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no_the_warさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 772
性別 男性
ホームページ http://blog.livedoor.jp/no_the_war-since2010/
年齢 42歳
自己紹介 ブログでは文字数気にせずレビューしています。
併せてご覧ください(^っ^)b

こんな僕ですが父になりました。しばらくは子育てで映画どころじゃありません。じゃんじゃん笑投票なりなんなりしてください。

2015年1月、ついに700レビューに届きました。記念すべき700レビュー目は・・・『ゲームセンターCXザムービー』うっかりしてたぜとほほ

2018年、今年は12本映画館で観れました。つきいちペースは健康的。

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41.  イングロリアス・バスターズ 《ネタバレ》 
同じ構造で、大日本帝国の偉い連中を殺戮するイングロリアス・バスターズを撮って欲しい。ラストはもちろん、最高責任者である大元帥天皇を
[DVD(字幕)] 9点(2020-03-27 14:11:34)
42.  サイコ(1960) 《ネタバレ》 
ワンスアポンアタイムインハリウッドで、とても魅力的にノスタルジックに描かれた、60年代のアメリカの光景が、この映画にはそのまんま収められている。何気なく道を走る車とか、衣装とか、街並、こういうのは今後一層価値を増すだろう。 映画の内容も、2020年にもなりゃ、目新しく感じるのはない(いやいや、これが一番新しいんじゃ)。ただ、ラストのラスト、車のドアップは、虫唾が走るほどグロかった。
[DVD(字幕)] 9点(2020-03-23 22:34:32)
43.  岬の兄妹 《ネタバレ》 
こーれーは、すさまじい映画だ。問題形式に感想。 妹が行方不明になるとき、兄はブランコの公園に寄っている。その心境は何か。 窓を塞いだダンボールを剥がしたのは食事中であった。なぜか。 妹は首から提げたぬいぐるみをはずすことを強く拒んだ。なぜか。 兄は行政や福祉に頼らなかった。理由があるに違いない。なんだろう。 腕の短い青年は、結局拒んだ。理由は何か。 ラストシーンの妹の振り返りには、すさまじいものがあった。それは何か。  なかなか難しいこともあるけど、映画自体はとても誠実で、人間を大事に扱っている。何よりそこが一番好感。
[DVD(邦画)] 9点(2020-03-23 15:49:43)
44.  パラサイト 半地下の家族 《ネタバレ》 
セリフの端々から、韓国国外の人向けのネタが散りばめられていることに気づく。徴兵、北朝鮮の脅威、労働問題、格差、PM2.5、外国製品など。まるで外国人観光客対策に特化した繁華街のよう。 しかしこの映画は、そういった外国人向けネタがちっともスベることなく、とてもコミカルに、それでいて深刻に、とても上手に描かれている。この技量は見事。あらためて、“コンテンツとしての韓国”の充実っぷりに圧倒された。具体的には、北朝鮮報道モノマネは超ウケた。笑っちゃいけないのかもわからんが、韓国ではあれがウケるのかな。  階段や坂道を上がったり下がったりの場面がやたら多いのが特徴であり、この映画の主題である。そう思いながら観てると、人物の動きに敏感になる。いる場所の高さによる表現が巧みだ。車の中とか、食卓とか、家庭教師とか、ときには高さが揃う。そういう微妙な構図操作で、インチキな貧困家族と、気の毒な裕福家族の釣り合いがぐわんぐわん振り回され、いつのまにかものすごい映画を見た気持ちになった。後味は悪いけど、凄いものを見た。
[映画館(字幕)] 9点(2020-03-23 15:44:08)
45.  1917 命をかけた伝令 《ネタバレ》 
確かに宣伝やポスターには、前編ワンカットと書いてあるから、さぞかし緻密に計算され尽くした本番一発勝負作品なのだろうと期待しちゃうのは当然のことだ。なので実際ワンカットではなかったことに、ちょっとだけ騙された気持ちになった。 でもよく考えたら、2時間ワンカットでドカーン!バキャーン!戦闘機バーン!な戦争映画の撮影が成功するなんてありえないわけで、それなら初めから「前編ワンカット(風)」と宣伝してた方が誤解が無くてよかったと思う。  ワンカットといえば、最近だと『カメラを止めるな!』は忘れがたい。もう少し前だと『ある優しき殺人者の記録』が素晴らしかった。これらの映画は、ワンカットで撮ることそのものに意義があった。 また、『ゼログラビティ』という宇宙パニック映画もワンカット。これも素晴らしい映画なんだけど、一方で、ワンカット撮影だと「カメラマンの存在感」がどうしても目立ってしまうことに気づいたのもゼログラビティ。もう宇宙空間でずっと黙ってカメラ構えて撮影してるの大変だろうなって心配になってしまう。そもそもタイトルにゼロつけちゃまずいと思うんだけど、その話はここまで。  同じことを『1917』でも思った。砲弾が飛び交い死体が転がる激戦地を、監督の指示通りの構図をキープしながら、カメラ構えて走り抜ける、カメラマンさんのプロ根性に感心してしまった。ワンカットだから気付いてしまう存在感。 でも今ならわかる。実はこのカメラマンさんの正体は、他ならぬ映画を観る僕たちひとりひとりである。兵士と一緒に塹壕から顔を出すあの恐怖と、部隊を救う使命感、そして戦争の狂気の疑似体験ができた。 思えばここまでワンカット(風)に戦争を撮る映画を観たことなかった。もはやVR。
[映画館(字幕)] 9点(2020-03-23 15:37:34)
46.  ミッドサマー 《ネタバレ》 
(170分ディレクターズカット版を見ました) 僕が知ってるこれまでの映画で比較検討したいのは、今村昌平『楢山節考』、そして『ホステル』である。まずは楢山節考から。 楢山節考は、姥捨て山の話。姥捨ての目的は“口減らし”のため。とにかく貧しい集落で、食うや食わずの日々を生きていかなければならない。そうすると、老人には去ってもらいたい。ある年齢になると、長男に背負われて山奥の指定の場所に放置される。 これはこれで残酷な話だが、老人への最低限の敬いは感じられた。 一方、ミッドサマーの棄老は穏やかではない。なんなら、老人へ最大限の恐怖と激痛を味わわせて絶命を促している。 けれどどうやら“口減らし”の必要はなさそう。白夜とはいえ、食糧や風雨に困っている感じはない。ではなぜ棄老するかというと、信仰のため。72歳に達すると、自らのいのちは終わり、赤ちゃんとして復活するという信仰。それゆえ赤ちゃんには老人の名前が付けられる。なので絶命を促される側の老人たちは望むところらしい。 北欧の神話や風習に基づいた信仰について、僕がコメントできることは無い。だけど、棄老の必然性という点では、楢山節考のほうが理解できるし、自然だし、最低限の敬いがある。とすると、ミッドサマーの棄老からは、信仰の達成というきれいごとよりも、合法的に人をぶっ殺してえ!という、制度化された狂気のように感じた。だから、狂気といえば楢山節考も狂気だけど、ミッドサマーのほうが数百倍も狂ってて、映画としての幸福感に満ちている。  制度化された狂気といえば、タランティーノ製作総指揮『ホステル』である。あれもヨーロッパの話、ただし東欧。グレートハンティングという、拷問や殺害を楽しむために作ったサークル。ただしめっちゃ会費は高額で、限られた富裕層しか参加できないようだ。そこに迷い込んだ何も知らない若者たち。で、若者たちは不条理にも暴力と殺意に飲み込まれすり潰されていく。 しかし、ホステルの違うところは、ラスト、若者側が形勢逆転して、ある意味勝利を勝ち取り、カタルシスで映画が終わる。 ミッドサマーは、こうした明瞭な勝利がないまま、胸糞悪く終わっていく。(それがたまらないんだけど。)けれどももし、ミッドサマーでもアメリカンな若者たちが、銃器とウィットを駆使して、長老たちをボッコボコにしてホルガを焼き払うことができたら(マヤの腕を引いて一緒に逃げ切れたら)胸がスカッとする映画になるだろう。それはそれで観てみたい。だから映画ラスト、メイクイーンにさせられたダニーが後日、我に返り、復讐と脱出の大活躍!っていう続編を期待してしまった。そんなアリアスターを見たくないけど、見てみたい。
[映画館(字幕)] 9点(2020-03-23 15:27:33)
47.  ボヘミアン・ラプソディ 《ネタバレ》 
ふつうにクイーンの楽曲を聞いたところで、ボロ泣きすることはない。しかしこの映画を観て、ラストのあのウィーアーザチャンピオンを聞くと、ボロ泣きする。 あの「We」とは、クイーンだけでなく、クイーンの周りの人々、クイーンの歌を聞く人々、さらに、この映画を観ている僕たちひとりひとりを全員包括した一人称複数形であったのだ。 そしてフレディマーキュリーは、そんな僕たちを、チャンピオンを讃える。 この映画は、クイーンの史劇に留まらず、WeのWeによるWeのための「人生の勝利宣言」である。  でも後日よく反省すると、僕はチャンピオンと名乗れるほどの生活してねえ。
[映画館(字幕)] 9点(2018-12-27 23:06:26)(良:2票)
48.  万引き家族 《ネタバレ》 
トウモロコシ 風呂 車上荒らし 安藤サクラの涙 ラストシーンはスクリーン右側を向く少女
[映画館(邦画)] 9点(2018-12-27 22:48:47)
49.  レディ・プレイヤー1 《ネタバレ》 
とにもかくにも、第二の鍵のダンジョンに興奮しっぱなしだった。あの館に本当に連れて行かれたような感覚は、まさにVR。
[映画館(字幕)] 9点(2018-12-27 22:40:56)
50.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 
願わくば、以下の2点についてかな。 ひとつめは、破壊願望の成就について。自衛隊が引き金を引いたあの瞬間に、今のJAPANのかたちが破壊された。でも僕はもっともっとゴジラに暴れまわってもらいたかった。隅から隅までずずずいっと崩壊させるゴジラの活躍を、安らぎの音楽と共にもっと堪能したかったし、一夜あけた関東平野が見晴るかす限り焼野原になっているその真ん中にぽつっと立っているゴジラの光景を見たかった。 なんなら、国連による熱核攻撃すらほんとにやってほしかった。宇宙から俯瞰したアングルで、関東平野が吹き飛ぶくらいのきのこ雲を。まさにサードインパクト。 それが無茶なら、たとえば核爆弾発射へのカウントダウンとの並列により、ハラハラドキドキを盛り上げたりとか。で残り0.02秒のところで食い止めるみたいな。  ふたつめは、数十年前、『ゴジラ』という映画が公開されていた日本という設定での『シン・ゴジラ』。東京湾であの尻尾が姿を現したとき、市川実日子あたりが「この尻尾、もしかしてゴジラです!」それに対して総理あたりが「馬鹿な!映画の世界の話じゃなかったのか!」「まさか、現実になるとは・・・」などと言ってくれれば、よりゴジラの実在感が増したのではないか。 そしたら、ゴジラ退治の方法を、当時の映画を参考にすることも可能だ。「メカゴジラでも作りますか?」「三菱重工はMRJで忙しいから無理でしょう」などと冗談も言える。 いずれにせよ、『シン・ゴジラ』が描くJAPAN(虚構)と、僕たちが今暮らしている日本(現実)の隔たりが曖昧になってくると思う。どんな世界が広がるか興味深い。  あと、個人的に最も嬉しかったのは、山手線とか湘南新宿ラインとかがゴジラに突っ込んでいくあのシーン。 『無人在来線爆弾』 映画の最初からずーっと洪水のように示される明朝体の活字たちは、あの攻撃シーンでの「無人在来線爆弾」を成り立たせるための伏線だったのだろうとすら思えてくる。しかもこの無人在来線爆弾が、結構ゴジラに効いている。僕たちの山手線や湘南新宿ラインが、ゴジラにまとわりつくようにとびかかり、自爆していくその姿に僕はバンザイしたくなった。しなかったけど。
[映画館(邦画)] 9点(2016-09-19 21:28:46)(良:1票)
51.  そして父になる 《ネタバレ》 
はじめての週末交換によって野々宮マンションにやってきた野々宮実子リュウセイを囲んで、初めての本物の家族3人でのミズイラズの夕食。メニューはすき焼き(一方斉木家は餃子)。リュウセイは育ちが悪いから、箸を上手に持てないので、リョウタはさっそく箸の持ち方を指導しだす。まるで斉木家の卑しさを毒抜きするかのように。そのときのみどりの表情も見逃せないんだが、その日の夜、リュウセイはなんとbathで箸の持ち方を練習しているのだ。ひとりで。 僕がショックだったのは、リュウセイが箸を素直に練習していることの切なさよりも、この日の夜なのにリュウセイがひとりでお風呂に入っていたことだ。この時点で、子の交換が成功なんか絶対しないことを僕は予感させられた。  リョウタとケイタの木漏れ日の追いかけっこのラストシーンは、どうも僕には蛇足だった。無くてはならないシーンだろうけど、ちょっと福山カッコよすぎたか。衣装がキャンプ仕様であったが、似合ってしまっている。もっとダサダサのアウトドアで髪型ボサボサで無精ひげくらいのほうがいいだろう。イケメンの皮を脱いで汚れてこそ福山は父になれる。  いよいよ完全に交換することになり、両家族そろって河原遊びをする(そのときの集合写真が映画のジャケット写真になってる)。みどりと斉木妻ゆかりが、ふたりきりで散歩しながら会話しているシーン。この時の二人の会話と、ゆかりの行為に、僕はポタポタと泣いた。 
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2015-01-08 00:35:16)
52.  自転車泥棒 《ネタバレ》 
ラストシーンがいい。やり場のない切なさ。貧乏が憎い。少年なりにおとうちゃんを励まそうとするけど、どうしてよいかわからなく、ただただ手をつないで歩くしかない。その二人の後ろ姿が、みじめでみじめで、だけども切なくいとおしい。 僕自身、どうもひとごとに感じられないのも痛切だ。僕もおやじと二人で、ああやって貧乏に街を歩いたことがあるような気がする。気持ちのいいもんじゃない。自転車を大事そうに整備する少年も泣ける。戻ってきて嬉しかったんだろうな。だけども映画は、自転車が戻ってきて喜ぶ少年のシーンを撮らない。そこがしぶい。  泥棒はよくない!とか、子供の愛は深い!とか、そういう表面的な感想を上回る、もっと大きな社会構造の矛盾、弱者と強者、貧困と幸福、そんなところまで言及している。 映画前半、職を得て、作業着(ダサいつなぎ)を支給され、家でそれを着て奥さんに見せていたときのやりとり、死ぬほどせつねぇよ。やめてくれよ。貧困映画の金字塔。 
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-23 00:37:45)(良:2票)
53.  アクト・オブ・キリング 《ネタバレ》 
アンワルは、最後嘔吐する。しかしアンワル以外にも虐殺した英雄たちは登場していて、彼らは結局、この映画ではなんの悔悟もないまま逆ギレどころか本気で正しいことをしたんだみたいな感じで終わっている。彼らを嘔吐させることはできなかった。 なお、現在もインドネシアには民兵組織「パンチャシュラ青年団」てのがあって、この集団はいまだに共産主義者殲滅を叫んでいる。殲滅の根拠は当時と変わらず「共産主義者は残虐だから」である。現代のはなしであることにぞっとする。こいつらまたやらかすんじゃないか。  そもそも、「人が人を殺す様子を再現した映画」にこんなにも群がり連日満員御礼となる我々だって同じだ。 虐殺を追体験したいんだ。ヒットすればするほど、それが正しいことになる。もっとヒットして、ランキング1位になって、王様のブランチでリリ子が嬉々として紹介するといいさ。  ラストのアンワル、嘔吐するが、あれは演技なのかもしれない。階段を上がっていく時なんかも、カメラはきちんと構図を考えていて、つまり「これから階段を上がるシーンを撮ります。よーい、はい!」って言ってアンワルは上がり始めているに違いない。つまりこの階段を上がる様子は、演技なんだ。そうやって上がってきた屋上で、おええええーってやられても、なんだか演技臭さがすこーしあった。ちょっとばかし盛ってない?って思った。それでも十分見ごたえある”演技”だったから、映画としては成功だ。
[映画館(字幕)] 9点(2014-04-20 23:49:24)(良:2票)
54.  クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん 《ネタバレ》 
みさえや、映画を見る我々は、ロボとーちゃんじゃなく、生とーちゃんを野原ひろしとみなした。あの、子供たちを救った後の庭での夫婦の美しいシーンがあるが、あのときのみさえも「あんなことできるのは、野原ひろししかいないわ。あなたはロボットでも、野原ひろしよ。」みたいなことを言った。これはつまり、「ロボとーちゃん≠野原ひろし」であることをみさえは思っていることになる。 だから、ロボとーちゃんが切ないわけだ。 しかし、しんのすけにとってはそうではない。ロボとーちゃんも、生とーちゃんも、両方とも自分にとっての父だと受け入れたのはしんのすけただ一人だ。 ってことはですよ、この映画は、しんのすけにとっては、「父の死」の物語なのである。絶対に野原家は死ななかった。この鉄則が今回、ついに(疑似的に)崩された。 正しいクレヨンしんちゃん映画には、すべて、しんのすけの成長が描かれている。今回もたくましいしんのすけの姿がきちんとおさめられていた。その姿がなんと、死にゆくロボとーちゃんのノイズ交じりの視界からのものだった。 「おめえのとーちゃん、強いだろ。」 このせりふには二つの意味がある。一つは、腕相撲に本気で臨んで(僕は生とーちゃんが上着を脱いだところでポタポタ泣いた)ロボの腕を押し倒した生とーちゃんの強さ、もう一つは、腕相撲に「負けてあげる」という父の役割をきちんとふるまったロボとーちゃんの強さ。 これは、ロボが正真正銘のしんのすけの父だからこそ出来たことなのだ。野原ひろしという男だからこそ。 確かに映画を観る我々にしてみれば、ロボとーちゃんはダサい取り換えの効く鉄くずに過ぎない(同一性を保てないので野原ひろしではない)。けれどもあえて一歩引いて、しんのすけが見ているように、ロボとーちゃんも野原ひろしと等しいと受け入れてこの映画を観れば、ああ、歴史に残る名作となれるだろう。  僕の近くの席でみていた少年が、上映中にも関わらず大声でこんなこと言った。「もう壊れてるから本当の力が出せなかったんだ。だから負けたんだよ。」きっと隣で観ていた親に教えてあげようとしたのだろう。少年よ、君が父になったとき、もういちどこの映画を観なさい。なぜロボとーちゃんが腕相撲に敗北したか、分かるからな。
[映画館(邦画)] 9点(2014-04-20 23:44:55)(良:3票)
55.  LEGO ムービー
これに関しては多くを語るのをやめる。超面白い。ありえない。うそだろこれ。身悶えするくらい観て良かったと思える。僕はこの映画を観たんだ、という事実が僕の中にある、そのことが幸福である。今ならば、次は字幕版でもう一度観たいと考える。この映画が作られ、上映されたこの時代に、居合わすことが出来てよかった。今後しばらくは、人と会ったら、この映画を勧めることにする。 
[映画館(吹替)] 9点(2014-04-18 00:43:31)(良:1票)
56.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
みんながイイと言うものには、たいていケチつけたくもなるが、いやいや、これはイイ。ぶっちゃけ書いてしまおう。これは「出産」だ。ソユーズに着いて宇宙服を脱いだあの時の画を見てもわかるが、胎内の嬰児そのものじゃないか。それっぽく臍帯のような管が奥に浮遊しているし、円形ハッチが母性を感じさせる。最後地球に生還するんですけど、湖に着陸してハッチを開いたとき流れ込んでくる大量の水は、羊水。陸地に立ち上がり、重力を全身に浴び、歩き始める姿は、あかちゃんの産声。 産声「オギャー」はあかちゃんのどんな気持ちが発している言葉なのだろうか。言葉に訳すとなんだろう。映画でサンドラブロックは「thank you」って言ってた。  映画が終わって、当たり前のように呼吸をしている自分を自覚した。また、あたりまえのように重力を浴びて、垂直抗力による摩擦でシートに座っていられる自分を自覚した。映画館が明るくなったとき、立ち上がり、歩ける。これって喜びなんだなって自覚した。映画ラスト、カメラは地上から青空に向けられるが、何を映しているかというと、目に見えない「重力そのもの」を、画面いっぱいにとらえているのだ!!目に見えない「重力」を映像化することに成功!そしてすぐ暗転しタイトル「GRAVITY」  惜しむらくは邦題「ゼログラビティ」・・・。馬鹿かこれ決めたやつ。
[映画館(字幕)] 9点(2013-12-18 21:39:24)(良:2票)
57.  危険なプロット 《ネタバレ》 
教室の最後列に座る青年と、職員会議で最後列に座る国語教師が、ラスト、公園のベンチという「最前列」に座ってメゾンの窓を眺める。現実と虚構がないまぜになっていく演出が心地よく、ユーモアもありとても面白かった。ただし僕は熟女が好みではないので、もうすこし若い奥さんのほうがよかった。
[映画館(字幕)] 9点(2013-10-29 18:37:54)
58.  地獄でなぜ悪い 《ネタバレ》 
久しぶりだ、先の展開が読めるんだけどもワクワクする体験は。なんでやねんと突っ込みたくなることばかりだったが、それを振り切って圧倒的に面白いと言わしめるエネルギーがある映画、明日を生きる勇気をもらえる映画。 人がバカスカ殺されてるのに、みんなでゲラゲラ笑いあえるのが映画館の良さ。このよさを「don't think, feeeeel!」  
[映画館(邦画)] 9点(2013-09-29 00:47:10)(良:1票)
59.  ミスター・ノーバディ 《ネタバレ》 
僕も時々思うことがある。信号待ちをしているとき、もう1メートル前に立つだけで、僕は車にはねられ、大けがをする。全く別の人生に分岐していく。もっと軽い分岐だってある。朝食をパンにするか、ごはんにするか、それでもその日一日の人生は異なるものになるだろう。 しかし我々は、時間が不可逆なわけだから、必ずどこかひとつのルートしか進めない。  でも、今の自分とは違う別ルートをすすんだ自分ってのも、存在しているのだ(多世界解釈)。この映画では、それら別ルートの人生を一通り旅していくことで、最初の分岐点(駅のホーム)へと収斂していく様は圧巻だ。  それぞれの人生ルートを回覧してみて気付いたが、この無数の多世界すべてをひっくるめて“自分”なんだなと。
[DVD(字幕)] 9点(2013-03-14 23:46:35)
60.  晩春 《ネタバレ》 
(僕のブログより部分コピペ)照明のあたり具合や、まるで壷から聞こえてくるようないびきの音といったところから、{父∽壷}は明らかだ。そこで僕はDVDを巻き戻して調べた。他のシーンでも壷が写っていないかどうか、そしてそのシーンはどんなシーンなのか。これがあると、もしかしたら壷の真意の手がかりがつかめるのではないか。僕は見つけた。あと1カ所だけ、壷が映り込んでいるシーンがあった。それは、京都の宿屋の初日の朝(つまりあの夜の前)、京都観光の準備をしている父と娘、そこに訪れた父の友人、3人の室内。友人に「なんでまた急に京都旅行にきたの?」と尋ねられたときの父の発言の際。 「ああ、娘が急に嫁ぐことになってね、最後に二人で旅行に来たんだ」みたいなことを語る。カメラは父を正面から捉え、いつものようにカメラ目線でこれを言う。そのとき、父の奥に、こっそりと壷が映っていた。ピントは父にあっているので、奥にある壷はぼやけているものの、それが壷であることはよくわかる。そしてそれしか壷は登場せず、次に登場するのは例の夜。 この時の壷が、意図せず偶然映り込んでしまったものだと言えば、それまでなんだけど、意味を見いだすことも意外と容易だ。つまり、壷は、父をうしろから“覗き見”していたのだ。なにを覗いたかというと、「娘が突然嫁に行くことになったことへの気持ち」である。台詞が台詞だからそうに決まっている。このとき、壷は父の本音を知った。壷は父を反映した。カメレオンが環境に体色を馴染ませる感じに、壷は父に擬態した。そして夜、壷が2度“反映した父として”現れる。 (その他いろいろブログにて)
[DVD(邦画)] 9点(2013-01-06 17:32:49)
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