに『男か女かは、どっちでもいい』って、一番期待ハズレの解答が来ました。ウソでも良いから何か理由を用意してほしかったかなぁ。でも私のことだから、物語を散々引っ張った挙げ句、最後の方で『実はどっちでもいい』って結論になったら、それはそれで、残念な気持ちになったかもなぁ。 この映画、好きな部分と嫌いな部分がハッキリ分かれてます。初っ端からガッカリした反動で、幼少期は作品のノリに付いていけませんでした。ミー坊の過去に、さかなクンそのものが出てくる意味が解らず。このギョギョおじさんって、さかなクンのモトになる人が実際に居たんだろうか? ミー坊が捕まえた巨大な“タコさん”。お母さんの許可で飼うはずだったのを、お父さんがビッタンビッタンと殺す(絞める)…イヤちょっと、子供も観る映画っぽいのにさぁ、なにこのブラック・ユーモア。 再登場のギョギョおじさん。今度はお父さんが遊びに行っちゃダメというのを、お母さんが行っていいと許可する…イヤちょっと、子供も観る映画っぽいのにさぁ、なにこの犯罪誘発臭。実話だとしても、どうしてこう、観てて消化不良起こしそうな、児童性犯罪を連想させるエピソードを入れたのか?映画オリジナルか?原作の自叙伝を読めば納得できるのか?映画は映画で完結してほしいものです。 モモコが好きとハッキリいうミー坊を、男の子たちが「エロス!!エロス!!」とからかうとか、冒頭『どっちでもいい』と書いてた割には、性に関するエピソードを入れてくる。 青年期に入り、いよいよのん登場。ヤンキーの抗争に巻き込まれるのも、ほのぼのというか、漫画チックというか…どうにも方向性が私の好みではない。でも、この映画を小さい頃に、児童集会とかで友達と観てたら、きっと楽しめたかもしれない。 内心“子供向けな映画”と切り捨てながら観続けて、カブトガニの散歩あたりから、不思議と面白く感じてきたのだ。のんが本物の活きたアジを捌くところから、序盤のノリで終始フザけてるだけの映画じゃないように観えてきたんです。 …いや相変わらずフザケちゃいる。服切らないでアミ買ってこいよ。歯医者の要求に応えたい→大きな鯛を捕まえる→でも水槽にはマニアックな地味な魚…何この雑なエピソード?相変わらず構成は決して上手とは言えない。 調べたらミー坊の子供時代も女の子でした。ミー坊の性別は徹底して女性でしたが、上京してようやく、さかなクンをのん(女)が演じた効果が発揮されます。 ヒヨが彼女とのディナーにミー坊を呼ぶ。一見、両手に花のヒヨだけど、ミー坊は男の子。ミー坊と彼女で三角関係とか、無いのだ。頭が軽く混乱する。 ミー坊のアパートにモモコと連れ子が押し掛けてくる。川の字で寝る3人。一見、女友達のお泊りだけど、ミー坊は男の子。連れ子が居るとはいえ、内心ドキドキ展開なハズだけど、映像からはそんな事、思い浮かばないのだ。ますます混乱する。 さかなクンをのんが演じることで、男女間のエピソードが脳内で反転し『なぁんだ、さかなクンもただの男じゃん』ってならず、男女間の友情という妙なバランスをしっかり保ち、さかなクンの存在を際立たせることに成功している。 金銭面で無理してるミー坊と、モモコが出ていく場面は、お互いの性別を超えた思いやりと悲しさを見事に表現していました。後半はもう、素直に良い映画だと思います。序盤のイマイチさを、後半見事に盛り返した印象です。 映画を観て、さかなクンについて、思ったことがある。ミー坊は魚のことを「◯◯さん」と呼ぶよね。「タコさん」とか「アジさん」とか。これって、さかなクンは大好きな魚を“異性(女性)”として考えてるから、“さん付け”なんじゃないだろうか? だから男性の自分は「さかな“クン”」なんじゃないかな?更に、恋愛の対象じゃない友だちを呼ぶ時は、男も女も「ヒヨ」とか「モモ」とあだ名や呼び捨て。 なんかこう考えると、冒頭の『男か女かは、どっちでもいい』って言葉に、意味があるような気がしました。いや『どっちでも』良くはないと思うけど、この映画に関しては、さかなクンをのんが演じて良かったと感じています。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2024-12-03 22:40:18) |
3. マトリックス レザレクションズ
《ネタバレ》 “Resurrections”『蘇生』。または『(死体の)発掘』って皮肉なタイトルにも取れます。レボリューションズから18年も経って、マトリックス・シリーズで、なにか観たいもの(やり残したこと)があるか?…と言われると、私は後者の気持ちのほうが強かったです。 そもそも私にとってマトリックスは、至高の1作目と、オマケで蛇足の2~3作目という印象だったので、キアヌ主演であの続きを創る事に、そんなにワクワク感は感じませんでした。 違う人の演じるトリニティ(モーダル)、スミスがモーフィアスで、これもどちらも違う人。でもすぐにトリニティ(ティファニー)が出てきてひと安心。アンディ(リリー)が抜けてラリー(ラナ)だけで創ったから、主要メンバーも半分ってか? 出だしは心配になったけど、マトリックス・トリロジーを“かつて大ヒットしたゲーム”にして、社会現象や続編制作について、制作会社やキアヌ、キャリーに語らせるメタ的展開はとても面白かったです。現実と物語の世界。ホワイト・ラビット(歌)がまた印象深く、現実と物語の世界の狭間に苦しむアンダーソン君の心の表現に上手く使われていて、ネットでよく見るベンチに座る(ハリウッドスターのオーラのない)キアヌ画像とも重なり「あ、結構イイじゃん」って思いました。このあたり、バードマンで感じたのと同じワクワクを感じられましたね。 過去映像が多々出てきて、アンダーソン君がアイオに行った辺で興味がストンと失速します。真っ白い部屋で難しい話。東洋の建物でカンフーの修行。まぁこういうのもマトリックスだけど、過去作をなぞるような展開に、リブート作品な感じが強く出てしまいます。特にザイオンの話は観客ウケが良くなかったんだから、サラッとで良かったんだけどね。オリジナルのナイオビ=ジェイダが出てるからかな。 トリニティ覚醒からの展開は鳥肌ものでした。おぉスミスかっけぇ!屋上ダイブからの、え?そっち?アナリストへの“ママのお仕置き”もスカッとしました。…なんかね、マトリックスに続編(リロ&レボ)が創られるってなった時、勝手に期待したエンディングはこんな感じのものでした。それを22年越しに観ることが出来たって感じ?私はレボのあの終わり方より、こっちの方がずっと好きです。 トリニティがネオを覚醒せた1作目と、ネオがトリニティを覚醒させる本作が対になっていて、そこにラリー(ラナ)の人生の選択も大きく影響したであろう展開がとても興味深かったです。 …じゃあ、面白い映画か?というと、私は2回寝てしまい、3回目でやっと完走できました。アイオが強敵でした。 やっぱりモーフィアスもスミスもオリジナル・キャストに拘ってほしかったな。特にモーフィアスは、フィッシュバーンが劇中の(軽めの)モーフィアスを演じていたら、説得力は増したと思います。どうにもターミネーター3以降の作品を観ているような気分。特にTVドラマのサラ・コナー・クロニクルズを観た時のような、面白いんだけど、安っぽさも感じてしまうんだよ。 [DVD(字幕)] 5点(2024-11-17 14:14:51) |
4. シビル・ウォー アメリカ最後の日
《ネタバレ》 “Civil War”『内戦』。 じゃあ、逆から考えてみましょうか。最後に1枚の写真が出てきますが、恐らくあれが“アメリカの歴史を捉えた1枚”です。今後、この内戦を振り返る際、必ず目にする1枚にして、きっと歴史書に出る写真かもしれません。その前の数枚は、きっとネットで拡散されるでしょう。その前の1枚は、戦場カメラマンとしての彼女の人生を変える1枚となったことでしょう。 さて、この歴史的1枚は、どのようにして撮られたんでしょう?この物語は、ある女性に出会うところから始まります。…とまぁ、戦場カメラマンがあの1枚を撮るまでを描いた、記録モキュメンタリー映画だとしたら、戦況や状況の説明が薄いのも納得できるかも。 私も予備知識無しで観たから、大統領側と対抗勢力の1対1の衝突なのか、他にも幾つか組織があるのか、どっちがどう有利不利なのか、そもそも何で内戦してるのか、目の前のこの兵士はどっち側なのか、相手の方はどっち側なのか、サッパリ解らず観ていました。ただ、目的地だけはD.C,と決まっていて、そこで大統領にインタビューを行う、戦場を1400km駆け抜ける、無茶苦茶なロードムービーとなっています。クルーの4人は年齢的に、両親と子供、そして祖父という“拡大家族”の様相。恐らく今のアメリカの一般的な家族一世帯のユニットなんでしょう。映画は『疑似家族が目にする無政府状態のアメリカの人々』で、意図的にそうしたんでしょうね。 wiki見たら結構細かく(結末まで)書いてましたね。ふむふむ、なるほど~、19の州がねぇ…怖いねぇ。 アメリカは50の州(国)が集まった合衆国だから、政府が無茶するなら各州の独立もあり得るのかな?アメリカを別けるとしたら民主党の青い州と共和党の赤い州に別けるのがシンプルですが、テキサス(赤)とカリフォルニア(青)が連合を組んでるので、現実の大統領選を前に、内戦を助長するような組織図にはなっていないようです。 ただ影響されやすい国民性と、大統領の権限が絶大な国だから、映画の惨状がリアルなばっかりに、歯車が狂えば現実に…なんて、不安になりますね。 [映画館(字幕)] 7点(2024-10-21 22:56:33) |
5. 侍タイムスリッパー
《ネタバレ》 公開されてから結構な日数が経っていますが、思った以上の人の入りでした。客層は若い方はまばらで、私より二回りほどご年配の方が多くお見受けされましたね。 春からBSで再放送されていた朝ドラ『オードリー('00)』を観ていたので、たまたまチャンバラ映画末期の京都撮影所の内情に、多少の理解がありました。時代劇は映画からテレビへ、そしてテレビからも消えてゆく。'11年に水戸黄門の放送が終わり、人知れず地上波から時代劇が消えていたようです。 『幕府滅亡から140年』滅亡が1867年だとして、舞台は現代ではなく2007年くらいのようです。優子がスマホでなく携帯を持っていたのと、『子供の頃友達がセーラームーン('92~)を…』と言っていたので、大体その頃かな?って思って観ていました。あとから沙倉ゆうのさんの実年齢を知って驚きました。せいぜい30歳前後かと… さて、幕末の京都から同じ京都太秦の時代劇撮影所へ。侍の格好した人が歩いていても珍しくない場所に来ちゃったから、周りからはちょっと風変わりな役者だと思われる高坂。戸惑いながらも徐々に時代を受け入れて、切られ役として第二の人生を歩みだす… 自分だけこんな平和な時代に来て、真っ白な握り飯を食べることに涙する高坂に、私も何故か涙が出ました。ベテラン俳優風見の登場に『そう来たか』と思い、幕末と真剣にまた涙が出ました。最後の闘いはとても迫力があり、息を殺して観ていました。幕末の会津藩士の思いと、終わりゆく時代劇への思い。それぞれの立場で一生懸命に役目を全うしようとする人たち。私には泣ける一方な映画でしたね。 最初は“タイムスリップあるある”で笑いを誘うところですが、会場は思いのほかウケてましたね。『え!え?今のコテコテのネタ、そんなに面白い?』って戸惑ってしまいました。鑑賞中は確かに『ここって実は、後々の伏線で、それを知ってる人が笑ってるのか?』って勘ぐってしまいました。 この映画はもともと、ある程度ご年配向けに創られた映画なのかもしれません。そう、寅さん→釣りバカシリーズ辺りまでは、映画館に足を運んでいた世代の方々。そんな方々が、久しぶりに映画館に足を運びたくなるような映画だったのかもしれません。そこを見据えてユーモラスな効果音とか「すべる、落ちる」の寅さん定番ネタを入れたんでしょうね。最近のスタイルで、家で独りでDVD観てると、面白くても笑わないんですよね、ニヤリとはするけど。振り返ると、ご年配の方々は“面白いシーンは声出して笑う”という、当時のままの楽しみ方をされているんだなぁ。と思うに至りました。 もっと素直な気持ちで楽しむ映画でした。この時代に来たばかりの高坂には、コンクリの建物やワゴン車が目に入っているだろうに、そこはスルーしてます。確かにいちいち全部に反応していたら、一向に話が進まなくなるし。でも病院から一晩、独りでさまようのをしっかり観せないのは、その間彼が何を知って、何を知らないのかが解らなくなり、映画を観てる私との間にちょっぴり溝が… 上の方で2007年と、wikiにも出ていた時代設定をわざわざ得意げに書いたのは、鑑賞中、そこにもうひと捻り理由があるんだろう。と思ってしまったからです。更に先の時代があったり、逆にモトに…だったり。あと映画の途中もう一人の存在に触れたことで、そこも気になっていて、どこかに絡む前フリだと思っていました。そう、私は勝手に、この映画には驚くような仕掛けがあるんだ。と思ってしまっていたわけです。ネット記事の「某映画の再来…」という見出しが、私のハードルを少し違う方向に上げてしまったようです。失敗。 あとですね、今回始めて去年出来たTOHOシネマズで観たんですが、セリフと画が微妙にズレてて、ちょっと気が散りました。このズレ、どこで観てもそうなのかな。(※これは評価に含めてません) [映画館(邦画)] 6点(2024-10-20 23:57:09) |
6. 夏目アラタの結婚
《ネタバレ》 この映画面白いのかなぁ?と思ったため、漫画サイトで2巻分くらい読んでみました。 これは面白い話ですねぇ、アラタと真珠の駆け引き、探り合い、疑いあいが面白くって、どんどん先が気になる原作でした。あまり読み進めてしまうと、せっかくお金を払って映画観るんだからと、漫画を中断して観に行きました。 漫画と比べて、結構詰め込んだ感はありましたが、何を入れて何を削るかの適度な引き算が上手く働いていたのと、丁寧な説明(心の声とか、名前が出た人物の画を入れるとか)があるので、説明不足感はありませんでした。一方で、アラタ側の心理がメインで、原作では時々垣間見えた真珠のホンネが観えにくくなっていました。心理合戦がワンサイド描写なためか、“死刑囚だから絶対に出てくることはない安心感があるのに、それを覆す真珠の怖さ”描写に、あまり時間を裂けなかったのかなと思いました。黒島結菜の真珠は可愛い:怖いが7:3くらいです。 僅かな情報から真珠が桃ちゃんに手紙を出し(怖い)、ガラス越しに対面(怖い)する場面。アラタの好みの桃ちゃんを模写する真珠(怖い)。ガラスに映る桃ちゃんと真珠を重ねる撮り方(怖い)がとても巧いです。でも桃ちゃんとのその後が尻切れだったりは、一本の映画として勿体ないようにも思いました。もしかしたら円盤の特典映像に入ってるのかもですが、せっかく良いシーンなのになぁと思いました。 原作既読の部分以外は、概ねナルホドと納得できました。殺人の経緯などもう少し説明が欲しいのと、疑問に感じた点もありましたし、被害者家族の心情を考えると、どうなんだ?って思う部分も多いけど、彼女の秘密と裁判の行方は私の想像を超えるもので、よくこんな事思いつくなぁと感心してしまいました。 [映画館(邦画)] 6点(2024-09-22 22:33:31) |
7. ジュラシック・ワールド/新たなる支配者
《ネタバレ》 “Jurassic World: Dominion”『~:(土地の)所有権』。『支配権』という意味もあるけど、人類と恐竜の棲み分けという意味でコッチかな?と…別に望んだわけじゃないけど、パークから数えて6作品目。シリーズも29年に渡り、いよいよ完結しますよとなると、何かこう、感慨深いですね。全くこんなシリーズ化なんて望んじゃいなかったんですが。でも1作目の3博士が集まるとなると、やっぱり観たくなってしまいます。 人間の暮らす街中に普通に恐竜が居る日常。この非日常感はなかなか興味深かったです。恐竜が映るショートムービーをパッパと続けざまに観るのは面白いですね。あの屋敷から逃げた恐竜たちにしては、短期間で随分と増えて、驚異的なスピードで生息地を世界中に広げてますが、こんなヤバい状況で人間が普通に生活しようとしてるのが、却って面白かったです。 あと、私の知ってた恐竜、ディメトロドン(あんな地下に住んでるの?背びれで日光浴するんじゃないの?)と、イグアノドン(どこよ?あぁ、アレがそうなの?昔の2足歩行の想像図とだいぶん違う…)が出てくれたことは、嬉しかったです。 困ったことに今回のメインはバッタです。ハイブリッド恐竜もどうかと思ってましたが、いきなりバッタ。太古の時代にあんなのも居たかも知れないけど、大きい昆虫は気持ち悪いですね。ジュラシックシリーズで気持ち悪い虫を観るなんて思ってませんでした。私も小さい頃は虫に触れたけど、体長5cmほどのトノサマバッタの脚力は凄まじかった記憶があります。劇中のバッタのサイズ(30cmくらい?)だと、人間の手なんてバッタのキックで粉々になると思います。それ素手で掴んじゃうんだもんな… シナリオはちょっと酷くて、パークの3博士を集めてしまえ。で、ワールドの3人と御対面させよう。ホントこんなノリで、アベンジャーズなんかで最近流行ってる全員集合を、このシリーズでもやってみた。って印象でした。彼らが一か所に集められても、ご覧の通り挨拶して、あとは恐竜から逃げるだけ。もうこの段階では、彼らの経験やスキルが活かされるわけじゃないですし。 彼ら6人が一本の映画に出てさえいれば、別にパーク組&ワールド組それぞれが冒険して、最後の方でチラッと集合するだけでも、良かったんでないかい?あんなゾロゾロと…オマケに、たまたま6人が白人だから、ポリコレに配慮して、正義の側に黒人の男女と黄色人種(あんたかい!)も入れましたって感じ。ワールド以降、悪人しか死んでないので、生死の掛かった緊張感はほぼ無いです。 DNAの研究で蘇った太古の恐竜たちが、現代の地球で人間や動物と、勝手に共存していくって終わり方は、割と好きです。だけど『最後だから、許す』って部分もありました。それなのに、今後更に続編(リバース?)が創られるような感じになってるみたいで、随分と欲張りだなって思ってます。恐竜映画が続くのは歓迎だけど、ジュラシック・シリーズは、ここで終わりにしましょうよ。 [DVD(字幕)] 4点(2024-09-19 22:38:31) |
8. マッドマックス:フュリオサ
《ネタバレ》 “Furiosa: A Mad Max Saga”『フュリオサ:マッドマックス世界の一つの物語』。…敢えてクドく訳してみましたが、タイトルのマッドマックスは抜くか、サブタイで活かすかして、邦題は『フュリオサ』で良かったんじゃないでしょうか。 前作で曖昧だった(と思ってた)123と怒デスの時系列を、本作で「世界が滅んで45年後」と明言されてました。前作のトム・ハーディ演じるマックスって65歳以上には見えなかったので、怒デス以降は別世界のマックス…って事になるんでしょうかね? 前作でマックスとの冒険を観た後に、フュリオサの歩んだそれまでの道を辿る。腕、髪型、おでこ、トレーラーといった、フュリオサのフラグを回収していく構成は、スター・ウォーズの外伝『ハン・ソロ』に近いと思います。でもフュリオサにはハン・ソロほど固定イメージが湧いてない分、素直に受け入れられるんじゃないでしょうか? さて、フュリオサが少女から戦士になるまでに、結構長い尺を取っています。たくましいシャーリーズ・セロンに代わり、フュリオサ役はアニヤ・テイラー=ジョイです。目がデッカイですね。男も女も人間の目の大きさってほぼ大差無いそうですから、彼女めっちゃ顔が小さいんでしょう。…チッ そして戦士と呼ぶには身体が細っそい気がします。これは世の中のニーズでしょう。'90年代くらいまでは、アクション女優は鳩胸でグラマラスな女優さんが演じてましたよね。前作の筋肉質なシャーリーズの繰り出すパンチとかには、重さと説得力があった気がします。今はCGのお陰でしょうか、マーベルとか観ていると、アニヤのような華奢な子のアクションでも、迫力満点に撮ることが出来るようになりました。序盤の誘拐シーンに結構な長尺を使っていますが、線は細くても筋肉質で引き締まったアニヤ母のアクションは、中盤以降のアニヤのアクションに説得力を持たせるためでしょう。 悪役はクリス・ヘムズワース演じるディメンタス。よく喋るこの男は、トーカッターやヒューマンガスとは雰囲気が違います。旧悪役には、野良犬やライオンのような、言葉や駆け引きの通じない、野生動物のような恐怖を感じました。前作イモータン・ジョーにも、ヒトという動物の醜さを感じました。その野生動物の部分に、リアリティと恐怖と、抵抗できない謎の魅力までも感じてしまいました。 でもディメンタスは、最初から“魅力ある悪役=憎みきれない悪役”として創られているように感じました。そう、マーベルとかの影響で、割と最近耳にするようになった『ヴィラン』という類の悪党に思えました。ディメンタス=ヌルい悪役って雰囲気に感じられると緊張感が感じられないので、敢えて長時間の残酷な処刑シーンを入れたのかもしれません。マッドマックスの悪党の最後はアッサリが基本です。だって野生動物だもん殺せる時に殺さなきゃ。 フュリオサがトレーラーに乗る中盤以降は、きちんとマッドマックスです。怒デス同様のド派手なアクションを、期待通り楽しめます。148分とシリーズにしては長尺ですが、長さを感じさせないメリハリのあるアクション映画でしたよ。 [映画館(字幕)] 7点(2024-06-16 02:09:51) |
9. コーダ あいのうた
《ネタバレ》 “CODA”=“Children of Deaf Adults”『聴覚障害者を親に持つ健常者の子供』。専門用語だとは思いますが、そんな言葉があるんですね。また音楽用語でcodaは『曲の最後尾に付けられる終結部分』という意味でもあるそうです。ツェッペリンの最後のアルバムがCodaでしたね。健常者にしてロッシ家の末っ子・ルビーが、家族と暮らした最後の年の物語です。 家庭内で、これほどにセックスの話題がおっ広げられてるのに、まず驚いてしまった。病院で2週間セックス禁止が言い渡されるトコなんて、あんな年頃の娘に説明したらグレてしまうぞ?と心配したり、耳が聞こえないんだから仕方ないと思う反面、そもそも筆談すればルビー居なくても良いのでは?なんて真面目に考えてしまった。けど、モトがフランスの映画のリメイクだと知って、あのシーンは性ネタのコメディ部分なんだと、何故か納得。 健常者目線で観始めた本作。徐々にルビーの目線で観えてくるようになり、遂には聴覚障害者の目線を体験させてくれる。 発表会に来た両親と兄。周りの様子から手拍子をしてみたり。劇中何度か聞いたルビーとマイルズのデュエットの音を消し、お父さんの近視の表現だろうか、ぼやけたステージ。周りの反応で歌の中身を感じるお父さん。ここでお父さんがぐっと近くに感じられ、車の荷台で喉に手を当てて歌を聴く姿に、娘を思う父親がひしひしと感じられました。このシーンいいなぁ。最後お父さんが言葉で送り出すのもいい。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2024-04-25 21:51:36)(良:1票) |
10. PLAN 75
《ネタバレ》 想像した通り『世にも奇妙な物語』みたいな近未来SF映画でした。 冒頭の、保険に加入するみたいにPLAN75を検討して契約するお婆さんがリアル。 最初の老人施設襲撃事件に、老人ホーム入口の厳重なボディチェックが示すように、高齢者を守ることにお金も人も掛けなければいけないタテマエと、PLAN75の法案を通してしまうホンネ。結局、異口同音に『ジジババは早く死ね』って言ってる。 それだけ余裕のなくなった未来社会を描いたSFだけど、ミチの家の台所には'80年代が全盛期だった、チャーミーグリーンっぽいのと粉末クレンザーっぽい懐かしい洗剤。PLAN75の存在以外は全部今の時代と一緒。 ミチのような高齢者は、生き続けるためには78歳になっても働かなきゃいけない。働く=世の中の役に立たなきゃいけない。役に立たないなら世の中から必要とされなくなる。だったら死ぬしかないよね。って、自分で選んで結論を出したように誘導させる恐ろしい社会。 世の中の役に立たない高齢者が沢山居る社会は、実は豊かで余裕のある社会なんだろうなと思い知らされる。今後の高齢化社会を心配している日本って、やっぱり豊かなんだなぁ。 死を選んだミチが、最後の施設で薬や水を渡す若い職員に、いちいちお礼を言う姿がとても日本人らしい。ミチさん、この若い人たちの未来のために、自分の死を選んだんだよ?なんでお礼言うの?お礼言うのは職員の方でしょ?なんて思ってしまう。 最後、ミチは自ら死ぬのを止めたんだと思った。けどwiki見ると手違いでガスが出なかったって、そうだったんだ。ちょっと伝わりにくい。 年寄りの話をよく話を聞いてくれる優しいオペレーターは、PLAN75を選んだ老人が心変わりしないよう誘導するのが仕事。 他の人と一緒に埋葬された方が寂しくないという方も…と勧めていた職員。合同プランの行き着く先は産廃ゴミ。 ボウリング場でミチのストライクに一緒に喜ぶ若者たち。そうなんだよな、こんな社会になって困ってるのは政府の方で、若者たちじゃないんだよな。 政策や社会が優しい言葉で『ジジババは早く死ね』って言ったとしても、私も一緒になって声を荒げるのは、避けたいな。…あ、私ももうすぐアッチ側か。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2024-04-25 15:38:56) |
11. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 ゴジラは“日本を襲う破壊の象徴”です。初代ゴジラは原爆。シン・ゴジラは東日本大震災。そして本作のゴジラは太平洋戦争(※書き方として東京大空襲と迷いましたが)でしょうか。 圧倒的な物量を誇るアメリカ軍を相手にした戦争は、まさにゴジラを相手に戦うようなものだったことでしょう。 最初のゴジラは軍人だけの基地に出てきました。そしてより巨大になって本土に上陸し、街を壊して人を踏み潰します。 戦争は軍人同士が海の向こうで戦うものだと思っていたのに、空襲で自分の家が焼かれ、家族が殺される。アメリカ軍の無差別爆撃とゴジラの破壊行為。両者にどんな違いがあるだろうか。 三丁目の夕日の、少し前の日本が舞台。帝国海軍も警察予備隊も無い、自衛能力のない時代の日本とゴジラの戦い。役目を終えた軍艦が呼び起こされ、日の目を見ることのなかった戦闘機が空を舞う映像は、過去のゴジラ作品のどんな秘密兵器よりもアツい展開でした。 焼け野原から徐々に復興していく東京の町並みと、少しずつ生活も安定してきて、家族になっていく敷島と典子。ようやく前を向いて生きていこうとした矢先…自分が死ぬのが怖くて特攻出来なかった敷島。彼が特攻しなかったから家族が死んだわけではないけど、戦うべきときに戦わなかった報いが、後々重くのしかかる。因果応報。終わらない戦争。 人間ドラマに重点を置いた本作、後半涙腺緩みっぱなしでした。説明が丁寧だから、展開は読めるんです。それでも涙が出てきます。ありえない最後も全然受け入れられました。エンドロールが始まっても、ほっぺが涙でベチャベチャです。想像以上に良いものを観せてもらいました。 さて。彼女に何があったのか。彼を突き飛ばした後、あの勢いで吹っ飛んだんだから、五体満足なハズはない。 街に飛び散ったゴジラの肉片には、強い放射能だけでなく、強い再生能力も有している。首筋のアレは、飛び散ったコレなんだろう。 何か不吉な未来を暗示しているようにも思えるけど、私は“マイナスを乗り越えてきた日本人”を表しているんだと思った。 どんなに傷つき、どんなに破壊されても立ち直ってきた日本。過去の被害を隠すこと無く、むしろ吸収して乗り越えてきた日本人。戦争、原爆、大地震も乗り越えた日本人は、ゴジラによる未曾有の破壊を受けても、それさえも吸収して乗り越える力があるんだ。という意味だと解釈しました。 …ただもし今後『ゴジラ・ゼロ』とか続編があるなら、解釈変わるだろうけど。 [映画館(邦画)] 8点(2023-11-21 00:00:20) |
12. ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE
《ネタバレ》 “Dead Reckoning”『推測航法』…って何よ?ほう、船とかの航法。あぁ、カーナビがGPSの届かないトンネルに入ってる間動いてる理由のアレね?ふむふむ、長時間、長距離になるほど誤差は増大するのか、そこに勝機がありそう。 最近の人気続編映画らしく長時間の本作。しかもPART ONEって書いてて、観る前から「うえぇ~…」ってなりました。それでこんなに遅くなって観ました。解っちゃいましたが劇場で見て大正解。 深海、砂漠、アブダビ空港、ローマ、ベニス、オリエント急行。正直、別な大作映画で観たような風景が多い気がします。それってマイナス要素に聞こえそうですが、私にはまるで、大作映画の集大成に思えました。 CGで何でも出来る時代に本作が目指したものは、“かつて無い新しい刺激!”ではなく、いままで多くの映画が観せてくれた、憧れの観光地、自然の雄大さ、非日常の迫力を、現代の技術で、現地ロケを多用して観せること。だったんじゃないでしょうか? それを劇場で観る。音響と大画面の迫力を、他の観客と同時に無言の共有をする。一緒に行った人と言葉で共有する。これが映画館で観る映画の醍醐味ですよね。トップガンMでも感じましたが、最近のトムの劇場映画へのこだわりに、とても共感できました。 映画の内容も、進みすぎたデジタル時代VSアナログ技術(と知恵と勇気)。のようで、ここもトップガンM(無人機VS友人機)と共通しています。 “それ”の指示通り動くガブリエルVS最新機器に頼れないイーサンは、CGに合わせて俳優が動く昨今の映画 VS CGは使うけど現地ロケと俳優のアクション有りきの本作。のように思えました。このぐらいが、私達の好きだった映画だったんですよね。 内容内容。私が観る前から「うえぇ~…」ってなった上映時間は全然苦になりませんでした。わりと余裕ある展開で、かといってダラダラ感も少なく、クライマックスの連続で疲れることもなく、終わり方も今回のミッションは完了してるし、でも続きも気になる。ちょうどイイさじ加減です。 カギの本物と偽物、いま誰が何を持っているのか?がよく解らず。入り乱れる多くの組織も前作を観ている人向け。恐らくリピーター狙いの複雑さは、上映時間の長さがネックになってる気がします。映画も高くなったしね。 列車とチンクエチェントが、ある映画と被ってしまった。なるほど、だからこの映画で若いトムは出せなかったんだな。 敵である新型AIを“それ”って訳しちゃったのは、ややこしかったと思います。そのまま“IT(Entity?)”でも良いから固有名詞っぽくしたほうが…です。 1以来のキトリッジ再登場が嬉しかった。この勢いで、どこかで元気に活躍していたゼーンやデクラン出てこないかな? シリーズ5作目以降、本作も同じ路線です。私は個人的に辛口評価でしたが、本作を劇場で観て、前2作の評価(というか観かた)を変えなきゃいけないかな。と思いました。ミッション・インポッシブルという歴史に引っ張られて、トムが観せようとしたものを、私には観えてなかったんじゃないか?って。 そもそもテレビ画面で観てるしなぁ。本作はそう思ってしまうくらい、映画館で観るべき“正しい”アクション超大作映画でした。 [映画館(字幕)] 8点(2023-09-02 11:22:06)(良:1票) |
13. 君たちはどう生きるか(2023)
《ネタバレ》 『君たちはどう生きるか』。同名の小説あり。 前情報一切なしでの劇場公開。といってパッと思いつくのは『クローバーフィールド(2008)』だろうか? 当時はまだAndloidが出る以前の世の中。みんな携帯電話を持っていて、記録媒体はビデオカメラ。情報化社会はまだまだ発展中の時代でしたね。 スマホがあればいつでもどこでも最新の情報が手に入る世の中。それこそ、聞きたくない情報までリアルタイムにキャッチしてしまう世の中で、この映画で解っているのは「タイトル・制作会社・監督・鳥人間らしき画」だけ。 「小説知ってるけど、読んでないんだよな」「何観せられるんだろう?」「そもそもアニメだべか?」 周りから知らされるより、自分の目で確かめたい。と思ったので公開初日に観に行ってしまいました。 感想は…大丈夫です。安心しました。迷っている方はいつものように観に行って良いと思います。 以降ネタバレを含みます。公開スタイルを尊重すると、まだあんま書かない方が良い時期。と考えるので、観た人向けです。 こんなの読むより観た方早いです。(そのうち気が向いたら清書します) この映画の一番伝えたいことが、この公開スタイルだったんじゃないか?と思えます。興味がある人、観たい人だけ、お金を払って観ればいいだけなんです。観ればわかることを、ネットをポチポチして、事前情報を探る。恐らく「失敗しないように」「お金と時間を無駄にしないように」なんだろうけど、その検索行為こそ、初見の楽しさや驚きを奪う失敗と、時間の無駄なのかもしれません。 それはネットに溢れる情報も一緒で、スマホで簡単に見られる、地球の裏側の刺激的な場面。身近に感じていた芸能人の死の詳細。誹謗中傷の応酬を見て、負の感情を刺激して、不必要に自分の心を痛めつける行為と一緒かもしれません。でもそれは誰に頼まれたでなく、自分で選んで、見てしまっているんですね。 生活環境の大きな変化。周りと衝突。かまに注目。理由を隠すから勝手に想像し、動きます。でもいしで大きくしました。よくある通過儀礼は大事件に。 「もっと素晴らしいもの」。それを聞いてから『 』。でした。でもそんなややこしい解釈を考えるより、純粋に物語を楽しめる作品です。 [映画館(邦画)] 7点(2023-07-15 13:35:46)(良:1票) |
14. インディ・ジョーンズと運命のダイヤル
《ネタバレ》 “Dial of Destiny”邦題ままだけど、どうして今さら『と』を付けたのか?それならいっそ『インディアナ…』にしちゃっても。なんて思う今日この頃。 満を持して創られた前作でコテンコテンにされたから、本作に新たな何かを期待する層も少ないだろうと思う。もうただ、私達を熱狂させた往年のシリーズがここで終わる。その時に一緒に立ち会う。どんな出来であっても暖かく見守ろう。そんな決意で劇場に足を運んだ人が多かったんじゃないかな? パラマウント山からの~…無いんだ。それでもOPの若いインディに期待が高まる。あのクオリティで表情豊かに動けるなんて、スゴい時代になったものだわ。ナチスとの追い駆けっ子が懐かしい。役者の顔を貼り付けた実写アニメとも言えなくもないけど、CGって良くも悪くも安心感があるね。 現代パートに戻って、老いたインディのパンツ姿。あぁ、これからこの御老体が、体を張って冒険するのかと思うと、興奮よりいたわりの気持ちの方が強く湧いてくる。だってハリソンってウチのママンと同じ年なんだもの。 徐々に明かされるインディの現状。なんか、低評価だった前作の存在を否定するような、そんな今の生活なのね。 老いたインディ。家庭環境の変化。アンティキティラが時空と関連するオーパーツと来たから、インディの環境が変わるのかなぁ?なんて想像は立ちました。 懐かしいサラー登場。そのうちショート・ラウンドやウィリーも出てくるんだっけ?(※出ません。この映画の情報を極力シャットダウンしてたので、無関係な雑音をキャッチしてました。) 実際に走る姿は痛々しいけど、アクションはそれなりに自然に観えました。これもCG技術の賜物なんでしょうけど。トゥクトゥク走らせたり崖を登ったり。老体に鞭打つインディの活躍を、興奮するでも冷めるでもない、不思議な気持ちで見守っていました。 私がまだ若かった頃、映画は映像娯楽の中でもかなり共通認識の高い方に分類されていたと思います。新作が出る度に熱狂したスクリーンの中のスーパーヒーロー。新作が公開されると即劇場に足を運び、ビデオが出るとレンタルして何度も観る。もちろんインディ・ジョーンズは誰もが知るスーパーヒーローの一人で、演じるハリソン・フォードもまた、誰もが知るハリウッドの大スターでしたね。 今では映画は、数ある映像コンテンツの一つでしか無くなり、ハリウッドの大スターといえば、'90年代から活躍していた人ばかりです。 何年も前にヒットした作品を、当時の設定、当時の俳優のまま、リブートすること無く創って、終わらせる。シリーズを終わらせるために眠りから起こされるスクリーンの中のヒーローたち。 本作を観て、良し悪しは別にして、今のスタイルの映画という文化が、いよいよ変わる時が近づいているのかなって、そんな気持ちになりました。 [映画館(字幕)] 6点(2023-07-10 23:13:20)(良:2票) |
15. キネマの神様
《ネタバレ》 Wikiを見たところ、原作は映画の現代パートの方なんでしょうか?で、過去パートは映画オリジナルってこと?原作ではコロナも出てこないだろうから、作品の6~7割の部分がオリジナルなのかな?松竹映画100周年記念作品とのことで、キネマの天地でも描かれていた往年の輝かしき日本映画界に再びスポットを当てた映画となっている。 志村けんさんの突然の訃報から、どれだけ脚本が変わったか気になるところだけど、沢田研二さんが志村さんの代役に徹しているのが凄い。当時音楽活動中心で、映画やテレビと言った映像の仕事には出ていなかった沢田研二が、志村のために用意されたゴウという登場人物を淡々と演じている。その代役の徹底ぶりは素晴らしいと思った。 過去パートの甘酸っぱい三角関係、忙しいけどワイワイ楽しげな撮影現場から、歩の失業、ゴウの借金、病気、コロナと暗い話題ばかりのクタクタな現代パートの繋がりの段差が大きすぎて、このジイさんが本当にあのゴウか?って思ってしまったり… コロナの影響で閉館する劇場。実現しなかった斬新なアイデアを、人生の終わりに体感するゴウ。ソーシャルディスタンスの空いた席に、スクリーンから飛び出した桂園子が座るなんて、かなり素敵なアイデアだと思う。でもソーシャル関係なしにガラガラの劇場なのと、モト映画界の人なのに上映中に孫にべらべら喋るゴウ。このクライマックス、もっと丁寧に創っていれば、更に良いシーンになったかなって思った。 『古き良き映画業界と、その後の映画人たち』が本来の骨格だったところ、映画を創っている途中で『衰退していく映画産業と新型コロナによる社会の変化』に枝分かれして、そっちに進んでしまったような印象を持ちました。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2023-05-22 23:34:01)(良:1票) |
16. ジョゼと虎と魚たち(2020/日本)
《ネタバレ》 守られるということは人を弱くするのかもしれないですね。お婆さんの間違った過保護で社会との接点を無くしていたクミ子。見た目小さいし、厨二病っぽかったし、16歳とかそんな年齢だと思ってました。けど24歳と聞いて『むむむ、案外深い作品かも』って思いました。 単なる内弁慶で、外では切符も買えない、人にものを尋ねられない、何のチカラも出せないクミ子。お婆さんが外出させたがらないキッカケとか、学校はどうしてたのかな?とか、恒夫がジョゼに惹かれた理由とか、もう少し知りたかった気がしたけど… お婆さんの突然の他界。ふわふわした格好だったジョゼが地味女の格好になるとことか、アニメ世界から現実に引き戻す境界線が上手く描けていたと思います。だけど民生委員の人を一方的に悪そうに描くのはどうだろうか?ま、ああいう人もいるのかもしれないけど。 メキシコ留学の夢を無くして挫折した恒夫を、挫折を恐れて現実から目を背けていたジョゼが、次の一歩を歩きだす姿を見せて励ます。図書館で子供たちに自作の絵本を読むシーンは、この作品のクライマックス。静かな展開だけどジョゼの緊張や不安が伝わる、素晴らしいシーンでした。 その後の描写はどう捉えてよいのか。よりによってあの日に行動を起こしたジョゼの気持ちが解らないし、独りでヤツを見ることを試練とするのはともかく、そこに一人で行くことさえ試練だと思ったんだけど、案外あっさり行けるのね。 鍵のかかってない家。そのままの荷物。みんなで探す。偶然見つける。合流する。リアル路線からの漫画チックな描写に少し戸惑ってしまいました。 現実だったら恒夫あんなに長い時間動けません。松葉杖って雪道を歩くように出来ていませんから。でもそこにケチを付けたいのではなく、少々力技使ってでも、大事件からの大団円ハッピーエンドにしたかったんだって、そんな思いは伝わりました。 [インターネット(邦画)] 5点(2023-03-09 22:51:35) |
17. アバター:ウェイ・オブ・ウォーター
《ネタバレ》 “The Way of Water”『水の(世界で生きる)習わし』。前作が森を舞台にしたのに対し、海を前面に押し出してきた本作。 体験型アトラクションとしてとても解り易い住み分けですね。ストーリーより映像美重視な作品とはいえ、前作より30分も長い3時間超えの上映時間を飽きさせない手腕はさすが。 前作から10年以上、“あれからジェイクたちに何があったか?”を駆け足で伝えていく中で、ネイティリとの実の子と養子養女。5人も出てくる。もし序盤のまま森が舞台だと、みんな青くて細くて、じっくり観ないとどれが誰だか??ってなりそうだけど、外観上違いのあるメトカイナ族の中にサリー一家を放り込むことで、きちんと(かろうじて?)区別は出来るようになっている。 ただ顔と名前が一致するまでちょっと大変なのと、パンドラ世界の固有名詞がポンポン出てくるので、直前に前作を観ておくと理解はスムーズだったと後悔。 ストーリーは、南北戦争の映画を観ていると既視感多いかもしれません。戦争に巻き込まれた大家族の宿命も。 本作は最初から続編を考えての作品の為か、全力を出し切った感が薄いです。キャメロンはターミネーターにしてもT2にしても、一つの作品に全力を出し切る姿勢が大好きでした。過去のどの作品も“彼らの戦いは今後も続くけど、映画で描くのはここまでおしまい”って感じがしっかりしていたのに、本作は“まだ続きますよ”感がありありで、こう観せられると『続編作りの神様でも、普通な終わり方するんだな』って思ってしまいました。 本作のヒロイン・キリが、まさかのシガニー・ウィーバーってことに最後のクレジットまで気が付かなくて。動く城の映画で感じた声の違和感が全く無かったのが、さすがのクオリティ。キリがシガニー本人なら、彼女の出生の秘密や不思議な力の理由も、モヤモヤっと解る気がしてきたぞ?そんな事より、この映画のモーションは、演者自身の動きから取り込んでいるんだろうか?だとしたら凄いなシガニー。 ひと作品の中で、同じような“捕まって逃げて”を何回も繰り返すから、さすがに『また捕まるのかい』って思った。そう言えばキャメロン映画の多くに“捕まって逃げて”が出てくるっけな。でも本作ほど何回も似たような展開がってのは、初めてだった。 『息子には息子』サリー一家の中で唯一純血のナヴィ・ネイティリの、スパイダーへの行いが、私の中でも未消化。あれで終わったのか、今後掘り下げるのか?う~ん、交われない存在って事なのかなぁ。 アトラクション映画として、今回4DXの字幕版で視聴。SWのEP9以上に映像と座席の動きに一体感が感じられました。浮遊感が素晴らしく、大佐のビデオメッセージのシーンでは宇宙酔いしそうに(※長時間じゃないので心配無用)。さすが家庭ではなく劇場で観るために作られた映画らしいなって思いました。 登場人物がナヴィばかりなのに英語のセリフが多いのは、字幕に気を取られるのを防ぐためだろう。そう考えると吹替版が一番適してるのかも? 映像に合わせて背中を叩かれるような衝撃が伝わるんだけど、3時間超えとなると首がじんわりと痛い。水しぶき同様、衝撃OFF機能が欲しかった。肩こり持ちの人はIMAX版のほうが良いのかな? そうそう、直前までIMAX版と迷ったせいで、うっかりREALD・3Dメガネをまた買ってしまった。これで5本になりました。欲しい人居れば… [3D(字幕)] 7点(2023-01-02 11:38:17) |
18. 私をくいとめて
《ネタバレ》 あまちゃん、興味はあったのに、タイミング逃して一切観てないんだよなぁ。観てたらきっと、能年玲奈と橋本愛が久しぶりに合う親友役で共演してるのに、きっと感慨深いものを感じられたかもしれない。もしかしたら片桐はいりとの共演にも、なにかドラマを観ていた人だけのささやかな喜びがあったかもしれない。浅く広くって大事かも。 階下住人のホーミーとか、営業のカーターとか結構漫画っぽいなって思ったけど、漫画原作でなく綿矢りさの作品だった。彼女こういう作品を書くのか。 のんの休日の過ごし方を疑似観察しているようで楽しめた。脳内アドバイザー“A”との会話が、部屋とか独りの時だけでなく外出中(広場のテーブルでぼっち飯する場面とか)にも出てくるところとか、かなり重症なおひとり様かと思ったら、多田くんを食事に誘う所とか自然でこなれてて、言葉に詰まったり手汗掻いたりしないとか、なかなか型にはまらない独特なキャラクターだな。 飛行機の中で大滝詠一の歌詞がふわふわ浮いてるところと、ホテルの製氷機の前で座り込む表現はとても良かった。 だからか、内面のダークサイドを語る時のギャップが怖かった。そんな彼女の一面が原因で多田くんと上手くいかないとか、彼女の予想通り多田くんに彼女が。とか思ったけど、観終わった後に林遣都版の映画ポスター(?)を見て、あぁ、彼の内面も用意されてたのかって。それなら多田くんサイドの考えも観てみたかったかな? しっかりした原作があることも、多田くんの思いがあることも知らずに観たから、私はこの作品をのんさんのプライベートを表現した作品なのかな?って思ってた。時代の寵児だった能年玲奈時代を経て、今ののんがあって。開花することのなかった絵の才能や、突然イタリアに消えた親友への思いや、何年も消えない会社の上司のセクハラの記憶なんかがフラバするのが、なんか彼女の今に繋がるのかなぁ?とか。そんなではないんだろうけど。 常に落ち着いていて頼れる“A”。でもAは私なんだから、可視化すると、あぁなるのか。まさに「ちょうどいい」でした。 [インターネット(邦画)] 6点(2022-11-23 23:59:23) |
19. Red(2020)
《ネタバレ》 失楽園に代表される“不倫”というそもそものテーマ自体に、嫌悪感や不快感を抱く方も多いと思う。そして観た後のあまりの救われようの無さ。だけどテーマと映画の出来を切り離して考えると、良く出来た映画じゃないかと感じた。 私のハンバーグは食べないのにお母さんの煮付けは食べる夫。そんな踏みにじられた人生に我慢してる多くの主婦は、この映画に共感する反面、認めたくない気持ちも強いかもしれないし、その気持は痛いほどわかる。だって子供が…って。 塔子の前に鞍田が現れるタイミングの絶妙さとか、塔子を取り巻く男が3人なのに、絡んでくる女がゼロとか、かなりご都合主義な面も観えるけど、妻夫木聡の優しそうな微笑みと、夏帆ちゃんの透明感とクリクリした目。この2人に焦点を当てた結果の省略だろう。小鷹がもっと二枚目だと話がややこしくなるし。 「でもさぁ人間さぁ、どれだけ惚れて死んでいけるかじゃないの?」 父親は女を作って出ていったと言うが、きっとその原因は母親だろう。そんな母親の生き方を否定し、裕福な家庭の優しい旦那と結婚し、専業主婦として可愛い一人娘を育てている塔子。海外出張中の父親とは円満離婚してると、嘘をついてまで手に入れた幸せな家庭。 塔子が手に入れた人の羨む裕福な家庭は、彼女自身の求めたものではなく、反面教師と言える自分の母親が手に入れられなかったものなのかもしれない。 「今がとっても幸せ!」「…君は、変わってないな」10年前もきっと、ステレオタイプの幸せ論に満足している自分の本心を見透かされて、鞍田に奥さんが居ると知りつつ、関係を持ったんだろう。塔子の女の部分、人の男を奪いたい欲求だったのかもしれない。 今度は自分に夫が居る立場での不倫。子を持つ母親でありながら、満たされない女の部分の欲求が、10年前と変わらない鞍田を受け入れる。 「…生涯で、ただ一人好きになった人と、一緒になったこと。」だから、もう夫にとっての結婚は終わってたんだ。あとはもう夫にとって妻という存在は、子を育てて家庭の幸せを維持するための道具でしか無いんだ。ここに残っても夫の道具として、村主家の為に、じわじわ死んでいくだけなのに気がついた塔子。 「鞍田さん・・・生きましょう。」 [インターネット(邦画)] 7点(2022-11-15 22:47:21) |
20. 漁港の肉子ちゃん
《ネタバレ》 なかなかクセが強いオープニングに、最後まで楽しめるかなぁ…と不安になったけど、考え方の大人びた小学生と、子供みたいな親。ついでに喋る動物。現代版じゃりン子チエみたいで案外しっかり楽しめました。 バスケから始まるマリアちゃんの乱。弱いもの救済の体で自分に都合の良いように画策、失敗。それに対し、ことぶきセンターで二宮に話す喜久子の本心がリアルで、観ていてこっちまで心が痛くなりました。不器用なマリアに比べて案外器用に世渡りをしていく喜久子。近くにいる友だちが固定でないのも器用な証拠だろうか。夏祭りなんてこのメンバーで行くんだぁって、これもまたリアル。 喜久子と二宮の関係も面白くて、お互いに変顔しあったり、運動会の時メダルをキラキラさせてみせたりも、なんか、良かったなぁ。 私としては喜久子とクラスメイトの話だけでも充分に楽しめたけど、出生にまつわるエピソードと、病院で肉子に本心を打ち明けるところは結構もらい泣きしましたよ。 原作未読だけど、平屋住まいをグラスボートにしてるのかな?電気は?ガスは?冬は?時化の時は?目覚めたら床下を魚が泳いでるのはメルヘンチックな感じだけど、そういうのちょっとジブリらし過ぎかな。 トトロネタも入ってたし、出てくる飯が美味そうなの…は、良かったと思うけど。 それよりトカゲやセミが喋ったり、神社が話しかけてきたりって、そのうち意味が解るだろうと思ってたら、結局どこにも繋がって無かったみたい。 あと霊媒師とか、肉子の前世の話とか。なんかそこで軽く触れるだけなら、無理に入れなくてもって思ってしまった。何で氷川神社がエロ神社って呼ばれてるのか知りたかったわ。 [CS・衛星(邦画)] 6点(2022-10-27 01:17:38) |