1. ブリッツ ロンドン大空襲
《ネタバレ》 ストーリーを含む事前知識なし。シアーシャ・ローナン主演で『それでも夜は明ける』のスティーヴ・マックイーン監督作品ということでAppleTV+で鑑賞。タイトルから空襲を生き延びる系の話かな、という程度で見ていたら、主人公の子どもは明らかに黒人とのミックス。ストーリーのなかで、戦時下のロンドンを生きる民衆のなかにある、差別や排除の存在が明るみになっていく。ただ、それが嫌な感じで描かれるわけではなく、待遇の改善を求めて声をあげる女性たち、地下に作られる多様性を包摂するコミューン、黒人たちが白人客相手に最高のエンターテインメントを提供するダンスクラブ、優しさと包容力を持ったナイジェリア出身の警察官など、魅力あふれた人々とともに語られる。空襲に襲われるロンドンの街中に生まれた様々な人間模様を、少年とその母親とが再会のために、それぞれさまようロードムービー風の作り。もちろん「清く正しい」側面だけでなく、緊迫下の人間の恐ろしさ、醜さも十分に描かれ、そのすべてがエネルギーとなって空襲という苦難を生き延びる原動力となったかのよう。派手な音楽や映像でエモーションを煽って愛国心や団結に回収されるようなタイプになってもおかしくなかったが、本作は、マックイーン監督の個性を見事に反映した、人間社会の奥行きにあふれた戦争映画になったと思う。豪華なダンスホールでの空爆シーンをはじめ、地下鉄駅や廃墟などの空間の描き方はどれも心に深く残っている。 空襲下のロンドンを冒険するエリオット・へファーナン君の顔つきと佇まいも素晴らしい。母親に意地を張る頼りない子どもだったジョージの成長が手に取るようにわかる。 難点を挙げるとすれば、音響と映像の演出がとても凝っていたのに、劇場公開を見送ったAppleTV+のマーケティング的な判断。配信時代の到来はありがたいことも多いけれど、これはやっぱり映画館で見たかった。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-12-19 22:14:46) |
2. グラディエーターII 英雄を呼ぶ声
《ネタバレ》 まず冒頭の前作のあらすじ動画が素晴らしい。簡潔だけれどアート的でもあって、でも前作の流れはクリアによみがえる。で、本編。対立構図が単純だった前作と比べると、政治劇の要素も濃くなり、そこでデンゼル・ワシントンが素晴らしいくせ者っぷりを発揮しています。あまり明確には語られないけれど、おそらく元奴隷でそこから権謀術数を駆使して這い上がってきた男。ただ権力が欲しいというよりは、「この世界のありよう」に対する復讐や破壊衝動みたいなもののほうを強く感じる。彼の行動の数々は、ローマ帝国を「終わらせる」ことを目的としてきたと考えると、いろいろ腑に落ちる。一方で、主人公ルシアス=ハンノは、それでもこの世界に可能性を見出したい人で、その対比が見事なラストでした。ただ、ルシアスは勝利したとはいえ、ここから帝国の「再興」はほぼ不可能でしょう。もう腐るところまで腐ってしまった指導者たち、倫理よりも刺激を求める大衆、そこでハンス・ジマーをバックに「夢」を語ったところで、どこか空しく響いてしまう。熱血歴史劇っぽいのに、ラストの寒々しい感触は、リドリー・スコット御大の真骨頂だったと思います。 ただ、前作と今作の大きな違いは、この間に『ゲーム・オブ・スローンズ』という文字通りの「ゲーム・チェンジャー」が存在してしまっていること。ドロドロ政治劇も、絡み合う復讐心も、痛そうな剣闘(これはむしろ元祖は前作だが)も、憎たらしいサイコな若い皇帝も、どうしても既視感が先に来てしまう。コロッセオでの船上戦(文字列だけだと何言ってるかわからない)とか、びっくり映像はあるけれど、2作目でありかつGOT以降ということで、新鮮な驚きは少ないままでした。あと、ハンノがルシアスであろうことは観客もみんな知ってる(公式もそう言ってる)のに、物語中ではそこは「謎」っぽく扱われて、何をどこまで誰が知っているのかがはっきりしないまま、物語が進んでいくのがなんだか居心地が悪い。だいたいルシアスがマキシマスの子であることは前作では匂わせていたけど明言してたっけとか、マキシマスは妻と実子のいる天国へみたいなラストだったのに、天国でマキシマスも複雑な心境なんじゃないかと余計なことまで考えてしまった。 [映画館(字幕)] 7点(2024-11-19 18:49:08) |
3. シビル・ウォー アメリカ最後の日
《ネタバレ》 公開日に映画館で鑑賞しました。アレックス・ガーランド監督らしい意地悪なフィクションとリアルに満ちた作品でした。まず、カリフォルニアとテキサスの西部連合という壮大な「ウソ」によって、本作が「保守」とか「リベラル」とかの安易な政治的党派性から作られたものではない、というメッセージが伝わります。最大の「青い州」(民主党支持者が多い州)カリフォルニアと、最大の「赤い州」(共和党支持者が多い州)テキサスが連合を組むというのは、あまりにフィクショナルな設定です(ただ、両州とも現在のアメリカ経済の成長を支える中心地ではあるので、実はなくもない、という絶妙なライン)。 まず起こりえないけど、そうなったらこうなっちゃうんじゃないかという「内戦」状態に陥ったアメリカで、大統領のインタビューのためにニューヨークからワシントンDCへ向かうジャーナリスト一行。序盤に出色だったのは、内戦状態にあっても戦禍に巻き込まれない限りは無関心を決め込む人びと。中西部・西部のマイナー州の人たちやら、道中で出会う田舎町の住人たちの無関心さは、まるでウクライナやパレスチナで起きている悲劇にも無関心を決め込む人びと(そして、そんな状況でこんな映画を見に来る自分のような観客)に、チクリと刺す嫌みもあって苦笑いするしかない。ただ、序盤は、静かな日常→銃声から惨状へ、という流れの繰り返しで、大きな音でドカンと驚かされるのが好きではない自分としては、かなり不快でした。音響強めのIMAX劇場にしなくてよかった。 個人的に本作の白眉だったのは、ミリシア(民兵)との遭遇を描いた場面。機関銃などで武装した自警団ミリシアは現在の米国でも多く活動していますが、そのなかには白人至上主義者・人種差別主義者も多いことが知られています。ミリシアが銃を向けて発する「おまえはどういうアメリカ人なのか(What kind of American are you?)」という質問の恐ろしさ。この場面で命を失った人は誰か。そこに、この作品の恐ろしい「リアル」が見えてきます。「名誉白人」気分でいる日本人にとっても、とてもショッキングな場面でしょう。 ただ、そこからワシントンDCに入ってからの展開は、フィクションのなかで効いていた「リアル」が吹っ飛んでしまい、個人的には若干の興ざめでした。そりゃ、このクライマックスがなければ、ただひたすら意地悪で感じ悪い映画で終わっていたと思います。とはいえ、ラストのワンショットは最高に感じ悪いので、やっぱり秀逸な「胸糞悪い」映画だったと思います。 [映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 18:06:28)(良:1票) |
4. フェラーリ
《ネタバレ》 「男臭い」イメージのマイケル・マン監督が、あの「エンツォ・フェラーリ」を描くということで、胸焼けしそうな濃い作品を想像してましたが、しっかり「いま」の映画になっててびっくり。こんな器用な人だったんだ、と驚きました。アル・パチーノやデニーロでは、それでも「カリスマ性」が勝ってしまうところ、アダム・ドライバーをエンツォ・フェラーリ役に置いたことで、モータースポーツに賭ける思いが家族とも時代とも空回りしてしまった先にある虚無感みたいなもの、そしてレースという営みへの批評的な視線が加わって、とても奥行きのある物語に仕上がりました。もちろん、二人の女性のあいだで優柔不断な態度を続ける情けなさは、ある意味、アダム・ドライバーの真骨頂。とはいえ、まったく突き放しているわけでもなく、冒頭の運転シーンや子どもにエンジンの構造について話すシーンなど、フツーに「車好き」な側面が垣間見えるのも魅力。 前評判でレースシーンがメインではないと聞いていたので、終盤のミッレミリアが結構ガッツリ描かれていたこともうれしい誤算でした。公道を爆走するスリル。車の性能の限界に挑むドライバーどうしの絆など、ちゃんと「男臭い」場面もしっかり描く。しかし、その先に待つ顛末・・・。モータースポーツがずっと向き合ってきた問題がラストに姿を現し、おもわず声をあげそうになる悲劇のシーン。その後の道路に横たわる「アレ」はちょっとやりすぎかなと思いましたが、モータースポーツという「暴力」をいかなる意味でも「男のロマン」に絶対に回収させないという、本作の立ち位置をもっともあらわしていたのかもしれません。『ヒート』や『インサイダー』にうっとりしてきた人こそ、『フォードvsフェラーリ』を男のロマンと賞賛してきた人こそ直視せよ、という2023年のマン監督の叫び、と受け取りました。 [映画館(字幕)] 8点(2024-07-30 15:46:37)(良:1票) |
5. 最後の決闘裁判
《ネタバレ》 さすがのリドリー・スコット。得意の歴史劇ではありますが、決闘という行為の恐ろしさと愚かさ、中世モノの独特の価値観と世界観、それを性暴力をめぐる「羅生門」方式の証言劇が、見事にミックスし、ありそうでなかった新しい映画を作り上げたと思います。 まず、ラストの決闘シーンの迫力は、さすが幾多の決闘を描いてきた監督ならでは。しかもその勝敗が何のカタルシスを生むわけでもなく、マルグリットにとってはただ「もうひとつの地獄」が続くことを意味しているというラストのなんともいえない虚しさ。でも、ちゃんとラストに力強いアップをもってきて、少しだけでも希望を与えるところも含めて、一筋縄ではいかない熟練監督の技に唸らざるをえません。そして、「羅生門」方式の証言劇は、真実の複数性や曖昧さを主張するのではなく、そこに厳然と存在する女性支配の歴史と二人の男の救いようのなさを描くための手法となっているところが素晴らしい。実際、劇中のカルージュとル・グリは、ある出来事について「嘘」をついているのではなく、それぞれのヒロイズムと男らしさに則って、都合良く解釈しているに過ぎない。それぞれの一面的な解釈の醜さが、三幕目のマルグリット視線の物語で一気に可視化される。カルージュ視線では描かれなかったことや、ル・グリの視線を「見られる側」から見たときの醜悪さには、今思い出しても腹が立ってくる。そして、誰の視線から見ても「クズ男」であるベン・アフレック演じるピエールのキャラ立ちには、怒りを通り越して笑いも・・・。 近年ますます多作ぶりが目立つ巨匠の一作品で、見終わった気分は決していいものではありませんが、見事な語り口に翻弄されつつ、有毒な男性性の胸くそ悪さを体験する映画として、ある種のエンターテインメント性も兼ね備えた異色作だと思います。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-07-29 22:41:10) |
6. 関心領域
《ネタバレ》 ホロコーストの隣で営まれるホームドラマ。幸福な家族の日常がどれだけ異常の上に成り立っているのか。これは他人事じゃないぞ、おまえの事だぞと突きつけてくる。日常と異常の重ね方があまりに独創的で、忘れられないシーンが多すぎる。妻が羽織る毛皮のコート、そのポケットに入っていたもの、「カナダ」、「大量虐殺」のための打ち合わせ、不気味な音と重なるオートバイの音、河を流れてくるもの、異動の知らせと妻の反応、地下道の先にあるもの、あらゆる場所がガス室に見えてくること。考えれば考えるほど、正気を保てなくなるような描写のオンパレードで、あとで関連本やサイトで「トリビア」を知って、さらに青ざめている。正直なところ、1回限りのアイデアの勝利だとは思うけれど、ジョナサン・グレイザー監督はその1回の「賭け」に勝ったと思う。 ただ、これだけの作品でも日本公開が遅くなったことはやっぱり不満である。カンヌで話題になってから公開まで実に1年。そのあいだに日本の良心的な観客は、各所で背景など調べて鑑賞に臨んだだろう。少なくとも、(良心的かどうかは別として)私はそうだった。ナチ・ドイツ関連の本やホロコースト関連本も読んだし、専門家の解説も(ネタバレは避けつつ)見聞きしてからの鑑賞だった。おかげで見ながらだいたいのことは理解できた。でも、それでよかったのかどうか、今では疑問だ。少なくとも、それは監督の意図ではないだろう。これだけ独創的な映画の「経験」を、単なる事前学習の「答え合わせ」にしてしまった。これは予備知識なしで、「何だ?これは!?」と半分怒りながら見る映画だったのではないか。その「怒り」は、作品にも向けられるだろうが、結局は、この世界で何があったのか/何が起きているのかを知らないまま、のうのうと生きてきた自分自身への「怒り」になるのだろう。私は、怒る機会を逸してしまった。それはきっと、この映画がもっていた本当の可能性を半減させてしまったことでもあるように思う。 [映画館(字幕)] 7点(2024-05-30 20:23:17)(良:1票) |
7. 哀れなるものたち
《ネタバレ》 前作『女王陛下のお気に入り』で免疫はできていたと思ってたヨルゴス・ランティモス作品ですが、今回もまた独特すぎるワンダーランド。前作では3人の女優の演技合戦が見物でしたが、今回はエマ・ストーンの独壇場。冒頭の赤ちゃん演技から終盤の難しい語彙も駆使する知力あふれる姿まで、やりたい放題という感じでした。それが女性の解放と自立という本作の主題とも見事に合致していて、彼女の表情や動き、ファッションを見ているだけでなんとも爽快な気分になるから不思議です。とくに、後半に彼女が「知」にめざめるきっかけが、「男」ではなく、本とシスターフッドであったというところは、とてもよかった。マッド・サイエンティストともいえるゴッドウィンがそれでも彼女と関係を築けていたのも、科学という知への執着があったから。また、船で出会った黒人青年とベラの会話もよかった。彼が現実の矛盾を象徴する「格差」をベラに見せつけることで、本作が単に性欲や性愛の話ではなく、私たちも生きる「世界」についての寓話であることが明らかになります。セックスのシーンばかりが話題になるのですが、実は「知」というものの可能性を描いたものとして受け取りました。 とはいえ個人的にはちょっと難点も。まあ、キャラの位置づけ上しょうがないのですが、マーク・ラファロ演じるダンカンにはもう少し奥行きがあってもよかったのではないかとは思いました。ダンカンと終盤に登場するある男性はまさに「有害な男性性」の象徴なのでしょうが、彼自身のなかにある理のようなものを浮き彫りにしてはじめて、「有害な男性性」と向き合えるのではないのかな、とも思いました。 [映画館(字幕)] 7点(2024-01-29 21:46:04) |
8. モーリタニアン 黒塗りの記録
《ネタバレ》 久々にジョディ・フォスターの「らしい」演技が見れて大満足。知性と信念の人をやらせたらやっぱり光るし、それが「嘘っぽく」「偽善っぽく」ならないのも彼女のキャスティングあってのことだと思う。この映画のわかりにくいのは、いわゆる巨悪を倒す系の物語構成にはなっておらず、ジョディ・フォスター演じるナンシーが法のもとの平等、そして「手続き的な正義」を守るために弁護していること。対するカンバーバッチ演じるステュは「反テロ」という正義のために戦っているものの、彼にとっての一線もまた正当なプロセスで集められた証拠だけが有効であるという「手続き的な正義」。だから、本作にとってスラヒが本当にテロリストだったのかどうかは実は裁判にとっても物語にとっても大事ではなく、彼の「自白」がどうやって導かれたのかという「手続き」のほうこそが焦点なのだ。9.11直後は、この「手続き」よりも「テロ防止」「報復」が何より重視された時代で、それは「リベラル」と言われるオバマ政権期でも続いた(ビン・ラディンを裁判を通さずに襲撃して殺害したことが「政治的功績」になる時代だった)。だから、終盤に拷問の真実が明らかになったことで、物語は大きく動くことになる。この「ルールが大事」の感覚は、日本の裁判ミステリ系ではほとんど無視されていることが多い(何なら非合法に入手した証拠で一発逆転!みたいなのも多い)ので、この作品の肝を観客が理解するのは難しいかもしれない。ただ、そうした法的背景を理解していても、この映画がエンタメとして「面白い」かというとやっぱり疑問ではある。制度の複雑さもあって主人公たちがいま何をしているのかがわかりにくく、全体の構図が不透明なまま話が進んだ挙げ句に「拷問」シーンがクライマックスというのは、(事実をふまえたとしても)もう少し別の語りかたがあったのではないかと思える。ただ、ラストの判決の歓喜からの非情なテロップは出色。ああいうところはケヴィン・マクドナルド監督らしい骨太さを感じます。 [インターネット(字幕)] 6点(2023-08-20 14:08:02) |
9. プロミシング・ヤング・ウーマン
《ネタバレ》 「#Me Too」時代にふさわしいリベンジもので、主人公キャシーが対峙しているのは、友人を襲った人びとやそれを許した周囲の人たちだけでなく、「襲われたほうにも落ち度があった」という性暴力を正当化する語りとそれを支えるセクシズムそのものなのでしょう。「プロミシング・ヤング・マン」を守るためにその男と同等以上の能力も可能性もあったはずの女性の尊厳や生命がないがしろにされる社会のあり方への「復讐」として、彼女は毎晩バーへ行き、泥酔したふりをする彼女に言い寄る男たちに「成敗」を下す。彼女の「復讐」方法は、映画の雰囲気から予想していた「仕事人」風バイオレンスではなく、社会的・心理的に追い詰めるタイプだったのは少し意外だけど、その分リアルで男性観客に居心地の悪い思いをさせるには十分。なかでも、冒頭に声をかけるのが3人組のなかで唯一「ロッカールーム・トーク」に気乗りしないタイプの男だったり、それなりに誠実そうなライアンの「過去」だったり、わかりやすい「クソ男」でない風に見えるやつこそが「クソ」という描き方は秀逸で、男性としてはその分救いがないというか逃げ場がない。フェミニスト気取りの男を含め、どんな男もこの問題からは逃れられないぞという、なかなかキツいメッセージに思える。 そんな本作なので、いちおうは「復讐」は完遂されるものの、それもまた爽快感や解放からはほど遠い。ライアンの「正体」だったり、ラストへの流れはなんとなく予想できてしまう。パリス・ヒルトン、ブリトニー・スピアーズなどの「お騒がせ」系女性歌手曲の使用もテーマには合致しているけれど、少ししつこいというかベタにベタを重ねるようで演出過剰な気がするのも確か。とはいえ今、作られるべくして作られた作品。色褪せないうちに鑑賞することをお薦めします。 [インターネット(字幕)] 7点(2023-06-11 08:28:21) |
10. イニシェリン島の精霊
《ネタバレ》 見始めたときはアイルランド英語に大苦戦で、英語字幕付きでも何言ってるかわからなかった。ただ、人間関係が見えてきて展開が動き出すと、不思議とだんだん慣れてきて、会話が生き生きしてくる。それでも見終わったときは、正直「変な映画を見た」という気分だったのに、あとになってからじわじわと響いてくる。個人対個人でも、国対国でもいい。これは、友好的だと思っていた関係がずるずると壊れていく状況を描いた寓話だっただろう。 「内戦」を背景に盛り込んだのもそういうことなのだと思う。「対立」とは何だろう? それは金や財産だったり、資源だったり、見栄だったり、いろいろなものが「原因」とされるのだけれど、本当のところはそれらは表面的なものに過ぎず、もっともっと突き詰めれば、「すれ違い」と「思い込み」とちょっとした「タイミングの悪さ」の産物なのかもしれない。観客の私たちは、パードリックとコリムが本当に仲が良かったときのことを知らない。二人は、仕事も趣味も(おそらく)それまで生きてきた道も異なっているけど、たまたまアイルランドの孤島のパブで親友になった。その邂逅は奇跡だったけれど、その日々は絶対に取り戻せない。 この映画を見て、絶対に取り戻せないであろう少し前の過去をつい思ってしまったのは私だけだろうか。そんな関係は、ロシアとウクライナのあいだにも、人種のあいだにも、男女のあいだにもあったのかもしれない。「なんでこうなっちゃったんだろう」というのは、なんとも人間的な問いだ。その問いの切実さと残酷さが、アイルランドの雄大な光景のもとで生きるちっぽけな二人の男の喧嘩に集約されていたように思う。 [映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2023-03-09 16:56:51) |
11. 007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
《ネタバレ》 大傑作ドラマ『True Detective』(シーズン1)の監督を務めたキャリー・ジョージ・フクナガ監督が007映画を!というのは、期待半分・不安半分でした。あのドラマで展開された乾いたスタイリッシュな映像、計算されたアクション、複雑な人間ドラマは、サム・メンデス版を引き継ぐにはベストに近い人選とは思いますが、メンデス版に感じていた違和感(あの、楽しい007がいつの間にかシリアスで湿っぽい映画になってしまった・・・)をいっそう加速させるような気がしたからです。そして、満を持しての鑑賞・・・でしたが、やっぱりその予感はあたっていたようです。それもどちらかといえば悪い方に・・・。 よかった点。バキバキした映像の美しさ、冒頭のちょいホラーっぽい演出や長回しなど新鮮なアクション演出、007のバカバカしい世界観(とくに『007は二度死ぬ』的なオリエンタル趣味)を真面目に描いている点、女性も男性もキャラ1人1人がみんなとにかく格好いい。とくにレア・セドゥは素晴らしかった。 残念な点。長い。ラミ・マレク登場あたりからドラマが一変してしまう。中盤の謎かけのような会話が続くのはフクナガ作品っぽさではあるが007では冗長。娘の登場からは完全に別映画になってしまう。これだったらボンド映画である必要はないような・・・とずっと違和感を持ち続けた先のラストシーンで完全に冷めきってしまった。「こんなのはボンドじゃない」以前に、私はもう自己犠牲ラストが本当に好きではないのです。タイタニックからダークナイトからアベンジャーズまで、とにかく主人公が命をかけて守る・・でまとめてしまうのは(それで「感動のラスト」とかいうのも)もっとも安易だと思う。とにかく、最後まで生きようともがいてほしい。そういうのとは無縁だと思っていた007が、その手の「闇落ち」してしまったショックはめちゃめちゃ大きい。 もちろん、永遠のマンネリを終わらせることは勇気のあることで、フクナガ監督はその蛮勇を買って出るだけの力量があるのは間違いない。その難行をきわめて高いクオリティでまとめたこともよくわかる。けれど、ぼくはやっぱりこの映画は「嫌い」です。 [インターネット(字幕)] 4点(2022-07-09 08:28:36)(良:1票) |
12. ファーザー
《ネタバレ》 2021年のオスカー。逝ってしまったチャドウィック・ボーズマンの文字どおり「命を賭けた熱演」に男優賞をと思っていた自分は、アンソニー・ホプキンスの受賞にがっかりしたものでしたが、この作品を見れば・・・これは納得せざるをえない。昨年のローマ法王役もすごかったが、これは別格というか、「上手い」を通り越して「怖い」の領域に達している。人間が人間らしさを失う過程というのは、いくらでもデフォルメできるものであるけれども、これだけ「正常」とシームレスに「異常」が姿をあらわす過程を描いた作品は、ほかにはなかったのではないか。そして、ついヒューマンドラマとして描いてしまいそうな題材を、サスペンス風味たっぷりに緊張感溢れる脚本と演出で仕上げた監督の手腕にも脱帽。しかもこの監督が自分よりも年下だなんて、その「人間」に対する深い洞察には唸るばかり。「認知症を主観的に描く」という実験的な試みは見事に成功していると思います。100分に満たず、舞台もほぼアパートの部屋、登場人物も数名のミニマムな設定で、人間が(肉体的な意味というよりも精神的な意味で)その人生の終盤を迎えることを描ききった傑作です。いやあ、素晴らしかった。 [インターネット(字幕)] 9点(2021-11-27 09:56:18)(良:4票) |
13. インセプション
《ネタバレ》 ノーラン映画は基本的に見るようにしてるのですが、なぜか未見のままだった本作。やっと見れました。ノーラン映画オールスター+ディカプリオな豪華キャスト、とくに渡辺謙がちゃんと全編登場する主要キャラで出てきたことにもちょい驚く(ビギンズ程度の日本市場向け顔見せだと思ってた)。映画のほうは予想通り、序盤は何がどうなのかもわからず当惑、でもチーム戦になった後半は楽しめました。チームの個性的な面々、とくにトム・ハーディ、ジョセフ・ゴードン・レヴィット、そしてエレン・ペイジがそれぞれ颯爽と演じていて、入れ込み過ぎなディカプリオをうまく中和してくれました。『インターステラ—』にも引き継がれる時空間の相対性を活かしたプロットが効果的で、そこに防衛的な潜在意識との戦いとか、へんに擬人化された「夢=意識の世界」が面白い。最初戸惑ったけど、夢世界のルールは思ったよりシンプルで後半の4重世界を舞台にしたサスペンスと、ラストに一気にたたみこむカタルシスは見事でした。ただ、難点は、やはりノーランらしいアクション演出の乏しさ。基本的にサスペンス部分を謎解きよりもアクションで引っ張る構成なのに、アクション自体の魅力が弱い。ぐるぐる回転するホテル内の格闘も映像的なインパクト以外の工夫に乏しく、あまりワクワクしない。その点での演出をもうひとがんばりしてほしかった。 [インターネット(字幕)] 7点(2020-08-22 17:08:09) |
14. シャイニング(1980)
《ネタバレ》 久々にこの映画を見ようと思ったのは、2020年に世界中に広がった新型コロナウィルスの感染拡大のため緊急事態宣言が発令され、外出自粛のなか家族でずーっと自宅にいる今見るには「最悪の映画」として、この映画が思い浮かんでしまったからです。後になってから思えば、そんなこともあったね、という出来事かもしれませんが、今の気分を記録する意味でもレビューを書いておきたいと思います。ただし、今回は一人で見ました。家族で見たら、本当にヤバい雰囲気になりそうなので。 さて、この作品、ヒッチコック以降のスリラー映画の文法を変えてしまった1本だと思います。当時流行していたオカルト風味を交えながらも、閉鎖的な環境と仕事に追い詰められ徐々に狂っていく夫と、「あなたの知らない世界」が見えてしまう息子、そして目玉を見開いて疑念をどんどん募らせていく奥さんという、閉鎖的な空間で誰も信用できない世界を見事に作り上げているところが素晴らしい。そして、なんてことはない日常のシーンにこそおどろおどろしいBGMを重ねる手法も、序盤〜中盤の(最近の忙しいホラーサスペンスを見慣れている人には退屈とも思える)遅いテンポの会話シーンを重ねて、最後に一気にサスペンスが炸裂する見事な切り替えも、今となってはあちこちに見られますが、当時はやっぱり「新鮮」でした。キューブリックの創造性には本当に驚かされます。身近な人がもっとも信用ならない閉鎖的空間の恐ろしさは、最近のDVやハラスメントの問題などを考えれば、ものすごい批評性を持っていたこともわかります。そして、まさに閉鎖的な空間にとどまらなくてはならない「今」だからこそ、その恐怖は何倍にもふくれあがり、いままでとは別種の「リアルさ」として体感できます。 とくに印象的だったのは、もはや最初から狂っているように見えるジャック・ニコルソン。最初にホテルの歴史を聞いたときの「私は大丈夫」という表情からして問題ありあり。でも彼はたぶんそのことを一番認めたくないから、「大丈夫」と言い切ってしまい、家族まで連れてきてしまう。その後も徐々におかしくなっているのに気づいているのに、それをなんとか抑え込もうとする。あの手この手で彼を狂気を巻き込もうとするホテルのお化け?たちも、彼の内的な葛藤の象徴なんだろう。そして、息子を抱き、大丈夫だと言いながらも、息子すら自分を信じていないことに気づいたあとの「絶対に傷つけない」という空虚な言葉。そうすると、ラストのあの出来損ないの蝋人形のような姿も、その葛藤から解放された姿にも見えてきます。 怖いものを見ても見ぬふりをしながら、徐々に最悪の方向にハマっていってしまう・・・40年前の映画ですから当然それを意図していたわけではないと思いますが、今、世界のあちこちで起きているであろう危機の一つの本質に迫っているのは、何よりも名作の証明なんだと思います。「パンデミック」映画が配信サイトなどでも人気のようですが、2020年の春、いま一番怖い、見たくない部分を見せられる映画として、そんな部分を見つめて自分を取り戻すための映画として、おすすめです。 [インターネット(字幕)] 9点(2020-04-15 18:05:46)(良:2票) |
15. 2人のローマ教皇
《ネタバレ》 アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスの2人のベテラン俳優のやりとりを見ているだけで楽しい。2人ともイギリス生まれの英語母語者なのに、ホプキンスのドイツ訛り英語(ときどきラテン語混じり)の独特の間とか、かつて『エビータ』ではフアン・ペロンを演じたプライスのスペイン語訛り英語のユーモラスな感じとか、役者ってすごいと素直に感心してしまう。そして、2人が母語ではない英語で会話することで生まれる不思議な距離感。意見は正反対でわかりあってるわけではないのに、それでも人間と人間が対話することで生まれる、心のどこかとどこかが「つながった」その瞬間を見事に描いていると思います。そして、物語は、ユーモラスな二人のやりとりの先に、それぞれが過去に犯した罪へとクローズアップしていく。罪ゆえに指導者の座を降りようとするベネディクト16世と、過去の罪に向かい合うがゆえに指導者の立場を躊躇するベルゴリオ枢機卿。リーダーシップとは何か。罪や過ちの「責任を取る」とはどういうことなのか。このあたりの道徳観がすっぽりと抜け落ちた自称指導者ばかりの世の中で、世界で最も古い、権威主義の象徴のようなローマ教会で起きた変化にまだまだ世の中捨てたものではない、という前向きな気持ちにさせてくれるのも素晴らしい。 [インターネット(字幕)] 7点(2020-01-19 00:00:15) |
16. イエスタデイ(2019)
《ネタバレ》 設定だけの「出落ち」映画かと思ったけど、意外と楽しめた。最後のクレジットで脚本が『ラブ・アクチュアリー』『ノッティングヒル』のリチャード・カーティスと知って納得。ビートルズはこの映画のテーマではなく、あくまで「設定」で、メインは売れない歌手の主人公と幼なじみのガールフレンドのあいだのラブコメだ。主人公の周辺がちょっとヘンだけどみんな「いい人」なのもこの手の映画の定番。恋愛のライバルが簡単に身を退いちゃうのもそう。というわけで、主人公も、歌詞の世界や人間関係などにも詳しい熱心なファンではなく、いち音楽ファンとしての立ち位置なので、ビートルズのほうはあまり深堀りしない。そういう意味では、終盤の「あの人」登場は個人的には蛇足だったように思う。海の近くで1人ひっそりと暮らすなんてルーク・スカイウォーカーかよ、とちょっと思ったりして。「あの人」が出てくるんだったら、「あっちの人」は?とか余計な疑問が広がったりもして・・・。ベタなラブコメを、ビートルズのいない世界というアイデアで味付けした映画、として楽しんだほうがいいんだろう。ただ、50年間「ラブ&ピース」も「イマジン」もなかった世界だと思ったら、もう少し毒がある展開でもよかったんじゃないかなあ、と思ったりもする。 [CS・衛星(字幕なし「原語」)] 6点(2019-11-07 19:02:48) |
17. アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル
トーニャ・ハーディングとその関係者の証言ドキュメント仕立てで、彼女の半生と彼女を一躍時の人にした襲撃事件の裏側を描く。一つの出来事を異なった立場の人々の視点から描く「羅生門」風な組み立てにもなっているので、常に誰かの主観で物事を眺め、ドキュメンタリー風なのに時には「真相」自体が宙ぶらりんになる感覚が新鮮。基本的には、トーニャ、母、夫、コーチ、夫の友人で自称ボディガードの5人の語りが交錯していくのだが、物語が、この狭くて濃厚な「レッドネック」(白人貧困層への蔑称)の世界にどっぷりとはまっているのが面白い。アメリカではフィギュアスケートは、しばしば選手だけでなくその家族の物語として描かれる(日本でも五輪メダリストの家族の物語をやたら追いかけるのは一緒か)ので、審査員にそこを指摘された時のトーニャの困惑と母親へのアプローチ(とその失敗)のシーンは、彼女という「異物」を結局は排除してしまったスケート界やメディアへの強烈な皮肉だった。ただ、映画として夢中で見ていたのはこのあたりまでで、終盤の肝心の襲撃事件の話はどうしても主体が彼女から夫とその友人のほうへ移行してしまうので、物語の軸がぶれてしまって、個人的には少し飽きてしまった部分もあった。まあ、それもふくめて彼女が生きた「世界」だったのだろうけれど。でも、最後に彼女を訪れる母親の行動には絶句・・・・。あのシーンは、「家族」という物語を徹底的に突き放した、この作品の白眉でした。 [CS・衛星(字幕なし「原語」)] 7点(2019-07-13 21:05:01) |
18. ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生
《ネタバレ》 前作未見なのに映画館へ。理由は、ここ毎年元旦に奥さんと映画館で『スターウォーズ』を見るのが習慣化してたのに『ハン・ソロ』を夏休み公開するというディズニーの暴挙のせい(こんな中年夫婦けっこう多いと思う)。で、何を見るか迷った結果、奥さんが「Netflixで前作を見たら面白かった」という理由でこれに。ちなみに前作はいつの間にかNetflixのラインナップからは姿を消してしまったため、私は未見。奥さんにあらすじを聞いて、いちおうネットでも内容を確認して映画館へ。結論としては、最低限でも知識があったおかげで、複雑なストーリーも退屈はせずに見れました。ただ、この映画に期待するのはそこなのだろうか・・・という感じのほうが強め。正直、『ハリポタ』もそうですが、J・K・ローリングに期待するのは、独創的な世界観にどっぷり浸ることであって、人間関係ドラマではない気が・・・。その世界観のなかでユニークなクリーチャーがワチャワチャするのを楽しみにしてた部分はあったのだけれど、その意味ではかなりの期待外れ。人間関係っていったって、某SW8作目と同様、最後に実はーーーでした、みたいな後出し感も強くて納得度は低め。あと、舞台設定が1920年代だったからこそ、終盤見せられる現代史とのシンクロに「おおっ」とはなるのですが、この映画で見たかったのってやっぱりそれじゃない、という感じのほうが大きかった。よかった点としては、ジョニー・デップ。キャリア的にも正念場だと思うけど、彼にしては「抑え」が効いていて凄みがあった。 [映画館(字幕)] 5点(2019-01-04 13:31:57) |
19. ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
《ネタバレ》 近作『ブリッジ・オブ・スパイ』もよかったが、今作はさらにシンプルな出来。こうゆうストレートなメッセージをてらいなく、でもエンターテイメントで発する最近のスピルバーグの姿勢は好きだ。それに応える大御所主演コンビもさすが。トム・ハンクスなんて、別に特殊な役作りをしてるわけではないのに、他の作品とは違う、明らかにワシントン・ポストの編集長になってた。ちょっと弱っちくて、まわりの男たちからさりげなくバカにされるメリル・ストリープも新鮮。役者の引き出しってすごいと素直に感動する。個人的に気に入ったのは、本作では「正義を為す」ことが、ベンにとってはケネディ大統領と親友だったことで生まれる躊躇をジャーナリストとして乗り越えることでもあり、父と夫から引き継いだ新聞社を守ることしか考えていなかったケイにとっては、はじめて自分の信条に従って(だから、ケイとマクナマラのシーンは超重要)決断を下すことであったという、「公」と「私」を重ねた描き方。脚本うまいし、それを嫌みなく演じる2人と監督の淡々とした演出も素晴らしい。この後のウォーターゲート事件で実際に『ワシントン・ポスト』はニクソン政権の息の根を止めてしまうのだが、そこにつなげるラストシーンの流れもなかなかよい。難点をいえば、短時間で作ったことがわかるセットや場面のワンパターンさ。あと、最近のスピルバーグ作品にイマイチあってない気がするジョン・ウィリアムズの音楽くらいか・・・。それから邦題。サスペンス的な印象を与えてしまって、この作品のシンプルな作風を損ねてしまっていて残念。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2018-09-17 21:41:15)(良:1票) |
20. エンド・オブ・キングダム
《ネタバレ》 最近のジェラルド・バトラーの充実っぷりといったスゴいが、なかでも殺戮マシーンがヒーローなこのシリーズはバトラー映画のまさに王道。ヘリが落ちようが、車が大破しようが、痛そうなのは一瞬。数秒後には全速力で走り回る驚異の回復力。万事がこんな感じで前のシーンで起きたことが後につながることは皆無で、すべての伏線が振り切られる。そして、考える時間を一切与えず、質より量の怒濤の展開で押し切り、99分にまとめてしまうという離れ業。必要ないのに何度もナイフで刺しまくるサイコとしか思えない主人公。こんな男が仕事辞めてフツーのパパになるとか絶対無理だろう・・というか、この映画の世界では閻魔様とか因果応報という言葉など存在しないかのように、主人公側(&アメリカ側)の大殺戮をなんの躊躇もなく正当化してしまう。とくにラストのラスト。ひとり善人風だったモーガン・フリーマンが、敵の黒幕ボスに下した仕打ち・・・。「暴力の連鎖」なんて言葉をせせらわらうような展開に絶句するしかない。この世界観でいけば、たぶん数年後には地球は破滅してますよ。なんだか、ジェラルド・バトラーが『デビルマン』に見えてきた。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2018-05-20 22:53:48)(笑:2票) |