21. ヘレディタリー 継承
《ネタバレ》 時間を持て余してた時に劇場で見かけて、予告も観たことない状態で鑑賞。 これは…いったい何だったのか。僕は一体何を観ていたのか。 おばあちゃんの葬式の後に怪異が置き始め、悪魔パイモンが絡んだ謎が少しずつ紐解かれていく。話ももちろん面白いのだが、終始「なんか嫌だなぁ」という嫌悪感がまとわりつく。 ピークはかわいい妹の凄惨な死。もうすんごい嫌な感じ。 語彙力が低くて申し訳ない。ただただ嫌な感じ。 完全に兄(ジュマンジ続編の主役)のミスだし、それで実際こういう時ってどうすれば良いんだろうっていう手詰まり感。 実際、詰んじゃって帰宅して寝るしかないっていう恐ろしさ。(もちろん警察呼ぶとかあるだろうけど、妹の首が吹っ飛んだ状況って、気も狂っちゃうほど計り知れないショックと怖さがあると思います) まるで月曜日に取引先への謝罪が確定した状態で迎える週末。分かりにくい例えで申し訳ない。もうただただ嫌な感じなんです。 そのほか演技力の高さを遺憾なく発揮するトニ・コレットも壮絶。お前笑わせに来てないかと疑ってしまう霊感おばちゃんもまた良し。 そしてこの話の救いの無さもまた…もう嫌な感じ。 一応ホラー映画に分類されており、僕もそれは納得なのだが、何というか、きちんと筋道がたった上での恐怖とはまた違うような、本能的というか生理的というか。恐ろしく、不快で、そしてどこか滑稽で。 半年ほど前に劇場で鑑賞したのだが、「悪夢だったのかな?」というフワフワした変な気分で劇場を後にしたことを記憶している。 日本でも劇場公開が決まり、ポスターには「完璧な悪夢」の文字が。やっぱりアレは悪夢だったのかと。 いやはや強烈な映画でした。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-11-29 15:09:33)(良:3票) |
22. ヴェノム
《ネタバレ》 アンドリュー・ガーフィールドが主演を務めたマーク・ウェブ版「スパイダーマン」の失敗以降、スパイダーマンをMCU(雑に言ったらアベンジャーズシリーズ)に譲ったソニー・ピクチャーズだが、全てのキャラクターの権利を失っていたわけではないようで…今後、MCUとの合流は不確かながら、ソニー独自のクロスオーバーを展開するという。 その第一作となるのが本作である。 「ヴェノム」とはスパイダーマンに登場する宇宙生物でいわゆるヴィラン(敵キャラ)である。 サム・ライミ版「スパイダーマン」では第三作目に登場し、ヴェノムに寄生されるエディ・ブロックはトファー・グレースが演じていたので、覚えている人も多いのではないか。 さて予告などを見る限り、MCUとはまた違ったダークで大人向けな雰囲気を醸した本作だがいざ見てみると、ユーモアにあふれた楽しいアメコミ・バディ映画に仕上がっているではないか。 「俺、自分の星では負け犬だけど地球じゃ強くね?残るわ!」というヘタレな発言に加え、ドレークの刺客たちの銃弾から一般人を守ったり、最後も「グッバイ!エディ!!」とか感動セリフまで吐くという妙に親しみのある相棒じみたヒーローが今回のヴェノムである。 宣伝や事前情報から得られるイメージとは少々の乖離があったものの、これはこれで僕は好きである。 そもそもサム・ライミ版のエディ及びヴェノムは、人格的にも難のあるような小物悪役に徹していたので、あの程度のヴェノムでは主役は張れまい。(サム・ライミ版は原作との違いにファンから非難されていたが…) 今回のヴェノムは、本作でも抜群にチャーミングなトム・ハーディとの掛け合いで、もはやデッドプールなんじゃないのかというくらい笑わせてくれる。(EDは「デッドプール」と同じくエミネムだし) アクションに関しては、第一作ということもあり物量自体は少ないものの、中盤のドカのスクランブラ―が疾駆するバイクチェイスは「ヴェノム」であることを活かした楽しい見せ場になっている。 坂の高低差を利用したスーパー・タマヒュン・ジャンプも良い。無論僕もタマヒュンした。 最近でも「アントマン&ワスプ」で印象的なカーチェイスの舞台となったサンフランシスコだが名作カーチェイス量産地としての面目躍如か。 他にも犬ヴェノムやら女ヴェノムやらと、通常なら2作目以降に入れてくるようなギミックまで惜しげもなく投入していて、最後まで楽しませてくれた。 ヴェノムのヴィジュアルを活かすために夜のシーンが多いことが(特に目新しくない)特徴だが、内容自体はヒーローの誕生譚としてオーソドックスそのもの。鑑賞した後味としてはダークヒーローというか普通のヒーロー並みの清々しさである。 日本版のキャッチにあるような「残虐なダークヒーロー」とは何かイメージが違うが、娯楽作として純粋に楽しめるレベルの出来である。 次作があるならば、やはりスパイダーマンシリーズのヴィランであるカーネイジが登場するようだ。 批評家からの評価は得られなかったものの、公開初週ではそれなりの興行成績を残している。新たなアメコミのクロスオーバーがカーネイジ(虐殺)されぬように健闘を祈る。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-10-13 20:28:05) |
23. クワイエット・プレイス
《ネタバレ》 ここ数年で個人的に感じていることなんだけど、(作品の良し悪しとは別にしても)とにかく印象に残るホラー映画が多い気がする。 例えば、実話モノながらエンタメ方向に振り切った傑作「死霊館 エンフィールド事件」、または超ド級の興行成績を記録した青春ホラーのリブート版「IT」(リブート前はTVムービー)。 他にもホワイトウォッシングから多様性に移りつつあるハリウッドにおいて、危険なレースカード(人種カード)を匂わせながら、大胆極まりないどんでん返しを決めた「●●●○○○」(タイトルは伏せます。) 或いは、得体のしれない不快感・恐怖感を纏った悪夢のようなホラー映画「Hereditary」(邦題・日本公開未定?)も強烈に記憶に残る。 一口にホラーと言えど、スラッシャーとかスリラーとか、お化けやら怪物やらと、その性格は様々。 話を本作に戻すと、「クワイエット・プレイス」は日本では世界最遅の公開となってしまったが、半年ほど前にその完成度の高さから話題となり、大ヒットを飛ばしたホラー映画である。 音に反応してやってくる得体のしれない捕食者から逃げ惑う家族。パニック・モンスター・サバイバルを合わせた典型ホラーのようだが、その真価はジョン・クラシンスキーが演じきり、クラシンスキーが演出した家族の絆にあったと思う。 末っ子を失った家族が抱えた心の傷が本作のドラマの中心。 音を立ててはいけないというホラー映画的テーマと、どのようにして気持ちを伝えるかというドラマ的な見せ場とが上手く調和している。 中でも父と長女の間の溝が深待っていく中、男同士の会話で長男が提示したアドバイスがシンプルながら響く。 「大好きなら、気持ちをちゃんと伝えてあげないと」 口に出して音にして伝えてもいい、それがだめなら手話で伝えてもいい。いや言葉も手話もいらないかもしれない。 伝わってくれればいい。 ホラー映画としても面白い本作だが、クラシンスキー流の愛の伝え方には目頭も熱くなってしまう。 実際に聴覚障害者であるミリセント・シモンズ(「ワンダーストラック」でも聴覚障害者を演じていた)の印象的な眼差しも心に残るし、「ワンダー」「サバ―ビコン」などで最近よく見かける子役のノア君も良い雰囲気。お父さんとお母さん役は、私生活でも夫婦であるクラシンスキーとエミリー・ブラント。抜群のパフォーマンスを披露していて、とても良い演者が集まっていたと思う。 総じて完成度の高いドラマティックな一作だ。 本作もまた冒頭に述べたような印象に残るホラー映画である。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-09-11 01:28:37) |
24. ミッション:インポッシブル/フォールアウト
《ネタバレ》 間違いなくシリーズの、いやスパイ映画の、いやいや娯楽映画の最高峰。 これほどまでに娯楽という言葉に命を懸けた映画が昨今あっただろうか。 本格的な作戦開始を告げる怒涛のHALO降下を皮切りに、死ぬ気満々の超絶シーンのつるべ打ち。 おっさんを気絶させるだけのミッションかと思ったら、トムとヘンリー・カヴィルの変則タッグを圧倒する謎のアジア人は強さの何たることか。ファイトシーンも熾烈で良い!ヘンリー・カヴィルのヒゲ騒動も納得(?)である。 (カヴィルは本作撮影中に「ジャスティス・リーグ」再撮影の要請を受けたが、髭剃りの許しが出なかったので、CGでスーパーマンのヒゲを消すハメになった) 続くパリのバイクチェイスシーンは、一バイク乗りとして「頼むからトムを止めてくれぇ!」と身を乗り出して、冷や汗をかく僕をしり目に、凱旋門の環状道路をひょうひょうと逆走しちゃうトム。ってやっぱり事故ってんじゃねぇか! クライマックスのヘリを駆っての追いかけっこなんてもうどういう事なんですか、トムは死なないの?大丈夫なの? 容赦ないヘンリー・カヴィルとの死闘死闘死闘。 やってることが凄すぎて、ラストのロッククライミングに至っては造作ない通常業務に見えてきてしまうもんだから苦笑い。 「リアルに見えるのはそれが本物だからさ」と豪語するトムの通り、今回もトムがやりたかったチャレンジ企画が目白押しで飽きさせない。 前回から登板したマッカリーの手腕も見逃せない。 「アウトロー」から続いてのクラシックで渋めの演出が心地良い。 トムのアクションを除けば、描かれるのはチームプレーと裏切りの物語。この作品はとても古風なスパイサスペンスとしても楽しめるのだ。 アクションシーンをストーリーを添えて描く手法も、この監督のいいところ。 例えば護送車を襲うイメージの後で、今度はその護送車群が集結する様を描写することでスリルが格段に増している。 こういったマッカリーの好演出のおかげで、トム一辺倒のアクションの羅列になっていない。だからスリリングで、ときに感情的で面白い。 監督も俳優も音楽も撮影も、この映画に関わる全ての人が、そしてトムが。 金曜夜に、仕事終わりでヘトヘトになった僕を。 会員価格1000円で友達とノコノコ劇場に来た僕を、全力で楽しませようとしているではないか。 今、僕は間違いなく最高の映画を観ているっ!!!!そんな満足感。これぞ娯楽映画。 鑑賞後も友達との会話が盛り上がること。盛り上がりすぎて、帰り道でトムの真似して背中を負傷。これぞミッション・インポッシブル。 ありがとうトム!くれぐれもお体にお気を付けください。 [映画館(字幕)] 9点(2018-08-09 18:34:54) |
25. アントマン&ワスプ
《ネタバレ》 「インフィニティ・ウォー」であれだけの衝撃エンド(他作品のネタバレになりますので詳細は避けますが)を叩きつけてられてしまっては、MCUがどんなテンションでシリーズを再開するんだろう…と、シリーズを見守ってきた側からすれば非常に気になるところ。公開された週末にそわそわと劇場に行ってしまった。 一体どんな展開が待ち受けているのだろうか…いざ見てみると…! これがもう拍子抜けするほど、ほのぼのとした作風でびっくり。 (ポストクレジットでアベンジャーズに繋がる形ではありますが…) 一応テクノロジーの争奪戦という大筋はあるものの、敵サイドのゴーストにも同情の余地があるし、ウォルトン・ゴギンズが演じるソニー・バーチについてもどこかトホホな雰囲気が漂う。 このスーパーヒーロー映画には、本当に凶悪な悪漢、或いは小難しい理屈を並べて善悪を問うような必要悪も出てこないのだ。大体のことはサンフランシスコの街の中で完結してしまうのである。 こう言うとユルユルのアクション映画に思える「アントマン」だが、逆にホームドラマとコメディを掛け合わせたような作風はマーベルの中でも異色のヒーロー象を確立出来ている。 映像面においても「モノの大きさを変えられる」「モノをすり抜けられる」というシンプルな設定で演出できる楽しさを突き詰めており、アイデアの豊富さには目を見張るものがある。 せわしなくサイズを変えながらの奇想天外な肉弾戦など序の口、サンフランシスコのカーチェイスでは坂の起伏までをしっかり考慮したクラッシュシーンで楽しませてくれる。 トラックをキックボード(?)のように使う巨大化アントマンも面白い。 ジャネット(ミシェル・ファイファー)に関してはどんな原理なんだよというツッコミもあるにしろ、ピム博士とスコットの二人がともに身近な家族のために奔走するという状態を作り出したのも巧いところだ。 先に述べたようにこの映画は1つの街と家族内の小さな小さな物語である。 しかしヒーローとは、多分、世界の危機を救ってくれる超人である必要は決してない。 大切な存在のために、大きくなったり小さくなったり。ただひたすらに頑張るお父さん。その熱さこそがお父さんをヒーローたらしめる。 「アントマン&ワスプ」はMCUの中でも特にコンパクトに描かれているが、ヒーロー映画の最もピュアで身近な心意気は、どのMCU作品よりデカく感じられる作品である。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-07-31 00:45:01)(良:3票) |
26. ジュラシック・ワールド/炎の王国
《ネタバレ》 リブート続編ものとしては驚愕の興行成績をのこした「ジュラシック・ワールド」の続編。 前作が「ジュラシック・パーク」をかなり意識した作風だったのに対し、本作はジャングルと文明の中を恐竜が闊歩するというシリーズ2作目「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」を彷彿とさせる構成だ。 死にゆく運命にある恐竜たちを救うという斬新なアプローチで、ディザスターと恐竜パニックを両立させた前半は、映像もパワフルでなかなか面白い。 しかしながら、結局これがどういう話に転がっていくかというと、もはや潔さを感じるほどいつも通りの展開である。 恐竜の武器化という毎度おなじみの陰謀に加え、普段なら少年を競り落としてそうな金持ちたちが「恐竜オークション」に興じるという下りだが、もう何が起こるかは見え見えである。 「これはプロトタイプだ、売るなよ?絶対売るなよ!?」 「だまらっしゃい、これはビジネスなんだぞぉう」 (えぇ…これ絶対プロトタイプが暴走するヤツですやん…。) まぁそもそもこのシリーズはこういうプロットの映画なのでそこはご愛嬌なのだが。 それに、船の搬入口にダイナミックジャンピング駐車した主人公を警備が見過ごしてしまうほどの世界観なのだから、これぐらいのザル管理には驚いてはいけないのだ。楽しんだもの勝ちである。 良い点もある。 「生命は生きてゆく道を見つけるものだ」というそれらしいテーマを扱っており、描く過程こそ雑だが、人造人間が人の思惑に翻弄される命=恐竜の道を開くという落としドコロは良いと思う。幼いメイジーに出来る自身の存在の正当化、唯一の存在証明が、またも檻の中から恐竜たちを、生命を解放するのである。 もちろんそれを大層厳かに、小難しく掘り下げることはない。この映画が子どもたちに向けた夏の楽しい超大作であること制作側もよく分かっている。 本作は突出して良いとも言えないが、いつもの恐竜パニックを楽しむというスタンスで観れば決して損はしない作品である。 僕は今も恐竜が大好きだ。それだけで見る価値は十分だった。 それでもエンディングには少なからず新鮮な驚きがあった。 地球=「ジュラシック・ワールド」となってしまったため、どのような世界観で続編を作っていくのかについては非常に興味深いではないか。 ユニバーサルスタジオと言えば、改造車でストリートレースに興じる不良達を、いつの間にかインターポールと合同捜査しながらサイバーテロリストと北極で潜水艦バトルを繰り広げるまでに育て上げた超絶プロデューサーである。 次回の「ジュラシック・ワールド」は、20XX年・人類は人工知能ラプターとの絶望的な戦争を繰り広げていたが、ついにジョン・コナー率いる抵抗軍が……くらいはぶっ飛んでいるハズだ(適当) [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2018-06-18 14:02:04)(良:1票) |
27. ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー
《ネタバレ》 「ローグ・ワン」に続くスピンオフ第2作目。 監督の降板など制作面での苦心が耳に入る本作。一応シリーズ最高の製作費(3億ドルを超えるという…)もこれに伴う再撮影が一因である。 興行面でも、12月公開の法則を覆し、「最後のジェダイ」からわずか半年で公開されたうえ、アメコミ勢が幅を利かす中で苦戦を強いられ、思うような興行成績を上げられなかったようだ。(実際には北米だけで2億ドル以上も稼いだが、SW作品として見れば、これは失敗とみなされる数字である。普通2億ドルって大ヒットなんだけども…) ネガティブな話題が先行してしまったが、実際に観てみるとコレがとても「楽しい」。 最終的に大ベテランのロン・ハワードが上手くまとめてくれたようだ。 「ソロ」は明らかにスター・ウォーズの雰囲気・世界観を纏いながら、どこかクラシックな活劇の匂いを感じ取れる楽しい楽しいアドベンチャー映画である。 それは大列車強盗を思わせる中盤の素晴らしいアクション・シーケンスによく現れている。 どんだけCGで武装しても、結局は走るノリモノに乗り移って敵との攻防をきっちり描けば、それは楽しいのである。 さらにカルリジアンが合流したあたりからは、キャラの魅力も深まり、これまた胸のすく銃撃戦が繰り広げられる。うん、面白い! ハリソン・フォードの後釜として登場したエアエンライクは、予想をはるかに超えるソロっぷり。大胆不敵で自信家ながらも、隠しきれないのチャーミングさをよく体現している。 これはビックリしたけど、本当に期待を超える良いソロだった。 しかし、そんな素晴らしいソロが登場する一方、個人的に本作で一番残念な点もまたソロである。 先に述べたとおり、エアエンライクは期待以上だし、監督の演出も適切である。しかし脚本視点からみたソロについては物足りなさを禁じ得ない。 この映画はソロの始まりを描く立ち位置のはずが、本当の意味で僕の知らないソロは出てこない。 つまりソロがスクリーンに登場した時からソロ過ぎるのである。 本作のラストには、もともと利害関係だけのドライデンの想像通りの裏切り、そしてメンターであるベケットの裏切り、さらには(フォローもあるが)最愛のキーラの裏切りというどんなメンタル強者でも泣いて帰りたくなる裏切りの連打が用意されている。 これほどの心理攻撃がありながら、そこにソロの成長・学びは感じられない。 元からいつものソロだったため、成長譚・誕生譚としての深みが希薄なのだ。 劇中にはソロを構成するいくつものキーワードや、シリーズが抱える要素に答えや驚きを提供しているが、大事なのは「ソロ」だろう。 幸運のお守り、ソロという名前、チューイとの出会い、ブラスター、ミレニアムファルコンとその速さの秘密、「知ってるさ」、「帝国のマーチ」のCM、名前だけ出て結局謎な格闘技「テラス・カシ」、ソロの活躍が反乱軍の血肉となっていた等々…興味深い考察が盛りだくさんだ。(PSのゲームでフィーチャーされたテラス・カシは個人的にずっと謎に思ってたので、映画での初登場は驚き) 非情に興味深く嬉しい演出の数々だが、問題はこういう部分を優等生的に回収するのみで、肝心のソロの誕生に踏み込めなかった脚本か。 制作側が往年のファンのバッシングに敏感になっているのは承知だが、ソロの内面についてはもう少し冒険して欲しかったのが個人的な感想だ。 また敵キャラの描きこみが薄いのも物足りないか。 サノスのアゴからポール・ベタニーが出てきたような見た目のドライデンなど、どうも雑魚臭がぬぐいきれない。そのうえ紋切り型のキャラ造形のためハックスやカイロのような「味」がない。 ドライデンなど「小物だけどウザい中ボス」に据えておいて、スター性のあるダース・モールさんを惜しげなく暗躍させた方が良かったのではないだろうか。 L3と絡めたカルリジアン、ハンの「相棒」で独立した面を見せるチューイなど面白い部分もあるだけに、敵キャラを上手く見せられなかったのが惜しい。 しかしながら、要所要所であのテーマ曲が否応なしに心を躍らせてくれるのも、この映画の巧いところ。盛り上げ方は熟知している。 惜しい点もあったが「ハン・ソロ」は楽しいアドベンチャー映画として高次元に位置し、とても魅力的な映画に仕上がっていることは事実だ。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-06-05 00:43:30)(良:2票) |
28. デッドプール2
《ネタバレ》 「次はケーブルがでるぞ」という宣言通りに作られたデップ―第二弾。しかしまさかアベンジャーズ相手に猛威を振るうサノスを起用するとは、これまたイジらずにはいられないところ。(J・ブローリンが出演していた「グーニーズ」の片目のウィリーも漏れなくイジる) これにはキャスト発表の時点で一笑い。 「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」で世界中から総スカンをくらったデッドプール=ライアン・レイノルズは、自身の主演「デッドプール」でR指定ヒーローの可能性を華々しく証明した…ハズだったんだが、「LOGAN/ローガン」を引っ提げた天敵ウルヴァリン=H・ジャックマンもR指定で大成功。 更には自らのサラリーをカットすることを条件にR指定を勝ち取った逸話まで持てはやされるモンだから、デップーはこれが気に食わない。 「まず初めにね、ヤツは他人の成功に乗っかった毛深いクソ野郎なんだよ。」と開始早々、辛辣にウルヴァリンをディスる安定の俺ちゃんである。 今回は監督が交代して、「ジョン・ウィック」「アトミック・ブロンド」を手掛けたデビッド・リーチが起用された。 デビッド・リーチは元スタントマン故の性分なのか、出来は素晴らしいけど、世界観にそぐわないアクションシーンを挿入して、演出の一貫性を欠く印象があったが、今回は変にマジメにならずに雰囲気を死守出来ている。 プレタイトルからオープニングの移行時こそ、シリアス→ギャグへの間の取り方がギクシャクしたが、後は概ね良好な演出だ。 ストーリーは、これはもうビックリである。話の運び自体はオーソドックス。ケーブルが悪人ではないことなどハナからバレているようなものなのだが、同一ユニバース内で過去にやったプロット(ネタバレになるので伏せます)をそのままコンパクトに流用してしまうとは。なんともレイジーライティングである。確信犯だろうが。 しかしながら話が分かりやすいからこそ、俺ちゃん初めとする濃いめのキャラが活きてくる。 それこそオールスター・カメオ出演で構成されるX-Forceの面々には笑わせてもらった。 格闘無しのテリー・クルーズ、ゲロッただけのビル・スカルスゲルド(ステランの息子、アレックスの弟であり、新「IT」のペニー・ワイズ)、そしてヴァニッシュしたブラピ…お前ら一体何だったんだよと。 (ちなみに誰も気づかないようなところにマット・デイモンが出演しているが、スタッフに内緒で特殊メイクで参加したため、現場でも気づかれなかったという。何やってんだホントに。) ウィーゼルやコロッサス初め、既存キャストも負けじとバカっぷりを増して帰ってきている。 前作は予算の都合上、アクションにX-MEN程のお金をかけられなかったが、今作では少し余裕が出たようで迫力もマシマシ。一瞬だけどX-MENの主要メンバーも登場して、笑いもマシマシ。 最初から最後まで館内爆笑、デッドプールは楽しい正常進化を遂げていた。ナイス! あと、みんなはクソだっていうけど、「グリーンランタン」、僕は結構好きだぞ。「ブレイド3」はまぁちょとキツいけど…。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-05-29 23:55:38)(良:1票) |
29. アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー
《ネタバレ》 観賞後に呆然、「やべぇ…まじかよ」という語彙力ひっくひくな言葉しか浮かばないほどの衝撃。 MCUも10年目。 最近でもブラックパンサーの快進撃で不動の人気を見せつけたが、本丸と言える「アベンジャーズ」はなかなかに尖った作品に仕上がっている。 10周年の重みを感じさせる豪華キャスト、ヒーロー達が繰り広げる物語は、もう見せ場の飽和状態。 冒頭、中盤、終盤にアクションを入れ、その間にストーリーを語り緩急をつける。そんな基本はアベンジャーズには全く通じない。 バトルに次ぐバトル、全てがクライマックス。 ぶっ壊れレベルのストーリーテリングで鑑賞者の映画体内時計も異常を来たすこと必至である。 しかしながら最近のMCUは軒並みできが良かったこともあり、キャラの個性で押し通すやり方でも面白さを保てている。さらにこのカツカツ状態のなか、サノスだけはじっくり掘り下げたのも良い。 結末から考えると、やはりヒーロー映画としてはかなりの衝撃エンドである。 何しろヒーローの大半がたいした散り様も見せずに指パッチンで消えてしまうのだから。自分としては嫌いではないが、このような大作としては突っ走りすぎ感があるので賛否別れるかもしれない。 二部作にするにせよ、アベンジャーズが小さな勝利を納めて、なお余裕を見せるサノスというエンディングを用意するのが定石というもの。 前作「エイジ・オブ・ウルトロン」のアベンジャーズ無敵感から一転、この辺りはジョス・ウィードンから監督を引き継いだ「ウィンター・ソルジャー」「シビル・ウォー」のルッソ兄弟のシビアな作風が出たか。良い意味で「ええ~」となる幕切れでだった。 もちろんこのままでは終わるまい。 現実を改変する力を持つ設定のワンダまで死んでしまい、いったいどーなるの?と焦ったが、ニック・フューリーはキャプテン・マーベル(送信先に彼女のインシグニアが見られる)に望みを託したようである。 アベンジャーズのアベンジはここからだ。 サノスさんも黄昏てる場合じゃない。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-04-26 19:56:37)(良:1票) |
30. トゥームレイダー ファースト・ミッション
《ネタバレ》 同名ビデオゲームを原作とするトゥームレイダーの新シリーズ。 ララ・クロフトを演じるのは、ここ最近の佳作でよく見かける演技派のアリシア・ヴィカンデルだ。 (ちなみに旦那さんはゲーム原作の「アサシン・クリード」で主演) 旧シリーズでは、A・ジョリー(当時26歳!!)がタフでセクシーなララを強烈に印象付けたため、今回アリシアが演じるララについてはヴィジュアル的な細さが気になるという人いるかもしれない。 しかし原作ゲームも実は2013年にリブートが図られており、そこに登場するララは今回のアリシアとそこまでかけ離れてはいないのである。 それこそゲーム初期は、男子の夢を具現化したような、ありえないレベルのボディだったので(実際カクカクのポリゴンだったしね)、アンジー姐さんくらいしか演じられなかったろうが、今回のアリシアも体作りやスタントでは負けていないと思う。 さらにジムでワークアウトした成果をSNSに垂れ流す女性だらけの昨今、完璧な腹筋と小尻を見せつけるララ=アリシアはゲームファン層以外にもアピールできただろう。 先に述べたとおり、本作はリブートされたゲームを原作としている。エンジュランス号に乗って架空の日本を冒険するという大まかな流れ、そしてスーパーマン化する前のララ・クロフトという点を受け継いでいるようだ。 そのため今回のララはとにかく弱い。映画開始数秒でギブアップ、わき見運転で跳ねられ、質屋ではニック・フロストに絡め取られ、香港では子供にナイフを向けられて逃走する始末である。二丁拳銃もなしだ。 今作は誰もがイメージするララ・クロフト誕生譚の側面もあるため、失敗を重ねて強くなるララにフォーカスしているのだ。これは新しく起用されたアリシアとのイメージとも合致していて面白い。 しかしながら勢いのない脚本が全くアリシアを援助しない。 主人公の失敗で場面転換を繰り返し、アクションやってる割に爽快感が薄すぎる。 ララに不利や失敗があることは仕方がないし、それでいい。しかし中盤以降に失敗の反省を活かせてないため、サバイバルでのご都合感が払拭できない。 僅か半日で逃亡中のララを探し出すような傭兵相手に、たまたま転がってた石で殴って逆転とは何事か。 トム・クルーズ張りのロッククライミングを披露して、7年間キャストアウェイのトム・ハンクス状態のお父さんに大怪我を治してもらうとはぶっ飛びすぎてないか。 その点、終盤でわざとハシゴでの勝負を仕掛ける描写は良かった。力で及ばないなら、それを活かせぬようにすればいい。こういう描写がもっとあれば良かったのだが、そこまで気が回らなかったか、雑で凡庸な脚本になってしまっている。 雑と言えば、話の流れや謎解きについてもかなりの部分が雑ではないか。 事の発端からして、ビデオ撮らずに自分で燃やせば済みそうな話である。 あれだけバカスカと爆破してた割に、遺跡の扉は丁寧に謎解きする敵の繊細さも気になる。(結局砕け散るが) しかも組み合わせ総当たりで解けるタイプの扉なのでララがいなくても解けそうだが…。 一番何が雑って、父が残したからくり、「解けたあっ」ってアンタひねっただけじゃねぇか。 アリシアについては僕は非常に満足している。もともと好きな女優だったし、やはり役作りや演技についてもほれぼれするパフォーマンスだった。アンジーと比較されるだろうが、アリシアらしいアプローチで新たなララを作り上げている。問題はそれをスポイルしてしまった脚本や演出だろう。 2作目があるなら(「ブラックパンサー」に蹴散らされ、興行的にも失敗している)、次も頑張ってほしい。 [映画館(字幕)] 5点(2018-03-24 03:44:32)(良:1票) |
31. ブラックパンサー
《ネタバレ》 今春に「インフィニティ・ウォー」を控え、通算でいうと20作品に届こうかというMCU。 ファンタスティック・フォーのコミックのゲストキャラに端を発し、90年代にはW・スナイプスで映画化する企画もあったブラックパンサーはシビル・ウォーでの活躍を経て、今回満を持しての単独映画化である。 特に本国での存在感は圧倒的で、メガヒットを飛ばし社会現象になっている。 やはりアフリカン・カルチャーを押し出したヴィジュアルや音楽のインパクトがすごい。 砂風呂でラリッて三途のサバンナに直行するなど、架空の国ながらもそれっぽい感じがよく出ている。そこにプラスされるワカンダのSFチックな映像も本作を独特なものにしている。ストーリーはいい意味で定石から外れず、こういう新鮮さをスポイルしない。 アクション面においては、シビル・ウォーでは渋い近接戦闘が目立ったが、今作ではド派手なアクションに切り替えており、特に中盤の釜山のシーンは盛り上がる。 チャガルチ市場にある(という設定の)闇カジノから、クァンアン大橋で繰り広げられるカーチェイスは、海外ロケとしては出色の出来だ。アフリカの風景とはっきりした対比ができているし、衝撃を蓄えたスーツのエフェクトが夜のネオンに負けじと映えてカッコいい。 また重いテーマを扱いながらも、大人向けヒーロー映画に寄りすぎず、万人に向けたヒーロー映画にあつらえた点も評価したい。 こと発端となるヴィブラニウム採掘についても、作品内では武器転用への懸念程度に収められている。 しかし大人の観客ならこれには思うところがあるだろう。 ワカンダのような超絶文明もない現実のアフリカの国々では何が起きている? 現実世界では、これは搾取という形で顕在化している。僕たちが使っているハイテク機器など、まさに第三世界の大人子供が命を懸けて採掘した魔法の鉱石の結晶そのものではないか。その富がどこに向かうのかなどもはや言うまでもあるまい。 アフリカをテーマに据えるといくらでも複雑な社会派寄りに出来そうだが、しかしながら本作はあえてその線を外し、シンプルに心を揺さぶるメッセージに転嫁している。 安全を守るために陥る対立。救える力を持ちながら傍観者に徹することが果たして正義か。シンプルである。 だが難しく救いのない映画にする必要はない。そこはキャプテン・アメリカの仕事でいい。 多様性の時代に、多くの子供たちに新時代のヒーローを提示することが本作の使命なのだ。 そんなヒーローが対峙することになるヴィランの処理もうまい。 エイジ・オブ・ウルトロンに登場したクロウの退場後、存在感を増すキルモンガーが背負うドラマこそ本作の肝。どこのベジータなんだよという恰好ながら、これがなかなか魅力的な敵だ。 抑圧された同胞のために闘う決意と、目の前で傷ついたアメリカ人を助けようと即断した行動にどのような違いがあり、どのように共通しているのだろうか。 キルモンガーとはティ・チャラが成りえたもう一つのブラックパンサーであり、嘘に守られたティ・チャラが受け入れ、そして超えていかねばならない試練である。 真実を世界に明かし、人々を助ける道を選んだティ・チャラ国王の決断も尊いが、キルモンガーが流した涙、祖国の夕日に漏らした言葉もまた偽りのない真実だった。 演じるマイケル・B・ジョーダンはクーグラー監督と今作で3回目のコラボだが、体作りも含め素晴らしいパフォーマンスだ。(クソ映画として爆死した新F4で実はヒューマン・トーチを演じていた彼だが、今回はいい役をもらえたようで良かった) 他の黒人女優のキレイどころも、「ゲット・アウト」では酷い目にあった彼も、キャストが総じて素晴らしい。(アメリカ英語のマーチン・フリーマンも味があるのかな) マイノリティの秘めるとんでもないパワーに注がれる世界の眼差し。ホワイト・ウォッシングなどという言葉が頻出していたハリウッドで、黒人キャスト・制作陣が中心となるメインストリームのヒーロー映画の意義。正に偉業であり、ハリウッド史に残る事件だろうが、まぁそこらへんは他の方に任せておいて…。 「ブラックパンサー」は映画としてとても面白く、そしてヒーローとしてメチャクチャカッコいい。 MCU史上1・2を争うほどの出来だと言える。 最後に、本作はワカンダの政権転覆と内戦の話であるが、ポストクレジットの演説シーンも見逃せない。国王はあたかも地球が同じ人間同士の内戦状態に陥っていると捉えているのである。人類規模で話しているのである。デカい、とてつもなくデカい。アフリカの大地の如く器のデカい国王である。腕をクロスさせてブラックパンサーの誕生を讃えるしかない。 [映画館(字幕)] 8点(2018-03-02 01:54:15)(良:1票) |
32. ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル
《ネタバレ》 故ロビン・ウィリアムス氏の主演作「ジュマンジ」のことはよく覚えている。子供のころにVHSに録画して楽しく鑑賞した記憶があるが、なんとあれから20年以上の月日が流れたらしい。(その間にザスーラという、Wiki曰く精神的続編が制作されている) 今みると、古いCGの嘘っぽさだとか、子役時代のキルステンのキュートさとか、子供のころとはまた違った部分に気づくかもしれない。本作「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」が公開される間に、僕もしっかり大人になっていたということだろうか。 今作では子供に見向きされなくなったジュマンジが、ビデオゲームにトランスフォームして新たなゲームに誘う。 大人になるにつれて、僕もやはりゲームから遠ざかってしまったが、この導入にはある種の懐かしさ、そしてワクワク感を感じずにはいられない。NESよりさらに古っぽく、アタリやコリコを彷彿させるレトロなルックス。カートリッジタイプながらローディングを有するというヘンテコ極まりないゲームコンソールとはソソるではないか。 自分はザ・ロック主演くらいしか前情報が無い状態で本作に臨んだため、今時のティーン達が癖のあるゲームキャラになるという設定から十分に笑わせてもらった。 ゲームナードとアメフトヒーローのパワーバランスが入れ替わり、合理主義者は半袖ハーフパンツのララ・クロフトのようなゲーム仕様に、セルフィー女子に至っては性別を超えてしまう。 ヒーローになって世界を救うも良し、トホホなキャラで笑いを取るも良し。リアルとはかけ離れた自分になれるのもゲームの面白さである。 演じるキャストも良好。 圧倒的強者感を醸しながら、ネタのテンドンに耐えうるコメディアンぶりを発揮するザ・ロックの楽しいことなんの。青い顔でツンケンしているイメージ(GotGのネビュラ)が強いカレン・ギランも今作ではかわいい。(ちょい役で出てくるコリン・ハンクスは年とともに父トム・ハンクスに似てきてる気がする) 以降も過剰搭載されたギャグの応酬が続く。もちろん映像的なギャグや下ネタも挟まれているのだが、絶妙に「ゲームあるある」を持ち出してくるのが良い。 コマンド入力による無双、味方のライフを犠牲にしてステージクリア、NPCキャラへのツッコミなど、身に覚えのある人もいるのではと思う。 また、回復アイテム(ケーキ)からの謎の死や、ほとんど見えないプロジェクタイル(このゲームでは蚊)という、洋ゲー特有のあの理不尽さもよく表現できている。 さらにアドベンチャーゲームの世界を描いているから、荒唐無稽なアクションの展開にも無理がない。いや、無理なアクションを展開させても問題ない世界観というべきか。 ド派手でヒロイックなアクションも抜かりなく、映像面においてはゲームと映画の好コラボと言える。 しかしながら僕が最も素晴らしいと思うのは、この映画が「ジュマンジ」を楽しむティーンや子供たちにとって非情に真摯に作られているという点だ。。 主役4人が居残り組として集められる導入部分もその例で、彼らの抱える欠点が分かりやすく処理されていてよい。向き合うべき問題があり、それを克服するにはどう行動するか。ジュマンジに勝つ為に何をすれば良いのか。 それは結果を問わずに壁に挑戦し、仲間と結束して互いの信頼を育むことに他ならない。友情、努力、なんたらかんたら~…の精神がしっかりと息づいている。 コメディと映像の勢いも素晴らしいが、ド直球の「成長」ドラマも熱いのである。 日本では4月公開となったが、本作は世界的には年末のホリデーシーズンに公開された。 同時期にはスター・ウォーズの新作が公開されており、多くの作品が競合を避けたわけだが、本作はあえて真っ向勝負を選び、多くのファミリー層の支持を得た。 実際、僕の行った回は、家族連れや友達同士の観客で大入り、終始笑い声の絶えない賑やかな上映であった。 ゲームあるあるというニッチな笑いをフィーチャーしていながら、その根底にファミリームービーとしての万人向けの面白さ、そして子供たちに向けた教訓をしっかりと内包した「ジュマンジ」。大ヒットも納得の痛快アクションコメディである。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2018-02-06 18:11:02) |
33. ノクターナル・アニマルズ
《ネタバレ》 希代のファッションデザイナーの監督作ということで、構図や映像の美しさに納得のセンスを感じる一方、内容の方も示唆に富んでおり、なかなかどうして味わい深い一作である。 現実世界のイメージを投影した「夜の獣たち」を劇中劇として描いているのが特徴的だ。とはいっても入れ子構造など今となってはありふれた手法である。しかし個人的には、そこに存在する「ある違和感」が良いアクセントになっていると感じた。 つまり、なぜエイミー・アダムスではなくアイラ・フィッシャーなのか? 「夜の獣たち」は小説を読み進めるスーザンの目線で映像化される。そのため劇中劇のトニーはシェフィールドの投影、つまりジェイクの1人二役となっている。 しかし小説内のローラはどうだろうか。 定石では現実世界同様にスーザンの投影、つまりエイミー・アダムスが演じるのであろうが、まったく別の女優であるアイラ・フィッシャーが登場する。 さらにはエイミー・アダムスに意図的に似せてあるようだから不思議だ。 理由は明らかにされないが、適度に思案を巡らせる余地があって良い。 小説内の家族構成はスーザンがシェフィールドといた場合の姿ともとれる。思うにスーザンは、シェフィールドを選択した別のミライの自分をローラに投影していたのではないか。 ではスーザンは誰に自分の人間性を投影したのか。それはアーロン・テイラー・ジョンソン演じるレイ、つまり「夜の獣」ではないだろうか。 人は、自分にされたこと相応の態度で人に臨む。 スーザンは自分が他人に与えた傷を、客観的に顧みているのである。 以前シェフィールドはスーザンを「夜の獣」と呼んでいたということを踏まえると、スーザンはシェフィールドの思惑通り、レイに自分を重ね、トニーからローラを奪う理不尽さ・非情さを痛感したのだろう。 本作は復讐の物語だ。 映画や小説において復讐というと、大儀や正義を果たすための戦いや、血みどろの復讐劇を思い浮かべる。(英語で言う「アヴェンジ」「ヴェンジェンス」といった類か。)実際、小説「夜の獣たち」の中での復讐はそれに近い。 しかし作品内における現実世界での復讐はまた違った形をとる。 最愛の人に見限られ、非情な方法で見捨てられた者の声。 それは画廊に飾られた「リベンジ」の文字が示す通り、過去の遺恨に救いを求める出口のない不毛な感情なのだ。 レイを討ったトニーが盲目となり自らの身を滅ぼしたように、復讐を果たしたシェフィールドもまた、この負の連鎖を覚悟の上なのだろう。 若きシェフィールドを信じていたら、どんな未来が待っていたのか。 美しさと成功、はたから見れば全てを手に入れたように見える現在のスーザンだが、頼れる者もなく心は虚ろだ。 それは冒頭の裸婦(絵面キツイな)の世界とは完全に逆。一般的な理想とはかけ離れた醜悪さで、一糸まとわず文字通り持たざる者たちのなんと楽しげなことか。そんな裸婦たちも次のカットでは作者の演出によって殺害され息絶える。 シェフィールドとの未来を殺してしまったスーザンのもとに、待てども待てども彼は現れない。謝罪も精算も許されない。(そもそも劇中に現在のシェフィールドが一度も現れないので、小説自体が懺悔することしかできない彼女の妄想とも取れるが) 本作は復讐の物語であるとともに、哀しい愛の物語でもある。 [映画館(字幕)] 7点(2018-01-11 14:02:21)(良:2票) |
34. スター・ウォーズ/最後のジェダイ
《ネタバレ》 先ごろ、来年に公開されるスピンオフ「ハン・ソロ」が発表されたように、ディズニーが主導権を握って以降、コンスタントに劇場に登場するようになったスター・ウォーズ。 今回の「最後のジェダイ」は正史の続編となるため、話題性も抜群である。また、本作にまつわるディズニーの鬼のビジネス術が世界中で話題となったのも記憶に新しい。 僕はプレミアムナイト(とかいう限定上映会、2500円)に参加したが、ポスターがついているものの映画代自体を釣りあげてくるとはなかなかエグいことをしてくれるじゃないか。その後のチケット転売のおかげでもっと高い出費になった人もいるだろう。 激戦区である東京の日劇ではチケットの争奪戦で怪我人が出るなど、もはや異常と言える現象を巻き起こしている。 さらにアメリカ本土では映画館に対して前代未聞の「どぎつい交渉」を行ったようで(映画館に不利な取り分、最大スクリーンの独占など)、田舎の小さな映画館を圧迫して世界をドン引きさせた。本シリーズの他に「アベンジャーズ」「CGアニメ」という、最も稼ぐ映像コンテンツを手中に収めるディズニーだが、マーケティング面ではがっつりダークサイドに魅せられている。悲しいかな、僕は完全にその術中である。 いきなり余談から入ってしまったが、映画製作に対しての安定感もまた絶大なのがディズニーの頼れるところ。 「フォースの覚醒」「ローグワン」に続き、本作も言葉で表せない程に素晴らしい「スター・ウォーズ」だ。 前作が「4」の構成に近かったこともあってか、今回は修行、冒険、出生の秘密など、「5」の要素が多く観られるのが特徴か。 ポー・ダメロンの成長、レイとカイロの絆、フィンとローズのアドベンチャーが群像劇のように展開していき、冒頭から継続するスペース・バトルに集約されるという豪快な構成が面白い。レイの秘密、カイロの狙いという求心力の高いミステリ要素も見どころだ。 またシリーズ最大の長尺も手伝い、どのキャラもとても魅力的に描けているのが良い。 ホルド提督との対立を経て真のヒーローに近づいていくポー。過去の因縁との対決に奮い立つ一方、また大切な人のための戦いを学ぶフィン。新キャラであるローズとホルド提督を絡めて、前作のヒーローに更に深みが増した。 主役格のレイにしても衝撃的なドラマが待ち受けている。「お前の父だ」という告白に比べればインパクトは薄いかもしれないが、レイのこれまでの孤独を考えると「お前は関係ない」という事実は、言葉以上の重みがある。レイは戦いに参加することで、ソロやスカイウォーカーに父親を重ね、家族の影を追うことが出来た、何者かではないヒーローになれたのである。 作品をまたいでしまうが「嘘だ!!」と驚愕したルークに対し、薄々感づいていたと静かに認めるレイの対比も趣が合っていい。 他にも、お前らそんなに強かったのか!?とツッコんでしまうレイアとルークの共演も熱いし、ハックス将軍のヘタレ芸も心に残る。新キャラ、脇役、もうすべてのキャラが魅力的だ。 やはりキャラクターの魅力というのはスター・ウォーズには必須なのである。 そういうとことでしっかり感情移入できるので、全編を彩る見せ場の大洪水が大いに盛り上がる。 正直な話、メチャクチャ興奮した。身を乗り出してのけ反るほどの面白さだった。(←迷惑) ここまで色々な要素を詰め込んでおいて、奇跡的なバランスで最後まで一気に魅せてくれる本作は、至高の娯楽大作と言っていい。楽しかった! 最後になるが、プリンセスとの思いでに感謝。 [映画館(字幕)] 9点(2017-12-15 02:12:34)(良:2票) |
35. ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
《ネタバレ》 ザ・マミー、つまり「ミイラ再生」のリブート作品である。 本作も含めて何本かのリブート・リメイクが存在しているが、僕の年代で「ミイラ再生」と言えば、なんと言っても99年に公開された「ハムナプトラ」だ。 当時僕は小学生だったが、親父の借りてきたVHSを家族で囲んで観た思い出がある。ホラー映画に最先端のVFXを掛け合わせ、アドヴェンチャー超大作として登場した「ハムナプトラ」には、夢やスリル、冒険ロマンの全てが詰まっていた。また、独自のシリーズを展開できるほど興行的に成功をおさめており、リメイク・リブートの大成功例としても映画史に名を刻んでいる。(ついでに現在ハリウッド最強の稼ぎ頭であるザ・ロック様も発掘している) 僕が映画に親しむきっかけとなった一本でもあるし、今見直しても本当に楽しめる傑作冒険映画だと思う。 話を本作に戻すと、今回の「ザ・マミー」はどうやら単なるリブートではないらしい。 「ようこそ、神と怪物の新世界へ」。過去ユニバーサル・ホラーからの引用(フランケンシュタインの花嫁)と、「ダーク・ユニバース」レーベルが示す通り、本作はこれから発表されるホラー・シリーズの最初の一遍なのだ。 さらに主演は大スターのトム・クルーズを投入。企画ありきのリブートが、トムとどのような化学反応を起こすのか。 結果的に言えば…トムが走ってトムが跳ぶ、トム大活躍のいつものヤツであった。 そもそもこれは何の映画だったのだろうか。 ダーク・ユニバースの説明にかなりの時間が費やされており、エジプトマミー勢の影が薄すぎる。 なまじラッセル・クロウなんかのビッグネームが出てくるため、本筋であるべきのマミーの話は中盤から停滞気味だ。 ラッセルはアベンジャーズでいうところのニック・フューリー的ポジションなんだろうが、トムと格闘まで披露するのはまだ先の話でも良かったのではないか。(ちなみにラッセルがトムに向かって「若いな」と言うが、実はトムの方が年上である。トムスゴイ。) オリジナルでいうイムホテップもテコ入れが図られ、今作はソフィア・ブテラのかわいい女マミーが登場するが、これもうまく機能していない。 というかジキル博士とハイド氏などの他要素に押されてしまい、印象が薄いうえ、その強さや凄みに対しても疑問が残る。エジプトから遠く、アウェイのロンドンで監禁された上に、現地にたまたまいたミイラで応戦するなど、ラスボスらしからぬ必死ぶりじゃないか。 言ってしまえば今後の作品のために、トムが魔人になるキッカケを作るための壮大な噛ませミイラである。 アメン・ラーの書(プロジディウム内で一瞬登場する。「ハムナプトラ」のアイテム)などのリメイクリスペクトも良いが、本作のマミーをもっとフィーチャーして欲しいものだ。 また冒険感に乏しいのも問題か。イラクから帰還した後は例によって、ダーク・ユニバースとの脚本の兼ね合いで、ロンドンをうろつく程度である。リブートということで、エジプトをできるだけ遠ざけたい狙いもあったのかもしれないが、過去「ハムナプトラ」において、「エジプト感」が魅力を添えていたのも事実である。 古代の宗教儀式、呪い、伝説、エジプトアイテム。こういった要素が好奇心をそそり、冒険心をくすぐるのである。 全力でエジプれとは言わないが、本作の舞台装置では冒険に必要な夢やロマンが圧倒的に欠けているのである。 「おいおい、アドヴェンチャー魂はどこ行ったんだい?(ニカッ!)」 うん、本当にどこに行ったんだろうか。 総じて、とくに取り柄のない凡庸な仕上がりであった。 「ミイラ再生」に絡めての、今後のダーク・ユニバースとの連携。さすがのクリストファー・マッカリー(脚本)も、会社からの意向や注文を違和感なく繋げるところで力尽きてしまったか。 今回、自分は勝手に「ハムナプトラ」ライクな冒険活劇を期待していたため、残念な部分もあったが、それを考慮しても全体的に盛り上がらない作品だったと思う。 映画なのだから、今後の展望抜きで、単体で観客を楽しませる作りの方が良いだろう。 [映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2017-07-24 00:41:26)(良:2票) |
36. トランスフォーマー/最後の騎士王
《ネタバレ》 想像以上。想像以上に想像通り。いつものベイ映画である。 「トランスフォーマー」が劇場公開されてから今作で5作目、そして10周年。 ビーのディスアッセンブル変形や、見せ場のシチュエーションの増加などに、新たな試みや映像の進化が見て取れる。しかし映画的には進歩もクソもない、ベイ映画への予想の範疇を絶対に超えない仕上がりとなっている。 今作のモチーフは聖剣伝説。ガイ・リッチーがどれほど斬新な解釈でアーサー王を描こうとも、ベイの超絶解釈にはとても適うまい。前作で反TF企業の経営者を演じたスタンリー・トゥッチが、なぜか魔法使いマーリンを演じるという謎の転生キャスティングからヤル気満々。(そもそもレノックスやシモンズ、さらにはモーシャワーまでもがカムバック出演しているのに、なぜS・トゥッチはマーリンとして出演したのか…) しかし、細かい事はどうでも良いんだよと言わんばかりに、最初から最後まで「ベイヘム=ベイ+メイヘム(騒乱)」の大量投下だ。 やたらと爆発、無駄に多いキャラ、スベり続けるギャグ、世界遺産はとりあえず破壊、急にミュージックビデオと化す戦闘シーン…などなど、全編に渡りクソ映画のDNAをこれでもかとぶち込んでくる。 その結果として、ストーリー上の山場すら満足に盛り上げられないという体たらくである。 本作の見どころとなる(はずだった)のはやはりオプティマスの裏切りだろう。 ネメシスプライムといえば、TFトイに親しみのあるファンにはおなじみのキャラであり、こういう登場のさせ方は面白いと思う。しかしそこからの展開がまずい。 ネメシスプライムに妨害された直後に戦って仲直りするなど、投げ槍もいいとこだ。 ダークサイド堕ちという新たな試みを、なぜ中盤の小さなイベントとしてまとめてしまったのか。 裏切ったオプティマスに敗北、誰もがオプティマスを敵と認識する、それでもオプティマスを信じるビーという鉄板展開を、なぜしっかり描けないのか。ビーの声を最大限に響かせるための工夫がもっともっと必要だろう。 そういう部分はおざなりにして、人間側のコメディパート(蛇足パート)に執拗に時間を割いてくるあたりは、さすがは低い水準で安心安定のベイ映画である。人間側には「家族」、TF側には「ホーム」というキーワードが出てくるが、どちらも中途半端に終わってしまった。 ともかくオプティマスの裏切りについては肩透かしもいいところだ。むしろ普通のオプティマスの方が凶悪だろう。今回も6連続クビチョンパまで披露し、顔面破壊大帝の面目躍如である。(オプティマスは過去作での残忍な言動と執拗な頭部破壊が、一部のファンの間で話題になっていた。例:「メタルのクズめ!!」「その顔を剥いでやる!!」など…) 今作は人間側の比重が多いのもまた一つの特徴か。いや、まぁ単に無駄キャラがわらわらと多いだけなのだが。 その影響かトランスフォーマー側の描写が少ないのが辛い。 前作から引き続き登場するオートボッツの面々もほとんど見せ場はない。クロスヘアーズが指を捻られたくらいしか記憶に残らないようでは駄目だろう。メガトロンが直々に編成した新生デイセプティコンの空気っぷりに至っては、もはやギャグの領域である。バーサーカーとは結局なんだったのか。(ちなみにバーサーカーは映画に先んじて、おもちゃが発売されていた) 変形シーンも少なめであり、オプティマスは変形こそあれど、その過程を見せることはない。トランスフォームとはこのシリーズの最大かつ基本のギミックであるため、この程度では物足りない印象を受ける。 個人的にはトランスフォーマーの変形やバトルをもっと観たかったというのが本音だ。続編に登場するユニクロンに期待したい(エンドクレジットのアレはユニクロンの角だろう) しかしながら映像の迫力や質量はただただ凄まじい。 トランスフォーマー以外にも、やたら本格的なアーサー王の合戦シーンから、実際に作ったというストーンヘンジなどこだわり抜いた映像が盛りだくさんだ。 爆発に次ぐ爆発、これほどの大作を指揮できる者などベイの他にいないのもまた事実。200億円超えの製作費で紡ぎだされるベイヘム演出こそ、まさにベイの真骨頂にしてスタンダード。ストーリーはブレブレでも、映像への熱さに一片の迷いもない。 想像通りのベイ映画、それはベイ映画に対する期待を決して裏切らないということ、そして夏休みに相応しい超大作に仕上がっているということだ。 そんな、いつものポンコツ映画である。 [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2017-07-11 12:47:18)(良:1票) |
37. メアリと魔女の花
《ネタバレ》 スタジオジブリの後継に当たるというスタジオポノックの第一作目。 上映時間は短めで、アニメーションにおける「動」の部分、つまり活劇に注力したことが見て取れる。イギリスの児童文学を原作としており、よく言えば子供にもとても見やすいライトな作風である。 まぁそれは良く言えばの話で、率直に言えば、薄味で食い足りないが既視感だけは腹いっぱいな作品だった。 映像や役者の演技を観れば、まじめに作っていることが伺える。しかしこの内容の薄さは大人にはキツいか。家と魔法学校のお使いを繰り返すこじんまりとした展開が、希薄さに拍車をかける。 目玉となる魔法学校も、モブ生徒と先生数人という地味さ。別にダンブルドア校長とグリフィンドール生を出せというわけではないが、魔法学校となれば、そこはドキドキワクワク胸躍る場所であってしかるべきだろう。 ではキャラクターの描写がしっかり処理されているかというとそれも違う。 メアリについては「冒険を通して成長する女の子」という鉄板テンプレに、「自分に自信を持つこと」というメッセージをかろうじて落とし込めている。しかしメアリ以外のキャラの添え物感は否めない。 まぁ敵役の処理にしてみても「あいつらなら大丈夫っしょ」くらいの軽さなので、そもそもキャラ造形の深さを求めるのが間違いなのかもしれないが。もともと展開の速い作品なので、見る側としては心が乗り切れずに置いていかれてしまう。映像を眺めるだけになってしまう。 なんというか、ただ眺めているだけになってしまうのだが、そこに気になる点もあり…。 やはり過去「ジブリ」からの既視感を感じてしまう。 日本においては多くの人がジブリ作品に慣れ親しんでいるのは事実だと思う。僕もそうだし、「メアリ」を見に来るお客さんにもそういう人は多いと思う。 「なんか見たことあるな」と感じるのは避けられないだろう。 今回、あえて「魔女、再び。」というコピーを採用しているように、製作者側としてもそのあたりは意識しているはずである。しかしふたを開けてみれば、魔女再びどころか、いろんな奴らが再びではないか。 魔女再び。ならば、それでもなお新たな魅力を持った魔女の冒険を、成長を、アニメを見せてほしかった。 [試写会(邦画)] 4点(2017-07-06 12:55:31)(良:1票) |
38. スプリット
《ネタバレ》 なんだかんだで目が離せないシャマラン監督。しばらく雇われ監督的なポジションをこなしていたが、自ら企画した「ヴィジット」に続き、本作もシャマ節全開の作品になっている。 まず普通に面白い。 クラシックな監禁スリラーに、興味深い多重人格者の設定や、24人目にまつわるミステリなど、様々な要素を加味しているのが良い。 女子高生のキャラ付をさっさと済ませた後は、するりと日常が地獄に変わっていくテンポの良さもなかなか。これらをまとめあげるシャマランのストーリーテリングに狂いは無い。マカヴォイのパフォーマンスも素晴らしい。 題材となっている多重人格。これはスポット制度、3人の女性被害者、24人目の人格などから察するに、同じく23(+1)の人格を持つビリー・ミリガンに着想を得ているのだろう。彼の場合は最後の人格が「教師」だそうだが、本作では24人目に「ビースト」を創り出すことで、「人格次第で身体能力も変わる」という設定が、映画的な面白さに昇華している。 (ちなみに本家ミリガンに関しては、ディカプリオ主演で映画化が予定されている。ディカプリオはJ・ベルフォート、J・エドガー、H・グラスなど実在の人物を多く演じているが、さらに24人プラスとはとんだスプリット野郎である) 個人的に一番面白かった点は、ユーモアと悪意が織りなすなんとも言えないあの空気感か。 怖い・不気味・絶望的だが、どこか滑稽。最悪の状況で踊り狂うヘドウィグの狂気じみたユーモアなど、このさじ加減はシャマランの上手い所である。 また時折あらわれるシャマランの悪意も面白い。 なんせ主役以外の2人は何の武器もない普通の高校生。 「リア充?ビーストに喰われちまえ!!」と言わんばかりの設定だが、この部分こそ本作のキモでもある。 SNSでの評判ばかり気にかけて、車を待つ主人公には「彼女はUber(配車アプリ)で帰るんじゃん?」と言うような今時のリアル(を拡張した)高校生。(※Uberの下りは字幕では省略されている) 誘拐事件は架空の場所ではなくKOP(※キングオブプルシア、アメリカ最大級の実在するショッピングモール。誘拐後、ニュースで名指しで登場するがこちらも字幕では省略されている)で発生する。 青島刑事ではないが、事件はSNSのタイムラインではなく彼女たちのリアルで起きているのだ しかしながらネット上で生きている彼女たちにとっては、拉致監禁など半年習ったケンポーカラテで打開すればいいだけ。3人力を合わせればどうにかなるでしょという戦略だ。 当然そんな精神ではこの世界を生き抜けまい。 傷つくことなく眠ったまま生きてきたからこその価値観・世界観。そういうものはシャマランおじさんが全部まとめてぶっ壊す。 自分はフーターズ大好き野郎で出演しておきながら、なかなか毒のある鋭い展開で魅せてくれるではないか。 最後に唐突な続編発表をしたときは「何勝手にシャマラン・ユニバース始めてるんすか」とも思ったが、やはりそういう部分も含めて個人的に気になるシャマラン監督なのである。金髪は胸、黒髪はケツというチョイスも個人的には支持している。 [映画館(字幕)] 7点(2017-05-18 15:21:53) |
39. ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
《ネタバレ》 MCU15作目にしてシリーズ2作目となる本作。強烈なキャラとユーモア、オウサムなチューンの不思議な調和で魅せた前作の正常進化版と言ったところか。壮大な宇宙で繰り広げられる人情ドラマに、笑って泣いての満足度の高い娯楽作品に仕上がっている。 「ショウタイム、エイホー(Showtime A-holes)!!」の掛け声から始まるオープニングからもう演出に迷いなし、一気に作品のペースに引き込んでくる。他の作品が派手なアクションシーンの創作に苦心する中、本作はその1つをベイビー・グルートのダンスだけで印象付けるから凄い。(ちなみに通常のグルートが再登場する案があったがガン監督はベイビー・グルートを起用した。声は引き続きヴィン・ディーゼル) こういった世界観なんだよと早々と説明してくれるおかげで、ラストまでいい意味で気を抜いて楽しめる。 どのキャラも濃く描きこまれているのがまた素晴らしい。映像でカッコよさを、行動でキャラの心情をしっかり描写できている。また若干反則気味のマンティスの設定を上手く利用することで、悲しみなどの感情を暗くなりすぎずに表現しているし、ドラックスの清々しい笑いも心に響くものになっている。 やはり2作目ということで、映像面ではより派手に壮大に作られている。加えてドラマ面に関してもスターロードの生い立ちを核にして各キャラのさらに深部を掘り下げていく。さらにチームは分断され、それぞれで裏切りや陰謀が進行する。 さすがにこれは色んな方向に散らかしすぎたかとも思ったが、最終的には全てが「家族」というテーマに帰結するのはなかなか良いまとめ方だったと思う。 今回、週末の昼間に映画館に行ったのもあると思うが、小さな子供を連れたファミリー層が多かったのが印象的だった。 上映中はグルートが出るたびに子供たちが「あいむぐるーと」と真似し、顔面崩壊ヨンドゥ&ロケットではスーパー大爆笑。それは賑やかな時間だった。 考えてみればMCUの開始は2008年。最近のアメコミ関連映画は観客の成長にも合わせ、大人に向けたものが増えてきたと思う。 近作で言えば「シビル・ウォー」「ドクター・ストレンジ」。やはり子供というよりは大人が楽しめるような作風である。日本では公開順が前後したが、同じアメコミ枠の「ローガン」などそもそもR指定、子供は見ちゃダメである。 実は本作には別れ、裏切りなど暗いキーワードが多く、陰鬱な物語に成り得たかもしれない。しかし底抜けに明るいキャラとご機嫌な音楽、子供にも届きやすいメッセージが絶妙に折り重なって、笑って泣ける冒険活劇として成立していた。 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」であること。続編を作る上で、そういう当たり前だが大事で難しい部分が上手く表現できていたと思う。 [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2017-05-11 18:20:46)(良:4票) |
40. LOGAN ローガン
《ネタバレ》 号泣。ヒュー・ジャックマンとP・スチュワートが登場する最期のX-MENは、号泣必至の傑作ロードムービーだ。 「オールドマン ローガン」に着想を得たと思われる本作は、およそスーパーヒーロー映画とは思えないほどの陰鬱さと暴力描写に彩られている。 監督は前作もヒューと組んだが、傑作を予感させた「サムライ」は、制作側からの映画娯楽的要求を呑み込み続け、ヘンテコニッポン推しのアクション映画に仕上がってしまった。(2人は「ケイト&レオポルド」でも組んだことがあり、信頼は厚い) それにもめげず今回はヒュー自らサラリーのカットを承諾してR指定を勝ち取った。無論、シリーズ最低予算&R指定の「デッドプール」が最大のヒットを飛ばしたことも影響しただろう。 一応シリーズ内での時間軸ではアポカリプスの後という設定だが、これはあまり気にすることはないだろう。そのままの設定の「ローガン」を楽しむことをお勧めする。(カリバンが本作とアポカリプスに登場するのは、実はFOX社内の報連相の失敗の産物である) 何はともあれ満を持して、ローガンの物語が誕生した。 トレイラーやエンドクレジットで流れるJ・キャッシュ(ちなみに監督は過去に彼の伝記モノを手掛けている)がビシッと決まる映像美と世界観。ウルヴァリン映画とは、本来このように描写されるべきだったのかもしれない。普段は特殊効果に隠れがちだが、俳優たちの素晴らしい演技合戦も見どころになっている。 本国でR指定を受けただけあって、暴力描写は多いが本作のそれは必要不可欠な部分に絞られている。 傷付き、そして傷付けること。本作のカギを直接的に描写するのだ。 冒頭の喧嘩シーンは、まさに本作の立ち位置を明確にさせる宣言だ。「X-MEN」であれば爽快にモブキャラを蹴散らすだろうが今回は違う。アダマンチウムの一振りで血しぶきが舞い、四肢が飛ぶ。消えない傷が残るのだ。 しかしながら消耗しきったローガン達を見るのは辛い。皮肉めいた名のボートにすがる彼らに、ローラが信じるX-MENの面影はない。テンションぶちアゲのテーマ曲なんてもちろんナシ。世界をぶち壊せる程のヴィランもいない。 そのかわり、人生の成功者や青春を謳歌する若者がいる。そして、苦い表情で彼らのためにハンドルを切る者もいるのだ。 どうしてこうなった?他のミュータントは?国境の向こうにはアルファフライト(カナダのヒーローチーム)でも待機しているのか?ウェストチェスター・インシデントとは?(補足するとニューヨークの地名であり、エグゼビアスクールの所在地である) こういった部分を明言しなかったからこそ、中盤のチャールズの告白に深みが増す。 誰かを傷付ければ、結局は自分をも傷つけてしまう。散々人を傷付けておいて、今更自分だけが穏やかな幸せを享受してもいいのだろうか。不意に人の善意に触れ、その温かみを思い出してしまうから感じる不安、業の深さ、贖罪の念。 それはローガンもローラもカリバンも。この世界では誰もが傷ついて、人に言えない痛みを負っているのだ。 「この瞬間を受け取れ」 パトリック・スチュワートの名演も相まって、チャールズ最期の「導き」が胸に残る。もう戻れないとしても、それでも人生は続く。大事なのは残された時間に何が出来るかだ。 こういう素晴らしい演技があるから、最後の見せ場のアクションも燃える。 命を顧みずに疾走するウルヴァリン、ローラとの共闘などアメコミ映画の熱い部分もしっかり押さえている。(「ZERO」で兄ヴィクターとは背中合わせ、今回娘には自分の背中を超えさせるという演出も興味深い) 立ちはだかるX-24とは、過去のローガンの罪と苦しみの象徴か。だが強大な敵も癒えない傷も、ローラと一緒なら乗り越えられる。どれだけ傷ついても、まだ誰かの為に闘う時間はある。 X-MENの矜持を見せつけたローガンの生き様に、そして安らぎを得た彼への手向けの「X」に。いい年した私、号泣でございます。 [映画館(字幕なし「原語」)] 10点(2017-03-30 16:30:59)(良:3票) |