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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  トップガン マーヴェリック
トム・クルーズがトム・クルーズであることを貫き通したことが、また一つアメージングなエンターテイメントの傑作を生み出したのだと思う。 そう断言してしまっていいくらい、本作にはトム・クルーズという“映画人”の生き様が凝縮されている。 そしてそれは、世界中のすべての映画ファンにとって、幸福で、最高な「映画体験」をもたらしていると思える。   1986年のオリジナルから36年、多くの映画ファンが続編を待ち望んでいたと言うが、実のところ個人的な期待感は極めて小さかった。 なぜなら36年前のあの“戦闘機映画”が、それほど良い映画だとは思っていなかったからだ。 実際に鑑賞したのは、僕自身が20代前半の頃だったと思う。画面に映る主演俳優の若々しさを興味深く追いつつも、作品全体の仕上がりに“浅さ”を感じてしまい、あまり感動を覚えなかった。 アクション映画としても、その時点で公開年が20年近く前の映画に対して興奮し得る要素はあまりなく、割とありふれた青春映画、もしくはスポーツ映画を観ている感覚だったと思う。  したがって、この続編の制作の遅れやコロナ禍による度重なる公開延期の報を聞いても、特に残念に思うことも無かった。他の多くの大作映画と同様に、劇場公開に至らず「配信」になっていたとしても、「ああそうなんだ」と思うに留まっただろう。 そんなふうな認識だった「映画ファン失格」の僕は、まずトム・クルーズに対して謝罪して、感謝の言葉を尽くさなければならない。   本作に限らず、どの映画製作においても、その規模が大きくなればなれるほど「妥協」という言葉は常につき纏う。どんなに高い志や理想があったとしても、完成して、公開されなければ映画というものの存在意義はそもそも生まれない。 その結果、「駄作」になってしまった映画は星の数ほどもある。 しかし本作は、トム・クルーズが、主演俳優として、そして映画プロデューサーとして、「妥協」を考え得る最小限に留め、映画人としてのエゴイズムを貫き通したからこそ、問答無用の「大傑作」として存在意義を得ているのだと思う。  本作の映画としてのあり方やストーリーテリングそのものは、極めてシンプルであり、王道的であり、ベタである。ただだからこそ、その豊潤なエンターテイメント力に圧倒される。 本物の戦闘機の轟音、俳優たちが本当に乗り込んでいるからこそ表現できる重力、そして本当に歳を重ねた主演俳優の円熟味と変わらぬスター性。 正真正銘の「リアル」が、この娯楽映画の真髄であろう。   36年ぶりに紡がれた“マーヴェリック”の物語は、彼自身が若者だった1986年の物語に新たな価値を与え、高めている。そこには映画世界の内外における「継承」が成されていて、そのことがまた多層なドラマティックを生み出している。  それはやはり、世界ナンバーワンの映画スター(映画バカ)がもたらした偉業であり、映画史における“ミラクル”だと思うのだ。
[映画館(字幕)] 10点(2022-06-12 17:06:13)(良:3票)
2.  トレマーズ
映画好きであれば避けては通れない作品がこの「トレマーズ」である。そう言っても過言ではないほどもはやこの映画は世の中に知れ渡っている(と、確信する!)。まさにB級モンスター映画であるこの作品のパワーは計りしれない。地底に潜む謎の巨大生物が地上の人間に襲い掛かる!と、あまり言葉を並び立ててもB級映画の枠を出ないので、とにかく観てもらうしかない☆
10点(2003-09-28 02:33:36)(良:1票)
3.  ドント・ルック・アップ
こんなにも笑えないブラックコメディは初めてかもしれない。 「今」この瞬間の世界の実態を詰め込んだような強烈な社会風刺と、世界の終末。 登場人物たちと、彼らが織りなす社会の滑稽さが極まるほどに、“笑う”余裕などなくなり、胸糞悪さを超えて、もはや恐怖を感じてくる。 それは即ち、この映画の風刺が、決して過度にデフォルメされた描写ではないことに他ならない。  世界の危機よりも自身の保身を案じる米国大統領、タレントのスキャンダルに興じ科学者の訴えを無下にする報道番組、世界の決断をも牛耳る巨大IT企業、そして、自らで考え判断することを放棄してしまっているすべての大衆……。 それはまさしく、可笑しさと、愚かさと、悍ましさが共存する、この「地球」と「人間」の姿そのものだった。  ハリウッドのトップ・オブ・トップのオールスターキャストが、この壮大な風刺映画を強烈に彩っている。 主演のレオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・ローレンスをはじめとして、そうそうたる面々が、馬鹿な人間像を嬉々として演じきっている。 メリル・ストリープ、ケイト・ブランシェット、マーク・ライランスら押しも押されもせぬ名優たちが揃いも揃って人間の愚の骨頂を表現するさまは、この映画の品質と娯楽性を高めると同時に、決して看過できない危機感を如実に創出していたと思う。(惜しげもなく全裸シーンを披露する72歳の大女優には脱帽!)  Netflix配信映画として全世界同時公開された今作は、あらゆる意味でこの「時代」に相応しい作品だった。 不都合な真実、面倒な現実から目を反らして、どこかの誰かの思惑に取り込まれていることを、無意識レベルで甘受してしまっているこの世界。 まるで藤子・F・不二雄のSF短編漫画のような手軽さと、それと相反する多層的な面白さと辛辣さが満ちていた。 タイトルバックで映し出されるジェニファー・ローレンスの嘔吐カットで表されている通り、時に吐き気をもよおすほどの醜悪さも感じるブラックコメディだったが、この映画の在り方は圧倒的に正しい。  これが地球、最高で最悪。
[インターネット(字幕)] 9点(2021-12-31 14:57:37)(良:1票)
4.  ドリーム
「私には差別意識なんてものは無いのよ」  と、キルスティン・ダンスト演じる白人女性管理職のミッチェルが、それが自分の本心だということを疑わずに言う。 それに対して、黒人女性としてNASA初の管理職を目指すオクタヴィア・スペンサー演じるドロシーはこう冷静に返す。  「分かっているわ あなたがそう思い込んでいることを」  愕然とするミッチェルのみならず、僕自身を含め、観客の多くがドキッとした台詞だったろう。 世界のあらゆる「差別」における最大の問題点は、あからさまなレイシストをどう排除していくかということではない。 「私は差別なんてしていない」と平然と生活をしている我々大衆の根底にある無意識の差別意識を、どう根絶できるかということだ。  「差別なんてしてない」と信じている人間に、実は存在する差別意識を認識させること程難しいことはない。 たとえそれの存在に気付いていたとしても、「知らないふり」をしていた方が、ずっと楽だし、正義を気取れるからだ。 自分自身の中に巣食う差別意識に対面し、それを認めることは、実は最も勇気が必要なことなのかもしれない。  社会に蔓延る人種差別を描いた映画を多々観てきたけれど、「“差別”が何故愚かなことなのか」という普遍的な問いに対する、分かっているようで分かっていないその「答え」を、これ程まで明確に、そして娯楽性豊かに示した映画を他に知らない。  この映画が示すその明確な答えは、あまりに潔く、的確だ。 即ちそれは、「差別」の存在が人類の進化においてあまりにも“非効率”であり、その歩みを留める致命的な“エラー”になり得るからだ。 本当に優秀な人材が、当たり前のように根付く差別意識とそれに伴う愚かな仕組みのせいで、ただ「トイレに行く」だけのために、無意味に駆け回らなければならない。 人類全体の新たな「1歩」のために、1秒、1ミリ、1グラムを追求するべく職に就く人間が、愚かな非効率を強いられることの罪深さをこの映画は圧倒的な雄弁さで物語る。  言わずもがな、キャストの演技はみな素晴らしい。 特に主要キャラクターとなる3人の黒人女性を演じた女優たちの魅力的な存在感は圧巻。原題「Hidden Figures」が表す通り、歴史の中に隠れた人達の輝かしい功績を燦然と体現している。  同年のアカデミー賞を勝ち獲ったのは、今作と同じく、社会的マイノリティの葛藤を叙情的に描いた「ムーンライト」だったわけだが、今作の映画としての非の打ち所の無さは同作を遥かに凌駕する。 世界中の誰が観ても、心から楽しめ、提示される問題の根深さを理解することが出来るこの映画の価値は極めて高い。   クラシックな車と同じく、古い「時代」とそれに伴う間違った「価値観」は時に立ち往生する。 悲しくて悔しくて、先行きままならないことも多々ある。 でも、ならば車の底に潜り込んで直せばいい、正せばいい。 彼女たちが示した勇気とプライド。そのあまりにも尊い価値に涙と多幸感が溢れ出る。
[映画館(字幕)] 9点(2017-10-21 22:52:07)(良:3票)
5.  トゥモロー・ワールド
或る深夜。寝室から愛娘の泣き声が聞こえる。夜毎の夜泣きは楽ではないが、それは彼女が“生きている”ということの一つの「証明」のようにも思えて、とても安心する。 自分に子供が生まれ、明確な「恐怖」として感じるようになったことがある。 それは、幼い命が育たないということに対する恐怖だ。 日々のニュースの中では、毎日のように、何らかの理由であまりに短い“生”の時間を終えなければならなかった幼い命に関する事故や事件が伝えられる。 その度に、悲しみや憤りとともに、恐怖を感じる。  幼い生命が育たないということは、人類にとって、いや生物全体にとって、最大の恐怖なのだと思う。 このSF映画は、そういう人類という生物が直面するかもしれない絶対的な恐怖を壮絶に映し出している。  18年間、新生児が誕生していない近未来。 映画は、クライヴ・オーウェン演じる主人公が立ち寄ったコーヒーショップから出た直後に突如爆破されるシーンから始まる。 このファーストカットが驚くべきロングテイク(長回し)で映し出され、一気にこの映画の世界観の中に放り込まれた。  この映画ではとにかくロングテイクが多用されており、壮絶な襲撃や市街戦を描いたアクションシーンまでもが目を見まがう程の完璧なロングテイクで徹底的に描き出されている。 それにより観ている側は、この悲劇的な未来世界の中で問答無用に息づかせられ、荒涼とした世界の空気感と荒んだ人間たちの感情までもがひしひしと伝わってくる。  ストーリーの設定や展開は、よくある近未来世界を描いたその他の映画と変わりはない。 しかし、突き詰められた映像構造と、生命とそれが育つことの価値に対する真摯なスタンスにより、他にはないリアリティを生み出している。  一つの小さな生命を救うために数多くの生命が犠牲になっていくこと。それが何故正しいのか? この映画では何事においても明確な理由や答えは最後まで示されはしないが、現在の人類が今一度立ち返るべき根本的な価値観と在り方、それを考えるべき機会が示されていると思う。  幼い生命が育つという本来当たり前であるべき事象。それが成立するための条件が、「平和」ということだというのならば、やはりそれを願わずにはいられない。 「シャンティ シャンティ シャンティ」
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-30 10:21:19)(良:2票)
6.  塔の上のラプンツェル
「ああ……テレビが小さ過ぎるな……」  目の前では、居なくなったプリンセスを憂いて無数の灯りが夜空に向けて上げられている。 自宅の32型の液晶テレビに映し出される、その美し過ぎるシーンを観ながら思った。 同時に、この映画を映画館で、そして3Dで観なかったという“失敗”に今さら気づき、遅過ぎる後悔を感じた。  理屈ではない。ディズニーはやっぱり素晴らしいとしか言いようがない。 ディズニー映画に対する問答無用の高揚感はもはや条件反射で、それは世界中の子供たちに行われ続けている“幸福な刷り込み”によるものだと思う。 大人になって、ディズニー映画の新作を見てもすんなりとその高揚感を味わうことは少なかったけれど、この映画にはかつて自分自身が子供の頃に“刷り込まれた”愛すべきディズニー映画の“源泉”が溢れ出ているようで、ただただその世界観に包み込まれた。  四の五のと御託は必要ない。今の自分を取り囲む“いろいろ”を一旦ソファーの横にでも置いといて、世界で最も信用度の高いブランドによる「夢の国」に入り込むべし。  P.S.残念ながらDVDやBlu-rayで観るのであれば日本語吹替で可。しょこたんギザウマス+ギザカワユス。
[DVD(吹替)] 9点(2011-12-21 15:50:43)(良:1票)
7.  トイ・ストーリー3
今年、「断捨離」なんて言葉が話題になった。自分と物との関係を見直して、暮らしや人生を調えていくプロセスのことだそうだ。 人間は、その人生をまっとうしていく中で、様々なことを取捨選択している。 その最初の選択が、実は“おもちゃ”に対してのことなのかもしれない。  もちろん僕も幼少期にはたくさんのおもちゃで遊んだ。お気に入りは、トミカのミニカーや、ダイヤブロックの人形で、この映画の冒頭と同じように、“彼ら”を駆使してひたすらに空想の世界に没頭した。  でも、29歳になった現在、当時遊んだおもちゃで現存しているものは、ほぼすべて無くなってしまった。 どこかで無くし、誰かに譲り、そして捨てたのだろうと思う。  普通、記憶にも留まらないその「選択」を、この映画は最上のエンターテイメントをもってして物語る。  大学生になる“持ち主”が、自分たちをどうするのか。 大学生活に連れて行ってもらえるのか、屋根裏の物置に追いやられるのか、保育園に寄付されるのか、捨てられてしまうのか……。 そこからおもちゃたちのアドベンチャーが始まる。  ピクサーの魔法によって文字通り魂が吹き込まれた“ウッディ”をはじめとするおもちゃたちの躍動感と感情が凄い。 人間たちが現れ、ただの“おもちゃ”として振る舞う様にも、しっかりと感情が滲み出ている。  エンターテイメント性溢れるアドベンチャーを経て、おもちゃたちは、自分たちが持ち主に本当に愛されているという「幸福」を知る。 そして、おもちゃたちが選んだ自分たちの進むべき道。その「選択」が素晴らしい。  何かとの大切な“つながり”は、避けられない“別れ”があってはじめてその真の価値が見出されるものかもしれない。 あまりに愛くるしいこのおもちゃたちの映画に、そういうことを感じた。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2010-12-30 02:20:55)(良:3票)
8.  特攻野郎Aチーム THE MOVIE
「特攻野郎Aチーム」のテレビ放映を観ていたのは、どうやら4、5歳の時らしい。 具体的な内容はほとんど覚えていないけれど、大好きなテレビ番組であったことだけははっきりと覚えている。 たぶん、自分の意志で観ていた生まれて初めての海外テレビドラマだっただろうと思う。  今なお人気の高い往年のテレビシリーズを、今になって映画化することは、リメイクブーム全盛の映画界であっても非常に困難なプロジェクトだったと思う。 多くの人たちに愛されたシリーズとそのキャラクターたちを、もう一度観てみたいと思うと同時に、新たに描き直されたものに対して違和感を覚えないはずが無いからだ。 実際、違和感は確実にあったと思う。  が、そんな違和感は早々に吹き飛ばされる。  映像技術の進歩により、ド派手なアクション映画なんてものはもはや溢れ返っている。 あらゆる映像表現が可能となった今、単にアクションの派手さなどで驚くことは、実際少なくなってきている。 そんな中にあって、久しぶりにアクションシーン自体に心から興奮した。 ただのド派手なアクションシーンではなく、“馬鹿馬鹿しいほどにド派手なアクションシーン”に高揚するあまり、映画の中の“特攻野郎”たちと同じように、笑いが止まらなかった。 あの高揚感こそが、この映画のすべてだと思う。  正直なところ、遠い昔に観ていたテレビシリーズの愛着を汚されるのではないかという危惧もあった。 しかし、純粋に追求されたこの映画の娯楽性は、まさしく「特攻野郎Aチーム」のそれであり、映画を観終わる頃には、すっかりリーアム・ニーソン率いる現代に蘇った「Aチーム」が大好きになっていた。   あの懐かしいテーマ曲と共に流れるエンドロールを観ながら、何よりも悔やまれたのは、売店で買ったポップコーンを上映予定作品の予告編が終わるまでに食べ切ってしまったこと。 この最上級の“ポップコーン・ムービー”を、ポップコーンを食べながら観られるチャンスをみすみす逃してしまった。(小銭が無かったのをケチってMサイズにしたのが間違いだった……Lサイズにするべきだった……)
[映画館(字幕)] 9点(2010-09-04 01:14:19)
9.  ドリームガールズ(2006)
スバラシイ。映画全体にほとばしるR&Bのソウル。“サクセス”への情熱と群像。あらゆる感情のパッションが、上質な歌唱とダンスによってスクリーンいっぱいに伝わってくる。  やはり特筆すべきは、その“臨場感”だろう。絶対的な実力を持った俳優たちによるパフォーマンスにより、まるで生の声が伝え響いてくるようだった。本当のコンサートホールや舞台裏で、彼らの肉声と感情をそのままに体感しているような錯覚に陥る。 流れるようなカメラワークと、クオリティの高い舞台設計、何よりも演者たちの歌声と表現力が素晴らしかったと思う。  今年度のアカデミー賞で日本人女優・菊地凛子がノミネートされたことで話題となっている助演女優賞のオスカー大本命と言われているジェニファー・ハドソンのパフォーマンスは、流石に圧倒的だった。まあストーリー上、彼女の役が主人公と言っても過言ではないほどのウエイトのキャラクターなので尚更だが、その存在感は新人女優とは思えない。  “色々な意味”でジェニファー・ハドソンの陰に隠れてしまった印象もあるヒロインを演じたビヨンセ・ノウルズだが、それでも彼女のこの映画における意味合いは物凄く大きい。彼女の美貌と、絶対的な歌唱力が無ければ、やはりこの映画は有り得なかっただろう。スーパースターでありながら、決しておいしくはない役を堂々と演じた様は素晴らしかったと思う。  そして個人的に一番印象強かったのは、エディ・マーフィだ。僕らの世代的には、ハリウッドのエンターテイナーといえばエディ・マーフィであったりする。 久しぶりに見た彼のパフォーマンスは、流石で、そこに年齢を重ねた俳優としての哀愁も合わさり、その存在だけでとても感動的ですらあった。  ミュージカル映画の素晴らしさは「理屈」ではないということだと思う。伝わってくる歌声と、ビジュアルをそのままに感じることが、その醍醐味だろう。 まさにその醍醐味そのもののパワフルな作品だと思う。 
[映画館(字幕)] 9点(2007-02-18 21:34:40)
10.  ドライビング Miss デイジー
ジェシカ・タンディとモーガン・フリーマンとの人間関係が非常に濃厚に描かれている。といっても決して重苦しくならず、日常的な会話の中でお互いの真意や社会的な問題等を描き出しているあたりが、巧く、味わい深い脚本であった。紆余曲折を経てたどり着いた2人の関係は、極めて崇高なものに思えた。
9点(2003-10-31 12:45:51)
11.  12モンキーズ
まずテリー・ギリアムの特異な世界観に圧倒される。特に未来の世界のそれは秀逸で異世界を映し出すようであった。その映像世界と同調するようなストーリー展開とテーマ性はまさに衝撃的であった。未来を変えようと奔走する主人公、しかし運命は変えられず文字通り悪夢が現実となる。元ネタは短編映画「ラ・ジュテ」からであるが、哲学性と宇宙的思想からなるこの物語の独創性は素晴らしい。
9点(2003-10-14 14:48:30)
12.  トゥルーライズ
民放の洋画劇場で通算何度目から知らないが、また「トゥルーライズ」が放送されていた。 久しぶりに観たくなったので、録画して鑑賞した。 何となく違和感を感じつつ、エンディングを迎えて、大部分が放送用の編集でカットされていたことに気づいた。 不完全燃焼を覚えたので、すぐにDVDを借りて見直すことにした。  改めてノーカット版を観ると、これまでのテレビ放映でも相当数のカットがあったことに気づかされた。 作品のテイストに直接関わるような重要なカットや台詞が、無闇矢鱈に省かれてしまっていたのだ。 振り返ってみれば、この映画を最初に観たのは、たぶん新作として並んでいた“レンタルビデオ”だったと思う。 完全なノーカット版を観たのは、それ以来と言える。  少しキワドい台詞やシーンが片っ端からカットされていることを知ってしまうと、テレビ放映版はアーノルド・シュワルツェネッガーの大雑把な存在感が際立つとても荒い映画に見えてしまう。 でも、実際のこの映画は、大人びたジョークとエスプリに溢れたとても質の高いエンターテイメントである。  主人公はもちろんシュワルツェネッガーであるが、この映画の見所は彼ではない。 もっとも注目すべきは、妻役のジェイミー・リー・カーティスであり、むしろ彼女の映画と言ってしまっても過言ではない。  長年連れ添った夫の“本当の嘘”。そのベールが徐々に剥がされるにつれ、地味で堅い妻のあまりに魅力的な本質があらわになってくる。 ジェイミー・リー・カーティスという女優の存在のユニークさ、そして隠し持った妖婉さとのギャップを堪能するべき映画だ。   シュワちゃんの相棒役のトム・アーノルドや、情けないスケコマシ野郎を演じるビル・パクストンもそれぞれ良い味を出している。 そういう細かな要素が合わさって、「良い映画」は構築されると思う。それなのに、カットだらけではせっかくの傑作が台無しだ。 やっぱり、民放映画は観るべきではないらしい……。
[DVD(字幕)] 9点(2003-09-28 01:10:57)(良:1票)
13.  透明人間(2020)
深夜、自室で今作を鑑賞後リビングに入ると、薄暗いいつもの室内が何だかとても恐ろしく感じた。 ぽっかりと空いた何もない空間に“何かがいる”かもしれないという感覚。それはまさしく、この恐怖映画が描き出した「恐怖心」そのものだ。 全編通して、主人公のみならず、観客にもそういう“怯え”を生み出したこの映画のアプローチは、“透明人間”という怪奇映画の伝統を引き継ぎつつ、圧倒的にフレッシュだった。  この新機軸の透明人間映画が、これまでの透明人間映画と異なる最たる点、それは「視点」だろう。 伝統的な透明人間映画が、透明人間となってしまった人物自身の恐れや悲哀、または透明人間としてのモンスター性を描き出してきたことに対して、今作は透明人間に襲われ、「凝視」し続けられる女性を主人公に配し、徹底的に彼女の「視点」でストーリーが展開される。  「何かに見られている」という不安やおぞましさをシンプルかつ洗練された映像表現で徹底的に描きつけ、“何もない空間”に恐怖を生み出した映画的手法が見事だったと思う。 主人公の背後に浮かび上がる“吐息”や、バスルームの“手形”など、ヒタヒタという物音すら全く立てずに主人公に歩み寄る恐怖演出も巧みだった。 主人公の女性の愛称が“シー(see)”であることも、シチュエーションスリラー「ソウ」を生み出した作り手らしいこの映画のテーマ性に対する隠喩であろう。   ただし、この映画が描き出す「恐怖」の真髄は、そういう映像的に表現されている要素のみには留まらない。  夫から支配的なハラスメントを受け続けていた主人公は、その夫婦生活から逃げ出した後も彼の精神的支配から脱却することができずに、苦しみ続ける。 夫の死を知らされても、一人それを信じることができず、見られ続けていることに恐怖し、究極的に追い詰められる。 結果的に方法としての“透明人間”は存在し、夫は死を偽装してまでも妻である主人公を支配し続けようとする……。  が、果たして本当にそうだったのだろうか? “透明人間”による凶行は現実だったけれど、それが本当に夫による策略であったかどうかは最終的に明確にならない。 凶行はすべて夫の兄によるものだったかもしれないし、夫にまつわる恐怖心のすべては心を病んだ主人公の誇大妄想だったかもしれないという可能性が、最後の最後まで拭い去れない。  そういったまた別の「視点」を生む演出も見事だし、主人公を演じたエリザベス・モスの演技と、狂気性を孕んだ表情も素晴らしかったと思う。   人間同士の関係性、もっと言い切ってしまえば「夫婦」という関係性から生じた綻びが導き出してしまった憎しみと怖れ。 この恐怖映画が最終的に紡ぎ出したものは、その普遍的な人間関係が内包する“危うさ”だったのではないか。  そういうふうに、この映画の結末を捉えると、同じく“恐怖夫婦映画”の傑作である「ゴーン・ガール」的なゾクゾクとしたおぞましさに包まれ、思わずこう呟きたくなった。 「こ、怖えぇ」と。
[インターネット(字幕)] 8点(2021-02-21 00:07:08)(良:2票)
14.  トイ・ストーリー4 《ネタバレ》 
ちょうど大いに散らかっていた子供部屋を子どもたちと共に片付けたばかりのタイミングで鑑賞した。 そういえば、自分自身に子どもが生まれてから初めて観る「トイ・ストーリー」だった。  傑作だった前作「3」において描かれた、ウッディたちが選び取った「選択」で、「トイ・ストーリー」という物語は見事な“終着”を見せたのだと思っていた。 たとえ更なる続編が製作されたとしても、それはきっと多くのファンを失望させてしまう“蛇足”になるだろうと思っていた。 だがしかし、9年の年月を経て生み出されたこの続編は、僕たちの想像を芳醇なイマジネーションで大胆にも超えてみせた。 それを成し得たのは、このアニメーションに登場するキャラクターに対するクリエイターたちのあまりにも深い愛だったと思える。  “おもちゃ”として生まれたウッディをはじめとするキャラクターたちの「運命」と「役割」。 前作「3」で描き出されたそのテーマは、キャラクターたち自身にとっての誇りであり、尊厳であった。 我々観客も、そういった「運命」を見出したキャラクターたちを称賛し、物語の終着として納得し、満足していた。  「トイ・ストーリー」の中のキャラクターたちでさえ納得していたはずのその結論めいたものに対して、誰よりも彼らを愛するクリエイターたちは「いや、待てよ」と思ったのだろう。 “おもちゃ”として生まれた以上、その相手(持ち主)が誰であれ、楽しませ続けることこそが本懐。 でも、だからといって、すべてのおもちゃたちを、一方的にその「運命」=「おもちゃ箱」にしまい続けていいのか。 この映画のクリエイターたちは、あらゆる意味で「役割」を果たしてくれた愛すべきキャラクターに、新しい選択肢と可能性、即ち「未来」を与えたかったのだと思う。  それは、本来“生無きもの”に生命を吹き込んだこのストーリー(世界)において、あまりに相応しい多層的な新しい着地点だった。 この着地によって、このストーリーは永遠に続くだろう。そうまさに「無限の彼方へ」。   片付けたばかりの子供部屋は、またすぐに散らかり始めている。 この機に乗じて、うちのおもちゃたちも少しずつ旅立っているのかもしれない。
[映画館(吹替)] 8点(2019-07-31 23:43:57)
15.  ドライヴ(2011)
ポーカーフェイスの主人公。彼の冷静な表情を映し出した後、その静かな目線の先に意外な“事”が起きている。 その特徴的な演出が作中幾度か挟み込まれていて、それは、この映画において終始“胸騒ぎ”を覚える要因となった。 “胸騒ぎ”を最後まで拭いされない映画だったが、言いようも無い居心地の良さも同時に感じる。この映画は、そういうとても奇妙な映画だったと思う。  ストーリーは極めてシンプルだ。 自動車の修理工であり、映画のカースタントマンであり、犯罪の“逃し屋”を裏家業とする孤独な主人公が、或る人妻に恋をして、刑務所帰りの彼女の夫のトラブルに巻き込まれ、ギャングと対峙する羽目になるという。 シンプルというよりも、映画のメインストーリーとするにはあまりに陳腐なプロットと言える。  しかし、この奇妙な映画の“売り”は、そんな陳腐なストーリーそのものではない。  本名も含めて、その素性が結局最後まで明らかにされない謎に満ちた主人公の男。 彼の抱えた心の「闇」、そしてそんな彼に訪れた一寸の幸福の邂逅。 斜陽に照らされたアスファルトを走り出す描写に溢れた一瞬の輝き、それこそがこの映画の文字通りのハイライトであり、その限られたシーンに個々人の思いを込められるかどうかで、この映画の賛否は大いに揺らぐように思う。  主人公が経てきた人生を映し出す描写はまったくない。 しかし、この男は、過去においてすでに人生における「最悪」を経験してしまっているのだろう。 この映画で描き出される主人公の孤独と激情には、それを物語る記憶の断片が垣間見えたように思えた。  彼が、この映画で描かれる物語の先を生き抜いたのかどうかなんてことは、もはや関係ない。 彼は、「最悪」の闇の中で、突如として僅かな“輝き”を見られた。 この映画が描き出したかったことは、ただそれだけだったのではないかと思う。   インフォメーションには、「疾走する純愛」と記されてあった。そのコピー自体は間違ってはいないと思う。 しかし、決して浅はかなカップル向け映画などではない。 隣の席の人間のことを気にすることなく、座席の手すりにでもしっかり掴まっていなければならない。 でなければ、きっと振り落とされて、怪我をする。
[映画館(字幕)] 8点(2012-05-27 00:43:33)(笑:1票) (良:1票)
16.  トロピック・サンダー/史上最低の作戦 《ネタバレ》 
とても悲しいことがあって、こういう時だからこそ敢えて理屈抜きに大笑いできる映画を観ようと思った。 普段は積極的にこの類いの“コテコテ”のコメディ映画は観ない。だからベン・スティラーの映画を観るのも本当に久しぶりだった。  どのジャンルの映画においても同じことが言えようが、コメディ映画というジャンルは特に観る者によって好き嫌いが大別される。故に笑いどころのポイントが合わなければ、その人にとっては駄作以外の何ものでもなくなってしまう。 それはもう丁半博打のようなものだけれど、幸運にもこの映画は大笑いできる映画だった。サイコーである。  ある程度あらゆる映画を見続けている人であれば、映画の冒頭から本当に可笑しくて仕方なくなってくるのではないかと思う。 戦争映画のパロディというよりも、ハリウッドの映画産業自体を風刺しパロディ化した映画世界は、凄まじいほどにきちんと作り込まれていて、笑いと同時に大いに感心してしまう。 数多の戦争映画で描かれてきた戦場における狂気の様と、ハリウッドのメインストリートの住人たちの滲み出る狂気が絶妙にリンクしていく描写は、ストーリーとしてもとても優れていた。  世界中にコメディ映画は溢れているが、本当に優れた可笑しさは、ストーリー的にも映像的にも徹底したクオリティーの高さの中にこそ生まれるということを、この映画の作り手は熟知しているのだと思った。  ブラックで時にどギツイシーンも連発されるが、豪華な出演陣のパフォーマンスをはじめ、常に“中途半端”であることを避け、すべてにおいて“振り切っている”ことが、決して居心地の悪さを感じさせない理由だろう。  鬼畜豪腕プロデューサーの意味不明な“ラストダンス”も含め、問答無用にテンションを上げてくれる“今の自分”に相応しい映画だったと思う。   個人的に惜しむらくは、鬼畜豪腕プロデューサー役のキャスティングに最後のクレジットまで気付かないでいられたなら、最終的なテンションの上がり方はもっと劇的になっただろうなと思ったこと。 某スパイ映画の最新作を含め、「彼」の映画を最近立て続けに観たばかりだったので、“眼”と“動き方”から気付かずにはいられなかった……。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-01-14 16:17:03)
17.  トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン
映画館でこの映画を観終わって、6時間が経った。 はっきり言って、もうすでにストーリー展開に関しては忘却が始まっている。と言うよりも、鑑賞直後においても、ストーリーに対する印象はほとんど皆無だったと言っても過言ではない。  ただし、その“内容の無さ”が、このブロックバスター映画シリーズにおいては、もはや「醍醐味」だと言いたい。  馬鹿馬鹿しい程に製作費と労力をかけたであろう映像世界は、圧倒的な迫力による“興奮”を通り越して、その目まぐるしさに対してもう何が凄いのかも分からなくなってきて、笑うしかなくなってくる。 第一作目からそのポイントは変わっていないが、ハリウッドを代表する大人たちが繰り広げる「空想の具現化」は、一応の「最終作」と銘打たれた3作目にしていよいよ歯止めがきかなくなっている。  コンピューターグラッフィクスの精巧さ評する隙もなく、映し出されるスペクタクルは、一体何がどうなっているのかも一目では判別がつかず、ただただ圧倒され、唖然とするしかなくなっていることに気付く。  「内容の無い大味な映画」とこき下ろすことはあまりに安直だ。 目の前で繰り広げられている映画世界は、もはや人類の英知の極みだと言って良いと思う。 その後で、映画として好きなのか嫌いなのか、その判断だけすればいい。  内容なんて明日になればすっかり忘れているのかもしれないが、映画館の中で食い入った2時間半だけが「面白かった」のならば、それ以上何も求めない。これはそういう映画だ。  そして、そのスタンスは正しい。
[映画館(字幕)] 8点(2011-08-21 22:37:14)(良:2票)
18.  dot the i ドット・ジ・アイ 《ネタバレ》 
スリラーなのか、ラブストーリーなのか、序盤から中盤に至るまでなかなか作品の“真意”というかテンション自体が掴みきれない。もしかしたら、ものすごく中途半端な駄作なのではと思ってしまうほどに。しかし、まさにその掴みきれない曖昧さこそが、この映画の意図するものだったわけで。完璧に納得のいく設定だとまでは言えないけど、この作品が試みたアイデアと映画の展開性は、挑戦的だし小気味いい。 「演技」の借りは「演技」で返すという、ラストの顛末も映画のテンションにふさわしく小憎らしさがあって良し。
[DVD(字幕)] 8点(2006-01-12 02:21:58)
19.  閉ざされた森
いつも視聴している某映画紹介系You Tubeチャンネルに出演するグラビアアイドルが、生涯ベストの映画として本作を挙げた。 おお、やっぱりこの子は“映画好き”として信頼できるなと思った。 僕自身、公開当時に1度観たきりだったが、“どんでん返し”系サスペンス映画としては、間違いなく屈指の作品だったと鮮烈に記憶に残り続けていた。  ただし、掘り出し物感の強い面白い映画だったという記憶は確実にあるものの、20年の月日は、本作のストーリーテリングとその顛末を忘却の彼方へ押しやっていた。 つまるところ、“幸運”にもどんでん返しのオチをほぼ忘れてしまっていた。 それならばと、早速サブスクを漁って本作を見つけ出し、20年ぶりの再鑑賞に至った。  主演はジョン・トラボルタ。「パルプ・フィクション」をきっかけに90年代後半に再ブレイクを果たして乗りに乗っていたこの大スターの出演作品を、当時中高生だった僕は映画館で何作観ただろうか。 本作が製作された2003年時点では、その勢いもやや下降気味だったとはいえ、この映画のジョン・トラボルタは、主人公として文字通りにストーリーテリングを支配している。  そしてその主人公が捜査官として真相究明する事件の中心に存在するのが、特殊部隊の鬼軍曹を演じるサミュエル・L・ジャクソン。そう言うまでもなく「パルプ・フィクション」でコンビを組んだ二人の再共演であり、そのキャスティングの構図だけでも今なお高揚するというもの。  肝心のストーリー展開は、まさに“藪の中”ならぬ“森の中”の様相で、生き残った兵士たちの食い違う証言によって、二転三転、いや最終的には四転五転と、真相がひっくり返り続ける。 ストーリーを追うにつれ、段々とどんな映画だったかは思い出していったけれど、結局最後の最後の大オチで、ああそうか!と記憶がよみがえり、しっかりと本作の最大の娯楽性を堪能できた。  ラストカットは、ジョン・トラボルタが劇中何度が見せる口を鳴らしてウィンクする表情で締める。小気味よくて最高。 もちろん、“どんでん返し”のストーリー展開が贔屓目に見ても強引であり、主人公が言う“つじつま”は合っているようで合っていないんだけれど、そのB級的な娯楽感が堪らないのだ。 淀川長治の日曜洋画劇場が健在な時代なら、きっと何度も再放送されて、良い映画体験をもたらしてくれただろうなと想像してしまう快作。
[インターネット(字幕)] 8点(2004-02-05 19:40:51)
20.  ドニー・ダーコ
言葉では説明しづらい複雑な内容の映画だったけど、少年の身の上に起こるタイムパラドックスの破綻、回避できない壮大な宇宙意思と題材とストーリーは非常に興味深く集中して観ることができた。斬新なストーリーを巧みに描き出したカメラワークも見事だったと思う。ただ主役を演じたジェイク・ギレンホールの少年らしくない陰気臭い雰囲気も作風の不穏な感じに合っていた。
[映画館(字幕)] 8点(2004-01-18 02:26:45)
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