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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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321.  アンダー・ザ・シルバーレイク
久しぶりにイカれた映画を観たな。と、新宿バルト9を後にした。 “ヒッチコック+リンチ=悪夢版ラ・ラ・ランド”的な寸評コメントは、やや安直にも聞こえるが、確かにそう感じずにはいられない空気感が随所に感じられた。 二十歳になったばかりの頃に観たデヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」鑑賞後の困惑を彷彿とさせられた。  ただ、「マルホランド・ドライブ」ほど難解で手がつけられないということではなかった。 ストーリーテリングはいかにも混沌としているけれど、紡ぎ出された事の真相と顛末は意外にシンプルだった。  三十路を過ぎて、恋に破れ、夢に破れ、己の人生を見いだせないまま空虚な生活を送る主人公が、不意に訪れた出会いと喪失に端を発して、盲目的に、破滅的に、人生の意義を掴み取ろうとする話。 主人公は、或る種の強迫観念にせっつかれるように、世の中に渦巻く(かもしれない)陰謀論と暗号の解読に、自分の“居場所”を見出そうとするわけだ。 結果として、確かに暗号はあった。そして、主人公は自分の知り得なかった世界を垣間見る。 しかし、それだけだ。 暗号を解き、この世界に隠された理を知ったところで、そこに彼の居場所はなかった。彼はその真理を思い知り、打ちのめされる。  果たして、彼は、この淫靡で妖しい冒険を経て、何かを得られたのだろうか、空虚な自室を出て、新たな世界を踏み出せたのだろうか……。 当然ながら、このヘンテコリンな映画が分かりやすいハッピーエンドを描くわけもなく、熟女とのセックスの後に気だるく佇む主人公の姿を映し出し終幕する。  カオス。しかし、この“混沌”は映画世界と現実世界の境界線を、フクロウ女のように奇妙に、強引に、越えてくる。
[映画館(字幕)] 8点(2018-10-25 01:52:04)
322.  ドント・ブリーズ
“最凶盲目爺さん”が織りなす恐怖と狂気。貧困による若者の絶望と犯罪。 デトロイトを舞台にして、現代社会が抱える“病”とそれに伴う“鬱積”が、一軒の古屋敷の中で渦巻き、恐怖と悲劇のるつぼと化しているようだった。 両者に同情の余地はあり、だからこそ両者ともに罪と罰を叩きつけられる。完全に是となる者が存在しないサスペンスホラーの構成が新しい。  盲目の屈強な老人が、暗闇の中で襲ってくる様は、恐怖体験としてフレッシュであり、その“モンスター性”にも独自性と魅力があったと思う。 “悪しき者”のアンチヒーロー化は、実にサム・ライミ(製作)らしいと思えた。 盲人役を演じたスティーヴン・ラングは、「アバター」で悪役軍人を憎らしく演じた様が印象的に記憶に残っているが、あの軍人が盲目になって襲ってくると想像すると、そりゃあ恐ろしい。  というわけで、盲目の老人が襲ってくるというアイデアを礎にして、アクション性とサスペンス性を散りばめた上で、確固たるホラー映画として成立させていることは、映画作品としてとても独創的だったとは思う。 ただし、ストーリー展開的には、どうしても粗というか、無理が生じていることを否めない。  逃げ場がないとはいえ、舞台は一般的な家の中なわけだから、いざとなったら如何様にも脱出は可能に見える。 盗み目的で侵入した若者たちが、自ら積極的に袋小路に入り込んでいるように見え、序盤から「お前らは馬鹿なのか?」やや鼻白んでしまった。 そして、最凶爺さんの方も、流石に超人的すぎてリアリティラインの境界を見失ってしまった。 元軍人という設定で、身体的な能力の高さや、玄人的な銃器の取り扱い、殺人に対する躊躇いのなさ等は理解できるが、盲目の状態であのような異様で綿密な“企み”を遂行できるわけがない。 ただシンプルに、実は何人もの侵入者を返り討ちにしていたということであれば許容範囲だったが、あそこまでいっちゃうともはやファンタジーだ。  まあしかし、そのぶっ飛び方が良い意味でも悪い意味でも常軌を逸しているポイントであることは確かで、それが老人のモンスター性を高めているとも言える。 もはや彼は、憎しみの権化として「人間」という領域を逸脱した悪魔的な存在であり、それを劇中で速やかに呑み込めさえすれば、心ゆくまで楽しむことができる恐怖映画だと思う。  僕自身は、そのリアリティラインの境界を呑み込みきることが出来なかったので、完全にこの映画を楽しみきるには至らなかった。 けれど、悪魔的な存在性へと高まった盲目爺さんが、主人公を追ってカリフォルニアで新たな恐怖を展開する“逆・ホーム・アローン2”的な続編があるのならば、それはそれで観たい。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-21 17:45:34)(良:1票)
323.  アバウト・タイム 愛おしい時間について
とても愛らしい映画だった。この映画が多くの映画ファンに愛されている理由がよく分かる。  タイムリープ能力を有した主人公のラブストーリーといえば、傑作「バタフライ・エフェクト」だったり、クリストファー・リーブの「ある日どこかで」だったり、今作同様レイチェル・マクアダムスがヒロインの「きみがぼくを見つけた日」など、古今東西多々あり、個人的に好きなジャンルでもある。 それらの多くは、主人公たちの悲恋の切なさや美しさを、練り込まれたストーリーテリングの中で描き出すが、今作はそういうジャンル性の中において一風変わっている。 “変わっている”というよりは、想定外に“どストレート”なストーリー展開が逆に特徴的に感じたのだと思う。  この手の映画の多くは、“タイムトラベル”とういアイデアをどう活かして、独創的なストーリーを紡ぎ出すかに注力するものだが、この映画において、“タイムトラベル”という要素は、一つの小道具に過ぎない。 ストーリーの妙ではなく、あくまでも主人公が織りなす恋愛模様、家族模様、それらすべてをひっくるめた人生模様の素晴らしさをストレートに、真っ当に描き出すことを最優先にしている。 そこに映画作品としての新しさや、特筆する発見はないけれど、てらうことなく、人を愛することの素晴らしさ、家族を持つことの素晴らしさを真っ直ぐに伝えてくれるからこそ、この映画はあまりに愛おしいのだと思える。  ふいにタイムリープ能力を得た主人公は、ひたすらに誰かを愛することに没頭し、文字通り時間を駆け巡る。 そして、人生と、それを司る「時間」という概念に対するひとつの真理にたどり着く。 それは、「綺麗事」などと片付けてしまうには、あまりに勿体ない僕たちの人生に備わっている「価値」だ。  秋深まる深夜、映画を観終え、清々しく床に就く。 思わず、すでに眠っている妻にキスをし、娘を抱きしめ、息子の頭を撫でてやりたくなる。 明日はみんなで、ごはんを食べよう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-10-21 17:39:11)(良:1票)
324.  陸軍中野学校 竜三号指令
大日本帝国陸軍時代に実在したスパイ養成機関出身の諜報員たちの姿を描いたシリーズ第三弾。 主人公椎名次郎が、戦禍に向けて混沌が加速する上海の地で、危険な諜報任務を繰り広げる。  一作目、二作目と、諜報員としての才覚と経験を高めてきた椎名次郎が、ついに本格的なスパイ活動を展開していく様は、先ず単純に娯楽性が高い。 「007」とまではいかないが、“M”的存在の草薙中佐から秘密道具的なガジェットも提供され、窮地に陥った主人公がその秘密道具を駆使して危機を回避する描写は、「地味」ではあるが、なかなか楽しい。  そして、やはり主演俳優市川雷蔵の存在感が光る。 シリーズ三作目にして椎名次郎像もすっかり板についた様子で、常に淡々と立ち回りつつ、己の職務と宿命に全うする様は哀愁にあふれている。 今作では、敵地に潜入するために地元中国人に扮して関所を通り抜けるシーンがあるが、その際に見せる聾唖ぶりが巧みだった。  時は大戦前、椎名次郎をはじめとする諜報部員たちは、国際的対立を何とか水面下で収束させるために命をかける。 今作でもまた幾つもの屍が主人公の前に横たわる。しかし、その犠牲も虚しく時代は世界大戦への突き進んでいく。 スパイ椎名次郎の苦闘は続く。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2018-10-14 17:55:39)
325.  トランスフォーマー/最後の騎士王
「もはやナニがナンだかわからん!」のは、今に始まったことではなく、シリーズ3作目あたりから大体同じ印象をすべての鑑賞者が持っているはずだ。 このブロックバスターシリーズのファン、非ファンに関わらず、その“ワケの分からなさ”もしくは映像的膨大な物量の中で展開されるストーリーの“どうでもよさ”自体を受け入れられないような人は、そもそもこの映画を観るべきではない。その場合、非難されるべきは作品ではなく、鑑賞者の方だろう。 というわけで、前作(完全蛇足の中国観光映画)に対して、映画産業全体における危機感も含めて「0点」を献上した僕も、あらゆることを「覚悟」した上で、この150分に渡る超大作の鑑賞に至った。  先ず序盤から大いに戸惑う。「あれ?(録画リストから)間違えてキング・アーサーを再生してしまったのかな」と。 恐らくは、同年製作の「キング・アーサー」より多大なバジェットをかけていそうな暗黒時代の合戦シーンにあんぐりとした。 ただし、結果的にはこの大仰な大風呂敷の広げ方が、一辺倒だった当シリーズのエンターテイメント性に多様性を生んだとも言えると思う。  まったくもって「強引」極まりないが、謎の金属宇宙生命体であるトランスフォーマーと地球の因縁を、人類史を遡ってこじつけたことで、「ダ・ヴィンチ・コード」的なミステリーとアドベンチャー要素が加わっている。 その他にも、スパイ映画、宇宙人侵略映画、カーアクション映画、潜水艦映画etc様々な要素を増し増しに盛り込んで、胸焼け必至のボリュームでまとめ上げている。 サービス過剰の執事ロボットや、侵略者に慣れ過ぎちゃって平然とタイマンで交渉に臨んじゃうレノックス大尉など、惰性だろうとなんだろうと5作目まで続けてきたからこそ辿り着いた娯楽性も確実に存在する。  この映画世界はまさに「カオス」そのものであり、何を見せられているのかも分からなくなってくる。 が、マイケル・ベイ監督をはじめ製作陣は、そんな作風に対してとうの昔に開き直っているので、内容がどうであれその“映画づくり”においてはもはや迷いなどはなく、ワケのわからないものをワケのわからないままに堂々と作り込んでいるように感じる。 結果として、観ている側も「コレはこういうものだ」と納得せざるを得ない気持ちになってきた。  どうやら大風呂敷は更に広がり、トランスフォーマーたちとの因縁は地球という惑星そのものの誕生まで遡って、「エイリアン:コヴェナント」的な展開を目論んでいるようだ。 もう、どこまでも好きなだけ突き進めば良いと、諦観半分で応援したくなる。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-14 17:54:20)(良:1票)
326.  イット・フォローズ
概念的な死生観そのものを「それ」と表現して、確かにそこに存在するのに正体が明らかにならない「恐怖」のメタファーとして描き出したホラー映画であることは理解できる。 しかし、ハイティーンの主人公の目線を主眼として、こんこんと紡ぎ出されたそのテーマ性が、ストーリーの中で最終的に腑に落ちず、靄々としたままエンディングロールを見送ることになってしまった。  “新しい視点”のホラー映画だと思うし、面白くない訳ではないけれど、恐怖映画が苦手なため評判の良さを耳にしながら後回しにしつつ、いたずらに期待感を膨らませ過ぎてしまったことが良くなかったと思う。 やはりこういう映画は、空いた時間にたまたま入った映画館や、眠れない夜にふと見始めた深夜放送で観た時に、最良の映画体験となるものだと思う。  思うに、この映画は主人公らの“お年頃”同様に、ティーン・エイジャー向けの、いやティーン・エイジャーのためのホラー映画なのではないか。 確実に意識的にだろうが、この映画のストーリー上に「大人」が直接的に絡むことが殆ど皆無であることからも、それは明らかだ。 この映画で描き出される「恐怖」の根幹にあるものは、「性」即ち「セックス」との距離感と、意味合いが、より強い年頃の若者たちの中に渦巻く不安定さや曖昧さに直結するものなのだと思う。  セックスという行為に触れることで露わになる自分自身の“生物感”と“不確定要素”。 それは人間としての経験が浅く、故にその行為そのものに対して憧れや畏怖、不安などといった様々な感情が渦巻く若者だからこそ鋭敏に感じ取れてしまう「恐れ」なのではないか。 このホラー映画における「それ」とは、まさにその得体の知れない曖昧な「恐れ」のことだったのではないだろうか。と、思う。  だからこそ、とうの昔に大人になり(別にセックスに精通しているとは言わなけれど)、少なからず何かしらの経験を重ねて、子どもまで生まれてしまった自分には、この映画で表現される恐怖の正体について理解めいたことはできるものの、実体感を感じることが出来なかったのだと思う。 したがって、「それ」という表現から滲み出る曖昧さ自体に対して靄々した感情が拭えず、物語上の整合性の欠如や、論理性の脆さが、雑音として響いてしまった。  しかし、この映画が新しい視点とアイデアを礎にしつつ、或る世代における普遍的な「畏怖」を具現化したチャレンジングなホラー映画であることは間違いない。“或る視点”の映画として、長く評価される作品だとも思う。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-10-08 00:03:34)
327.  メカニック:ワールドミッション
「お粗末」という言葉がこれほどしっくりくる映画も久しぶりである。 個人的に前作は想定以上の満足度を得られた快作だっただけに、極めて残念だ。  往年のスター俳優チャールズ・ブロンソン主演による1972年の同名作のリメイクだった前作は、現役アクションスター界のトップランナーであるジェイソン・ステイサムの抜群のアクション性と独特の男臭さが、孤高の暗殺者という役柄にマッチした意外なほどに上質なアクション映画だった。 ステイサム版鑑賞後にブロンソン版を鑑賞したが、リメイク版の方がアクション映画としてのクオリティは高かったと思う。  前作の最大の面白味は、なんと言っても超一流の暗殺者である主人公が貫く“殺し方の美学”だ。 出来る限り「暗殺」であることを周囲は勿論、殺される当人にすら気づかせないように、「仕事」を遂行する。 マシーンの綿密な設計図のような計画表を打ち立てつつ、それを淡々と速やかに実行する様は、まさに“メカニック”。 己の生活空間を含め、あらゆる物事の細部に至るまで徹底した拘りを見せる主人公の佇まいは、一見無骨なように見えるけれど、どこか気高さと気品を併せ持つこの英国俳優だからこそ表現し得た存在感だった。  しかし、残念なことに今作では、その最も重要視すべき主人公のキャラクター性が、尽くないがしろにされている。 計画性が全く無いとは言わないが、前作で堪能できた殺しの美学は早々に影を潜め、行き当たりばったりの雑なアクションが繰り返される。 そもそもストーリーテリング自体が極めて陳腐。序盤に展開される“バケーションシーン”は全くもって無意味であり、前作の成功により得られたであろうバジェットを垂れ流していると言わざるを得ない。  やはり、先ず何よりも初めに、前作同様に主人公の完璧な“仕事ぶり”を見せて、暗殺業を引退した筈の彼が一体なぜそんな仕事をさせられているかを遡って見せれば、この主人公のキャラクター性を再確認させられたし、ストーリー展開としてもスマートだったと思う。 これもバジェットの増大によりキャスティングできたのであろうが、ジェシカ・アルバも、ミシェル・ヨーも、トミー・リー・ジョーンズも、使われ方が尽く雑であり、勿体ないの一言に尽きる。  ジェイソン・ステイサムは、アクションスター苦難の時代にあって存在感を放っている数少ないスター俳優の一人だと思うが、必然的に低予算の出演映画が多いため、決して良作揃いの俳優というわけではない。 そんな中で、前作の成功ポイントを全く理解していない愚かなスタッフにより、期待の続編が低レベルのお粗末映画に終始してしまったことはあまりに残念だ。  散々な映画だが、ジェシカ・アルバ嬢のカワイイお尻に免じて+1点。この女優も相変わらず作品に恵まれないな。
[インターネット(字幕)] 3点(2018-10-07 19:11:51)
328.  グーニーズ
1985年公開のこの有名すぎるアドベンチャー映画を、1981年生まれの自分がこれまで観ていなかったことには、何とも縁がなかったものだなと思う。 公開当時は4歳。劇場で観ることは出来なかったとしても、当然ながら何度もテレビ放映していただろうし、レンタルビデオで観る機会もいくらもあっただろう。全く縁遠いまま随分と大人になってしまったものだ。 先ず感じたことは、この映画をもし自分が4〜5歳の頃から繰り返し観ていたならば、きっと自分にとってもっと特別な映画になっていただろうなと思う。そういう可能性は大いに感じた映画だった。  スティーヴン・スピルバーグとリチャード・ドナーが組み、更にはクリス・コロンバスが脚本を担った今作は、オープニングクレジットから極めてテンポの良いエンターテイメント性に溢れている。 娯楽映画の玄人たちが生み出したそのテンポの良さは最初から最後まで一貫して、飽きさせることなく観客を映画世界に引き込む。 物語自体は、まったくもって荒唐無稽な絵空事でありながら、少年たちの葛藤を礎にしたジュブナイルとアドベンチャーを全面に描き出し、映画世界を成立させていることは、ひとえにスピルバーグをはじめとする超一流の映画作家たちだからこそなせる業だろう。  登場人物たちも、善玉悪玉問わずみな愛らしい。 特に、主人公のマイキーを演じるショーン・アスティンが何ともキュートだった。 この映画の往年のファンは、「ロード・オブ・ザ・リング」のサム役でショーン・アスティンが再び大冒険を繰り広げる様を見て、殊更に感慨深かったことだろう。 風貌はだいぶ変わってしまったけれど、彼が放つ仲間たちに愛される存在感は変わっていないもの。
[インターネット(字幕)] 7点(2018-10-07 16:22:52)(良:1票)
329.  エスター 《ネタバレ》 
長年に渡って各方面からの好評は当然耳に入っていたものの、ホラー映画が大の苦手なので、常に“鑑賞予定リスト”に入りっぱなしだった今作をようやく鑑賞。 当然ながら序盤からビクビクしっぱなしで、恐怖感と不穏感をこれでもかと煽る演出と、卓越した画作りは際立っていたと思う。  基本的なプロットとしては、ホラー映画の傑作「オーメン」を彷彿とさせる。ただ、描き出される物語の本質は、現代社会と、或る夫婦間における普遍的な「鬱積」を炙り出しており、主人公と同様に二人の子を育てる同世代の者としては、殊更に映画世界が醸し出す居心地の悪さと不気味さを感じずにはいられなかった。 決して著名な監督が手がけていたり、有名な俳優が出ているわけでもない極めてミニマムなバジェットのホラー映画でありながら、評判通りに独自性に溢れた恐怖感を生み出す映画ではあったと思う。  しかし、ある意味致し方ないことではあるのかもしれないが、“ネタバレ”以降のクライマックスにおける恐怖感は、それまでに比べて著しく急降下してしまっていることは否めない。 “エスターは実は○○でした!”という真相は確かに衝撃的だけれど、それを突きつけられた途端、得体の知れない不穏な恐怖感は一気に霧散した。 その真相は、ある意味では確かに恐ろしいけれど、裏を返せば、ただただ“イタい”浅はかな狂った女の凶行にしか見えず、一旦そういう見え方をしてしまうと、この映画が行きつく顛末も容易に想像できてしまう。  作風に同じ匂いを感じた「オーメン」は、“オーメン”の天性的な悪魔性と表現した演出同時に、彼を「悪魔」の権化として捉えてしまう要因が、主人公夫婦をはじめとする周囲の人間の精神的な脆さにも起因するのではないかという疑念を絡ませたストーリー展開が極めて巧かった。  今作に隠された「真相」の部分が決して悪いとは思わないが、そういうことなのであれば、もっとエスターの言動は天才的に狡猾なものとして描き出されるべきだったのではないか。 すべての言動があまりにも子ども臭く、そもそも狂人であったとしても、もう少し上手く世渡りしろよと、いらぬ感情を抱いてしまう。 “ネタバレ”された瞬間に、そういった点での符号が成されなかったことが、ホラーとしても、サスペンスとしても、非常に残念だったと思う。  まあ、同じ人の親として口幅ったく言わせてもらうならば、実子たちの瞳に滲み出ている明確な「恐怖」を感じ取れていない時点で、主人公夫婦は「親失格」だったと断言せざるを得ない。 そういう意味では、不気味すぎるエスター役の子よりも、勇敢なマックス役の子の女優としての表現力の確かさの方が凄いと思える。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-09-24 01:02:33)
330.  ゲット スマート
よくあるタイプのスパイ映画パロディのコメディ映画だろうなと思いつつも、方々から意外な程の好評も耳にする作品だったので、期待を膨らませてようやく鑑賞した。が、正直な感想としては、“よくあるタイプのスパイ映画パロディのコメディ映画”だった。 公開から10年間に渡って、無意味に期待感を膨らませ過ぎてしまったのかもしれない。  そもそも映画という娯楽においてほとんどのジャンルは、良作であればあるほど、国や文化の違いを超えて受け入れられるものだが、「コメディ」というジャンルだけは、時に良作であればあるほど、文化の違いによりウケ方が全く異なることは多々ある。 繰り広げられるコメディ描写に対して、愉快ではあったけれど、心から笑いきることができなかったことは、この映画の敗因ではなく、僕自身の敗因だろう。  映画の中で殆ど笑顔を見せない演技で観客を笑わせるスティーヴ・カレルは優れたコメディ俳優だと思うし、もはやスキンヘッドの印象しかないドウェイン・ジョンソンの“髪型”にも笑ってしまった。 そして、個人的には、この映画のアン・ハサウェイだけはずっと見ていたい。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-09-17 01:15:57)
331.  続・深夜食堂
漫画「深夜食堂」と、ドラマ版「深夜食堂」の大ファンである。 一人飲みの際には、最高の「肴」となる世界観を映画化してくれたこと自体は嬉しかったが、必然的な物足りなさを前作には感じた。 深夜帯の限られた時間の中でまさに“つまむ”ようにミニマムな人間模様に触れられることが「深夜食堂」の醍醐味であり魅力であると思う。 しかし、映画化により長編となることで、その醍醐味が明らかに薄れてしまう。  前作はそれでも、多部未華子というこの作品世界に相応しい“華”や、舞台が“めしや”の「2階」の描写により、世界観が文字通り立体化したという映画的な価値があった。 でも、この続編ではその映画ならではの舞台設定を闇雲に広げすぎてしまっており、肝心の“めしや”の外でのストーリー展開が多すぎる。ファンとしては、これでは「深夜食堂」で描く意味がないなと思わざるを得ない。 必然的に、ストーリー上においても、“めしや”のマスターが作るメニューが主体になっていないので、このシリーズならではの「味わい」が殆ど無くなってしまっていると思う。  詰まる所、一見では人情映画を作るのに最適な素材のように見えるけれど、数ページの漫画や、30分以内のドラマ枠だからこそ、その味が深まる世界観なのだと思う。 それは、他愛のないメニューであっても、あの空間で、あのマスターが作るからこそ、「美味い!」と足を運ぶ“めしや”の常連客たちがもっとも理解することだと思う。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2018-09-16 18:14:46)
332.  エージェント・ウルトラ
公開前に予告編を観たときは、とても興味をそそられた。ヒョロガリのコンビニ店員が実は殺人マシーンでした!という設定は、良い意味で馬鹿らしくて、それだけでイントロダクションとしての娯楽性は備わっていると思えた。 そしてそれを演じるのがジェシー・アイゼンバーグというのも注目ポイントだった。この若手実力派の最筆頭とも言える俳優であれば、完全なダメ男ぶりと、実は秘められた狂気性を、一人の人物像の中に同居させ表現し得ることは容易に想像できた。  想像通り、ジェシー・アイゼンバーグの滲み出る狂気性は、主人公のキャラクター設定と合致しており良い。 陰謀によって生み出された悲しき“殺人マシーン”と、彼を支える恋人との逃避行は、古典的でありふれたアイデアのようにも感じるが、ストーリーの紡ぎ方自体には新しさがあった。 少なくとも、個人的には嫌いじゃない映画的雰囲気が醸し出されていたとは思う。 ただし、最終的に面白い映画だっとは言い難く、この手の映画でそういう印象を持たせてしまった以上は、「失敗作」と言わざるを得ない。  つくり手の思惑としては、「ボーン・アイデンティティ」的なキャラクター設定をベースにしつつ、「キック・アス」的な悪ノリのバイオレンスアクションを展開し、「スーパー!」的なマンガ的で悪趣味なポップさを充満させた映画世界を構築したかったのだろう。 その趣向自体は伝わってくるし、部分的には理解できる。 が、結局の所、映画としてのクオリティの低さが致命的だったと思う。 そもそもの発端となる陰謀めいたものと、黒幕であるCIAの首謀者たちの愚行ぶりが、あまりにもおざなりで目に余る。 悪ノリだろうが、悪趣味だろうが、根本的な話作りが滅茶苦茶なので、致命的な雑音となりストーリーに入っていくことができなかった。  娯楽映画として面白ければ、当然続編にも期待したい終わり方だったけれど、このクオリティの映画にジェシー・アイゼンバーグを続投させることはあまりに勿体ないので、止めたほうがいい。
[インターネット(字幕)] 5点(2018-09-16 15:39:28)(良:1票)
333.  マリアンヌ 《ネタバレ》 
戦争の狂気と愚かさの中で生まれた儚くも本物の愛。 諜報員としての「業」を背負った彼らは、おそらくはじめからこの平穏が永く続かないことを、心の奥底では覚悟していたのだろう。 冒頭から二人の瞳には深い闇が宿っていて、それは戦火の混沌の中を生き抜くために、彼らがそれぞれに犯してきたであろう「罪」を暗に示していた。 そんな彼らが、共に生存する可能性はほぼ皆無だったあの“出会いの作戦”で、必死に手繰り寄せた安息の日々。 それは、モロッコの砂嵐の中で愛し合った二人による、己の運命に対する抗いだったのだ。  極めて古典的なプロットを敢えて今の時代に映し出したロバート・ゼメキスの巨匠ぶりが冴え渡っている。 当初はおおよそゼメキスらしくない作品のチョイスに思えたが、近年の監督作品の系譜を振り返ってみれば、そのテーマ性は一貫している。 「フライト(2012)」にしても、「ザ・ウォーク(2015)」にしても、主人公が自らの人生の業と向き合い、運命に挑む様を描いた力作だった。 決して清廉潔白ではない主人公の生き様を、卓越した画作りと共に映し出し、見事な映画世界を構築し続けている。  主人公の夫婦を演じるブラッド・ピット、マリオン・コティヤールの演技も素晴らしい。 自らの運命に対する抗いを内に秘め、終始疑心と不安を携えつつも、それらをすべてひた隠し、必死に平穏を追い求める悲しき夫婦像を演じきっている。  サスペンスとラブロマンスを巧みに散りばめたストーリーテリングは、映画という娯楽の極みのようであり、「いい映画を観たな」という率直な満足感に満たされた。  物語は悲劇的な終焉を見せるけれど、マリアンヌが死の間際に思い描いた父娘の姿は、きっと深い愛を噛み締めて「生」を紡いでいたと思う。 彼女は、その充足感と多幸感に包み込まれながら、引き鉄を引いた。そう信じたい。
[インターネット(字幕)] 9点(2018-09-16 13:15:31)
334.  響 HIBIKI
今年、36歳にして初めて“アイドル”にハマってしまった。 アイドルという存在そのものに対しては、軽んじているつもりはなく、むしろ広義の意味の“エンターテイメント”としてリスペクトしている。 ただ、“モーニング娘。”も、“AKB48”も、興味がなかったわけではないけれど、没頭するなんてことはなかった。 が、今現在、「欅坂46」には絶賛没頭中である。このアイドルグループが表現するエンターテイメント性は、少なくとも僕の中では、エポックメイキングなものとなっている。  その特異なアイドルグループの中でも、特に異彩を放ち続けている存在が、「平手友梨奈」である。 つまるところ、今作は、個人的にはジャストなタイミングでの、平手友梨奈の初主演映画というわけである。  結論から言うと、この映画は、れっきとした“アイドル映画”として仕上がっている。と、思う。  前述の通り、アイドルはもちろん、アイドル映画というジャンルについても揶揄するつもりは毛頭ない。 往年の、薬師丸ひろ子、原田知世、宮沢りえらの主演映画はもちろん、現在に至るまでアイドル映画の忘れ難き名作は山のようにある。 今作も、その系譜の中に確実に記されるであろう。平手友梨奈というアイドルの“現在地点”を切り取った作品であり、その「価値」は大きい。  主人公「響」の強烈なキャラクター性と、平手友梨奈のアイドルとしての特異性も、奇妙なまでに合致していたと思う。 ただそこに存在しているだけで醸し出される“異彩”と、故に生じる周囲の人間関係と社会における“不協和音”的な存在性は、この二人の少女の間で発生したシンクロニシティのようにも感じた。 17歳の平手友梨奈が、「響」を演じたことはまさに必然的なことだったろうと思える。  欅坂46のファンとして、そして平手友梨奈のファンとして、この映画のバランスは極めて絶妙で、満足に足るものだったことは間違いない。 が、しかし、映画ファンとしてはどうだったろうかと、本編が終了した瞬間にふと立ち返った。 面白い映画だったとは思った。ただし、もっと“凄い”映画にもなり得たのでないかと思わざるを得なかった。  サイレントな世界である「文学」という舞台に降り立ったバイオレントな「天才」という題材と、主人公のある種の悪魔的なヒーロー感は、アンビバレントな価値観と独自性に溢れている。 その天才のエキセントリックな言動の周囲で右往左往せざるを得ない我々凡人の生き様にこそ芳醇なドラマが生まれたのではないかと思う。 そういったドラマ性の片鱗は確かにあった。 芥川賞候補止まりの売れない作家も、傲慢な新人作家も、天才小説家の娘も、越えられない壁(=才能)を目の当たりにし、失望と絶望を超えて、己の生き方を見つめ直す風な描写は少なからずある。 ただそれらは、あまりに表面的で、残念ながら深いドラマ性を生むまでは至っていない。  「天才」の強烈な個性と、不協和音としての彼女の存在が巻き起こす社会風刺と人間模様の混沌。 それが、この映画が到達すべきポイントだったのではないかと思う。もしそれが成されていたならば、この映画自体がエポックメイキング的なエンターテイメント映画になり得た可能性は大いに感じるし、監督の狙いもそういうところだったのであろうことは垣間見える。  でも、出来なかった。その要因もまた「平手友梨奈」に尽きる。 17歳のアイドルの稀有な存在感に、監督の演出も、映画全体の在り方も、引っ張られている。 必然的に、このアイドルがそもそも放っている表現力の範疇を出ることなく、「平手友梨奈のアイドル映画」として仕上がっている、のだと思う。 それこそ、もっと天才的で破滅的な映画監督が、この作品を撮っていたならば、既存のエンターテイメントの枠を超越したとんでもない映画になっていたのではないかと、映画ファンとしての妄想は膨らむ。 しかし、もしそうなった場合、平手友梨奈自身も、現時点のアイドルとしてのガラスを割られ、表現者としての次のステージに進まざるを得なくなっただろう。 無論、それはそう遠くない将来に確実に迎えざるを得ない場面だろうけれど、それが今でなくて良かったと思う。 好意的な見方をするならば、月川翔監督も、現時点のアイドルとしての平手友梨奈の価値を鑑み、彼女の自然な在り方を優先すべきと判断したのかもしれない。  というようなことを巡らせながら、エンドロールを見始めた。 すると、この9ヶ月間聴き馴染んだ「声」がこれまたエモーショナルな歌詞を発している。主演アイドルが未公開の主題歌を歌っているということを知らなかった僕は、途端にいつもの“一言”に埋め尽くされた。 ああ、なんて“エモい”んだ。
[映画館(字幕)] 7点(2018-09-15 17:17:08)(良:1票)
335.  検察側の罪人 《ネタバレ》 
俳優人生の分岐点を迎えている木村拓哉が、新境地を開くべく力を込めた演技を見せている。 その“熱演”そのものに対しては時代を築き上げてきたアイドルとしての、俳優としてのプライドを感じたし、これからの出演作にも期待したいと思わせた。 が、同時に、役作りの上で力を入れすぎているようにも感じ、木村拓哉演じる主人公が、映画世界の中で空回りしているようにも見えた。 対する二宮和也が、映画俳優として軽やかな立ち回りと芸達者ぶりを見せるだけに、余計に、木村拓哉の必死さが硬さとなって滲み出ていたようにも思える。 同事務所の後輩との「競演」がプレッシャーになったとは言わないけれど、少なくとも「映画」という舞台においては、先輩後輩の立場を逆転させてしまうくらいの「経験値」の差が露呈してしまっていることは否めない。  映画としては、十分に面白みのある映画だったと思う。 ただ、木村拓哉の主演映画として「無理」なことかもしれないが、彼の出演シーンはもっと少なくてよかった。 それは映画俳優としての演技が他の俳優と比較して拙いからではない。もっと少ないシーンでも彼は主人公として存在感を放てたと思うからだ。 歳をとろうが、SMAPが無くなろうが、木村拓哉は木村拓哉であり、この国のスターである。 そのスター性を映画俳優としてどう生かしていくのか、そのことを木村拓哉本人がもっと正確に理解し、表現する必要があるのではないかと思う。  前述の通り、木村拓哉の演技は決して悪かった訳ではない。 しかし、あのような役どころであるのならば、もっと最後の最後まで主人公の「真意」と「罪」をひた隠しにしたストーリーテリングだった方が、彼の存在感が特別なものになったのではないかと思う。 木村拓哉と二宮和也の両者のファンに対する不必要な目配せがあったのかもしれないが、二人の描写が同等の分量で構成されているので、この映画のストーリーが追い求めるべきテーマ性がぼやけてしまっているように感じた。 ストーリーの軸としては二宮和也を据えて、彼の役どころを主人公然として話運びをすればよかったのだと思う。 そして、新米検事からも観客からも「完全無欠」に見えていた男が、最後の最後で見事に汚れ、堕ちる様を見せてくれたならば、どんなにニノが場馴れしたいい演技を見せようとも、この映画は“キムタクの映画”になっただろう。
[映画館(邦画)] 7点(2018-09-03 23:20:39)
336.  ミッション:インポッシブル/フォールアウト
このスパイ映画シリーズが、アクションエンターテイメントの最先端となって久しい。 毎年、数多のアクション映画が量産され続けているが、特に2011年の「ゴースト・プロトコル」以降は、“THE 娯楽活劇”のトップランナーであることは間違いないだろう。 そして、その要因はあまりにも明確だ。 唯一無二の主演俳優であり、製作者でもあるトム・クルーズが、心からの敬意を込めて「馬鹿」と付けたくなるほど、映画人としての努力と挑戦を惜しまずに、このシリーズ作を作り続けているからだ。 前作「ローグ・ネイション」で、彼と、今シリーズに対する信頼性は極まり、スタッフとキャストがほぼ続投となったこの最新作も、必然的に信頼に足る最高級のアクション映画に仕上がっている。  サブタイトル「Fallout」は、“仲違い”や“悪いことが起こる”、そして「死の灰」という意味を持ち、ストーリー展開をうまく表現したものだったと思うが、シンプルに「落ちる」というニュアンスも含まれているように思う。 そのサブタイトルが示す通り、「落ちる」という演出に固執したアクションとストーリーテリングが、もはや“偏執的”ですらあり、ひたすらに盛り込まれる“落下アクション”の連続には、相変わらず“映画馬鹿”な大スターの気概を感じずにはいられない。  シリーズ過去作をきっちりと踏まえたストーリーはよく練られており、主人公イーサン・ハントというスパイの男が持たざるを得ない宿命と辿らざるを得ない運命を、哀しく、切なく、ドラマティックに紡いでいると思う。 前作の顛末と地続きのストーリーラインも上手く作用しており、IMFメンバーとのチーム感、敵役との関係性等、より深い描き込みが胸熱だった。  ただし一方で、前作「ローグ・ネイション」の映画としての纏まりがあまりにも素晴らしかっただけに、その見事さと比較すると大仰でとっ散らかっているようにも感じる。 個人的には、目新しいギミック描写が殆ど無く、お約束のドレスアップシーンも無かったことは、マイナス点として挙げざるを得ない。  とはいえ、55歳を超えた稀代のスター俳優が、またもや全力で疾走し、実際に大怪我をする程のアクションを体現し、満身創痍になりながら、最後には世界を救って笑ってみせる。 その笑顔一発で、些細な難点などは霧散し、最終的には映画人としての尊敬と、圧倒的娯楽に対する感謝しか残らない。
[映画館(字幕)] 8点(2018-08-15 21:20:10)
337.  皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
一風変わったイタリア産ヒーロー映画。 ハリウッドにおける“マーベル”、“DC”の二大コミックそれぞれのユニバース作品群は隆盛期のピークを迎えているが、所変わればヒーロー像も変わるもので、癖と雑味が激しいイタリアンヒーローの立ち振舞は、とても興味深かった。  社会のど底辺に生きるどチンピラが、突然“超人パワー”を手に入れたらどうなるか。 当然ながら突如として「正義」に目覚めるわけもなく、豪胆にもATM強盗を犯す様がまず潔い。 その後も、ヒーロー映画らしい颯爽としたシーンなどまるで無く、苦痛と苦悩にのたうち回りながら、本当に少しずつ己の運命を見定めていく愚か者の不器用さが何とも切ない。  “ヒーロー”である主人公以外の登場人物たちも、皆どこか心を病み、こじらせている。 ヒロインは陰惨な生い立ちの過去を覆い隠すかのごとく、何故か実在の日本産のロボットアニメ「鋼鉄ジーグ」に心酔し、心の拠り所にしている。 一方の悪役も、歌手になりきれなかった夢を引きずりつつ、狂気的な凶暴性を増大させていくという、ワケのわからないキャラクター像を構築している。 主要キャラクターに限らず、登場人物たちの全員が何かしらの“屈折”を抱えているように見え、それは即ち現在のイタリア社会が根底に抱えている病理性に通じているようにも感じた。  心身ともにズタズタに傷ついた愚かなヒーローは、ようやく運命を受け入れ、無様で愛おしい毛糸のマスクを身につける。 そして、眼下に見下ろす夜の街にジャンプし、映画は終幕する………が、飛翔能力があるわけではないので、きっと彼はいつものように地面に叩きつけられたことだろう。  アイアンマンやスーパーマンには敵うはずもないけれど、こんな“鋼鉄の男”がいたっていい。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-08-15 08:35:23)(良:1票)
338.  カメラを止めるな!
昔、映画学校の学生時分、脚本家志望だった僕は、「サバ缶」というシナリオを書いた。 またカリキュラムの中で、短編作品の撮影もどこかしらの民家を一泊借りて行った。 もう随分と遠い昔の思い出となってしまったけれど、その時の記憶がありありと思い出される。 そして、月日は経って、地元に帰り、結婚をして、娘が生まれ、父親になった。  何が言いたいかというと、そんな僕が、この「映画」を愛さないわけがないということだ。 いや、参った。これは、日本映画史上待望の「ゾンビ映画」の傑作だ。  巷で話題沸騰となっていたことは知っていたけれど、あまり精力的な情報収集をせぬまま、地元の級友たちとの飲み会前の空き時間にフラリと観に行った。「情報」を最小限に留めたまま鑑賞に至れたことが、極めてラッキーだったと思う。 古今東西「ゾンビ映画」というものは、生み出された実社会の閉塞感や鬱積を、血と狂気の混沌の中で描き出してきた。 したがって、そのジャンルは、もちろん「恐怖映画(ホラー)」ではあるのだが、同時に「風刺映画(コメディ)」でもあると思う。 今作は、そのホラーとコメディというアンビバレントな要素を絶妙なバランスで混ぜ合わせ、驚くべきアイデアで纏め上げて見せている。  ただし、一言で「風刺」と言っても、この映画で描き出されるテーマ性は極めてミニマムだ。 核家族における父性のあり方、あらゆるしがらみにがんじがらめの働き方、そして、一個人レベルに至るまで蔓延する虚構と実像の葛藤。 この映画は、現代のこの国の社会の中で、あまりにも普遍的なそれらの鬱積を根底に敷き詰め、呆れて笑うしかない「暴走」と共に、爆発させ、解放させている。  一つ一つの描写はとてもくだらなくて、チープだけれど、それをあまりのもチャレンジングな試みの中で、「本気」になって叩きつけているからこそ、今作はとてつもない“面白味”と“感動”を生み出しているのだと思う。  映画館で、あんなにも臆面もなく手を叩いて笑った記憶はない。 観客のその反応を誘い出し、エンターテイメントとして成立させたアイデアとチャレンジに脱帽する。 散々笑わせといて、最後の最後でホロリとさせるなんて、ズルい。
[映画館(邦画)] 10点(2018-08-13 08:06:53)(良:6票)
339.  ゴースト・イン・ザ・シェル
アニメ映画の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」と、その続編である「イノセンス」は“一応”観ている。が、しかし、押井守監督が生み出したアニメーションの独特の質感と、鬱々とした世界観が、個人的にどうにも肌に合わず、面白いとは言い難かった。 人間と、電脳、アンドロイド、サイボーグが混在する近未来の混沌を描き出すにあたり、描き出されるテーマがどんどんと陰鬱に、インサイドの更にインサイドへと突き進んいくストーリーの構図が、精巧に感じる反面、酷く“ひとりよがり”にも感じてしまったことが、拒否感の最たる要因だったと思う。  そんなわけで、満を持してのハリウッド映画化の報を知っても、特段興味はそそられず、本来東洋人設定であるはずのヒロインにスカーレット・ヨハンソンを配したキャスティングにも安直さしか感じなかった。 “ビートたけし”の主要キャスト起用にも、キアヌ・リーヴス主演の往年のトンデモSF映画「JM」を彷彿とさせるばかりで、観る前から“やっちまった感”を覚えた。  だがしかし、だ。そうやってハードルを下げきって実際に観てみたならば、いやいやどうして、フツーに面白かった。映画とは、本当に厄介な娯楽である。 少なくとも、アニメ映画「攻殻機動隊」の非ファンとしては、想像以上に面白かったと言える。  考えてみれば、これだけ世界的なファンと非ファンを持つ作品の映画化にあたっては、どれだけ完成度を上げて仕上げたところで、どこかしらの角度からの「否定」は避けられないわけで。 そんな火中の栗を拾うようなプロジェクトに無謀に、いや果敢に挑み、統一された価値観で纏め上げて見せていることには、今作の製作陣のプライドを感じた。 当然ながら原作のファンなのであろうスタッフ陣が、原作はもとより「日本文化」そのものに対してのリスペクトをしっかりと掲げて映画の世界観を構築してくれていることも、この国の映画ファンとして意気に感じる。  また、懸念材料だったキャスティングも、強引ではあるが辻褄は合っているストーリー設定で整合性を保っているし、想像以上に主要キャラクターだったビートたけしと、桃井かおりの存在感が光っていたことも誇らしかった。  今一度、アニメ版「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を見直してみようと思う。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2018-08-12 00:20:01)
340.  未来のミライ
子どもが育つということは、ただその事実のみであまりにもドラマティックだ。 それは、どんな形であれ、子どもを育てた経験がある人、もしくはその真っ最中の人ならば尚の事、身に沁みて感じることだろう。 ただ、そのドラマは普遍的であるからこそ、映画表現としてそのまま描くばかりでは、退屈なものになってしまうことは避けられない。今作の序盤はまさにそんな感じだった。  「あ、やっちまったか?」と、序盤から中盤、いや終盤近くまで正直思った。 個人的に、細田守監督の前作「バケモノの子」の満足度が、それまでの過去作と比較すると随分と下回っていたこともあり、今作については鑑賞前の危惧が大いにあった。 予告編等のインフォメーションを見ても、今ひとつ「面白そう」だとは思えなかった。タイトルやキャラクターの台詞から、なんとなくありきたりなストーリーラインを思い浮かべてしまっていたのだと思う。 そんな思いの中で展開されたものが、想像以上に間延びした幼児の成長譚だったものだから、「危惧が的中したのだ」と意気消沈してしまったことは否定できない。  しかし、だ。この作品は、終盤にある種「異様」とも言える転じ方を見せる。 即ち、退屈と困惑からの、カオスとエモーション。 アニメーションは秀麗ではあるけれど間延びし、ありのままの幼児像に少なからずの不快感すら覚え始めていたそれまでのストーリーテリングが、時空と概念を超えて“ファミリー・ツリー”として集約され、眼の前がぱっと明るくなり何かしらが覚醒したような感覚に包み込まれる。 気がつけば、抱えていたはずのフラストレーションは霧散し、特異な充足感を感じていた。  冒頭から山下達郎の爽やかなテーマソングが流れ、いかにもなファミリームービー的な導入で始まる映画ではあったが、今作は決して万人受けするアニメ映画ではないだろう。少なくとも、大いに困惑し、最終的に腑に落ちない点も多々あると思う。 しかし、この映画が語るものが「家族」であることはやはり間違いなく、その主題を“根幹”に据え、「子が育ち、命を継いでいくこと」の意味と価値を示したこのいびつなアニメ映画は、結局のところこの季節に相応しい。 やっぱり、細田守のアニメーションは、夏がよく似合うと思える。  我が家の娘と息子も、笑いながら、泣きながら、文字通りすくすくと成長している。 その日々が、「未来」につながり、ファミリー・ツリーの枝葉を伸ばしていくのだと思うと、胸を熱くせずにはいられない。 うちも庭先に何か木を植えようか、と思うのだ。
[映画館(字幕)] 9点(2018-08-03 23:36:18)(良:1票)
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