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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2517
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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1.  さよならテレビ 《ネタバレ》 
 東海テレビ局内の人々の姿を追った、ドキュメンタリー・・・?   あの「セシウムさん騒動」を起こした局が、視聴率とスポンサーに縛られる中でジャーナリズムの在り方を問い、理想と現実の狭間で苦悶し・・・という世界かと思いきや、ああ、こいつらちっとも懲りてないわ、テレビ屋って本当にダメな連中のカタマリね、でもそんな中にも希望が持てる存在がいたりするのね、と思ってるそばから更にひっくり返されて、もう本当に絶望的な気分にしてくれる映画ね。  でもそれを当の東海テレビ自体が作っているのだから、それは露悪的で、そして偽悪的で。   わりと最初に提示される「カメラが介在した状態でのドキュメンタリーは本当に現実と言えるの?」ってところから、映画はドキュメンタリーとヤラセの間を漂いながらテレビ局の「リアルな虚像」を見せてゆくのね。そこにはテレビ屋の取材対象に対する思いなんてのはスッポリと欠落しちゃってるし、仕方なさに支配された状態を披露してゆくのはひたすら言い訳がましいわ。そしてテレビなんてそんなモンだと披露するところまでがセットになっていて。   映画は最後にこれがそこまで描かれた以上にヤラセでした、と告白してみせるのね。なによ結局は全てが虚飾なの?って思うのだけど、そんな虚飾だらけのテレビって世界の中にチラリチラリと垣間見える真実と本音、それをどう拾って受け止めて、そしてテレビジャーナリズムってものに何を問えるのか、問うべきなのかを考えることになる、そう、これはあえて悪役を買って出たようなモノ。自分達も出来てない、そして他も出来てない、それが浮き彫りになる現実。テレビジャーナリズムはそのままどんどん駄目になって終わるのか。   この映画の他に、ここのところハマってた『チャンネルはそのまま!』のドラマ版や、テレビ朝日の『報道ステーション』大量派遣切りのニュースなど、自分の中でネタが重なってるのだけれど、中でも最も大きなイガイガになっているのが映画にも描かれた「権力の監視」についてね。現在もうテレビジャーナリズムがその点においてほぼ機能していない状態で、既にテレビジャーナリズムは死を迎えているんじゃないか、っていう状態で。それでいいの? あんたたちはそんなクズとして生きていたいの? ってそれは結局市民の側が黙っていちゃダメなのよね。ダメな連中が自分達から良くなる事はないのでしょうから。
[映画館(邦画)] 8点(2020-01-19 11:18:34)
2.  さよならくちびる 《ネタバレ》 
 門脇麦と小松菜奈の百合映画なんて、それだけで満点じゃなくて?  なんていう汚れた心にパンチ食らわせながらじんわり癒してくれるような映画だったわ。   険悪なムードで解散へと至るインディーズデュオのハルレオと付き人シマ。ロードムービーのカタチを取りつつ、過去に戻ったり、ファンの姿、ローカルテレビのインタビュー、書きかけの詞なんかをコラージュして、出会いからそこに至るまでのハルレオの姿を浮かび上がらせてゆくのだけれど、この映画、幾つもの矛盾をぶつけてくるの。  全く違うようでよく似ているハルとレオ。儚げだけど強くて、だけどやっぱり弱い二人。頼りないけど頼れるシマ。それぞれがそれぞれを大好きなのに、だからって上手くはいかない、好きなのにどんどん壊れていっちゃう。キビシいようでいて優しい映画。切なくつらいのに、何故か幸せな気持ちになれる映画。   この映画、色々と物語るワリに物語になろうとしないのよね。ハルとレオが出会って間もない頃にハルの家でカレーを食べるシーンでの長回し、その1カットで色んな事が語られるのね。カレーを食べながら泣き出すレオ、頭をハルの肩にもたげ、そのレオの頭にそっと口付けるハル。そこにはふたりのいろんな背景が描かれているわ。でも、それを物語として結実させようとはしないの。3人の最後の晩餐もカレー、そして出発点に戻る、行きて帰りし展開が、だけどそれがきっちり物語として閉じているとは言えないのよね。  ※ここからラストについてのネタバレ※   その、閉じなかったラストシーンについては結構否定的な評価を見かけるのね。台無しって。でも、アタシ的にはアレ、つまり物語としての区切りを付けてないだけだと思うわけ。見た人それぞれに想像するでしょうけれど、アタシはあの後やっぱり解散すると思うのね。でも、少しだけ先送り、もう少しだけ3人の時間があってもいいかな?みたいなキモチ、って。まだ3人にはそうしてもいいだけの時間があるんだもの。何かをハッキリ決めなくちゃならないようなトシになるには、まだもう少し時間がある、そういうコトよね。それが青春、青春映画。
[映画館(邦画)] 9点(2019-06-03 22:17:28)(良:1票)
3.  サスペリア(2018) 《ネタバレ》 
 ホラー好きの一部の人って、たまに妙にホラーが高尚なモノだってアピールするのよね。社会不安を象徴してるとか、深層心理を表現してるとか。  でも、ホラー、特にスプラッタとかスラッシャーとか言われるジャンルって基本、残酷シーンを見せてナンボなワケじゃない。血が噴き出したり、首や手足や胴体がちぎれたり、内臓がこぼれ出したり、頭とか体とか爆発したり、特に若いお嬢さん方が酷いメに遭ってこそ、みたいな世界よ。  そんな世界が好き、って言ったら人格疑われちゃうから、正当化するための理由付け、言い訳のために高尚化しちゃうんじゃないの?なんてアタシは意地悪く思うワケね。   で、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』、今や神格化されてる感もあるけど(アタシがあの映画を評価してるのって冒頭15分だけ、しかも東宝東和の独自システムなサーカムサウンドのお陰ね)、アレって単にアルジェントのリビドーが爆発してるだけの映画じゃないの?って。そして、そんな『サスペリア』が大好き!なんて言ったら、アルジェントと同じリビドー抱えてまーす!って宣言しちゃうようなモノだから、ちょっと言い訳させて貰いますよ、っていうのを1本の映画にまでしちゃったのが今回の映画、という印象ね。しかも結局新たに監督自身のオリジナルなリビドーまで公開しちゃいました、みたいな。   77年当時の社会的な背景を盛り込みました、思想・信仰についての考察を盛り込みました、空想の余地を与えました、直接的な意味を示さない映像をたっぷり盛り込みました、それによって前衛的な、ゲージツ的な映画に仕上げました、ってカンジなんだけどね、でも結局はリビドーを正当化する行為に終始してるように映っちゃうのよ、アタシには。ちょっとミソジニー臭がしないでもなくて、それはやっぱりアルジェント版同様、イヤなのね(いや、真逆だろ、って意見もあるでしょうけど、だとしたらかなりのマザコンよ)。   魔女の方々がビジュアルは立ってるのにキャラとしてはメイン以外、没個性で単なる頭数揃えただけ、って状態とか、それは生徒さん達にも及ぶとか、登場人物多くてゴチャゴチャしてるワリに印象に残りにくい映画だったわね。音楽もさして印象的ではないし。オリジナル版の方がまだ色んな意味で印象的だったわ。
[映画館(字幕)] 4点(2019-02-05 18:38:44)
4.  search サーチ 《ネタバレ》 
 これ、とっても面白かったわ。ずっとのめり込むように見ちゃった。   PCの画面だけで映画が展開するっていう発想自体はそんなに斬新ってワケじゃなくて。わりと最近、スターチャンネルでもそういう映画見たしね(タイトル忘れちゃった。自殺した女の子の幽霊が同級生達のビデオチャットに入り込んでくる、ってホラー)。  でも、見せ方がとても上手いの。編集も細かいし、ただPC画面を見せ続けるだけではなくて、カメラが寄ったりパンしたりして、PC画面を演出している、視線のように撮って臨場感を出しているカンジ。  見ているこちらはそのPC画面だけの世界から登場人物の生にグッと近づいてゆくような気がして。   デジタル社会、ネット社会が恐ろしいものなのですよ、なんてコトを語ったりはしていないのね。  もはや生活の一部になっていて(そう、私にとっては20年以上前からPCに記録している映画のデータも、もう使ってないしたらばもmixiも、今のツイッターやインスタもiphoneの中身もまた自分という存在の一部を映す世界であるように)、PCやスマホやネットやクラウドの中に虚と実があって、生活があって、生があって、社会があって。  今はそういう時代で、だからそんな中でこんなサスペンス映画も成立しちゃう、これって今って時代だからこその映画。ネットを虚として区別せず、ネットも含めての現実(リアル)。  そんな今のこの生の中では、映画の中の行方不明になってしまった少女の存在が普通の映画以上にリアルに感じられて、本当にハラハラさせられて。   このやり方であらゆるジャンルの映画が作れる気もするわ。  かつて森田芳光監督が『(ハル)』でパソコン通信の世界で文字から生まれる触れ合いを描いたけれど、今はここまで来てるって感じで、SFでなくリアルなデジタルの生について想いを巡らせたわ。
[映画館(字幕)] 9点(2018-11-06 22:05:14)
5.  ザ・プレデター 《ネタバレ》 
 『プレデター』って、元々悪趣味でアタマ悪い系なシリーズって印象で、そーんなに大層なモンじゃないって思ってるんで、ハナからこの映画に何かを期待するコトもなくて。   『ザ・プレデター』、悪趣味でアタマ悪い系って点では純度高いわ。ただ、それで楽しませてくれるか?っていうと色々ダメ。いろんなものをいっぱい詰め込んで、とりとめのないドタバタ劇になっちゃいました、ってカンジ。  人間側もプレデター側もそれぞれにゴタゴタしていて、そのゴタゴタした同士で更に戦うって状態だから、一体なにをしてるの?みたいな。   映画が始まってすぐにかなりな残酷シーンが出てきて「うわぁ」って思ってるそばから、少年が出てきて、学校でイジメられて、なんかジュブナイル?ってカンジになって、かと思うとハミダシ者の軍人達がチームを組んだり、もう方向性がバラバラ、あっちこっち手を付けてみました、みたいな映画。  で、色々やってみたはいいけれど、どれも何かしらの作品を思い出す、みたいなオリジナリティの無さ、寄せ集めっぷりで。  そんなカオスな世界のまま、そこから映画のパワーが高められることもなく終わっちゃった感がして。  んー、ドタバタコメディとして見ればよかったのかなぁ?  そこは笑うべきところ?みたいなシーンはいっぱいあったんだけど、どれも笑っていいのか悪いのか、微妙なカンジで。  とりあえず、女性学者が最強キャラなのは笑いどころ、ツッコミどころよね。多分、彼女、1作目のシュワちゃんより強いわ。   これ、人を殺しすぎる映画ね。プレデターが殺すだけじゃなくて、主人公側もやたら人を殺しちゃって、えっ、そこ、殺しちゃう?って展開いっぱい。ソレもブラックコメディってコト? 少年に人殺しさせたり(少年が直接殺した訳じゃないけど)、少年の前で父親が人殺したり、もうモラルとかどうでもいいカンジに壊れてて、でもそんな映画で英雄達がカッコよく散ってみせても、それも笑うトコ?みたいにしか思えないし。   でも、残酷な『プレデター』はこれが最後かもしれないわねぇ。20世紀フォックスがディズニー傘下になったら、ねぇ。最後にひと残酷咲かせたかったのかな?
[映画館(字幕)] 5点(2018-10-02 21:11:26)
6.  SUNNY 強い気持ち・強い愛 《ネタバレ》 
 オリジナル版が大好きで、だからよりによってあのペラッペラに薄っぺらな大根監督の手によってリメイクされると聞いて、マジやめて・・・とか思ったんだけどね。でも、口惜しいけど大根監督で正解だったわ。   民主化運動で時代が大きく動いてゆく韓国を背景にした青春物語だったオリジナル版に対して、この日本版はバブル崩壊後の、元気なのは女子高生くらいのモンだった90年代半ば。長らく平和っちゃ平和で、ただただ流行に、時代に、流れ流されてゆく青春があって。  そのペラペラと軽薄な世界に大根監督の薄べったさがピッタリフィットだわさ。そんな軽薄さが日本のリアル、みんなが生きてきたこの国の1つの時代なんだから。   大根監督のインチキ臭さ、胡散臭さも、あの狂騒の時代にならアリ、だものね。『ラ・ラ・ランド』の出来損ない、なんて形容すらおこがましいくらいの冒頭の長回しにしても、ばあちゃんのわざとらし過ぎ吉本ネタにしても、ステレオタイプなエヴァ好きひきこもり兄にしても、なんとなく許容しちゃえるくらいの感じがしちゃうもんね。   背景に流れる数々の歌もまた、確かにしっかと聴いておりましたともさ!って状態で、いいも悪いもない、その時代を生きた血ってのが今この体ん中流れてるのは事実なんだから仕方ないっての。   日本版は基本的な物語は韓国版をきっちりなぞっていながら、国と時代が違うだけでまるで別物になった感じがあって。エンドロールの違いによって方向性そのものが違ってたりするしね。未来に向かって閉じてゆく韓国版と、過去に向って開いてゆく日本版、どちらが正しいとかも無いしねぇ。   このペラッペラさこそが日本の『サニー』だわ。   広瀬すずが可愛らしい田舎の高校生を演じて、だけどあのイタコはさすがに無理だろー、と思ってたら、イタコとは違うけど、かなり頑張ってたわ。この夏の美少女変顔コレクションとして浜辺美波、橋本環奈と共に脳裏に刻んでおくわね。
[映画館(邦画)] 8点(2018-09-06 22:02:52)
7.  坂道のアポロン 《ネタバレ》 
 三木孝浩監督の映画って好きなんですけど、これは最良とはいきませんでしたね。  やっぱり現代を舞台にしていないって点で得意ワザの1つを封じられた感がありますか。  映画に今の日本の風景、空気を織り込む事がこの監督の魅力だと思うのですが、1966年が舞台だと、かなり作り込まなくてはならなくて、でも、そのこれ見よがしになってしまった作り物感がキビしくて。『陽だまりの彼女』とか『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』みたいなファンタジーならば作り物感が武器になったりするものの、時代設定がポイントになる(筈の)作品ではマイナス要素。10年後のメイン3人の姿なんかはもはや困っちゃうレベル。   そもそも1966年って設定が、あまり作品に大きな意味を与えていない気がするんですよね。レコード盤とかジャズとか佐世保の米兵とか、その時代であったからこその優位性や必然性、それが見えてきません。ディーン・フジオカと真野恵里菜の二人なんか取って付けたような時代の象徴みたいな存在で。『オトナ帝国』のケンちゃんチャコちゃんの亜流かい、みたいな。   でも、恋する気持ちとか、傷つきながら育ってゆく友情とか、内に秘めた悩みとかいった、普遍的な青春映画の要素を真っ直ぐにぶつけてくる感じが良かったです。三木孝浩監督らしい、これぞ青春映画!みたいな。  主演3人の中では特に中川大志が大変に魅力的な存在感を示していました。小松菜奈は当たり前に魅力的なんですけどね。   そして当然のように音楽が素晴らしかったですね。セッションが友情を育んでゆく、なんてベタだけど気持ちイイじゃないですか。
[映画館(邦画)] 7点(2018-03-12 19:57:38)
8.  斉木楠雄のΨ難 《ネタバレ》 
 私がこれまでに見た福田雄一監督作品の中では最もつまらない映画でした。   「何も無い映画」なんですよね。話としては何も起こらない。キャラクターが成長したり学習したりは一切しませんし、物語の始まりと終わりとで何かが変わる事はありませんし、何も生まれず何も失われません。  そして、そんな映画ならばそんな映画なりのあり様がある筈、そういう映画としての美学があっていい筈ですが、そんな事には一切頓着していなくて、単なるネタ集であり、そして殆どのネタがハズしてるという状態。原作マンガに準じているのでしょうが、マンガをそのまま映像にすればそれで面白いのか?という基本的な部分で間違っているのではないかと。   全てのキャラに一切のリアリティなどなく、この世界の中だけで閉じているキャラで、ならばこの世界なりのルール、面白さを示すべきだと思うのですが、そこを創造する気はさらさら無いようですし、単なる面白キャラなりの面白さすらも示せておらず、演じてる役者さん達はそこに存在し、その世界の登場人物となり、ギャグを演じてはいるけれど、みんな目が死んでる、って状態。  福田監督の悪いクセである投げっぱなしで回収しない、オチを付けないエピソードが大量に散らかっていて、でも、そんな事もどうでもいいくらいにそもそもの芯となる基本的な物語がつまらないという。   今年の橋本環奈出演作3本の中で、最も彼女を魅力的に撮れていない映画でもありました。3本中これとあともう1本も福田監督なんですけど、そっちに比べても全然。別にヘン顔してるからとか、そういう意味でなくて(アッチでもヘン顔してるけど、アッチはそれでも魅力的でしたし)。   お金を払って見るレベルではなくて、この映画にかける時間すらも勿体なくて、「何も無い芸」ってのは、だけどそういうモンじゃないんだって学んで頂きたいところです。喜んでお金と時間を提供できる「何も無さ」ってのがあるとして、少なくともコレは全く違います。
[映画館(邦画)] 3点(2017-11-05 19:03:01)
9.  猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー) 《ネタバレ》 
 前2作はワリと微妙に感じてたんですよね。結局お猿さんだよね?っていう。それは前シリーズやティム・バートンのアレも一緒で。お猿さんは宇宙人でも怪人でもなくてお猿さんで。   でも、今回は今までよりも点数高いです。迫害されるお猿さんの1作目、内輪モメなお猿さんの2作目から、今作は明確に人間との対立という形になって。お猿さんが特定の民族の象徴ではなく、人類の選択すべき道を示していて、このお話はここまで辿り着きました、という到達点が明確になっています。  破壊と殺戮に囚われた人類と、それに抗うシーザーは旧き人の形を示し、天使に導かれて安息の地を目指すお猿さん達はあるべき人の形を示しています。それは黙示録的で、神話的で。そして選民意識や民族主義に走り排他的な流れに走っている現代の世界情勢に対する啓示のようでもあって、だからこれは今この時代に作られた事に意味がある、その時代を映す鏡として至極正しい映画だと思います。  存続の危機に陥ってなお対立をやめない人類に対して襲いかかる天罰的状況、そこに意識を向けるべきなのです。   天使ポジションのノヴァの色がモノトーンの作品世界の中で希望を示すコントラストとなっていて、美しい絵を創り出しています。彼女が画面に登場するカットは宗教画的ですらあるのでした。
[映画館(字幕)] 8点(2017-11-05 18:24:48)
10.  三度目の殺人 《ネタバレ》 
 色々とひっかかってしまう部分の多い映画で。   まず、司法に対する疑問、個人の主観や感情によって人を裁く事に対する疑問を投げかけている訳ですが、じゃあ極端に言うと法の裁きなんて要らない、無法地帯にでもしろと? いや、そういう事が言いたい映画じゃないのは判ってますけど、ここにはだからどうしろって提示は全く無い訳ですよ。「無責任なお前ら」って映画も無責任に喚いてる状態。しかも被害者側の「生」をあえて排除する事でそれはどんどんと偏向してゆきます。これって人間そのものに対する絶望の映画なの?   次に、役者の力を信じ過ぎ。カメラは演技をじっくり捉えて醸されてくるものを待ち続けますが、クライマックスではそこまでどアップにしなくちゃならないの?みたいな状態にまでになって、いや、他にも方法はあるでしょうよ、と。結果的には役所広司と福山雅治のどアップばかりが印象に残る映画。  あと、市川実日子嬢を昔から見てきてる目からしたら、『シン・ゴジラ』の尾頭さんをそのまま持ってきただけみたいな安易なキャラ造形にも抵抗を感じます。アレが彼女の総てではないでしょうに。   画的には逆光&銀残し的なトーンで市川崑ですかいな、みたいな。   この監督、どうなんだろ? 本当に上手いのかなぁ? 毎回、もっと上手く撮れる人がいるような気がしてならないんですよね。じゃあ誰?っていうとシーンごと、素材ごとに違ってくるんですけど。
[映画館(邦画)] 5点(2017-10-16 22:43:54)
11.  ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 《ネタバレ》 
 「ダーク・ユニバース」って「SPACロマン」の夢(悪夢?)よもう一度とばかりに東宝東和が勝手にやらかしたのかと思いましたが「モンスター映画ならユニバーサル」な発信元本体がやらかしていた訳ですね。ふーん。   コレ、『ハムナプトラ』を期待して見に行ったら『スペースバンパイア』の出来損ないを見せられちゃった、みたいな映画で。  大作っぽいですがスケール小さく(予告編にあったビルがさらさら~ってなっちゃうカット、ああいうのがいっぱいあるのかと思ったらアレだけ)、キャラクターに魅力がなく(トムは強さにもユーモアにも欠けるセコい泥棒野郎だし、ヒロインは物語に振り回されっぱなしだし、ラッセル・クロウはデブだし)、3Dメガネかけてる意味を疑問に感じるくらいの立体感無さっぷりだし(暗い画面が多い映画は3Dは不向きだわさ)、話は爽快感のカケラもないし(アクションよりスペクタクルより、呪いだの悪だのの説明が第一)。隣りに座ったお兄ちゃんの口臭に耐え続けなくちゃならなかったせいもあって1時間50分が長い長い。   で、何が『スペースバンパイア』より決定的に劣るって、ミイラ王女様が大昔の人なのにレオタード着てるところね。本当に潔くないわ。
[映画館(字幕)] 4点(2017-07-28 20:20:47)
12.  3月のライオン 後編 《ネタバレ》 
 前作と並べて考えると大変にバランスの悪い映画だなぁ、と。単純に前作で川本三姉妹描かなさ過ぎ、今回は描き過ぎ。   今回、川本三姉妹の2つの大きな問題(いじめと、突如帰ってくる父親)が話の軸になっていて、将棋のプロの方々、前作に比べて存在が薄くなっています。桐山の成長を促す存在としての川本三姉妹のドラマなのですが、前作のただ将棋に賭ける桐山の姿から考えると、雑音に思えてしまう感もあって。そういう将棋から離れた日常の部分も含めたところに、棋士としての成長があるのですよ、ってな話なんでしょうけれど、だったらもっとバランス良く川本三姉妹と将棋のエピソードを配しましょうよ。  成長っていう意味からすると、香子も結局はずっと変化はせずに最後に至って唐突に悟る、みたいな感じ。全体的に変化はしても流れは無い、みたいな印象。事件を配する事で状況と心境の変化を与えるけれど、それが成長です、っていうのは安直に思えます。   ラストは引っ張るけれどもそこで終わりかい、って状態で、でもそもそも原作が未完な訳だし、だからせいぜい「俺たちの戦いはこれからだ」を華々しい画で盛り上げてみました、みたいな。   結局、マンガの映画化だから、マンガの構成がこうなっているから、マンガが未完だから、ってところに逃げ道を求めているような気がするんですよね。でも、だったらもっとマンガのタッチを大切にできませんかねぇ。原作の独特なタッチは一切失われて、ただ設定や物語が切り取られている状態に、マンガの実写映画化としての価値が果たしてあるのやら。そうでなく、一本の映画として勝負するのならば、原作を理由に逃げちゃダメですよね。   「幸せな映画化」とは思えない作品でした。
[映画館(邦画)] 5点(2017-05-03 22:08:02)
13.  サクラダリセット 前篇 《ネタバレ》 
 色々なタイプの超能力者が登場するのですが、それらの能力と、制限された部分とが全て「物語を構成するための能力と制限」でしかなくて、物語の都合によって設定されています、というのが丸出しなので冷めます。つまりそれは原作時点でダメって事なのでしょうけれども。  そんな作品のための都合によって生かされているキャラクターに血の通った魅力がある筈も無くて、その能力を持っている事、その能力が示す個性がキャラクター造形に直結しているようには思えず、駒を動かしているような展開に見ていてぐんなり。   最初に謎(というより隠してある部分)がいっぱいあって、設定世界の説明にやたら時間を費やして、疑問だらけの設定を投げつけつつ「さあ、ついて来い」と観客にかなりの努力を強いる作り。一応、冒頭に事件を起こす事で掴みを配置しているものの、その掴みのエピソードが主役2人とリセットの事しか語っていないので、実際の強引な飛躍のグチャグチャなパズルで構成された中身を語るにはあまりに薄いのですよね。最初から能力に縛られた描写のみですから、本来のパーソナリティも全く見えてきませんし、それは結局全編に及びます。   で、セリフによる大量の説明がある一方で、思わせぶりな、間延びした映像が続くので、映画への興味を持続させるのが大変。施設内の移動描写にたっぷり時間を取りますが、それが後の展開の大きなキーになっているのかというと、別にそんな事は無くて。全くとは言いませんけれど、だったらもう少し位置関係を印象づけて後の侵入シーンでのサスペンス描写に利用できたんじゃないかと思いますが。   写真の理屈がどうにもアレなので、どんどんと疑問が重なっていった上でのクライマックスに、いや、すいません、納得できませんが、って状態になって、その上で次回作に繋がる衝撃の真実に、だからなんだというのだろう?と思ってしまって。次回作見てえ!とか全く思えませんでした。見ちゃった以上、義務的に後編も見る事になるんでしょうけれど、ネットであらすじ調べて読めば十分かな、くらいな気持ち。   次回作が実は3時間、とかいうモノでもない限り、前後編に分ける必然性はまるでなくて、一本で描けたよね?って感じで、密度の薄い時間を過ごすハメになったのでした。  ここ最近の前後編商法邦画を見てると、そろそろリスクの方が大きくなってきてる気がして仕方ないのですが、どうでしょ?
[映画館(邦画)] 3点(2017-03-28 20:49:48)
14.  3月のライオン 前編 《ネタバレ》 
 棋士の静かな戦いが良かったです。始めから将棋のルール説明など諦めているのですが(だから戦局が動く部分もセリフや演技や解説で判らせないとなりません)、大きなアクションが無い分、表情や仕草でその戦いっぷりを表現する、それはやはりベテラン俳優陣の演技力の賜物で。   ただ、やっぱり前後編モノの前編、色々と勿体付けて描いたモノがまるでキチンと収まってゆかないもどかしさ。前半特に著しく意味あり気に勿体付けて描くので、その歯切れの悪さにイライラ。そのワリにエピソード自体は飛び飛びであっちゅー間に時間が飛ぶのですが(冒頭に梅雨前だと語っていたと思ったら、ちょっとの間にお盆の送り火焚いてたり、冬着になったり)、刈り込み過ぎてほったらかしになっちゃった部分が散見されました。  更に、今回の映画の中では川本三姉妹に殆ど存在意義が無かったりして、むしろもっと見たかったのはソコだったのになぁ、と。っていうか、美咲と三姉妹との関係(繋がりと仕事と)も映画だけじゃハッキリ判らないわ。  あと、マンガ原作の映画に顕著に見られる傾向、複数の人間のモノローグが入る、これ、よろしくないなぁ、と。ずっと零のモノローグだけで来てたので、ちゃんとしてると思ってたら、後半になって他キャラもいきなりペラペラとお喋りになっちゃって。ああ、マンガなんだなぁ、って。  ついでに音楽もお喋り。説明的音楽ワールド。   凄い事になっちゃってる染谷将太とか、性悪な有村架純とか、ガラの悪い伊藤英明とか、ジミな豊川悦司とか、薄い役な感じの佐々木蔵之介とかの面白味がありましたが、それは映画が進むと共に変化していって、そして後編に続く、って事で。   とにかくエピソードを追うのに精いっぱいで、そのクセ、タメる描写があり過ぎな感じが映画を間延びさせていて、1本の映画としてはまとまりを欠いた感の強い映画。続編に繋がる盛り上がりという点でも不満が残って「早く続編が見たい!」と思わせるような映画ではありませんでした。   ちなみに原作は数年前にその時に出ていた8巻まで大人買いしたのですが、1巻途中まで読んで積読状態で映画に臨む事になっちゃいました。今から読もうかなぁ、後編見てからかなぁ。
[映画館(邦画)] 6点(2017-03-19 21:23:45)
15.  サバイバルファミリー(2017) 《ネタバレ》 
 東京大停電とか東日本大震災の時の物不足とかを経験しているので、この映画に描かれた事がリアリティを持って伝わってきて、これ、私にとってはコメディなんかじゃなくって、パニックホラーの世界でした。映画を見ながら実際にこのような状況に陥ったらどうなっちゃうんだろう?とあれこれ考えて恐怖に震え上がってしまう状態。   映画にはツッコミどころがいっぱいです。乾電池、充電池まで全て無効化してしまうとかいう本来あり得ない事はそういう状況を作るためのファンタジーとして、事態を認識するまでが遅い、自動車がダメなのに飛行機は飛ぶと信じてしまう根拠が判らない、それなりの日数が経過しているのに主人公一家が到達したタイミングで閉鎖になる羽田空港、全く機能していないように見える警察や自衛隊や地方自治(マンション一棟での自治しか機能していないっていうのは幾ら連絡方法が無いとはいえ狭すぎやしませんかねぇ?)、その一方で妙に連帯している田舎(そうやって都会と差別化してイメージ作ってる訳ですが)、これ見よがしに要所要所で登場するゲスト出演者でシラケる(フジテレビらしいと言えますが)等々。   でも、やがてその旅から根源的な「食べるため、生きるために行動する」姿が浮かび上がってきて、それはやっぱり感動的なのでした。後半の農家でのご飯は『この世界の片隅に』以上に泣ける食事シーンでした。   教訓染みた自然回帰志向とか、依存型の文明に対する批判とか、そういう部分を強調し過ぎていて白ける感もありましたし(都市型の一般大衆を意識の低い存在と見てるフシがありますな)、エピローグ部分のダメ押しみたいな展開にゲンナリしたりもしましたが(目覚ましのところあたりで終わらせちゃった方が良かったんじゃ?)、この世界の中で「人間」という生物が「食べる」事の重要さ、大切さを描いた点を高く評価したいと思います。
[映画館(邦画)] 8点(2017-02-14 22:32:40)
16.  百日紅 ~Miss HOKUSAI~ 《ネタバレ》 
 「アニメで江戸の空気をどこまで感じ取れるのか」というのがこの作品の要だったのではないかと思います。いかに観客の感覚を刺激し、そこに江戸を感じさせられるか。五感のうち、映画ですから視覚と聴覚にはダイレクトに訴えかける事ができますが、触覚や嗅覚、味覚をも映像と音で刺激できないか、みたいな、そんな挑戦的な表現。今や誰も直接知る事のできない江戸の空気、その再現。   お栄の目の見えない妹は、そのための重要な存在。彼女が「見えない事によって観客が見る」数々の事柄は五感を刺激するような作りになっています。おこしの味、トンボの羽音、橋を行き交う人々の足音、川の水の感触、雪の冷たさ。彼女が得た感覚がいかに観客の記憶を引き出し、そこに江戸という感覚世界を構築できるか、という。   物語はエピソードがお団子状態で繋がっていて、ハッキリと区切られている訳ではありませんがオムニバス状態。ゆえに映画としてのまとまりには欠けますが、数々の人と風景に彩られた、北斎とお栄が過ごした江戸の時間はとても魅力的に映りました。もっとずっとそこで過ごしていたいような、そんな世界。   日頃、アニメーションの可能性について考えるのですが、日本のアニメには、お約束や記号的表現、自ら制限を課したような表現の縛りが世界を狭くしてしまっている作品が多々見られます。  最初から限られた表現の中で何ができるのかではなく、目的の世界をいかに表現するか、その表現法を柔軟に模索している作品、そういう作品が評価されてゆく状況になれば良いのですが。この作品は、そんな摸索が感じられる一編でした。   日本橋のシネコンという、作品にぴったりと合った恵まれたロケーションで見たので、ついでにお江戸散策と洒落込みましょうと、映画が終わった後に日本橋を眺めて、それから銀座線に乗って浅草に出て、雷門から仲見世を通って浅草寺にお参りし、吾妻橋を渡って隅田川を眺めて。映画の中に漂っていた匂いを感じ取る事は難しかったのですが、江戸という街はこの世界から消えたのではなく、形を変えながら今に続いている、その時間の流れをしっかと感じ取る事ができた、有意義なひとときでした。
[映画館(邦画)] 9点(2015-05-13 23:05:21)
17.  THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦 《ネタバレ》 
 前のアニメシリーズとかマンガとか映画とか、昔のヤツは大体見てるハズですが、何しろ昔なもので。最近の実写のヤツはスターチャンネルでやってるのをチラチラと見た程度。これは、その続きなのでしょうけれど、むしろ映画の『2』の実写リメイクみたいな感じ。   良くも悪くも、まごう事なき押井守作品で(バセットハウンドもちゃんと出てきますし)、あのごちゃごちゃ長々とゴタクを並べるあたりは健在です。だけどまあ、実写でやるとダサいつーか、たちまちハリボテ感が出るというか。  今にして思えばアニメ版『2』は、製作された1993年より後に起こった地下鉄サリン事件や9.11、一連のテロを予期し警鐘を鳴らすような鋭い作品であったと思いますが、今作はいまだにそれと同じところをグルグルしている感じで、ある意味、悪い形で時代にシンクロしたのかな?って。口だけ、頭だけで実際の行動には反映されないネット民と同水準まで降りてきましたよ、みたいな。  筧さんと高島さんに色々と負わせ過ぎている気がします。生身の人間にあの押井節を長々と演じさせるのは見てる方がシンドいです。無機的アニメキャラに無機的に語らせるのならいいのですが。   で、そういうゴタクを並べてるシーン以外(いや、ゴタクを並べてるシーンが半分超くらいあるのですが)は面白かったです。実物大イングラムがラウレンティス版『キングコング』を思い出したりしたのはご愛嬌、ハンパなバジェットゆえに、CG丸出しなのも、舞台が限定されるために映画全体の動きが鈍くリズムが悪い感じなのも仕方ないとして(いや、モンクばっかりですが)、特車二課が頑張ってます、って画はやっぱりアガります。   ただ、やっぱり一見さんお断りなんですよね。『パトレイバー』知らない人がこれいきなり見て楽しめるか?って言ったら無理。私だって色々登場するキーワードを、必死に「なんだっけ~なんだっけ~」って思い出しながら見てましたし。ゴタク並べシーン長いんで楽しいロボットアクション映画を期待しちゃうと肩透かしもいいところですし(せっかくのイングラムが動くクライマックスだって、1つのアクションを引っ張り過ぎ)。   押井ブランドの知名度と興行予測、そこから得られるバジェットを考えると、ここら辺が限界なんだろうねぇ、って感じですね。
[映画館(邦画)] 5点(2015-05-04 21:24:32)
18.  サボタージュ(2014) 《ネタバレ》 
 「復讐アクション映画の間に血まみれ猟奇殺人映画が挟まってます」みたいな状態で、でもさすがに2本分楽しめてお得!ってわけにはいかず、ヘンな映画だなぁ(苦笑)って感じ。真相が明らかになると更にヘンさが増しちゃいますし。   シュワちゃん、『エクスペンダブルズ3』に比べても更に老け込んだような印象で、その老けたじいちゃんが殺人鬼に翻弄される様は痛々しさすら感じさせる状態。  それにしてもこの色気排除っぷりはどうなってるんだ?ってくらいにメンバーの一人も殺人の捜査に乗り出す捜査官もオバちゃん。嘘っぽくていいからピチピチしたの出してくれてもいいのに。空気が血と肉と内臓でグチャグチャと湿っぽい分、登場人物は渋いというか枯れてるというか乾燥してるというか。   嘘映像まで挿入したかなり無茶なミスリード、「お前さん、そこにいると撃たれると思うよ」と心の中で画面にツッコミ入れてるそばから撃たれるような判りやすい展開、クライマックスの突如のカーチェイス、なんだかなぁな真相、面白いというよりも失笑気味な部分の多い映画で。    それでも突如としてウエスタンとなるラストに滅びの美学を感じない事もない、ってところで、シュワちゃんが満足ならそれでいいんじゃない?みたいな、ちょっと投げ槍な肯定をしたところでこの映画の感想おしまい。
[映画館(字幕)] 5点(2014-12-02 22:40:44)
19.  西遊記 はじまりのはじまり 《ネタバレ》 
 エンドクレジットに「IMAX3D」とあるのに日本じゃIMAXはおろか3Dですら上映してませんね。なんか最近の日本の上映環境って設備と反比例するように貧乏臭い。   さて、チャウ・シンチー久々の作品、出演はせず監督・脚本のみですが、彼らしい映画に仕上がってます。多少のアラやツッコミどころをものともせずパワフルでエネルギッシュに映画を進めていって飽きさせません。  個性的な登場人物、大がかりなセットとCGを駆使したアクション、アイディアに溢れたエピソードやアイテムの数々、ひとときも目を離す隙のない具沢山な娯楽大作。  冒頭のエピソードが『ジョーズ』まんまな展開をするあたりで今回もスピルバーグの影響大って感じますけど。   でも、見終わって「痛快!」というわけにはいきませんでした。  冒頭のエピソードで幼い少女まで犠牲になる惨劇を描いて生まれる重さ、それが全編にのしかかっていて、そしてそれは最後に至って解消されるのではなく、更なるエピソードの積み重ねでしこりとなって残る感じ。  『西遊記』であればこそ誰にも有無を言わさない必然であるデウス・エクス・マキナによって物語は解決へと導かれる訳ですが、いくらなんでも映画はそこにべったりし過ぎた気がします。  悟りの境地がそこに至るまでにさして説得力を持っておらず、絶対的な存在の作用による到達点のように思えて、パーソナルな愛と総体的な愛とは同義であると語られるとは言え、極悪非道な悟空やその他の存在(その悲劇は口で語られるばかりで具体的な心理描写は無し)を許容し内包するだけの高まりに到達し得ていないように見えるのです。つまり平たく言っちゃえば「悟空クズ過ぎて観客的には納得できねえ」って事ですが。   そのデウス・エクス・マキナを作劇上、確信的に登場させたのでしょうけれど、絶対視するあまりに魂が見えず、なんだか賑やかな宗教映画の如き印象を抱いてしまったのでした。
[映画館(字幕)] 6点(2014-12-02 21:24:04)
20.  猿の惑星:新世紀(ライジング) 《ネタバレ》 
 これまで108本見た3D映画の中でもワースト10に入るレベルの3Dの意味の無さ。暗い画面が殆どなので3Dの効果が出てる映像がちっともないんですよね。枝が手前にあります、みたいなモノばかり。映画自体の真面目な作りゆえに3Dに合うハデな移動撮影なんて映像が無かったのでしょうけれど、じゃあ、なんでわざわざ3Dにしちゃったんだろ?   そう、今回の『猿の惑星』はとても真面目な映画。人と猿に姿を借りて、対立する民族が戦争に至るまでの過程を描いてゆきます。悪いのは血や国や生まれではなくて、無理解による差別意識や猜疑心や恐怖心であり、内なる悪にこそ目を向けるべきである、と。   で、その真面目さゆえに映画としては今一つ面白くない気がしました。  なるべく公平に平等に描こうとしているのでしょうか、結果的にキャラクターの誰にも気持ちが向いてゆきません。人間側の主役は常に善き人間である事に努め、ブレがありません。お猿側の主役シーザーはいつもご機嫌ナナメで悩める王みたいな状態です。それぞれの側の悪は、悪としての役割を要所できっちり果たしますという状態であり、それぞれの主人公の息子は狭窄な視野からの脱却の象徴の担当者。  キャラクターがあまりにキッチリと真面目に役割設計されていて、そこからは類型的な、読みやすいドラマばかりが生まれてゆく状態ですから、刺激の強い娯楽映画を求めてしまうと辛いなぁ、と。  ゾンビ映画的な終末世界もテーマや物語のための設定であり、不謹慎な刺激的欲求を回避し続ける器用な映画という感じ。唯一、突入シーンでのコバが「圧倒的な殺戮者が見せる不謹慎な刺激」を醸しておりましたが。   あんまり真面目だと、じゃああの猿達は一体どこの誰の象徴よ?ってな感じになってきちゃいますよね。「人間が英語を話す猿に支配されてる!」ってところの恐さからは離れてきちゃったかな。つーか、この作品世界だとタイムスリップなんて出すのも憚れるんじゃないかな。
[映画館(字幕)] 6点(2014-10-15 22:24:14)(良:1票)
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