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ザ・チャンバラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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81.  ダンケルク(2017) 《ネタバレ》 
IMAXにて鑑賞。IMAX撮影されたノーラン作品は、IMAXで鑑賞するのが正しい見方ですね。 戦争映画は群像劇と結びつきやすい素材である上に、監督は幾重にも重なる物語を描き続けてきたクリストファー・ノーランだけに、現場や司令部を横断的に描く重厚な作品になるのかと思いきや、なんと話らしい話がないという意表を突いた作風となっています。本作はノーラン版『マッドマックス/怒りのデスロード』とでも言うべき内容なのですが、「ある地点からある地点へ移動する」という単純なストーリーに見せ場をてんこ盛りにした『怒りのデスロード』と同様に、本作も「救助を待つ兵士」「救助に向かう船」「敵を排除する戦闘機」という極めて単純な図式にまで各構成要素を落とし込んだ上で、冒頭からエンドクレジットまで絶え間なく見せ場が続くという男っとこ前な作風となっています。 しかしそこはノーラン、ただ単純な物語を描くのではなく、陸での1週間・海での1日・空での1時間を交互に見せ、ラストですべてのタイムラインを合流させるという恐ろしく難しいことをやっており、相変わらずその構成力には驚かされます。さらには、タランティーノ辺りみたいに「どうどう、凄いでしょ?」というこれ見よがしな見せ方ではなく、こういう難しい芸当をサラっとやってのけてみせるんですね。この余裕に巨匠の貫禄を見ました。 また、戦場での友情とか、個々の兵士の物語や、生きて帰らねばならない背景といった、戦争映画にありがちなドラマ要素がほぼ排除されているという点も、本作の特色となっているのですが、かといって感動的な要素がないというわけでもなく、目の前の描写の積み重ねのみできちっと感情的な山場を作れています。チャーチルの演説が引用されるラストはさすがに甘々すぎやしないかと思いましたが、それでも「良い映画を見たなぁ」という余韻を残してくれます。
[映画館(字幕)] 9点(2017-09-20 10:50:02)(良:3票)
82.  アリスのままで 《ネタバレ》 
アルツハイマーの研究者が、「もし自分自身がアルツを発症したらどうなるのか」を想定して書いた著作が本作の原作。家族や友人の客観的な視点がほぼ排除されており、患者の主観に絞って描かれている点が独特であり、これによって観客に多くの発見をさせるうまい仕組みとなっています。 例えば、アリスの目の前で旦那と子供たちが「お母さんをどうするよ」と話し合う場面。彼らはアリスに会話の内容は理解できないと思って話しているのですが、アリスには「自分がお荷物扱いをされている」ということはちゃんと伝わるんですね。旦那にも子供たちにも悪気はないものの、こうした一人の人間に対する配慮を欠いた行為の積み重ねが、患者本人を傷つけていくのです。また、馴染みだったアイスクリーム屋にアリスを連れて行った旦那が「君は何を食べたい?」と質問したにも関わらず、「いやいや、いつも君が食べていたのはこっちだ」と言ってアリスの注文を勝手に変えてしまう場面。些細なやりとりではありますが、無自覚のうちに周囲の人間が患者の意思を無視し、それによって患者が余計に自信をなくすという過程がよく見えてきます。 そんな中でアリスとの相性が良かったのが次女でした。一流大学の教授である両親、医学の道に進んだ兄、法曹の道に進んだ姉というスーパーインテリ一家において演劇志望の次女の肩身は狭いものでしたが、蔑まれ、他人からの価値観の押し付けと戦い続けてきた彼女だからこそ、現在のアリスの立場への理解と共感ができたのではないでしょうか。 なお、演劇志望と言っても彼女が本気で演劇に取り組んでいる様子はなく、世界的な演劇のメッカであるNYの実家を離れてわざわざLAで演劇をやっているという点を見るにつけても、家族への反発心がたまたま好きだった演劇と結び付いた程度のものだったと思います。満を持して披露される彼女の演技は超ド下手であり、舞台を見ていた家族の間では「おいおい、これどうするよ」という微妙な空気が流れるのですが、アリスが次女の演技を絶賛したことからその重い空気が一掃されます。「物事はこうあるべき」という価値観から解放されたアリスだからこそ、目の前で次女が一生懸命演じているという姿に対して純粋な感動が得られたのだと思いますが、周囲からの否定に対する反発が唯一の行動原理だった次女は、このアリスの言動でかえって吹っ切れ、演劇の道から距離を置く決断に至ります。このくだりではアルツハイマー患者の良い点も描かれており、決して悪いことばかりではない点が作品の救いとなっています。 以上の通り意義のある作品ではあるのですが、全体としては優等生的で盛り上がりに欠けるという印象を受けました。難病に対する啓蒙という要素があまりに強く出すぎており、映画として面白くないのです。 また、ジュリアン・ムーアは確かに素晴らしい演技を見せているものの、果たしてこれが彼女のベストかと言われると微妙です。演技力と色気の同居こそが、そこいらの演技派女優とは違うジュリアン・ムーア独自の個性なのに、本作ではただの演技がうまい人なんですよね。10年前だったらメリル・ストリープが、10年後だったらケイト・ウィンスレット辺りが演じても同じようなものが出来上がるんじゃないのと感じられて、ムーアである必然性がありませんでした。本作でのオスカー受賞はムーアのキャリア全体に対するご褒美的な意味合いが強いのではないかとの否定的な見解も聞かれますが、『セント・オブ・ウーマン』や『ディパーテッド』がアル・パチーノやマーティン・スコセッシの代表作とは見做されていないように、本作もジュリアン・ムーアの代表作にはならないように思います。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-09-16 12:48:44)(良:1票)
83.  エイリアン:コヴェナント 《ネタバレ》 
プリクェルではないという微妙な立ち位置で多くの観客に混乱を与えた『プロメテウス』から一転し、本作では『エイリアン』の看板が戻り、全体としては原点回帰の作風となっています。怪しげな星に立ち寄った宇宙船がどえらい目に遭わされるという物語であり、血もドバドバ出ます。これぞエイリアンです。ただし、バカな人間がバカなことをしでかしたために余計に事態が悪化するという、この手の映画でやって欲しくない展開が非常に多くて登場人物に感情移入できなかったことが、観客の恐怖心を和らげるという悪い影響をもたらしていますが。 コヴェナント号が航路を外れてまで舞台となる星にやってくるという基本的な部分から、説明がうまくいっていません。「我々の生存に必要な要素が揃っている。当初の目標である植民星オリガエではなく、こちらの星に移住しよう」という突拍子もない意思決定が実にアッサリとなされるのですが、こんな重要事項に関する判断があまりに軽すぎやしないかと驚きました。一応、この意思決定を下した艦長代理には「信仰心が厚すぎる余り、合理的な判断をできない可能性のある人」という人事評価があり、そのために艦長への昇進を見送られてきたという設定もあるにはあったのですが、ならばなぜ他のクルー達は艦長代理に反対の声を上げないのかと思いました。会社命令で行かざるをえなかったノストロモ号のクルー達と比較すると、事の発端部分に自業自得の要素があるため、コヴェナント号のクルー達には感情移入できませんでした。 惑星に降り立った後も、生命に必要な水と空気があり、植物も生い茂っている環境であれば未知の病原体等のリスクを考えなければならないのに、防護服なしで普通に探検を始めるものだから、この人達はバカなのかと思ってしまいました。いよいよバックバスターに襲われる場面では血で足を滑らせて転倒、一心不乱に撃った弾丸が可燃物を直撃して着陸艇大爆発と、こちらも愚かなキャラクターが事態を悪化させるという形で物語が進んでいくため、怖いというよりも呆れてしまいました。 そして、『プロメテウス』で活躍したデヴィッド登場により、場はさらに混乱します。隠れ家としてデヴィッドに案内されたのは未知の巨人の死体がゴロゴロ転がる、見るからに怪しい場所であるにも関わらず、「ここは安全だ」というデヴィッドの言い分を全面的に鵜呑みにするクルーのみなさん。また、一か所に固まって救援を待てばいいものを、単独行動でどんどん戦力を消耗していくものだからイライラさせられました。彼らの持つ銃火器はエイリアンに対して効果を持つようだったし、用心深く対処していれば全員で生き残ることも可能だったと思うのですが。 一応、エイリアンの起源も説明されます。前作でエンジニアが作り出したものをデヴィッドが品種改良して完成させたのがみなさんご存知のエイリアンでしたという、それを知ったところで「へぇ~」とも何ともならない、実にありがたみのない説明ではありましたが。起源を描けば描くほどエイリアンの存在は矮小化しており、「偶然出会った訳のわからん凶悪生物」という第一作のまま放っといてあげればよかったのにと思いました。 リドリー・スコットによると、次回作『エイリアン/アウェイクニング』は『プロテウス』と本作の間の時期を舞台にした作品となるようですが、エイリアンの起源に関する興味はあまりないので、これ以上の続編はもういいかなという感じです。
[映画館(字幕)] 5点(2017-09-16 12:36:14)(良:4票)
84.  少年は残酷な弓を射る 《ネタバレ》 
私は3人の子育てをしているのですが、子供は決して天使ではないし、必ずしも親の愛情に応えてくれるわけでもなく、親との折り合いの悪い子、どうやっても出来の悪い子もいます。我が家の場合は、手をかけて丁寧に育てているつもりの長子が気難しいひねくれ者になり、一方でほとんど放置状態にあって親として申し訳なさを感じている次子の方が素直な気質を持つなど、親の努力と子供の有り様がうまく整合しないことに子育ての難しさを感じています。世間的には「あなたの育児方法が悪い」と切って捨てられるのかもしれませんが、他の家庭を見ても、これが子育ての実態なのだと思います。 本作は育児に失敗した親の物語なのですが、完全に母親目線のみで作られていることが大きな特色となっています。結果的にケヴィンは凶悪事件を起こし、エヴァは社会的制裁を受けました。確かにエヴァはケヴィンの異常性から逃げ続けており、”We need to talk about Kevin.”と旦那に伝え、ようやく動き出そうとした段階では時すでに遅し、まさにその当日に事件を起こされてしまいます。妹の片目を潰された時、ハムスターを殺された時、もっと遡ると「死ね!死ね!」と幼児らしからぬ言葉遣いでゲームをしていた時など、息子の凶暴性を示すシグナルはいろんな場面で出ていたにも関わらず、彼女はそのタイミングを悉く逸していたのです。ただしこれとて外野の意見であり、精神的に追い込まれた状態で子育てをしていたエヴァには「日々何事も起こらぬように」と祈ることしかできず、問題対処までの余力はなかったこともまた事実でした。 家族とは厄介なもので、常に顔を合わせる共同体だからこそ波風が立たないことを祈り、時が解決してくれることに期待するという一面があります。子の犯罪に対して親の責任が問われる時、「なぜいつも一緒に居るのに放置したのか」などという意見もよく聞かれますが、いやいや、いつも一緒に居るからこそ口を出しづらいということもあるのですよ。子の問題の核心を突いてしまうと、ギリギリで保たれている家庭内の均衡が崩れ、状況がより悪化してしまうかもしれないという恐怖。これは問題のある子を持つ親に共通する心理ではないでしょうか。ここで母親目線という本作の建付けが活きてくるのですが、エヴァと同様に観客の目にもケヴィンは手の付けようのない悪魔として映る仕掛けとなっており、大上段からあるべき論で関係者を裁くという安易な方法をとらせません。私だって子供の欠点すべてに向き合っているわけではなく、「子供なんてこんなもの」「親が口を出し過ぎるべきではない」「いつか自分で気付いて直すはず」などと自分を言い聞かせて妥協をしている部分があります。凶悪殺人事件という極端な題材を扱いながらもこれを対岸の火事とさせず、世の親に共通する恐怖心を的確に突いていることが、本作のうまいところなのです。 そして、話のオチの付け方も見事なものでした。冒頭より、なぜエヴァは事件のあった地元を離れて自分だと気付かれない場所へと引っ越さないのだろうかという点が引っかかっていたのですが、最後の最後、自分自身はソファを寝床にしながらもケヴィンの帰る部屋をきれいに整えているエヴァの姿から、この親子には尋常ではない絆が存在し続けていたことが判明します。ケヴィンは母親への反発という感情、エヴァは息子への当惑という感情しか持ち合わせていなかったが、その根底には愛情ともやや違う強力な絆があったということを、取り返しのつかない大事件の後になって二人はようやく認識します。この熱いんだか冷たいんだか分からない親子関係のどうしようもなさが判明した時、私は物凄く胸が熱くなりました。「出来の悪い子ほどかわいい」という言葉がありますが、悪しき一面を持つ子供って、親のある要素を強烈な形で引き継いでいる場合が多く、親としては憎くて仕方ないんだけど憎みきることができなかったりします。本作はこれを容赦のない形で描いてるんですね。本編中には、この親子は似ているという点を示す描写がいくつかあります。ケヴィンの問題行動を受けたエヴァの感情は「なぜこんなことを」ではなく、「理解できなくはないが、なぜここまでやるの」だったのではないでしょうか。 個人的には、今まで見てきたすべてのドラマの中でも最高レベルの感動がありました。ただし、プロデューサーを務めたソダーバーグの影響か、過去と現在を行き来する編集が少々ウザかったので、一点減点とします。凝った編集もほどほどであれば効果的なのですが、全編これでは疲れてしまいます。
[インターネット(字幕)] 9点(2017-09-14 19:00:22)(良:1票)
85.  オオカミは嘘をつく 《ネタバレ》 
原題”Big Bad Wolves”は単数ではなく複数であることがミソ。本来は被害者側に居たはずの人間が、復讐をしている内に自らもオオカミの側に立ってしまうという善悪のボーダーレス化が本作のテーマであり、その点ではドゥニ・ヴィルヌーブ監督の『プリズナーズ』と共通しているのですが、味付けがまったく違うために完成した作品はまるで別物となっています。 ひたすら情念の世界だった『プリズナーズ』とは対照的に、本作では暴力そのものが目的化していく過程が描かれています。本作が異様だと感じたのは、少女の猟奇殺人事件を題材としながらも、その被害者家族にも、これを捜査する刑事にも事件そのものに対する怒りや悲しみというものが描かれておらず、彼らが「愛する娘を殺された」という絶対正義を笠に着て容疑者への拷問を楽しんでいるように見えるという点です。監督は、感情面でのリアリティを放棄してまで善悪のボーダーレス化という主題を描いており、この異様な構図を受け入れられるかどうかが、本作を楽しめるかどうかの大きな分水嶺になっています。 この監督の真意は、イスラエルとパレスチナの関係を描くことにあったのではないかと思います。双方、報復のやりあいとなっていますが、どちらにもそうせねばならない大儀がある一方で、復讐や暴力そのものには快感や中毒性があり、大勢がその快感に飲まれているのではないかと。例えば、被害者の父親は「犯人を同じ目に遭わせてやるんだ」と言って毒入りケーキを作り始めますが、ケーキを作っている過程がとにかく楽しそうなんですね。また別の場面。偶然、拷問の現場にやってきた被害者の祖父が、最初は「お前ら、一体何やってんだ」とか言いながらも、拷問がちょっとした手詰まりを迎えると「火責めは試したのか?」と言って、こちらも実に楽しそうに犯人の皮膚をバーナーで炙り始めます。 上記の通りなかなか捻じれた作品であり、感情面でのリアリティを放棄しているために映画としては面白くありません。しかし、製作国がイスラエルであるということが暴力に関する考察に説得力を与えており、鑑賞に意義はあったと言えます。
[インターネット(吹替)] 6点(2017-09-11 18:30:24)
86.  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 《ネタバレ》 
トランプ大統領の政策の大きな柱のひとつとしてアメリカの不法移民問題が脚光を浴びていますが、遡ること10年以上も前にこの問題に取り組んだ作品があったんですね。 本作が良心的だと思ったのは、政治的な正しさには特に言及していない点です。特に昨今の議論では不法移民がかわいそうという点のみがクローズアップされていますが、これを取り締まるアメリカ側にも、そうせざるをえない事情があるわけです。本作はその構造上、不法移民に寄った視点でのドラマにはなっていますが、これを取り締まる国境警備隊を過度に敵視したり、「アメリカ社会はもっとこうあるべきだ」というお節介な主張を挿入したりせず、人間性というレベルのみでこれを取り扱っています。 銃撃を受けたメルキアデス・エストラーダの死体が発見されたが、不法移民だからという理由で当局は真剣に捜査しないし、国境警備隊員のマイクが撃ったということが判明しても、みんなその事実を有耶無耶にし、さっさと遺体を埋葬して事件と一緒に葬り去ろうとしている。これを受けた主人公・ピートはメルキアデスを故郷に埋葬してやろうと行動を開始しますが、その動機って犯人であるマイクに対する怒りとか、アメリカ社会への失望とか、メルキアデスに対する友情とか、そういうものではないように思います。 それは人としてのマナーというか、彼の遺体を隠滅すべき邪魔な証拠程度にしか考えていないアメリカにメルキアデスを葬っておくのはあまりに忍びないから、彼の尊厳が守られる場所に埋葬してやろう。そして、アメリカでメルキアデスにもっとも近い立場にいたのは自分だから、この自分がやるしかないと、この程度の動機だったように思います。だからピートはメルキアデスへの思いを口にしないし、殺されたことへの怒りの素振りも見せません。行動を共にすることが多かったためメルキアデスとの思い出こそあったものの、個人的な思い入れはさほどなかったのではないかとすら感じました。 そんなこんなで旅を始めたのですが、生前のメルキアデスが語っていたヒメネスという土地はなく、家族写真も赤の他人のものであり、ピートが伝えられてきたメルキアデスの人生は彼による夢想の産物だったことが判明します。メキシコでのメルキアデスの人生は本人が封印を望む程度のものであり、だからこそ彼はたった一人でアメリカにやってきたのであろうことをピートは認識します。これ以上、生前の状況を詮索するとかえって故人の尊厳を傷つけてしまうという状況に直面し、おそらく内心では「お節介なことしてごめんなさいね、メル」なんて思いながら、なんとなく良さそうな場所を見繕って遺体を埋葬します。このドラマがまさかこんな終わり方をするとは思わなかったため、この結末には良い意味で呆気にとられました。 身寄りのない人間の死と尊厳というテーマには意外と普遍性があり、例えば私は日本の独居老人に当てはめて考えました。独居老人の遺体は社会的には処理に困る厄介な代物であり、何の思い入れも無くひっそりと荼毘に付されますが、一人の人間の最期においてこの扱いはあまりに悲しすぎます。他方で、身寄りがない人にはそうならざるをえなかった負の歴史もあり、例えばヒューマニズムに燃えた他人がそうした負の歴史を詮索して回ることは、かえって故人の尊厳を傷つけます。一人の人間の死とどう向き合うのかという問題について、本作はなかなか意義のある考察をしているのです。 そういえば、本編中には旅の最中のピートが突然思いついたかのように主婦売春をしているレイチェルにプロポーズするというくだりがありましたが、これは旅の過程で人の尊厳を守ることの大変さに直面し、翻って自分が死んだ時にこれほど手を尽くしてくれる人がいるという自信がなくなったピートの不安の表れだと解釈しました。結局、このプロポーズは断られましたが、その過程が、ピ「いつも俺が一番って言ってくれてるじゃん」レ「それは客と風俗嬢という関係があってのことで…」みたいな悲しい風俗あるあるだった点には笑わされました。それまでクールだったピートにもこんな無様な一面があるという点が、後に明かされるメルキアデスの情けなさにも繋がるわけです。 上記の通り非常に優れた趣旨を持つ作品ではあるのですが、多くが語られない内容に対して上映時間が妙に長く、見ていて退屈させられたこともまた事実。意義のある映画ではあるものの、面白い映画ではありませんでした。また、主婦売春をしていたマイクの奥さんが(ジャニュアリー・ジョーンズが超美人!)生前のメルキアデスと関わっていた件など、何かの伏線かと思いきや後の展開に一切影響を与えない無駄な要素もあって、上映時間が無駄にかさ増しされているような印象も持ちました。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-09-01 18:30:57)
87.  ワンダーウーマン 《ネタバレ》 
IMAX 3Dにて鑑賞。ザック・スナイダー印の曇天画面がほとんどであり、かつ、3Dを意識した見せ場がほとんどなかったため、2D版で見るべきだったかなとちょっと後悔しました。 BvSのレビューにおいて、作品中唯一面白かったのがワンダーウーマンの登場場面であると書きましたが、その単独主演作においても、やっぱりワンダーウーマンは良かったです。母親がコニー・ニールセンで、叔母がロビン・ライト、親戚にはシャーリーズ・セロンが絶対いるだろとツッコミを入れたくなってしまうモデル一家の中心人物にして、ゼウスの娘。まぁ笑ってしまうほど凄い設定のキャラなのですが、これが見事に実写化できているのです。彼女は基本的には眉間にしわ寄せた強い女性ではあるものの、スティーブとの恋愛や仲間たちとの談笑で見せる彼女の「女」の部分も十分魅力的であり、観客の誰からも愛されるキャラクターとして仕上がっています。これまでの出演作では添え物美人役ばかりだったガル・ガドットからここまで豊かな表情を引き出してみせたパディ・ジェンキンスの演出力は、さすがのものだったと思います。 ただし映画として面白かったかと言われると、これが微妙でした。『マン・オブ・スティール』以来のDCEUの欠点なのですが、もしMCUであれば120分以内で収めるであろう内容に140分以上を費やしており、話のテンポがとにかく悪いのです。さらに、同じくDCEUの欠点として敵に魅力がないという点も挙げられますが、本作においてもその欠点は改善されていません。アレスの正体は作り手が意図したほどのサプライズとはなっておらず、また主人公や観客を圧倒するような殺気を放ってもいないため、ダイアナが負けるのではないかとハラハラさせられることが一瞬もなく、戦いは盛り上がりに欠けました。また、意味ありげに登場した刀「ゴッドキラー」がラストバトルにおいて何の役にも立たないという展開にも首を傾げました。強敵を相手にして、最後の最後に必殺技を決めるという展開がヒーローものの定番であり、本作においてはダイアナがゴッドキラーを用いた必殺技でアレスを葬るという展開であるべきだったと思うのですが、そのゴッドキラーは途中で無力化し、何かよくわからんが神がかった攻撃で勝利しましたという展開はうまくありません。それまで殴り合いで戦っていたヒーローが、最後の最後にそれまでとはレベルの違いすぎる技を何の訓練もなくいきなり披露し、エネルギー波がぶわーっと広がってラスボスを葬るという決着の付け方、そろそろやめませんか? だいたい、本作は対戦カードの組み方が全体的に良くありません。観客はBvSにおいて規定外の強さを発揮するダイアナの姿を見ているのだから、ちょっとやそっとの敵では彼女に傷一つ付けられないという先入観を持っています。にも関わらず、ドイツ軍の機関銃を潰すとか、基地に潜入するとか、彼女のポテンシャルがあれば朝飯前と思われるミッションばかりなので、素晴らしい見せ場の連続であるにも関わらず、そこに観客の感情は乗っかってきません。それどころか、片手で戦車をぶん投げるようなデミゴッドを相手にしなければならない生身のドイツ兵に同情してしまったほどです。 鑑賞後に振り返ってみると、アマゾネスは戦闘民族ではあるが、基本的には人間とさして変わらない人達であるという前提の下、「アマゾネスの一人であるダイアナも当初は凡人並み→冒険の中で徐々に能力を開花させる→恋人の死とアレスとの戦いという二つのイベントによりデミゴッドとして覚醒」という流れがあったものと思われます。って、分かりづらいよ(笑)!。この辺りのパワーバランスがうまく描けていれば、ラスボス戦でのダイアナ覚醒には『マトリックス』でのネオ復活や『ダークシティ』での超能力戦のような素晴らしいカタルシスがあったはずなのに、情報不足によって唐突な展開になってしまっている点は実に残念です。 あと、ダイアナが明らかに人間ではない動きを見せた時に、なぜ周囲の人間は驚かないのかという点も不満でした。ヒーローものって、ヒーローのド派手な活躍と、それを見守るオーディエンスのリアクションがセットになってこそ盛り上がるものだと思うのですが、本作ではオーディエンスの存在が希薄なのです。敵となるドイツ兵にしても、露出度の高いお姉さんが異常な強さで突撃してくるのに戸惑ったり怯んだりせず、イギリス軍に対するのと同じ姿勢で戦い続けるわけです。そこにあるべき人間的反応がなく、モブがモブに徹しているような状態では盛り上がりません。 以上、なんだかんだ文句を書いてきましたが、肝心のワンダーウーマンが魅力的だったので、ヒーロー登場編としては及第点だったと思います。秋公開の『ジャスティス・リーグ』への期待はちゃんと繋がりました。
[映画館(字幕)] 6点(2017-08-30 09:38:45)(良:2票)
88.  ヒットマンズ・ボディガード
自身がプロデュースも務めた『デッドプール』において、ライアン・レイノルズは「この映画にはサミュエル・L・ジャクソンは出てこないぞ」とネタにしていましたが、そんな2人の共演が晴れて実現したのが本作となります。その他、Netflix版『デアデビル』でエレクトラをやっていたエロディ・ユン、『ダークナイト』三部作でゴードン警部をやっていたゲイリー・オールドマンと、意図的にやってんのかと言いたくなるような豪華キャストによるB級アクションですが、肩肘張らずに見られる娯楽アクションとしてはなかなかの仕上がりとなっています。 前半のテンポの悪さにこそ多少、退屈させられたのですが、中盤におけるアムステルダムでの陸路と水路で同時進行する素晴らしいチェイスシーンから物語は急激に熱を帯び、ラストに向けて図ったように規模が大きくなっていくという見せ場の配分の良さ。また、タイトルにもあるようにヒットマンとボディガードがそれぞれアクションを繰り広げるため見せ場の密度は二倍となっており、製作費3000万ドルの中規模作品とは思えないほどの満足感を味わうことができます。 難を言えば、敵があまりに無個性で主人公2人にとっての重大な障害にはならなさそうだった点が挙げられます。敵の実働部隊にも主人公と同レベルの刺客がいれば、また盛り上がったと思うのですが。 しかし驚くのはNetflixの機動力で、全米で初登場No.1を獲った映画が、その翌週には日本で配信されるという常識的にありえないリリーススピード。劇場公開で一次的に稼ぎ、DVDやインターネット配信は二次使用という従来のコンテンツビジネスのあり方を根本的に変え、劇場公開とインターネット配信を同一のステータスに持っていこうとする彼らの姿勢が映画というものをどう変えるのかには、今後も要注目なのです。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-08-27 23:19:41)(良:1票)
89.  ゴールデンボーイ(1998) 《ネタバレ》 
ブライアン・シンガーが『ユージュアル・サスペクツ』の次回作として製作した作品であり、主演は当時人気絶頂だったブラッド・レンフロ、おまけにスティーブン・キング原作と話題性には事欠かない企画だったのですが、シャワールームの撮影においてヌードの強要があったとのことでエキストラの少年数人から訴訟を起こされて、完成後1年以上も作品を上映できない期間が発生し、すっかり熱の冷めた状態でロクな宣伝もないまま公開されたために興行的には惨敗。結果、ブライアン・シンガー監督作中においてもっとも注目度の低い作品となっているのですが、これがなかなか見ごたえがありました。 作品では、少年が悪に飲まれていく様がじっくり描かれるのですが、元ナチの老人にも一定程度感情移入の余地を作っており、その結果、悪とは誰にでも根付くものであるという含みを持たせている点が見事でした。並みの監督であれば元ナチは純粋悪として描くしかないところですが、シンガーには自身がユダヤ人であるという強みがあるため、この辺りに創作上の自由を持つという優位性があったのではないでしょうか。なお、シンガーは後に手掛ける『ワルキューレ』においてもナチの様式美等をじっくりと描いており、彼はユダヤ人カードを結構有効に使っています。 圧巻なのがブラッド・レンフロとイアン・マッケランの演技合戦なのですが、撮影当時14歳だったブラッド・レンフロが30年超のキャリアを誇るイアン・マッケランと互角に渡り合い、時に圧倒している点には驚かされました。本作を見るに、ルックスも演技力もあったレンフロならば後に大スターに成長することもできたはずなのに、私生活の乱れから代表作を残すことができず、わずか25歳で命を落としたことは残念で仕方ありません。 作品中で良くなかった点は、入院したドゥサンダーの隣のベッドにはかつての彼の被害者が入院しており、その被害者に正体を見破られるという後半の転換点があまりに強引すぎたこと。どんな凄い偶然だよとツッコミを入れてしまいました。トッドとドゥサンダーがやってきたことの結果としてドゥサンダーの正体が暴かれるという因果にまみれた展開とした方が、内容的にはしっくりくるのですが。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-08-19 03:14:51)
90.  オクジャ/okja 《ネタバレ》 
今年のカンヌ映画祭ではペドロ・アルモドバルから「映画は大画面での視聴体験こそが重要であり、映画館で公開されない作品は審査対象とすべきではない」と批判され、一方でウィル・スミスは「うちの子供たちはNetflixがなければ観なかったはずの映画を観ている。おかげで世界中の映画を幅広く理解するようになった」と反論し、一大論争が巻き起こりましたが、その中心にいた作品こそが本作『オクジャ』なのです。 劇場未公開とはいえ5,000万ドルもの製作費がかけられた本作はとてつもなくゴージャスであり、オクジャを表現したVFXの凄さや、ソウルでのチェイスシーンのスピード感や迫力、そしてNYでの一大スペクタクルなど、とにかく見どころの多い作品となっています。 また、Netflixの主義として「作家には口出ししない」という方針があり、上記の通り劇場映画並みのクォリティを誇っている一方で、内容はかなり攻めています。普通の映画会社だったら絶対にOK出さないだろうなという内容であり、一応はR15指定となっていますが、鑑賞時の衝撃度は並みのR15作品を超えています。 本作は後味の残し方がめちゃくちゃ悪いのです。序盤では少女とオクジャの幸せな日常が描かれますが、監督自身も認めている通り『となりのトトロ』のような優しい画面となっており、この部分はどう見てもファミリー映画です。その後のソウルでのチェイスシーンにも一定の娯楽性やユーモアがあって少女の冒険談として見ることが可能なのですが、舞台がアメリカに移って以降のダークな雰囲気は完全に社会派作品。まるで別の映画となります。これが前半との落差で心理的に結構堪えます。 また、それならそれでシリアスに振り切ってくれれば頭を切り替えられるのですが、クライマックスではオクジャと子豚のみが救われるという、とても中途半端な終わり方をします。スーパーピッグ達が人道面で問題のある環境で大量飼育された後に屠殺されるという現実は何も変わらないまま、オクジャだけが幸せな環境に戻ってくるため、目の前の展開に喜んでいいのかが分からなくなるのです。 作品全体の根底には、「そうはいっても肉食は簡単にやめられない」という観客にとってのうしろめたさがあります。例えば戦争の醜さを描いた作品であれば「戦争は良くない。絶対にやってはいかん」と心に決めることができるのですが、食ともなれば自分と主題を切り離して考えることができません。自分のために生き物が殺されている、安く提供するために家畜達は劣悪な環境で生涯を終えている。こうした、普段は見て見ぬふりしていることを本作は容赦なく突き付けてくるため、とにかく後味が悪いのです。 ちなみに、今回の論争の結果、カンヌ映画祭では「フランスでの劇場公開」が審査条件として加わりました。そもそもNetflixを始めとした動画配信サービスに規制を設けていたフランスらしい決定ではありますが、制約条件が少なく本作のように尖った作品を輩出している動画配信サービスを締め出すことが、今後の停滞に繋がらなければいいのですが。
[インターネット(吹替)] 7点(2017-08-19 02:22:31)(良:3票)
91.  南京!南京!
本作の序盤はとにかく凄いの一言です。作り込まれたオープンセットの説得力や、モブシーンの迫力、戦闘シーンのテンションの高さには息を飲みました。南京市を守っていた国民党軍が一目散に逃げていき、代わって共産党ゲリラが圧倒的多数の日本軍相手にかっこよく奮闘するという現在の政治事情への配慮が多分に含まれた実に分かってらっしゃる描写には「やれやれ」という感じでしたが、それでもこの手の反日映画では、日本映画界では絶対に不可能である「圧倒的に強い日本軍」という珍しいものを見ることができるため、その辺りの倒錯した感覚が楽しかったりもします。また、日本人が聞き取れない日本語を話す日本兵は一切登場せず、日本人役にはちゃんと日本人俳優が当てられるという丁寧な仕事にも好感が持てました。80年代90年代に香港で量産されていた粗悪な反日エクスプロイテーションを見てきた私としては、ここまで素晴らしいものを作っていただいて有り難うという気持ちにすらなりました。 ただし、本編に入ると一気につまらなくなります。南京事件の史実としての信ぴょう性という議論を度外視し、中国側の主張を全面的に受け入れた上で鑑賞しても、これがまったく面白くないのです。本作には日本軍・南京市民・南京に駐在していた欧米人という3つの立場の人々が登場しますが、日本人が悪でその他の人々は善という単純な色分けとなっており、登場人物全員が歴史を語る上で必要な持ち場を守っているだけでその感情や行動にリアリティが伴っていないため、誰にも感情移入ができないのです。 例によって日本軍は大暴れしますが、仮に当時の日本軍が非道な集団だったと仮定しても、各自が乱暴に振る舞った結果、気が付けば30万人もの人間が死んでいたという結果にはなりません。30万人も殺すという大仕事ともなれば組織立って動く必要があり、かつ、軍隊のような官僚組織を動かすためにはある程度の合理的な説明が必要となるはずであり、こじつけでもいいからそうした組織論や意思決定論的な切り口で日本軍を描いてくれれば見ごたえがあったのに、「とりあえず日本人は悪かった」という描き方しかないため、見ていて全然面白くありませんでした。 これは安全区の責任者であるドイツ人・ジョン・ラーベにも言えることで、彼は徹頭徹尾善意の人であり、そこに何の理由付けもありません。その結果、善人すぎて何を考えているのかサッパリ分からない人になっています。しかも本作では彼の立場や権限に関する説明すら一切なく、予備知識を持たない人にとっては「このおじさん、一体誰?」としかならないため、映画としてお粗末だったと思います。ちなみに彼が何者であるかを説明すると、南京市の発電所に発電機を設置していたジーメンス社の中国支社長であり、かつ、ナチス南京支部副部長であり、南京在住歴が長かったことから南京安全区国際委員会委員長というパブリックな肩書も持っていたことから、彼は日本軍と交渉していたのです。彼はしばしば「南京のシンドラー」などと言って持ち上げられますが、彼自身が記した日記には虐殺を直接見たという記述が一切なく(「郊外で5~6万人くらい殺されたらしい」という伝聞のみ)、それどころか安全区国際委員会委員長として日本軍に「安全区に攻撃を加えなかったことに感謝します」と感謝状まで書いており、本作で描かれたような体を張ってまで市民を守り抜いた偉人とはまるで異なった人物像でした。事実の捻じ曲げも、ここまでくると凄いなと思います。 さらに南京の一般大衆についても、逼迫した脅威として死が迫っている状況下で、逃げることも抵抗することもせず、ただいたぶられているだけなので、感覚的に理解ができない人々の集まりとなっています。この点についても、こじつけでもいいから理解可能な理由付け、逃げるに逃げられない事情があればドラマに集中できたのですが。 なお、本作はNetflixにしれっとアップされていたので鑑賞できたのですが、劇場公開もソフト化も目途が立っていません。表現の自由のある日本において、抗議活動で映画が上映できない状況を作り出すクレーマーの人たちって、一体どうなのよと思います。 芸術作品はその時代や社会の影響を受けるものであり、特に多くの人々の協力の元で作られる映画ともなればその傾向は顕著となるため、中国社会においていわゆる抗日映画が作られることに私は違和感を覚えないし、その存在も否定しません。特に本作が制作された頃にはチャン・イーモウ監督・クリスチャン・ベール主演の”Flowers of War”や中独合作の『ジョン・ラーベ/南京のシンドラー』などが連続して制作されており、「なるほど、そういう時期だったんだな」としか思わないのですが。
[インターネット(字幕)] 5点(2017-08-17 14:00:13)
92.  マグニフィセント・セブン 《ネタバレ》 
アントワン・フークアは面白い映画も撮るが、それ以上に駄作も撮る監督であり、企画そのものの良否に相当左右される監督さんなんだろうと思っているのですが、それでもデンゼル・ワシントンと組んだ時のフークアは強い。しかもイーサン・ホークも合流で『トレーニング・デイ』のトリオが15年ぶりに結集したのだから、これは鉄板。きっちり面白かったです。キャラ立ちした7人の豪快さだったり、ぶっ殺してやりたいと心から願うほどの敵方の悪徳ぶりだったりと、西部劇に必要な要素がちゃんとぶち込まれているのです。本当に楽しめました。 ガトリング銃の異常な万能ぶりとか、スナイパー2名はファラデーの援護ではなくガトリング銃の射手を狙えばよかったんじゃないかとか、ナイフ・弓・斧の名手をメンバーに入れたにも関わらず、結局全員が銃で戦うんかいとか、戦闘にはいくつかツッコミどころもありましたが、そうした細かい問題を気にさせないほどの勢いがあって、少なくとも2時間は熱くさせてくれました。  ■ここからは、本作にとってのおじいさん的存在である『七人の侍』と比較した評価です。フークアは2004年の『キング・アーサー』でも『七人の侍』の真似事をしようとして失敗していましたが、本作でも集団アクションの面白さを追及することには失敗しています。具体的な文句は以下の通り。  この手の集団アクションには、組織論的な要素が不可欠です。強い個性を持つ人間を束ね、ひとつの方向に仕向けていくという過程こそが大きな見どころなのですが、本作ではそうした要素がほぼ皆無となっている点が残念でした。チザム以外の6人が命がけの仕事を引き受けた背景がよく分からないし、メンバー間の衝突というこの手の作品での恒例イベントも起こらないため、ちょっと味気ないなと思いました。 さらには、鉱山労働者や一般住民を3日で戦力に仕立て上げなければならないという課題についても、問題提起のみでそのプロセスが大幅に切り捨てられており、結局、射撃のうまい奴がいない問題はどうやって解決したんだよって感じでした。 組織面に関するツッコミの甘さは敵方も同じくで、ボーグ軍団は金で雇われた人間で構成されており、基本、雇い主のために捨て身になることはない組織であるはず。だとすれば、楽勝できると思われた相手から予想外の反撃を受け、命がけの戦いを挑まねばならないと分かった時点で組織内に動揺が走り、「金はいらねぇ」とか言って離脱する者が現れてもよかったし、その本気度の違いこそが住民側の勝機となるべきだったのですが、そうした「この立場の人だったら、きっとこう考えるだろう」というあるべき当然の反応が描かれていないために、モブはモブに徹するという残念なことになっています。 さらに、戦いの佳境では敵味方の区別なくガトリング銃での無差別攻撃がなされますが、味方に背後からガトリング銃で撃たれてもなおボーグのために戦い続ける手下達って一体どんな神経してるんだろうかと、この点の詰めの甘さにもガッカリでした。ガトリング掃射で一時的にボーグが優位に立ったが、強引な作戦によって手勢の大半が彼の元を離れたために、ガトリングを潰されると一気に劣勢に立たされるなどの展開であれば、より自然だったのですが。 チザムとボーグの組織作りの違いから入って、何が勝敗を分けたのかという視点で全体を構築すれば面白くなったはずなのに、結局「正義は勝つ」という伝統芸能に終わってしまってるんですよね。西部劇の伝統なんだからそれはそれで結構なんですが、わざわざ21世紀にリメイクした意義として、そこに現代的なアプローチを加えてもよかったのではないかと思います。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2017-08-14 13:54:42)(良:1票)
93.  ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
多くの方が指摘されている通り、お話は『スペース・バンパイア』にそっくりです。女性モンスターが精気を吸い取るという描写のみならず、主人公の男性がその女性モンスターの眠りを覚ましてしまったという点や、その男性が女性モンスターに選ばれた者であるという点もまったく同じ。超常現象でロンドンが大損害を受けるという点も共通しており、小学生時分より『スペース・バンパイア』を傑作だと信じている私としては、ついに時代が追い付いたかと感慨深いものがありました。 ただし、『スペース・バンパイア』には確かにあった恐怖という感情が、本作ではほぼ失われているという点は致命的でした。大変な金をかけて作られたミイラ達が全然怖くないんですよ。ダークユニバースは一応ホラー要素のある作品群であるはずなのに、ホラー映画としてまるでダメなのでは話になりません。このままでは『リーグ・オブ・レジェンド』や『ヴァン・ヘルシング』といった失敗作と同じ轍を踏むのではないでしょうか。 また、話が異常に分かりづらかったという点も、大きなマイナスです。蘇った砂漠の女王は何をしようとしているのか、そして主人公たちはどうやってそれを防ごうとしているのかという基本的な情報すらうまく伝わってこないため、特にクライマックスの追っかけは一体何やってんだかよく分かりませんでした。アレックス・カーツマンを筆頭にデヴィッド・コープ、クリストファー・マッカリーとハリウッドトップクラスの脚本家が名を連ねながら(なお、3名全員が『ミッション・インポッシブル』シリーズに関わった経験を持っています)、これだけ雑な仕事をするものかと驚きました。ま、話がまとめられなかったからこそ、大勢の脚本家が雇われたとも言えますが。
[映画館(字幕)] 4点(2017-08-12 23:39:24)
94.  ラ・ラ・ランド 《ネタバレ》 
冒頭におけるハイウェイでのダンスの異常なテンションには圧倒され、「これはドえらいミュージカル映画ではないか」と大いに期待させられたのですが、あれが本作最大の見せ場であり、しかも、主人公たちのドラマには直接関係のない序曲みたいなものだったという点で、ガッカリさせられました。 エンタメの世界を舞台にした青春ドラマという素材は監督の前作『セッション』と共通しているのですが、イヤな指導者といかに相対するのかというテーマに普遍性のあった『セッション』と比較すると、本作はエンタメ業界に寄りすぎているために、一般人にとっては他人事に見えてしまうという欠点があります。夢を目指した経験のある人にとっては大いに共感できる内容なのかもしれませんが、大多数の観客にとっては、主人公2人の抱える苦悩への共感がかなり薄くなってしまいます。 また、主人公2人ともに才能があって、両方が成功を収めるという甘々の結末にもリアリティを感じませんでした。成功者に対して圧倒的多数の失敗者によって成り立つエンタメ業界のお話しをするのであれば、カップルのうち片方、もしくは両方が夢を諦めて現実社会に戻り、それなりの幸せを掴むというオチとした方が、一般の観客からの理解は得られやすかったのではないかと思います。 失敗という点でいえば、エマ・ストーン演じるミアがいったん夢を諦めて実家に帰るという展開がありますが、一人芝居での失敗はともかくとして、それまでのオーディション場面などではさほど屈辱的な描写などはなく悩むほどの苦しみを味わっていたようには見えず、展開にやや唐突感がありました。この辺りは、ハーバード卒という綺羅星の如き経歴と、若くして天才と持て囃される才能を持ち(彼は本作で史上最年少のオスカー監督賞受賞者となりました)、底辺で屈辱を味わった経験のないチャゼル監督の限界なのでしょうか。 また、本作は古き良きハリウッドのミュージカル映画を参考としすぎる余り、不自然な展開がいくつかあった点もいただけません。例えば主人公たちは何度かすれ違いをし、そのすれ違いがドラマの分岐点となるのですが、そのどれもがメールか電話をすれば簡単に解決した問題であり、見ていてイライラさせられました。こんなことならば、時代設定を50年代か60年代にすればよかったのです。 とまぁ文句を書いてきましたが、「もしあの時、違う行動をとっていれば、今の自分の隣にはあの人が座っていたのかも」というラスト15分は大好きです。この部分には、あらゆる人が共感できるのではないでしょうか。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-08-12 17:22:59)
95.  スパイダーマン:ホームカミング 《ネタバレ》 
IMAX-3Dにて鑑賞。ワシントンモニュメントを登る場面での高さの表現においてはなかなかの3D効果があったものの、スパイダースイングの浮遊感が素晴らしかった『アメイジング・スパイダーマン2』と比較するとインパクトは落ちています。あと、これは他の3D映画にも言いたいのですが、3Dメガネをかけるために只でさえ画面が暗く見えてしまう3D映画において、夜のシーンを多用するのは本当に勘弁して欲しいです。 本作はリブート第一作なのですが、話は『シビル・ウォー』から直接続いている上に、設定の説明は端折られているために、第一作を見ているというフレッシュな感覚はほとんどありませんでした。スパイダーマンは何度も何度も作り直しすぎだし、10年くらい凍結してリフレッシュした方がいいんじゃないかと思います。 また、本作は他のマーベル作品と世界観を共有していることから、この世界ではスパイダーマンクラスのヒーローは大して珍しくもないし、人助けをしても有難がられないという点が、このコンテンツの持つ大きな特色を奪っています。スパイダーマンはオーディエンスの存在が特に重要な作品であり、サム・ライミ版でもマーク・ウェブ版でもオーディエンスに励まされながらスパイダーマンが強敵と戦うことが感情面での盛り上がりを作っていましたが、本作においては肝心のオーディエンスの姿がありません。このために、本作はエモーションが欠けた内容となっています。 とまぁ、長々と文句を書いてきましたが、ヴィランであるバルチャーが大変魅力的だった点は、本作の長所となっています。大企業スタークインダストリーに仕事を奪われ、部下を露頭に迷わせるかどうかという事態に陥ったことから悪事に手を染めるようになり、そのうち悪事が本業となってしまった中小企業の社長なのですが、世に迷惑をかけるとか、アベンジャーズを倒すみたいなたいそうな目的はなく、スパイダーマンと敵対したのも商売を邪魔されたためであり、スパイダーマンよりもバルチャーの方に感情移入してしまいました。演じるマイケル・キートンはリメイク版『ロボコップ』から引き続き、人間味のある悪役を見事に演じており、本当に上手な俳優さんだなと感心させられました。
[映画館(字幕)] 5点(2017-08-12 02:07:22)(良:2票)
96.  ナイスガイズ! 《ネタバレ》 
バディもの、壊れかけた家庭、目の前の事件を追っているうちに巨大な陰謀に行き着くという展開、シェーン・ブラックの脚本は『リーサル・ウェポン』以来、ほぼこのパターンに当てはめて作られているのですが、本作もその例外ではなく「いつものブラックだなぁ」という感じでした。さらに、全体の軽さや不謹慎ギャグのレベルは『キスキス・バンバン』と非常に近く、本作において特に突出した部分はないように感じました(なお、本作にチョイ役で出てくる映写技師の青年はヴァル・キルマーの息子、ポルノ映画のプロデューサーの死体はロバート・ダウニーJrが演じてるらしいです)。 また、ブラックの初期作品には強烈な毒があり、『リーサル・ウェポン』『ラスト・ボーイスカウト』『ロングキス・グッドナイト』などは人生の最底辺で苦しみ、他人から避けられたり軽蔑されたりしている主人公の痛みであったり、捨て身の戦いの中で尊厳を取り戻すという熱いドラマが込められていたため、私はそれらの作品が大好きでした。しかし、本作ではその要素のみがスッパリと落とされています。おっぱいは出てくるし、死体で笑いをとるし、見てくれは過去最高にアダルトなのですが、ドラマの本質部分における毒がほとんどなくなっていた点はかなり残念でした。 さらに、本作は導入部がめちゃくちゃに分かりづらいという大きなマイナスを抱えています。ライアン・ゴズリング演じるマーチは、事故死したポルノ女優の叔母さんから「死んだはずの姪を見かけたから探して欲しい」という依頼を受けたが、そのポルノ女優の死亡は確実であることから、叔母さんは別の女性と見間違えたと考え、現場の記録から割り出したもう一人のポルノ女優・アメリアを追っています。他方、ラッセル・クロウ演じるヒーリーは、「自分を追っているマーチを脅して、もう来ないようにして欲しい」とアメリア本人からの依頼を受け、マーチ宅を訪れます。これが主人公二人の出会いなのですが、ここから二人揃ってアメリアを探し始めるという状況が物凄く分かりづらいのです。数日前に会ったばかりのアメリアを探すヒーリーってバカなのかと。 また、マーチと娘・ホリーの関係性も最初は良く分かりませんでした。酔いが醒めたマーチにホリーが電話をかけてくる場面が二人の関係性を示す最初のカットなのですが、通常の映画であれば、母親に引き取られたが父親を慕い続ける別居中の娘を連想させられる構図をとりながら、実はマーチと同居中であり、その日は友達の家に泊まっていたという、「誰がそんなこと連想するんだよ」という実に分かりづらいことになっています。演じるアンガーリー・ライスの魅力も含めてホリーのキャラクター自体は物凄くよかっただけに、冒頭の数十分間、彼女の個性や立ち位置を理解し損ねた点が残念でした。 後半でようやく明かされる陰謀の正体もよく分かりませんでした。行政と企業が癒着して公害問題が揉み消されているという事実を知ったアメリアが、その癒着を告発する内容のポルノ映画を作ったら、関係者及び映画そのものが抹殺されたという話なのですが、癒着を示すズバリの証拠の争奪戦ならともかく、誰からも見向きもされないようなポルノ映画を人殺しまでして葬り去ろうとしたことの意味が分かりません。人殺しをしたせいで、逆に騒ぎが大きくなってないかと。特に黒幕のジュディスはアメリアの母親であり、娘の命を奪ってまで映画を隠滅する必要があったのだろうかと、本当に不思議で仕方ありませんでした。
[ブルーレイ(吹替)] 4点(2017-08-11 15:33:13)(良:2票)
97.  コップ・カー
『スパイダーマン/ホームカミング』の予習として、謎の監督ジョン・ワッツの出世作である本作を鑑賞しました。 少年の冒険物語とクライムサスペンスという異色の組み合わせが目を引く作品であり、このおかしなブレンドでよくぞ映画を成立させたなと感心させられたのですが、それ以上の作品にはなりえていないという点が残念でした。 また、90分未満というコンパクトな上映時間でありながら畳みかけるような勢いがなく、それどころか妙にチンタラした展開もあったため、イベントの詰め込み方が甘いと感じさせられました。
[インターネット(吹替)] 5点(2017-08-10 22:21:52)(良:1票)
98.  ドント・ブリーズ 《ネタバレ》 
恐怖シーンにおける豊富なギミックや意表を突く展開など、実によく考えて作られていることは分かるのですが、主人公・ロッキーにビタ一文感情移入できないという点が致命的でした。事故で娘を失った盲目の老人宅に侵入し、事故の示談金を盗んでやろうという発想の時点でクズ。また、自分に惚れていて何でも言いなりになるアレックスを無理に強盗に引き込むという女としてのズルさや、「クズ親から幼い妹を引き離す」という大義名分によって自己の悪事を正当化している点など、とにかくロッキーのすべてが気に入らんかったです。 また、彼氏のマネーがぶっ殺されたり、監禁されている加害者を発見したり、自分自身が孕まされそうになったりと、もはや金なんて言ってられる状況じゃなくなっても金への執着を捨てないという点も受け付けませんでした。最後には、マネーとアレックスに罪を擦り付けて、まんまと金をせしめるという驚愕のクライマックス。空港で妹にオレンジジュースを飲ませてましたけど、ああいうとこのジュースはそこそこ高いんですよ。何人もの命を犠牲にして得た金でオレンジジュース飲ますんかいと、そんな些細な点まで気に入らなかったです。
[ブルーレイ(吹替)] 4点(2017-08-06 13:04:06)(良:2票)
99.  機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル
ファーストを始めとした宇宙世紀もののアニメはすべて視聴済。本作の原作コミックは未読というステータスでの鑑賞です。 プリクェルのコツとは、いかに正編の要素を多く残すかという点にあると私は考えています。例えばスターウォーズEP1,2が否定されて3が絶賛されたという現象についても、ファンはEP4~6で自分たちが愛した世界の再見を望んでいたのに対して、ルーカスは世界観を広げることに固執し、結果、EP4と年代設定が近いEP3以外はファンの眼鏡に叶わなかったということが理由として考えられます。 そこに来て本作ですが、オリジナルキャラクターやオリジナル設定はほとんど挿入されず、ファーストにあった要素をうまく繋げることで物語を構成しており、ファンサービスとしては非常に良くできています。赤い彗星と黒い三連星が連邦軍の艦隊を相手に大暴れをしてモビルスーツ戦時代の幕開けを宣言した冒頭から、まさにファンが見たかった内容となっています。 少年期のシャアも、ファンが連想する通りの個性となっています。口数は少なく不要な話はしないが、必要な場面では自分を殺そうとする大人相手であっても堂々と主張をするという無駄のない性格。これぞシャアって感じです。ザビ家とラル家の対立にしても、彼らの行く末を知っているからこそ楽しめる内容となっており、本当によくできているなと感心させられました。 見せ場の数は少ないものの、ドラマだけで十分に楽しめる素晴らしい作品だったと思います。
[インターネット(邦画)] 8点(2017-08-05 23:57:48)
100.  コンカッション(2015) 《ネタバレ》 
極限まで肉体を酷使するスポーツがアスリートの健康を害しているなんて、当たり前のことじゃないです?特にプロスポーツ選手は好きなことを職業にした上で、普通の人では一生見ることのできない金額を数年で稼ぐのだから、肉体を捧げることに対する見返りは十分に受け取っているわけです。そんな特殊な世界を指さして「アメフトは体に悪い。選手は被害者だ」とした主人公の主張にあまり賛同できなかったため、作品全体への共感は低くなりました。 例えば日本の大相撲だって、無理やり大食いをさせることで力士達の体格を作っており、おそらくは成人病リスクは滅茶苦茶に高いはず。寿命だって短いと思います。しかし、そのことを咎めて「力士には健康的な食事をさせましょう。肥満は厳禁」とやってしまうと、大相撲という競技は消滅するか、存続するにしても形を大きく変えるかしかなくなります。主催者・選手・観客の間での暗黙の了解が成り立っていることをわざわざ突っついて一体誰が得するのかというのが、本作の主人公を見た私の率直な意見です。また、本編の最後には元選手5,000人がNFLを提訴したというテロップが出てきますが、さんざん稼いだ後になって「自分たちに十分なリスク説明がなかった」として主催者を訴えるなんて、いかにもアメリカ的だなと思ってしまいました。 また、物語の構成もよろしくないと感じました。このテーマであれば、正義一直線のオマル医師ではなく、かつて身を寄せていた業界と敵対せざるをえなくなったバイレス医師を主人公とし、大儀と人間関係の間で苦悩する姿を描けば面白くなったと思うのですが。
[DVD(吹替)] 5点(2017-08-05 23:30:11)(良:1票)
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