1. 塔の上のラプンツェル
《ネタバレ》 3D吹替え版を鑑賞。 ディズニーらしく夢のある作品に仕上がっており、大人でも子供でも誰でも楽しめることができるだろう。 アドベンチャー、ラブストーリー、親子愛などの要素を盛り込み、“自由”や“夢”や“成長”などのテーマを3Dを活かした圧倒的な美しさや迫力で描き込んである。 鑑賞する前には想像していなかったが、ミュージカル要素が多数含まれており、いい裏切りが嬉しいところ。 ミュージカルをアメリカ版でも聞いてみたいとも思ったが、逆に吹替え版だからこそ楽しく聞くこともできたとも思える。 歌のパートは別の人だったようだが、中川翔子が彼女のカラーを全く感じさせない、良い仕事をしたようだ。 目的もなく、ぼんやりとしていたユージンが最後に良い仕事をすることもいい裏切りとなっている。 “自由”を求めるラプンツェルの“夢”、“自由”を謳歌するラプンツェルの楽しそうな“姿”を見て、彼自身も変わっていったのだろう。 自分自身を犠牲にして、彼女自身の大切な宝ともいえる“呪縛”から開放させることには、男としての強い勇気を感じさせた。 仲間ではないはずの荒くれ者たちやライバルのマキシマスの手助けなどの、いい裏切りが嬉しい作品。 盗賊であれ、動物であれ、赤の他人であれ、どのような関係であっても仲間ハズレにせずに、手を取り合うようなシーンには心を打たれる。 ディズニーらしく大人でも子供でも楽しめる、甘いスイーツのような作品であり、自分には少々甘すぎたところもあったが、それが目的のような作品であり、もちろんその点が本作において問題になることはないだろう。 甘いケーキを食べに行って、甘すぎると非難するのはナンセンスと分かっている。 [映画館(吹替)] 7点(2011-05-03 12:53:28)(良:1票) |
2. トゥルー・グリット
《ネタバレ》 オリジナルは最近鑑賞したが、本作の方がやや好みだった。ストーリーは基本的にオリジナルと同じようなものとなっている。コグバーンとラビーフの対立がやや強めとなっており、少女のわがまま度がやや抑えられており、ラストの展開がやや異なる程度となっている。どちらもそれなりに面白いものの、どちらも感情に訴えてくるものが少ないような気がする。本作から“トゥルー・グリット”があまり感じられなかった。もちろん三者に気骨や勇気があることは疑いようがないが、特別な何かを感じさせるものが足りないのではないか。 オリジナルに忠実に描きたかったのかもしれないが、もうちょっと大胆に改良してもよかったのではないか。もっと壮絶な追跡劇にしてもよかっただろう。もっと悲惨なものにしてもよかっただろう。1969年に描けたものを今更40年経過した後に同じように描いても仕方がない。映画は止まっているのではなくて進歩しているのではないのか。 少女の成長ストーリーとしてもやや不満。自分一人の力があれば、大人も簡単に動かせることもでき、復讐も簡単にできるという傲慢でわがままで自分勝手な考えを持っていた少女が、この旅を通して協調性や自分が思うままに物事は進まない現実を学んで欲しいところだ。法律や経済や理想を振りかざす少女に対して、それらを超越した世界を体験させてもよかった。本当の勇気とは何なのか、何も考えずに進むことが勇気なのか、将来を考えて後退することが勇気なのか、ということを我々に問うてもよかっただろう。オリジナルとは異なる追加されたストーリーでは、彼女は片腕を失い、独身のままで生涯を過し、性格もあまり変わっていないようだった。コグバーンに対するリスペクトの感情を変わらずに抱いていたようだったが、果たしてそれだけで良かったのだろうか。彼女の人生は果たして幸せだったのか。 オリジナルとは異なり、『復讐には意味がない』ということを現代のテーマとして伝えても意味があるのではないかと思う。コーエン兄弟は、ラストにあえて付け足をすることで、復讐しても意味がないということを伝えたかったかもしれないが、やや分かりにくいだろう。もっと分かりやすい悲劇的なラストでもよかったかもしれないが、製作総指揮のスピルバーグが許さなかったか。普通の西部劇ならば、コーエン兄弟がわざわざ監督をする必要があったのかは疑問なところ。 [映画館(字幕)] 6点(2011-04-12 23:28:17)(良:2票) |
3. トロン:レガシー
《ネタバレ》 体調面の影響かもしれないが、何故かあまり映画にノレれなかった。 きちんとオリジナルを鑑賞してから観たので、「ここはオリジナルをリスペクトしているな」「オリジナルのアレがここまで描けるようになったのか」といったように、他の人よりも楽しめたはずなのだが…。 オリジナルを観てから本作を観ると、確かにこの28年間の映像技術に関する革新について感慨深いものを得られる。 ゲーム部分を中心として、映像は確かに凄い。 誰も観たことのない仮想空間をよくぞここまでクリエイトすることができたとも興奮することができる。 しかし、ストーリー面に関しては、オリジナル同様に「なにがやりたいの?」という感想しか出てこない。 数日前に見たにも関わらず、ストーリーに関してはほとんど思い出せない。 意味不明のトロン、何のために裏切ったのか分からないズース、アイソーの生き残りとはいったい何だったのか分からないクオラ、コマンドを実行しただけのクルー、瞑想している父親、常にはしゃいでいるだけの息子、ゲーセンでたたずむアラン、それぞれの役割があまり生きていない。 『映像は素晴らしいけど、ストーリーがダメだね』という批判を恐れたためか、必死に“親子愛”というテーマを振りかざしているが、それがかえって空回りしているようにしか思えなかった。 子どものことなど何も考えていない自己中心的のフリをしていた親が最後に子どもにきちんとした愛情を見せるといった“確執”と“融和”のような落差が必要ではないか。 何故か、この世界においては、愛も勇気も強さも弱さも安堵感も、痛みさえも何も感じることが出来なかった。 心に訴えるものがなければ、感動することなど出来るはずがない。 また、映像は確かに素晴らしいが、コンピューター内の仮想空間にしてはどことなく“常識的”過ぎるような気もする。 この世界とは関係のない世界ではなくて、この世界の延長線にあるような世界とも捉えることができる。 創造力については褒めることもできるが、あの程度のものがクルーが目指した完璧な世界といえるのか。 オリジナルとの整合性を重視したのかもしれないが、これでは「スター・ウォーズ」レベルではないか。 オリジナル同様に、映像だけが凄くて、中身が伴わなかったところや、「トロン」というタイトルの割には、オリジナル同様にトロンが目立たないところだけを継承しなくても良かったのに。 [映画館(字幕)] 5点(2011-01-04 22:59:11)(良:4票) |
4. トロン
《ネタバレ》 独創的な世界観が繰り広げられており、確かに衝撃を受けることはできる。 1982年にこれを創る事は相当なイマジネーション力と技術に関する苦労を強いられたであろうことは容易に想像できるが、この世界観はやや付いていきにくいように思われる。 インターネットや仮想空間が常識でもある現代においてさえ付いていきにくいのだから、当時の人々はもっと付いていきにくかったのではないか。 また、観終わった後に何も残らない作品でもある。 仮想現実内において訳の分からないボスキャラを倒し、乗っ取られた自分の著作権を確保したということはもちろん分かるが、「それがどうしたの?」とも感じられる。 感動もなければ、爽快感もなく、興奮もない。 技術がいくら素晴らしくても、それだけではダメだということだろう。 [DVD(字幕)] 4点(2011-01-04 22:58:26) |
5. 特攻野郎Aチーム THE MOVIE
《ネタバレ》 オリジナルについては放送されていたのは知っていたが、あまりに子ども過ぎていて記憶がない。 オリジナルとの比較はできないが、単品で見ると結構面白いと感じられた。 スタートからエンディングまでクライマックスのノリが続いていき、ハリウッドアクション大作をお腹いっぱいに堪能できる。 大胆かつ緻密な計画は見ていても飽きることがなく、頭脳的にも視覚的にも十分満足できるデキとなっている。 ストーリー的には、彼らがなぜ濡れ衣を着せられたなどは深く考えない方がよいだろう。 訳の分からない理由でハメられて、とにかく汚名を晴らす、そんな展開でもこの仕上りならば、全く気にならない。 各人の個性はバラバラではあるが、チームワークについてはある部分でしっかりとまとまっているという面白さもある。 バラバラの4人の個性や長所も十分発揮されていたと思われる。 『人を殺せなくなった』という訳の分からないモヒカンの告白があったが、ああいう展開もチームを結束されるには必要なネタと思われる。 あのエピソードが上手く機能したとは思えないが、チームの誰かが悩みを抱えて、それをリーダーの言葉などで吹っ切って、復活するという流れは、ストーリーを盛り上げるためには必要不可欠だろう。 このような訳の分からない展開も全体的な仕上りの良さがあるからこそ許されるものであり、プロデューサーのスコット兄弟や監督のジョー・カーナハンの手腕の高さが窺われる。 難をいえば、CIAのリンチを上手くハメたようには感じられないところか。 『奴の本性を明かす』といっていた割には、なんとなく奴が捕まってしまい、完全にスッキリしたようには感じられなかった。 CIAにはリンチのような奴がゴロゴロしているオチは面白いが、もうちょっとラストの作戦が上手くハマれば評価もアップしたかもしれない。 ラストの作戦はハンニバルではなくて、フェイスの作戦だから仕方がないともいえる。 いずれにしても、細かいことには気にしないで楽しんだ方が良い映画でもある。 [映画館(字幕)] 7点(2010-10-09 23:37:38) |
6. トイ・ストーリー3
《ネタバレ》 2D吹替え版を鑑賞。夢のある素晴らしい作品であり、強いメッセージも心に深く刻まれて、ラストは涙を抑えることができなかった。おもちゃ達のアンディに対する愛情と、アンディのおもちゃ達に対する愛情を深く感じることができる。アンディの母親が愛情を込めてアンディを大学へ送り出したように、アンディはおもちゃ達のために別れて、そしておもちゃ達もアンディのために別れていく。屋根裏部屋に押し込んで長年放っておかれて遊んでもらうことのないおもちゃ達を、愛情を込めて遊んでくれる子どもへとアンディは引き継ぎ、そしてアンディが子どもから大人へと変わっていくためにおもちゃ達もアンディに別れを告げる。寂しい別れでもあるが、深い愛情が込められた別れでもある。愛する人を想った別れの美しさに心を揺さぶらされて、感動させられた。長年変わることのない関係ということも必要かもしれないが、それぞれがそれぞれのことを考えたときには、必要な別れというものがあると教えられた。私事において、最近どうしようか悩んでいたことがあったが、本作を見てこういう別れもあるのだと改めて感じ取り、自分も前に進んでみようという気持ちになった。 アドベンチャー作品としても素晴らしい出来栄えである。保育園から抜け出して、さらにゴミ処理施設から抜け出すという取るに足らないようなものなのだけれども、危険な宇宙を旅して、敵の本拠地から脱出するような、とてつもなく広がりを持った“冒険”を堪能できた。シリーズを楽しんだ人にはさらに面白くなるような仕掛けも満載であり、本シリーズ及び各キャラクターに対するピクサー製作陣の愛情を感じられる。 最近のピクサーは失敗できないというプレッシャーからか、普通のアニメ映画とそれほど変わらないようになってしまい、少々残念な気持ちを持っていたが、ピクサーはきちんと期待に応えてくれるだけではなくて、期待以上のものを見せてくれる素晴らしいスタジオだという思いを強くした。 本作を鑑賞した日に、たまたま公共交通機関の中で、小さな女の子2人が本作と同じように人形を振りかざして遊んでいたのを見かけた。普段ならば、気にも留めない光景かもしれないが、人形と遊ぶ彼女たちを見る目が変わったような気がした。これも本作の持つ大きなチカラによるものだろう。おもちゃやおもちゃと遊ぶ子ども達に対する見方を変えるほどのパワーを持つ作品は偉大といえる。 [映画館(吹替)] 9点(2010-08-31 22:40:15)(良:1票) |
7. トイ・ストーリー
《ネタバレ》 おもちゃに対する愛情と、おもちゃを愛してくれる子ども達に対する愛情に溢れた作品。 おもちゃが動き回るという夢のような世界が展開されており、このような気持ちはいつまでも忘れてはいけないと感じさせてくれる。 また、そういうえば自分が遊んだおもちゃ達はどこに行ってしまったのだろうとどこか切ない気持ちにもさせてくれる。 さらに、冒頭のアンディがおもちゃと遊ぶシーンは、アメリカの子どもも日本の子どもも変わらず、万国共通なのだろうか、どこか懐かしい感じにもさせてくれる作品だ。 おもちゃとともに遊び、おもちゃとともに成長していくのは普遍的といえそうだ。 ストーリー自体は、隣家からの脱出と引越の車への到着という取るに足らないものなのだけれども、他のアドベンチャー作品にヒケをとらない“激しい冒険”を堪能できるというのも不思議な仕掛けだ。 悪ガキの日光による攻撃や、飛ぶことのできない翼などを事前に描いておいて、それをきちんとオチとして回収するのは心地よく感じる。 1本のマッチを使って、ロケットを発火するのだろうと思わせておいて、一旦観客をドキドキさせるようなテクニックも見事といえる。 また、ウッディとバズというまさに正反対の性格の“二人”が繰り広げる見事なバディムービーだ。 自分の居場所を奪われたと思う者と、自分をヒーローと思う者という組み合わせは過去に例がないであろうほどの新鮮な面白みを与えてくれるとともに、自信やアイデンティティを失ったバズを救ったのは、ウィディであり、アンディの愛情(足裏に書いた名前)であったことはどことなく感動的でもあった。 他のキャラクターもただのお飾りではなくて、高い個性を感じられる。 ピクサーの製作陣が一つずつにきちんと愛情を込めたのだろう。 [DVD(字幕)] 8点(2010-08-31 22:35:28)(良:2票) |
8. トランスフォーマー/リベンジ
《ネタバレ》 マイケル・ベイの映画は、前作を含めてもちろん好きではない。中身がなく、ご都合主義的なストーリー展開ばかりで、ストーリーも人物も何も描けていないからだ。くだらないアクションの連続ばかりであり、「付いていけない!勝手にやってろよ!」と思うときすらある。人間というものはあえて不得意な分野にチャレンジすることも大事なことだが、自分の得意分野を徹底的に追求することも大事なことなのかもしれない。今回もノーストーリー、ノーキャラクターではあるが、派手なアクションや壮絶なバトルに釘付けになった。ここまで自分のスタイルを徹底的に通してくれると、「参りました」と言わざるを得ない。言葉は悪いが、バカを追求すれば、ここまで素晴らしいバカになれるものかと感心してくる。「細かいことは言わずに地球が救われるのを見ろ」というようなセリフがあったかと思うが、まさに本作を一言で表しているのではないか。 アクションばかりではなく、マイケル・ベイ映画のお約束というべき「ラブストーリー」「親子愛」「アメリカ万歳」もきちんと描かれている。たいていは減点となるような描かれ方をされているが、本作に限っては「とことんやっちゃっていいよ!」という気になってくる。ここまで強いアメリカ軍を描いてくれると、本作を見るアメリカ国民は盛り上がるだろう。現実では苦戦しているのだから、映画の中では活躍してもらわないと困る。 ただ、アクションの見せ方に関しては、もう一工夫必要だったか。基本的には、同じリズムで構成されており、抑揚というものが全くない。「全速力で突っ走るぜ!」というスピードで押し切るタイプの作品なので、オプティマスがやられるシーンなども、何かを感じたりするようなことはあまりなくなってしまう。 しかし、前作に比べるとだいぶ見易くなったように思える。 目で追うのはしんどいところはあるが、観客の目を意識した仕上がりになっている。 オプティマス、バンブルビー、フォールン、メガトロン、スタースクリーム程度を判別できれば、一応は楽しめるだろう。個人的には好きなキャラクターであるスタースクリームの外見がメガトロンと似ているので、もうちょっとスタースクリームが判別できれば、より面白くなったと思う。 ただ、お笑い担当となるべき、ルームメイトのレオや、双子のオートボットもいい機能を果たしていない点はもったいなかった。 [映画館(字幕)] 8点(2009-07-05 23:09:03)(良:2票) |
9. トランスフォーマー
《ネタバレ》 元ネタに関しては知識なし。さすがはマイケル・ベイという映画に仕上がっている。派手さは超一流であり、期待感を煽っておきながら、中身はまるで大したことがない。変型シーンやバトルシーンは多少の見応えがあるが、基本的にはスピードでごまかされているような気もする。マイケル・ベイの映画だから中身は気にしなくてよいが、よく分からない展開が目立つ。きちんと説明されていると思うが、「ダムを捨てて市街地に向かう理由」や「サムがビルの屋上へ行って、ヘリコプターにキューブを持ち込む理由」がまるで分からなかった。「キミはもう立派な兵士だ」という一言で片付けてしまうところが、“さすが”といえるかもしれない(むしろ、このような展開がないと逆に面白さが半減するかもしれないが)。 その他の問題点としては以下のとおりか。 ①『オートボットの個性が中途半端』味方が5体もいるのに、存在感があったのが2体のみというのが寂しい限り。敵も何体かあったのだから、それぞれに見せ場を用意すべきではないか。ジャズが死んでも悲しみも何もないという状態に陥っている。ロボットがぶっ壊れたと思わせるのではなく、観客を泣かせるほどまで描いて欲しい。 ②『バトルが分かりにくく、盛り上がりに欠ける』何と何が戦っているのすら分かりにくい。リアルさを出したかったと思うが、もっと単純でいいのではないか。“良さ”を活かしきれておらず、味気がなく、爽快感がない。ラストのバトルももっとボロボロになるまで追い込まれないと面白みに欠ける。 ③『登場人物が中途半端かつ無駄に多すぎる』音声の分析官と友達ハッカーは、モールス信号などで存在感を示したとはいえ、敵側の弱点を発見するわけでもないので、存在自体をカットできる。タトゥーロも味方でも敵でもない中途半端なキャラクター。敵側に付くか、あるいはキューブのパワーを狙う第三者として、ストーリーをかき回す役柄を担うべきであった。存在感のある演技力をみせていたが、効果的な使い方ができていない。ジョン・ボイトとアメリカ軍の大尉もイマイチだが、そこまで求めるのは酷というものか。肝心の主役のラブーフについては、感情が伝わってこないので、あまり評価はできない。怒り、悲しみ、苛立ち、苦しみ、使命感などをもっと演技で観客に伝えるべきだろう。ミーガン・フォックスの方が、まだ怒りや苛立ちといった感情が伝わってくる演技をしていた。 [DVD(字幕)] 5点(2009-07-05 22:54:13)(良:1票) |
10. DRAGONBALL EVOLUTION
《ネタバレ》 鑑賞前は「いじめられっ子だった少年がいじめっ子を見返すためにカンフーを修行して、修行の成果でいじめっ子を倒した後は、なんやかんやでピッコロ大魔王と戦い地球を救う」というもっとメチャクチャなストーリーだと思っていたので、逆の意味で裏切られた感が高かった。 20世紀フォックスらしいトンでもない映画なのは間違いなく、はっきりいってネタのつもりで見に行ったが、その観点からも期待を裏切るかもしれない。 冒頭の説明から「いったい何の話をしているんだ!」と期待を高めてくれて、映画を観ていても「キミ達はさっきからいったい何をしているんだ?」と突っ込むことはできるが、悪い意味でマジメに作られており、笑うに笑えない代物となっている。 「ナマステ」「ハイスクール青春ストーリー」「パーティー」「陳腐な修行」「ヤムチャ」「どこが大猿?」「人を生き返らせるためにカメハメ波を喰らわす」「布団で寝るピッコロ」などの突っ込みどころは当然満載で、「課題ができなくてズルしようとしていた奴が、エロのパワーによって一瞬で課題をクリアする」などのメチャクチャなところは多数見られるが、ネタ映画としてもそれほどのレベルではない。 我々の期待を裏切り、それなりにマジメに作られているので、つまらない作品というよりも、単に「やる気と情熱と才能と予算がない集団が作り出したデキの悪い中途半端な作品」ということになるだろうか。 高額な制作費といわれているが、実際にはそれほど掛かっていないチープな仕上がりとなっている。 しかし、中身はないが、ストーリーはポンポンと繋がりなく進むので、それほど飽きるということはなく、「何が伝えたいのか、何をやりたいのかが分からない」ような怒りに震える駄作というものとはヤヤ異なる気がした。 人々の記憶から消えることのない歴史に残るような駄作を期待したが、一瞬でストーリーが記憶からなくなる普通のどうでもいいカンフーアクション作品となっている。 [映画館(字幕)] 3点(2009-03-14 20:42:52)(良:4票) |
11. トロピック・サンダー/史上最低の作戦
《ネタバレ》 ニヤニヤとはできるが、自分も含めて観客の中で大笑いしていた者はいなかった。 コメディ映画にも関わらず劇場が静まり返っていたのは印象的だ。 本作はストレートで分かりやすい笑いで構成されているのではなくて、基本的にはマニアックな笑いで構成されている。 パロディの元ネタが分からなければ、そもそも笑えなく、ハリウッド風刺に対しても、その知識がなければ、笑えない。 日本人には合わないような笑いがメインではないか。 瞬殺された監督の死体をいたぶるシーンなどは、むしろ分かりやすい方であり、日本人にも理解できる笑いだ。 本作に描かれた“笑い”がアメリカ人の笑いのツボだとすれば、アメリカと日本はユーモアの質はかなり異なるといえるだろう。 しかし、ベン・スティラーはアメリカ的な笑いとも異なる“笑い”を描こうとしたように個人的には思う。 単純な笑いを追求するのではなくて、コメディ映画という枠を取っ払って、リミッター限界の際どい世界をベン・スティラーは描こうとしたのではないか。 ベン・スティラーの世界観に対して、理解も共感もできないが、個人的にはそれほど嫌いな作品ではなかった。 マジメなプロ選手の試合ばかり見ていると飽きてくるものだ。 こういうプロ選手による暴投や乱闘だらけの見たことのないメチャクチャな試合を見るのも面白い。アマチュア選手による暴投や乱闘だらけのメチャクチャな試合ではない点がポイントだ。 プロフェッショナルがどこまでバカになり切れるのか、どこまで限界まで到達できるかを競っていたように思われた。 トム・クルーズの存在が本作にとっては大いなるプラスに作用している。 ベンやロバートの暴走をトムがなんとか引き締めているようにも感じられた。 本作に描かれた例えを引用すると、ベン・スティラーやロバート・ダウニーJr.は「アイ・アム・サム」のショーン・ペンであり、トム・クルーズは「フォレスト・ガンプ」のトム・ハンクスであるような気がした。 ベンのように本物のバカになりきるのではなくて、本物のバカを演じているのはトムだ。 トムがベンとは異なるタッチで演じたために、本作のマニアックさがやや和らいだような気がする。 ベンやロバートの暴走に対して、ジャック・ブラックの影が薄かったのも印象的だ。 スローモーションでケツを痛がるシーン以外に見所なし。 彼にも付いていけない世界だったのかもしれない。 [映画館(字幕)] 6点(2008-11-26 21:41:25)(良:1票) |
12. 時計じかけのオレンジ
《ネタバレ》 数年前本作を始めて観たとき、たぶん内容を理解することもできず、ストーリーもよく分かってなかったと思うけど、映像の力に圧倒されたことを今でも覚えている。あのときの興奮は忘れないし、あのとき得られた興奮を超える興奮を与えてくれる映画は少ないだろう。 久々に再見してみると、確かに映像の圧倒的な力は衰えることはないが、本作で伝えたかったことが自分の中で上手くまとまらない。自分にはまだまだ本作を吸収できるほどの土台が備わっていないのではないかとも感じた。上手くまとめることはできないけど、おそらく本作で伝えたかったことは、刑務所に来ていた神父の言葉で語られていると思う。 「選択」するということが、人間が「人間」足り得るということを本作で言いたいのではないか。人間の本質は紛れもなく暴力とセックスである。人間の歴史は暴力によって築きあげられてきたのは否定できない。普通の人であっても誰でも暴力を振るうことはあり得る。本作でもアレックスや彼のドルーグだけではなく、警察、保護監察官も暴力を振るっており、ホームレスの集団や作家や猫館婦人でさえも暴力を振るっている。だからといって、国の力で強制的な手段によって、本能までをも否定しようとするのならば、出来上がったものはもはや「人」ではなく、「機械」なのではないか。 たしかに強制的な手段によって暴力を排除することを否定しているが、だからといって暴力を肯定しているわけでもない。 そういった本能に対して、人間は良心の呵責、道徳心、倫理観、罪悪感というフィルターを通して、行動を選択しているわけである。本能に対して選択できる能力を有するから、「人間」は「機械」でも「動物」でもないのである。 この映画は、「暴力」の在り方を通して、「人間とは何か」「暴力のない世界を実現するとは」ということを問題提起しようとしているようにも感じる。 国家によって洗脳するのではなく、人々が自己の行動に対して適正な選択を可能とする良心を涵養することが必要なのではないか。 [DVD(字幕)] 9点(2006-12-31 00:30:34)(良:1票) |
13. 東京物語
《ネタバレ》 世間的に評価されている名作という理由だけで高得点はつけたくないが、本作はお世辞抜きにして、素晴らしい作品であると感じた。 この歳になるまで、小津作品は一度も観たことなく、ようやく本作を鑑賞したのだが、鑑賞中、なぜか終始鳥肌が立つような感じで、悲しくはないけど涙が出そうになることが何度もあった。とても不思議な作品である。 第一印象として、非常に「緊張感」のある映画だと感じた。美しい「日本の心」と、失われていく「日本の心」が終始静かにぶつかり合い、せめぎ合い、衝突しながら、それが一本の筋となって、映画の根底を流れていく。だから、特殊な緊張感が生じるのだろう。 子ども達に会えることを楽しみにわざわざ尾道から出てきたものの、子どもたちから邪魔にされながら、決して直接文句も言わずに、逆に「幸せな方かもしれんなあ」と語り合う老夫婦。 子どもたちは、絶対いいはずだと熱海へ送り出し、厄介払いをして、母親が亡くなったら、「(死ぬ順番が父と母が)逆だったらよかったのに」と語り合う。 まさに「親の心子知らず」という言葉がぴったりだ。「あんな立派に育てられたのは誰のおかげだ」と問い詰めたくもなるが、自分には幸一もしげも否定できないと思う。 父母と子どもというのは、ある意味においては、一番近いようにみえて、一番遠い関係でもある。血が繋がっていれば、紀子のように自分の真の気持ちを素直に吐露できないものである。 そして、幸一もしげも最初はああではなかっただろう。しかし、父や母がいる故郷を離れ、東京へ出て、結婚し、子どもを持ち自分の生活というものが次第に形作られていくと、徐々に人間はみな変わっていってしまうのだろう。紀子や京子ですら、再婚や結婚をしたら恐らく変わっていってしまうのではないか。これはもう良い、悪いというよりも、人間としてやむを得ないことなのだろう。 大きな家に一人取り残された周吉の後ろ姿がとても小さく感じられる。彼の後ろ姿によって、人間が変わっていってしまうことのもの悲しさと、郷愁の余韻が残る。 本作を観て、親子の関係を少し改めてみないといけないなと感じられた。小津監督も失われつつある「日本の心」を描きつつ、そうした現状に対して少し考えさせて、いくらかの歯止めをしたいという趣旨を込めたのではないだろうか。 [DVD(邦画)] 8点(2006-12-31 00:22:01)(良:2票) |
14. 逃亡者 木島丈一郎<TVM>
《ネタバレ》 「踊る」シリーズは鑑賞していたが、フジテレビの金儲けの道具になっていったスピンオフにはあまり興味を持てず、「真下」や「室井」を鑑賞していなかった。最近、たまたま集中的に放送していたので、まず本作を鑑賞してみたところ、「真下」を観ていないためか、木島という人物にハマルことができず、まったく面白いとは感じなかった。 突っ込む気すら起きない脚本は置いておいて、第一の問題は、逃亡者という設定にも関わらず、緊張感・緊迫感はゼロに近いことではないか。低予算・短期間で作成された感がありありと伺え、ラストのアクションに至ってはコントと思いながら観るしかないお粗末な内容と感じた。評価も高く、楽しめる人には楽しめるかもしれないが、個人的には悪いところばかりが目立ってしまった作品。 しかしながら、本作のコンセプト自体はそれほど悪くはないと思う。強面の刑事らしからぬ刑事と孤独の少年のロードムービー。似ても似つかぬこの二人が、実はどことなく共通する部分も次第に見えつつある。全く心を開かなかった少年が、不思議な旅を通じて、刑事と心を通わせていき、少年は成長していき、何か大切なものを学んでいく。 強面の刑事も隠れた内面の熱い部分や優しい部分も徐々に明らかになっていくというのも、この手の王道的な流れであり、ちゃんとこのように感じさせてくれるのならば、特に問題はなかったが、あまりそのようには十分に感じられなかった。 また、気になったのは、本当の黒幕は稲垣管理官なのかということ。裏金問題では、彼はただの傀儡にすぎず、実は裏で操っている人物がいるのではないかと思っていた。 上司の命令で架空出張などで裏金を作り、捜査に必要な情報を得るために、裏社会へ裏金を流していく、もちろん稲垣たちの懐に入る金は一切ない。 警察が組織ぐるみで裏社会と癒着しているのが表にでれば大問題である。裏金が明白になり、裏社会との癒着が表に出そうになったため、中間管理職である稲垣に全ての罪を着せて、トカゲの尻尾きりをしたようにも見えた。稲垣という者も実は、警察組織の犠牲者になった一人という扱いにしたかったのかどうかはよく分からない。 警察組織の意思決定の在り方や、現場を知らないエリートたちの犠牲者になった者が、青島たちで、警察にとって必要な裏社会とのパイプ役という警察組織の犠牲になったのが、稲垣という扱いにすればよかったのではないか。 [ビデオ(邦画)] 2点(2006-12-31 00:20:04) |
15. トータル・リコール(1990)
《ネタバレ》 バーホーベンらしく、映像にはこだわりが感じられる。この時代に、よくここまで映像化できたものだ。また、バーホーベンらしいグロさもSFストーリーによくマッチしている。 問題は、本作のすべてがリコール社の創り出したクエイドの夢かどうかという点だろう。 すべて「夢」であった方がバーホーベンらしいとは思うが、普通に観た限りは、「夢」のようで「夢」ではなく、全部「現実」だったのではないかと思わざるを得ない。 「夢」として観た場合には、リコール社でのやり取りを詳細に描きすぎたため、どうしても無理を感じてしまう。この部分も実は「夢」であったという解釈もできるが、クエイドは気を失っているので、やはりその説明が難しいだろう。「以前、火星に行ったことがあるようだ」というリコール社の社員のセリフも矛盾する点だ。 リコール社の社員と妻役のローリーが火星にいるクエイドを訪ねた際の「汗」についても、本作が「夢」であればストーリーとして活きてこないシークエンスだ。 また、火星における作り込みに手が込んでおり、ラストには爽快感もあり、「夢オチ」という流れにはもっていきづらいのではないか。 個人的には、もっと「夢」「現実」のどちらの解釈でも可能なほどに曖昧にしておけばよかったと思う。 そうすれば、同じ原作者の「ブレードランナー」のようなディカードは人間か、レプリカントかという論争が起きたかもしれない。 本作において面白い点は「夢」「現実」論争よりも、「植えつけられた仮の記憶による自分」が「本来の自分」を凌駕していくところではないかと思う。 「偽りの自分(クエイド)」が「本当の自分(ハウザー)」を捨てて、偽り(コーヘイゲンを裏切りレジスタンスに加担してコーヘイゲンを失脚させる)が真実(コーヘイゲンを倒し、火星を開放させる)となっていくところだろう。 「本当の自分」よりも「偽りの自分」の方に居心地のよさを覚えてしまうという感覚は面白いと思う。 「夢」「現実」とは別に、そういう意味においても「記憶」の曖昧さという点はしっかりと描きこまれている。 [DVD(字幕)] 7点(2006-12-30 23:56:21)(良:1票) |
16. トゥモロー・ワールド
《ネタバレ》 10点をつけざるを得ない超絶神映画。 常人のセンスを遥かに越えた監督と撮影監督の手腕と想像力には脱帽せざるを得ない。 普通の映画とはまさに一線を画すモンスター映画だ。 本作を有楽町「日劇1」という1000人程度のキャパの映画館で観れたことは、自分にとって誠に貴重な体験となった。 映画の中の世界を、まさに「体験」したと言っても言い過ぎではないだろう。 終盤の8分長回しが話題になっているが、凄いのはその8分だけではなく、冒頭からずば抜けている。この映画のカメラの動きを考えながら観ていたら、武者震いが止らなくなった。あまりに凄すぎて圧倒されっぱなしで、観ている自分は終始半笑い状態だった。 まばたき一つするのが惜しいほどだ。少しでも油断したら「やべぇ、今どうやって撮ったんだ」と後悔してしまう。 監督に負けず劣らずクライブオーエンもよい演技をしている。 子どもが産まれなくなった世界で、アイロニカルながらもとても情熱的な男を演じきった。 ジュリアンが死んで木陰で泣き崩れる姿、ジャスパーが死んでミリアムに「触るな」と怒鳴る姿、怒鳴った後にキーに「大丈夫だ」という姿、ラストの船の上で「ゲップさせてやれ」とアドバイスを送って(自分の過去の経験が活きているのだろう)、「本当に良かった」とつぶやいて息を引き取る姿、どれも素晴らしいものだ。 そして何よりも本作の世界がクライブオーエンが知り得た情報のみで成り立っているのも面白いところだ。 情報不足・説明不足という批判を承知で、あえてそういうモノ作りを試みている。 「子どもが産まれなくなった理由」や「ヒューマンプロジェクトとはどういう組織か」などはあえて描かなくてもよい。むしろ本作ではこれらについても十分過ぎるほど情報が与えられていると思う。 ストーリーがないという批判を受けるかもしれないが、ストーリーも十分すぎるほど描かれていると思う。これ以上描いたら「蛇足」になってしまうかもしれない。 ストーリーにおいても、映像においても、メッセージ(子どもを観て皆戦いを止め、道を開けるシーンは映画史に刻まれてもよい)においても文句の付け所のない完璧な映画と思う。 映画の見方・作り方、映画に真摯に向き合う姿、映画の面白さを教えてくれた本作には感謝したい。 [映画館(字幕)] 10点(2006-11-20 23:54:47)(良:3票) |
17. TRICK トリック 劇場版2
《ネタバレ》 「TRICK」については、それほど深くは思い入れはないけど、00年の深夜帯で始まったドラマの1と02年の2、ゴールデンに進出した03年の3、劇場版、去年の秋の新作スペシャルもリアルタイムで一回見ている程度。 「劇場版」になっても、ドラマ版とノリがあまり変わらないところがこの映画の長所でもあり、短所(モノ足りなさ)でもあるかな。 今回の「完結か…編」でも、いつもと特別変わることなく、あまり大した事ないトリックを山田がいつものようになんとか暴きながら、ペテン氏がお決まりのラストを迎え、山田と上田の二人の掛け合いでいつものように終わりました。「完結か…編」ということで何か特殊なことを期待すると肩透かしを食らいます。 しかし、ストーリーはいつもよりも大した事ないものの、「劇場版」ということで「小ネタ」がいつもより充実していた気がするので、鑑賞時間分はたっぷり「TRICK」ワールドを楽しめる内容となっていると思います(個人的には山田の「貞子」と上田の「祭りか?」と上田とラーメンマンの戦いと村民と軍団の乱闘の際にも手が伸びているのには笑ったな)。 いつもの「TRICK」だけど、いつもの「TRICK」と少し違う点としては、恒例のオープニングの卵割れと、上田と山田のキスシーンには多少驚かされました。 山田と上田だけでなく脇役陣として矢部刑事にはもっと活躍してもらいたかったけど、この出番の少なさはスケジュールの都合でしょうかね。それでも矢部らしさはそれなりに描かれていた気がします。矢部刑事にも頭髪を隠すよりももっと重要なところがあったようですね。堀北真希は特に関心はなかったけど十分自己の魅力を引き出せていた気がします。片平なぎさの白手袋はよく分からなかった。「よろしくね!」もよく分からないし、子どもにしか分からないネタもあるけど、なんか訳分からんけどなんとなく笑えるという空気感もこのシリーズの良さではないだろうか。 [映画館(邦画)] 6点(2006-06-13 01:09:57) |
18. ドミノ(2005)
《ネタバレ》 アメリカでは完全に黙殺されてしまった本作だが、トニースコット監督は才能があり、もっと評価されてもよい監督の一人だと思っており、自分は密かに注目していた。公開前に亡くなってしまったが実在した女バウンティハンターの生涯を描くというのも面白そうな題材だ。また、キーラナイトレーも今後主演女優として一本立ちできるかどうか重要な作品となった。 本作での(無駄に)凝った映像、(無駄に切り刻んだ)ストーリーの組み立て方などは個人的には彼の演出は評価したい。 しかし、実在した人物を描いた映画としては、全く評価できる部分はない、ひどいものであった。 いったいどういうつもりなのかは分からないが、アフガンとか、病気の少女(あのボスは30万ドルもないの)とか、後半の展開は「ひょっとしてそれはギャグでやっているのか」というストーリー。タランティーノやトニーの過去の作品に類似するストーリーにはただただ唖然とするばかりであった。 なぜ実在の人間を題材としながら、このような捏造されたでっち上げたストーリーを描いてしまうのか理解に苦しむ。この内容ならば「based on true story(たぶん)」とするよりも「inspired」程度に留めて、登場人物も別名でやるべきだろう。ドミノという冠が付いているがために、あまり本人と離れした映画にもできずどっちつかずの訳の分からない映画になってしまっている。実在の人物を描くという足枷が本作をダメなものとしてしまっているのではないか。この内容ならば当然アメリカから黙殺されてもやむを得ないだろう。 さらに付け加えると、本作はドミノという人物が全く描けていない。彼女が何を思い、何に苦しんで、何を得たのかというものが全く見えない。マザーに向かって「Ilove you」と言ってもなんだか全くわからない。「そういう映画だったっけ?」と自問したくなる。実在の女性を描くのならば、シャーリズセロン主演の「モンスター」ような映画にするつもりはなかったのだろうか。ないとすれば、架空の女バウンティハンターの映画を作ればよいのであってアプローチを間違えているとしかいいようがない。 また、キーラのイメージビデオとして見ればどうかと思ったが、主役の割には焦点がぼやけまくってこれも上手くいっていない。キーラ自身は頑張っていたが、この役には合っていないようだ。無理をして貧乳をさらすよりも自分にあった役を選ぶべきではなかったか。 [映画館(字幕)] 4点(2005-11-05 23:52:15) |
19. ドッジボール
《ネタバレ》 基本的にはかなり笑えた。 計算されたようなネタ振りをして、ストーリーや流れに乗せながら、それぞれオチを付けるというのはなかなか笑いが分かっている人が作っていると思う。 しかし「ズーランダー」に比べれば、ハジケ方がそれほどでもないかなという印象。 ドッジボール特訓シーンはもっと笑いが取れるところなのに扱いが勿体無いと思う。 ベンスティラー一人にボケ役を担当させるのならば、彼には更にもう一味ぶっ飛んだ切れ方が欲しかったというところ。 ベンスティラーのお仲間の黒人にはもうちょい頑張って欲しかった。彼には原チャリしか笑えなかった。一番強烈だったのが、マユゲの繋がった彼女だろう。彼女と貧弱のシチサンの恋や試合シーンにはもうちょいスポットを当てても良かったかなと思う。ここでも笑いの一つや二つは取れるところだろう。 グロボチームには3名ほど個性的な奴がいる一方でアベレージチームには個性的なキャラクターが少ないのが残念だ。 眼がねのおっさんとシチサンには多少出番があったが、海賊と黒人は何一つ笑いが取れてない。こちらのチームにも個性的なキャラクターがいないとつまらない。 ドッジボールの試合の扱いとしては、多少真面目に作りすぎた感がある。CGなど使われたら興ざめになるが、笑いとしてはイマイチだろう。 試合で笑いを取らなくても良いのなら、実況者で笑いを取るべきなのに、あの二人にはほとんど笑えなかった。 個人的に気になったのが、ラストのオチだ。 ネタバレになるが、オッズ50倍のところに10万ドルも突っ込んだら、賭け金の総額がどの程度の規模にもよるが、あの程度の大会の試合ならオッズが逆転してもおかしくない話だろう。 もっともアメリカのオッズのつけ方が日本と違うのならば問題はないが、日本のギャンブルでは絶対ああいう風にはならないはずだ。 胴元が固定的なオッズを付けているのか、それともノミ屋みたいなところで勝負したのかどちらかなのだろうか。ギャンブルをやる者としては非常に気になったところだ。 [映画館(字幕)] 6点(2005-05-02 00:27:25) |
20. トーク・トゥ・ハー
事故によって意識をなくした二人の女とその女を看病する二人の男が実に対比的に描かれている点が素晴らしい。一方は事故によって、本来なら触れることも出来ずに、話すこともままならなかった相手と触れることも話しかけることもできるようになった。他方は事故によって、触れることも話すことも出来たのに、どちらも出来なくなっていく。 この映画をみると、人に話し掛ける行為、そもそもコミュニケーションとは何かを考えざるを得ない。人は何を期待して相手に話しかけるのだろうか。相手のリアクションなのか、相手が聞いてくれてないとすれば話しかける意味などもたないのだろうか。 たとえ意思の疎通がなくても相手に話しかけるのは、自分の気持ちを伝えるという点において深い意味があるような気がする。 ベニグノは彼女が好きだったことをして、そのことについてアリシアに話しかける、そんな生活の4年間が人生で最も充実した4年間と言い放った。これこそ究極の愛なのではないかと思う。 最後にクスリを飲んで昏睡状態に陥ろうとした際に、マルコに自分に話しかけて欲しいと頼むのも印象的だった。話しかけることこそ愛情や友情の証なのかもしれない。 ラストでマルコの「話すことは意外と簡単だ」、バレエ教師「何事も簡単ではない」というやり取りもなんとも奥が深く面白い。 マルコは結婚式に出席した前彼女と何も語らずに、彼女のために彼女の前から去っていったことがあった。しかし彼女のことをしばらく忘れることが出来なかった。このマルコの一方的な愛とベニグノの一方的な愛のどちらが正しいのかは自分には正解は出せそうもない。しかし犯罪的な行為が奇跡を呼ぶと考えられるが、どうにもこうにも映画の論点がずれてしまっている気もしないわけでもない。 ベニグノは本来はそのような対象としてアリシアを見ていなかったはずだが、あの強烈なサイレント映画のせいで少し心に変化が生じてしまった気がする。 マルコとアリシアにあの後何が語られて、どうなっていくのかの答えは見た人が導き出すしかないようだな。 [DVD(字幕)] 9点(2005-04-10 23:03:32)(良:1票) |